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女冒険者サナ
モルズ教団
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「サナもそろそろ洗礼を受けてみても良い頃ね」なんて家族と笑いながら成人を心待ちにしていた。
土と血に塗れて獲物を解体するのだけは汚れるから嫌で堪らなかったけど、それを除けば幸せに満ちていた。
魔物を狩って、村を見回って、よく言いつけを破る妹を叱って……。
そんないつもと変わらない、平凡な日常。
それはある日突然、呆気なく崩れ去った。
魔物でも、隣の敵対国の兵士でもない。
役人が来てとんでもない税をふっかけてきたわけでも、大災害が起きたわけでもない。
どこからともなくやってきたたった3人の男によって村は蹂躙された。
武器もない。
まるで観光するかのように家を一軒一軒訪ね歩く。
それなのに男達に近づいた村人は。
爆発して、裂けて、捻れて、『何か』に貫かれて、一人一人死んでいく。
鍵をかけて閉じこもっても蝶番が弾け飛び、悲鳴だけが村に響く。
「魔法だ……魔力持ちが、俺たちを殺しにきた……」
その光景を見て、父が呆けたように呟く。
父の言葉を聞いて母は私と妹の背中を強く押した。
「サナ、母さんとの約束は覚えてるわね?」
それは村に兵士がいないこの村での決まり事。
村人だけではどうにもならなくなったら、若い村人は近くの街まで逃げること。
一番近くの街、なんていっても馬で四日はかかる。
そのきまりごとに従うか悩んでいる間にも男達は村の中を歩き回っていて、私たちの家に来るのも時間の問題だった。
少し悩んで、不安げな妹の小さな手を握って覚悟を決めた。
老人を見捨てて、大人を殿にして、母の言いつけ通りに逃げる。
村からどれほど離れたのかも分からなくなるほど遠い距離を最も近い街を目指して妹の手を引いて、時にはおぶって進んだ。
少なくとも、二度朝日を拝むほどの距離だ。
それなのに、ゾッとするような悪意を孕んだ気配と共にその男達は姿を現した。
「なんで……?」
「うん、あの村はよかった。長閑で平和で……詩人の作った歌にあるような牧歌的な景色だったよ」
男達の中で一番背の低い、私の目の前に立つ男はヘラヘラと笑いながら私の妹に向けて掌を向ける。
これまでの人生で一度も見かけたことがないような、毒々しいとしか表現できない色の液体が矢を形作る。
「幸福であればこそ、死を恐れる。その魂は高潔で、我らが偉大なる神に捧げるに相応しいんだよ。まあ、君には分からないだろうけど」
十にもならない私の妹は首を傾げて男の顔を見ている。
男の掌にある矢がどういうものなのか、これから自分をどうするつもりなのか分からないようで惚けた顔をしていた。
「幸せが壊れるってどんな感じなんだろうねえ? 殺したいほど俺を憎むのかな? それとも自分だけ生き残ることが許せなくて自殺しちゃう?」
【他人の不幸】が楽しくてしょうがない、という男の本性が声に滲み出ていた。
「できれば復讐しに来てほしいなあ! 幸福を知っていて、死を恐れて、それでもなお死に立ち向かう魂は神に捧げるに最も相応しいんだ! 君の頑張り次第では幹部になれるかもお!?」
二日間走り続けてきたせいで擦り切れた足の裏は地面と触れるたびに痛みが走る。
魔物に怯え、家族の無事を祈り、男達の足音の幻聴さえ聞こえてくるほど追い詰められた私の精神は、その男の声にプツンと千切れてしまった。
私が囮になって死んでも妹は助からない。
それならいっそ、先に死んで楽になりたい。
昇りかけた朝日を背に命を嗤う男達を前に私はただ妹を抱きしめる。
全てを諦めて目を瞑った、その時–––––––––––
「あちゃあ、腰を狙ったのに風で逸れちゃったよ」
突風が吹き抜けた。
瞬間、右肩に鋭い痛みが走って思わず絶叫する。
