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眞澄ルート 2章

たいせつなひと 2

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「……それで?」

 目の前に立つ短めのボブヘアの女性は、腕を組んで僅かに首を傾げる。

「それでって……」

 そんな子どもみたいな返答をされるとは思っていなかった。言葉に詰まってしまいそうになるけれど気を取り直す。

「今後、私たちに関わらないでください」
「それは無理な相談ね」

 雪村さんは即座に短く答えた。今度は予想ができていたので、狼狽えることはなかった。

「だけど……」

 伏し目がちになった、日本人としては明るい色の虹彩が淳くんを捉える。ミルクティー色の王子様が僅かに身構えた。

「水谷淳くん。あなたが私たちに身柄を預けてくれるなら、武藤眞澄くんからは手を引いても良いわ。翡翠は社としての研究だけど、武藤くんは私の個人的興味だから」

 すぐに眞澄くんが淳くんを雪村さんから隠すように間に割って入る。

 雪村さんと私の間で、大島先生がニヤニヤと嘲笑しながら様子を眺めていた。こうなることを予想していたのだろうか。

「お断りします。真堂家は・・・・協力しないとお伝えしました」

 私だって、ここで退くわけにはいかない。みんなに守られてばかりではいられない。

「みさき……」

 淳くんがどこかぼんやりしたような声で呟いた。

「交渉決裂ね」
「……そうですね」

 私はまっすぐに雪村さんを見つめた。ひとつとして譲ることはできない。
 眞澄くんを守るために淳くんを差し出すなんて選択肢はない。

 カツ、と靴音が響いた。振り返ると、誠史郎さんが私のすぐ後ろに立っている。

「インキュバスが私たちの元に何度かやって来ましたが、あなたの使役していた悪魔ですか?」
「半分正解で、半分間違いよ」
「……なるほど。ありがとうございます」

 酷薄な美しい微笑をひらめかせる。雪村さんはそれにもポーカーフェイスを崩さない。

 私たちにチョッカイをかけてきたあのインキュバスは、彼女の使い魔だった。だけど半分間違いというのはどういう意味だろう。

「行くぞ、みさき。これ以上話しても無駄だ」

 眞澄くんが私の肩に手を置く。だけど私は帰る前に聞きたいことがあった。

「あの、半分って……」
「一度あなたたちに負けて戻ってきた後のことは、私の指示ではないわ」

 その言葉に、眞澄くんがピクリと反応する。

「……まさか、アイツがみさきに乱暴しようとしたのは、あんたの指示なのか?」

 雪村さんは一瞬目を見開くと、不快そうに眞澄くんを睨みつける。

「何ですって……? だから嫌だったのよ。インキュバスなんて」

 忌々しいと言わんばかりに吐き捨てた。

「なんかー、私に対して失礼じゃありませんかァ?」

 サキュバスを取り込んでいる大島先生が横やりを入れるけれど、雪村さんは微塵も反応しない。

「そんなことを指示するはずないでしょう。その件については、謝罪します。私の管理が甘かったせいです。申し訳ありません」

 深く頭を下げた雪村さんを見て、私は戸惑った。意見が合わないだけで、本当はいい人なのかもしれないとすら思ってしまう。

「あ、えっと……その。大丈夫です。何もありませんでしたし……」
「インキュバスまでその気にさせるなんて、スゴいわねー、真堂さん」

 わざとカチンとくるように大島先生が言葉を投げ掛けてくる。彼女の挑発に乗るつもりはない。何を言っても喜ばせるだけだ。聞こえないフリをして無言を決め込む。

「あなたは黙って」

 雪村さんが大島先生にピシャリと言い放った。それをきっかけに再びピリピリした雰囲気が漂う。

「あの……」

 口を挟もうとすると、ふたりの視線がキッと私に刺さった。

「大体、どうしてこの施設に部外者を連れてきたのかしら?」
「雪村センパイが眞澄クンに会いたそうだったから連れてきてあげた・・・のにィ、そんな態度でいいんですかぁ?」

 お互いトゲを隠そうしない。どんどん話し合える空気ではなくなっていく。
 雪村さんと大島先生を見比べておろおろしている私に、誠史郎さんがそっと耳打ちした。

「今日のところは仕方ありません。大島さんに契約書がありますから、また後日出直すことはできます。その方がよろしいかと」
「……ですが」

 雪村さんに次はいつ会えるかわからないから、今日のうちに何とかしたいと私は思った。

「すぐにどうこうできる話ではありません。それに、淳くんが少々心配です」

 そう言われてハッとする。眼鏡の奥の切れ長の双眸がちらりと目配せした先には、少し俯いて、何か思案しているように見える淳くんがいた。

「……わかりました」

 うなずくと、誠史郎さんも首を縦に振って微笑んでくれる。

 冷たい火花をバチバチ飛ばすふたりの女性はおそらく聞いていなかったが、また後日話し合いたいと伝えてこの場を離れた。


 帰りの車の中でも、隣に座る淳くんはどこか上の空でいる。

「……淳くん」

 流れる車窓から、琥珀色の瞳は緩慢にこちらへ向く。

「何だい?」

 柔和な微笑みに僅かだけど翳りを感じる。

「眞澄くんの代わりになんて、考えてないよね?」

 淳くんの両眼を覗きこむ。穏やかな微笑を浮かべているけれど、少し動揺していると思う。

「そんなことされても、俺は嬉しくないぞ」

 淳くんの真後ろの席にいた眞澄くんが前のシートを爪先で軽く蹴る。

「眞澄クーン、お行儀悪いで?」

 車の持ち主で、運転中の透さんの口元がひくひくとひきつっているのがバックミラーで確認できる。

「あ、わり」

 眞澄くんはおどけたように少しだけ肩を竦めて姿勢を正した。

「オレも、淳がいなくなったら困る。誰も宿題手伝ってくれない」

 裕翔くんの声音が切実で、思わず