呼吸するたびに、いや呼吸すればするほど尋常じゃない痛みが傷口から体中に広がる。
そんな痛みに苛まれているなかでも私の耳と頭は貪欲に助かる可能性の存在を察知した。
「おい、彼女達から離れろ!」
背後から野太い男性の声と足音が聞こえた。
次いで、矢が風を切る音と抜剣を認識して、彼らが冒険者だと知った。
冒険者の一人が放った矢が男達の一人の肩を貫く。
「ブレイド様、如何なさいますか?」
「あの小娘どもを人質にするか、巻き込んで殺します?」
「人質かあ。それはとっても非人道的な手段だねえ。巻き込むのもそれはそれでアリだ、フィゼル」
矢を受けて倒れ込んだ仲間など気にせず、天気の話でもするかのように言葉を交わす彼らは愉快そうに微笑む。
「でも残念。生贄が傷み始める前に我らが偉大なる神、モルズ様に捧げなければいけないからね。ここは勇気ある撤退をしようじゃないか」
「かしこまりました。では、この塵はどうします?」
「矢をくらって気絶するなんて見込みなし。生贄に捧げる価値もない」
男は倒れ込んだ仲間の首に剣を突き立てた。
一度大きく痙攣したあと、ガクンと力が抜けて呼吸さえしない。
これまで狩りで何度も見てきた、生命の終わる瞬間だ。
「それじゃあまたね、お嬢さん方」
私たちと男の間に線が走り、それを始点に地面が隆起して天まで聳える壁になる。
姿は見えなくなったが、それでもこれまで感じていた悍ましい気配が消えたことだけは確かだった。
冒険者にもそれは伝わったようで、周囲を警戒しつつも一先ず手当してくれると提案してくれた。
「ねえ、何があったか教えてもらってもいいかな?」
冒険者の中でも若い男がしゃがみながら妹に話しかける。
私が力強く抱きしめていたせいでぐしゃぐしゃになった父譲りの茶色のツインテールを揺らしながら妹が元気よく求めに応じていた。
能天気で命の危機にあったことすら気づいていない妹に安堵半分、面食いを早速発揮する図太さに呆れ半分。
ぐちゃぐちゃの精神状態でぼんやりと妹を眺めながら冒険者の手当てを受ける。
「一応、簡易的な手当てはしたがこれ以上はどうにもできない。魔法、それも見たこともねえ類のもんだ」
「ありがとうございます。ご覧の通り、着の身着のまま逃げ出してきたので大したお礼も」
ぽんと頭に大きな手を乗せられ、がしがしと頭を撫で回されて言葉を遮られる。
ぶっきらぼうに「知ってる」とだけ言い残すとさっさと立ち上がって、男の死体に近づく。
「あの……何してるんですか?」
「見てわかるだろ。穴、掘ってる」
冒険者の男は背負っていたスコップで地面を掘っていた。
そんな彼を見て仲間は呆れたようにため息をつくとそこらへんから木の枝を拾って簡易的な死者の印を作っている。
「埋葬、するんですか? なんで……?」
私たち姉妹にとってみればこの男は村の仇。
死者としての尊厳など踏みにじってやりたいほど憎い相手だ。
弔う価値もない。むしろ、この手で切り刻んでやりたい。
「こいつは既に死んだ。それも仲間の手によってな。生きている間に何をしでかしたのか知らんが、それはもう過ぎたことだ」
男は私の顔を一瞥することなく穴を掘り続ける。
「覚えておけ、死を蔑ろにする行為は奴らと同じだ。命の冒涜を許すならお前に復讐する資格はない」
彼の言葉を理解するには、まだ若かった私には難しくて。
「今は理解できないだろうが、お前は風に愛されている。いずれ運命がお前を導くだろうよ。
だから今は、休んでおけ」
手当てされた右肩の痛みと精神的な疲れに限界が来る。
眠りたくないのに、まだ意識を失うわけにはいかないのに目蓋が段々重くなる。
もう自力では開けていられなくなって……
–––––––––––ああ、これがいっそ悪い夢だったら良かったのに。
そんなことを祈りながら私の意識は黒色に塗りつぶされた。
◇◆◇◆
次の日の朝、出直してきた私はカインの家の前で立ち尽くしていた。
彼の家からは朝食を作っている音と楽しげな談笑が聞こえてくる。
肩の痛みと久しぶりに見た悪夢のせいで碌に眠れなかった私の頭でも、昨日の客人エリザベスがまだ中にいることが分かった。
連日の休暇に訪問してきた恋人。
泊まるなんて分かりきっていた未来すら想定していなかった。
自己嫌悪に浸りながら踵を返して戻ろうとしたその時。
「……ん?」
視界の端に記憶の端に引っかかるような外見をした男が角を曲がった。
なんとなく嫌な予感がして、さっと物陰に隠れながら男の跡をつける。
よく手入れされた茶色の髪に周囲を睨みつけるような鋭い目、それと銀色の眼鏡。
間違いない、先日衛視に引き渡したはずのフィゼルだ。
住宅街を抜け、そのまま郊外の路地裏に入っていく。
時折尾行されていないか確認していたが、冒険者でも盗賊でもない彼のタイミングなど手に取るように分かる。
物陰に隠れたり、通行人のふりをしながら追跡すれば彼は周囲をもう一度伺った後酒場に入っていった。
周囲からは付き添いのように、しかしフィゼルからはギリギリ他人に見えるような位置をキープして私も席に着く。
「…………っ!」
鼻が捉えたのは血と臓物、それと吐瀉物の匂い。
酒場に漂っていいとは言えない物凄い悪臭に思わず顔を顰めかけたが、寸前で堪える。
周囲の客はこの悪臭の中、平然と酒を煽り肉を貪っていた。
彼らの格好はおおよそ高貴な装いだが、その目には生気はない。
隣に座る無精髭を生やして机に突っ伏す男から微かに漂う甘い匂いと白い粉から、なんとなくこの酒場は衛視が取り締まる類の違法な店の気配を察する。
「エールを」
カウンターにいる酒場のマスターに酒を一杯注文し、さりげなくフィゼルを監視する。
牢屋にあるべき人物が何故外を出歩いているのか、考えられるのは二つ。
一つは偶然に偶然が重なり、他人の空似がたまたま銀の眼鏡を着用してこの街を訪問していた。
もう一つは、なんらかの方法で牢屋を脱出している。
私としては前者に縋りたかったが、一番現実的な理由は後者だろう。
魔法で衛視を誑かしたか強引に脱出したか、方法は気になるところだが今重要なのはそれじゃない。
このフィゼルという男が脱獄した目的。
それは間違いなくカインか私のどちらかだろう。
カインを襲った以上、怨恨という動機も踏まえて優先的にカインからだと思うが遅かれ早かれ口封じのために私を殺す可能性もある。
「ちっ……遅い……」
フィゼルは机を指でトントンと叩きながら苛立っている様子だった。
呼び出したのか呼び出されたのかは定かではないが、誰かと待ち合わせをしているらしい。
「クソが……必ずアイツを排除してエリザベスを手に入れてやる……」
三杯目のエールを呷り、酔いが回ってきたのか物騒なことを呟くフィゼル。
どうやらカインを襲った動機は恋慕らしい。
相手を排除したからといって手に入るとは限らないが、あの据わった顔を見る限りそういったことは考えていないようだ。
「悪い、待たせたな」
黒いローブの男がフィゼルの隣の席に座る。
その途端、酔いが回っていたはずのフィゼルは背筋を伸ばして眼鏡を指で押し上げた。
「いえ、それよりもここにいることは誰にもバレてませんよね?」
「ああ、勿論。バレたとしても問題ないんだけどね」
その黒いローブの男はどこかで聞いた事があるような声で喋る。
「それで、“例のカレ”は手に入りそうかい?」
「はい。ヤツも女を盾にすれば大人しくなると思います」
「人質かあ。それはとっても非人道的な手段だねえ」
その声はあまりにも悍しくて身の毛がよだつような、【他人の不幸】を悦ぶ気持ちを微塵も隠そうとしていない。
ヤツだ。
顔も見ていないのに直感的に分かってしまう。
村を襲ったモルズ教団のなかで一番背の低い、私の右肩に一生消えない傷をつけた男だ。
思いがけない仇敵との邂逅にジョッキを持つ手が震える。
「ブレイド様、けっして神託を疑う訳ではありませんが本当にヤツは神の器足り得るのですか?」
「遠目から見たけど、あの魔力の量は常人の比じゃない。軽く見積もっても多分俺より数倍はあるね」
「にわかには信じがたいです」
心底愉快そうにモルズ教団のトップであるブレイドは笑う。
「魔力が多いということはそれだけで人の理から外れ、多次元世界を垣間見ることができる。君のスキルも同じような理屈だ」
「俺のスキルが、ですか」
「心の揺らぎによって乱れる魔力を視覚で感知する。仕組みは俺のものと違えど根底は同じだ」
ブレイドは喉をエールで潤し、言葉を続ける。
「俺は魂を見るだけだが、彼は違う。低次元の存在を破壊するものだ。もし彼が神の器になればこの大陸は“死の大地”になるだろうね」
にわかには信じがたいが、あのカインがモルズ教団にとって重要な人物らしい。
神の器やら私の知らない用語が飛び出すが、モルズ教団のことだ。どうせ碌でもないことに違いない。
「あの、ブレイド様……ヤツを捕まえたら、俺ともう一人を幹部に迎え入れてくれるんですよね?」
「勿論さ! だからちゃんと仕事をこなすんだよ?」
そうフィゼルを焚きつけると小銭を机の上に置いて酒場のマスターに片手をあげて挨拶し、カウンターの裏にある部屋へ消える。
今すぐに後を追いかけて顔面に拳を叩き込みたいところだが、マスターの袖口に垣間見える髑髏と交差した剣の刺青を見て思いとどまる。
ここはモルズ教団の中枢。今ここで騒ぎ起こして逃げられるわけにはいかない。
それよりもここで聞いた話を持ち帰るべきだ。
一人静かに殺意を研ぎ澄ましているとエールを飲み干したフィゼルが動き出した。
拳で机を叩くと小銭をばら撒き、椅子を蹴り飛ばす。
「クソが……いばり散らしやがって」
忌々しげに吐き捨てると彼も酒場の外に出た。
色々と聞きたいことがあるので、見失うわけにもいかず私もエールの代金を置いて立ち上がる。
「まあ、待ちな。ちょっと話をしようじゃないか」
酒場の外に出ようとした時、意外な人物に声をかけられた。
土と血に塗れて獲物を解体するのだけは汚れるから嫌で堪らなかったけど、それを除けば幸せに満ちていた。
魔物を狩って、村を見回って、よく言いつけを破る妹を叱って……。
そんないつもと変わらない、平凡な日常。
それはある日突然、呆気なく崩れ去った。
魔物でも、隣の敵対国の兵士でもない。
役人が来てとんでもない税をふっかけてきたわけでも、大災害が起きたわけでもない。
どこからともなくやってきたたった3人の男によって村は蹂躙された。
武器もない。
まるで観光するかのように家を一軒一軒訪ね歩く。
それなのに男達に近づいた村人は。
爆発して、裂けて、捻れて、『何か』に貫かれて、一人一人死んでいく。
鍵をかけて閉じこもっても蝶番が弾け飛び、悲鳴だけが村に響く。
「魔法だ……魔力持ちが、俺たちを殺しにきた……」
その光景を見て、父が呆けたように呟く。
父の言葉を聞いて母は私と妹の背中を強く押した。
「サナ、母さんとの約束は覚えてるわね?」
それは村に兵士がいないこの村での決まり事。
村人だけではどうにもならなくなったら、若い村人は近くの街まで逃げること。
一番近くの街、なんていっても馬で四日はかかる。
そのきまりごとに従うか悩んでいる間にも男達は村の中を歩き回っていて、私たちの家に来るのも時間の問題だった。
少し悩んで、不安げな妹の小さな手を握って覚悟を決めた。
老人を見捨てて、大人を殿にして、母の言いつけ通りに逃げる。
村からどれほど離れたのかも分からなくなるほど遠い距離を最も近い街を目指して妹の手を引いて、時にはおぶって進んだ。
少なくとも、二度朝日を拝むほどの距離だ。
それなのに、ゾッとするような悪意を孕んだ気配と共にその男達は姿を現した。
「なんで……?」
「うん、あの村はよかった。長閑で平和で……詩人の作った歌にあるような牧歌的な景色だったよ」
男達の中で一番背の低い、私の目の前に立つ男はヘラヘラと笑いながら私の妹に向けて掌を向ける。
これまでの人生で一度も見かけたことがないような、毒々しいとしか表現できない色の液体が矢を形作る。
「幸福であればこそ、死を恐れる。その魂は高潔で、我らが偉大なる神に捧げるに相応しいんだよ。まあ、君には分からないだろうけど」
十にもならない私の妹は首を傾げて男の顔を見ている。
男の掌にある矢がどういうものなのか、これから自分をどうするつもりなのか分からないようで惚けた顔をしていた。
「幸せが壊れるってどんな感じなんだろうねえ? 殺したいほど俺を憎むのかな? それとも自分だけ生き残ることが許せなくて自殺しちゃう?」
【他人の不幸】が楽しくてしょうがない、という男の本性が声に滲み出ていた。
「できれば復讐しに来てほしいなあ! 幸福を知っていて、死を恐れて、それでもなお死に立ち向かう魂は神に捧げるに最も相応しいんだ! 君の頑張り次第では幹部になれるかもお!?」
二日間走り続けてきたせいで擦り切れた足の裏は地面と触れるたびに痛みが走る。
魔物に怯え、家族の無事を祈り、男達の足音の幻聴さえ聞こえてくるほど追い詰められた私の精神は、その男の声にプツンと千切れてしまった。
私が囮になって死んでも妹は助からない。
それならいっそ、先に死んで楽になりたい。
昇りかけた朝日を背に命を嗤う男達を前に私はただ妹を抱きしめる。
全てを諦めて目を瞑った、その時–––––––––––
「あちゃあ、腰を狙ったのに風で逸れちゃったよ」
突風が吹き抜けた。
瞬間、右肩に鋭い痛みが走って思わず絶叫する。
呼吸するたびに、いや呼吸すればするほど尋常じゃない痛みが傷口から体中に広がる。
そんな痛みに苛まれているなかでも私の耳と頭は貪欲に助かる可能性の存在を察知した。
「おい、彼女達から離れろ!」
背後から野太い男性の声と足音が聞こえた。
次いで、矢が風を切る音と抜剣を認識して、彼らが冒険者だと知った。
冒険者の一人が放った矢が男達の一人の肩を貫く。
「ブレイド様、如何なさいますか?」
「あの小娘どもを人質にするか、巻き込んで殺します?」
「人質かあ。それはとっても非人道的な手段だねえ。巻き込むのもそれはそれでアリだ、フィゼル」
矢を受けて倒れ込んだ仲間など気にせず、天気の話でもするかのように言葉を交わす彼らは愉快そうに微笑む。
「でも残念。生贄が傷み始める前に我らが偉大なる神、モルズ様に捧げなければいけないからね。ここは勇気ある撤退をしようじゃないか」
「かしこまりました。では、この塵はどうします?」
「矢をくらって気絶するなんて見込みなし。生贄に捧げる価値もない」
男は倒れ込んだ仲間の首に剣を突き立てた。
一度大きく痙攣したあと、ガクンと力が抜けて呼吸さえしない。
これまで狩りで何度も見てきた、生命の終わる瞬間だ。
「それじゃあまたね、お嬢さん方」
私たちと男の間に線が走り、それを始点に地面が隆起して天まで聳える壁になる。
姿は見えなくなったが、それでもこれまで感じていた悍ましい気配が消えたことだけは確かだった。
冒険者にもそれは伝わったようで、周囲を警戒しつつも一先ず手当してくれると提案してくれた。
「ねえ、何があったか教えてもらってもいいかな?」
冒険者の中でも若い男がしゃがみながら妹に話しかける。
私が力強く抱きしめていたせいでぐしゃぐしゃになった父譲りの茶色のツインテールを揺らしながら妹が元気よく求めに応じていた。
能天気で命の危機にあったことすら気づいていない妹に安堵半分、面食いを早速発揮する図太さに呆れ半分。
ぐちゃぐちゃの精神状態でぼんやりと妹を眺めながら冒険者の手当てを受ける。
「一応、簡易的な手当てはしたがこれ以上はどうにもできない。魔法、それも見たこともねえ類のもんだ」
「ありがとうございます。ご覧の通り、着の身着のまま逃げ出してきたので大したお礼も」
ぽんと頭に大きな手を乗せられ、がしがしと頭を撫で回されて言葉を遮られる。
ぶっきらぼうに「知ってる」とだけ言い残すとさっさと立ち上がって、男の死体に近づく。
「あの……何してるんですか?」
「見てわかるだろ。穴、掘ってる」
冒険者の男は背負っていたスコップで地面を掘っていた。
そんな彼を見て仲間は呆れたようにため息をつくとそこらへんから木の枝を拾って簡易的な死者の印を作っている。
「埋葬、するんですか? なんで……?」
私たち姉妹にとってみればこの男は村の仇。
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弔う価値もない。むしろ、この手で切り刻んでやりたい。
「こいつは既に死んだ。それも仲間の手によってな。生きている間に何をしでかしたのか知らんが、それはもう過ぎたことだ」
男は私の顔を一瞥することなく穴を掘り続ける。
「覚えておけ、死を蔑ろにする行為は奴らと同じだ。命の冒涜を許すならお前に復讐する資格はない」
彼の言葉を理解するには、まだ若かった私には難しくて。
「今は理解できないだろうが、お前は風に愛されている。いずれ運命がお前を導くだろうよ。
だから今は、休んでおけ」
手当てされた右肩の痛みと精神的な疲れに限界が来る。
眠りたくないのに、まだ意識を失うわけにはいかないのに目蓋が段々重くなる。
もう自力では開けていられなくなって……
–––––––––––ああ、これがいっそ悪い夢だったら良かったのに。
そんなことを祈りながら私の意識は黒色に塗りつぶされた。
◇◆◇◆
次の日の朝、出直してきた私はカインの家の前で立ち尽くしていた。
彼の家からは朝食を作っている音と楽しげな談笑が聞こえてくる。
肩の痛みと久しぶりに見た悪夢のせいで碌に眠れなかった私の頭でも、昨日の客人エリザベスがまだ中にいることが分かった。
連日の休暇に訪問してきた恋人。
泊まるなんて分かりきっていた未来すら想定していなかった。
自己嫌悪に浸りながら踵を返して戻ろうとしたその時。
「……ん?」
視界の端に記憶の端に引っかかるような外見をした男が角を曲がった。
なんとなく嫌な予感がして、さっと物陰に隠れながら男の跡をつける。
よく手入れされた茶色の髪に周囲を睨みつけるような鋭い目、それと銀色の眼鏡。
間違いない、先日衛視に引き渡したはずのフィゼルだ。
住宅街を抜け、そのまま郊外の路地裏に入っていく。
時折尾行されていないか確認していたが、冒険者でも盗賊でもない彼のタイミングなど手に取るように分かる。
物陰に隠れたり、通行人のふりをしながら追跡すれば彼は周囲をもう一度伺った後酒場に入っていった。
周囲からは付き添いのように、しかしフィゼルからはギリギリ他人に見えるような位置をキープして私も席に着く。
「…………っ!」
鼻が捉えたのは血と臓物、それと吐瀉物の匂い。
酒場に漂っていいとは言えない物凄い悪臭に思わず顔を顰めかけたが、寸前で堪える。
周囲の客はこの悪臭の中、平然と酒を煽り肉を貪っていた。
彼らの格好はおおよそ高貴な装いだが、その目には生気はない。
隣に座る無精髭を生やして机に突っ伏す男から微かに漂う甘い匂いと白い粉から、なんとなくこの酒場は衛視が取り締まる類の違法な店の気配を察する。
「エールを」
カウンターにいる酒場のマスターに酒を一杯注文し、さりげなくフィゼルを監視する。
牢屋にあるべき人物が何故外を出歩いているのか、考えられるのは二つ。
一つは偶然に偶然が重なり、他人の空似がたまたま銀の眼鏡を着用してこの街を訪問していた。
もう一つは、なんらかの方法で牢屋を脱出している。
私としては前者に縋りたかったが、一番現実的な理由は後者だろう。
魔法で衛視を誑かしたか強引に脱出したか、方法は気になるところだが今重要なのはそれじゃない。
このフィゼルという男が脱獄した目的。
それは間違いなくカインか私のどちらかだろう。
カインを襲った以上、怨恨という動機も踏まえて優先的にカインからだと思うが遅かれ早かれ口封じのために私を殺す可能性もある。
「ちっ……遅い……」
フィゼルは机を指でトントンと叩きながら苛立っている様子だった。
呼び出したのか呼び出されたのかは定かではないが、誰かと待ち合わせをしているらしい。
「クソが……必ずアイツを排除してエリザベスを手に入れてやる……」
三杯目のエールを呷り、酔いが回ってきたのか物騒なことを呟くフィゼル。
どうやらカインを襲った動機は恋慕らしい。
相手を排除したからといって手に入るとは限らないが、あの据わった顔を見る限りそういったことは考えていないようだ。
「悪い、待たせたな」
黒いローブの男がフィゼルの隣の席に座る。
その途端、酔いが回っていたはずのフィゼルは背筋を伸ばして眼鏡を指で押し上げた。
「いえ、それよりもここにいることは誰にもバレてませんよね?」
「ああ、勿論。バレたとしても問題ないんだけどね」
その黒いローブの男はどこかで聞いた事があるような声で喋る。
「それで、“例のカレ”は手に入りそうかい?」
「はい。ヤツも女を盾にすれば大人しくなると思います」
「人質かあ。それはとっても非人道的な手段だねえ」
その声はあまりにも悍しくて身の毛がよだつような、【他人の不幸】を悦ぶ気持ちを微塵も隠そうとしていない。
ヤツだ。
顔も見ていないのに直感的に分かってしまう。
村を襲ったモルズ教団のなかで一番背の低い、私の右肩に一生消えない傷をつけた男だ。
思いがけない仇敵との邂逅にジョッキを持つ手が震える。
「ブレイド様、けっして神託を疑う訳ではありませんが本当にヤツは神の器足り得るのですか?」
「遠目から見たけど、あの魔力の量は常人の比じゃない。軽く見積もっても多分俺より数倍はあるね」
「にわかには信じがたいです」
心底愉快そうにモルズ教団のトップであるブレイドは笑う。
「魔力が多いということはそれだけで人の理から外れ、多次元世界を垣間見ることができる。君のスキルも同じような理屈だ」
「俺のスキルが、ですか」
「心の揺らぎによって乱れる魔力を視覚で感知する。仕組みは俺のものと違えど根底は同じだ」
ブレイドは喉をエールで潤し、言葉を続ける。
「俺は魂を見るだけだが、彼は違う。低次元の存在を破壊するものだ。もし彼が神の器になればこの大陸は“死の大地”になるだろうね」
にわかには信じがたいが、あのカインがモルズ教団にとって重要な人物らしい。
神の器やら私の知らない用語が飛び出すが、モルズ教団のことだ。どうせ碌でもないことに違いない。
「あの、ブレイド様……ヤツを捕まえたら、俺ともう一人を幹部に迎え入れてくれるんですよね?」
「勿論さ! だからちゃんと仕事をこなすんだよ?」
そうフィゼルを焚きつけると小銭を机の上に置いて酒場のマスターに片手をあげて挨拶し、カウンターの裏にある部屋へ消える。
今すぐに後を追いかけて顔面に拳を叩き込みたいところだが、マスターの袖口に垣間見える髑髏と交差した剣の刺青を見て思いとどまる。
ここはモルズ教団の中枢。今ここで騒ぎ起こして逃げられるわけにはいかない。
それよりもここで聞いた話を持ち帰るべきだ。
一人静かに殺意を研ぎ澄ましているとエールを飲み干したフィゼルが動き出した。
拳で机を叩くと小銭をばら撒き、椅子を蹴り飛ばす。
「クソが……いばり散らしやがって」
忌々しげに吐き捨てると彼も酒場の外に出た。
色々と聞きたいことがあるので、見失うわけにもいかず私もエールの代金を置いて立ち上がる。
「まあ、待ちな。ちょっと話をしようじゃないか」
酒場の外に出ようとした時、意外な人物に声をかけられた。
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好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
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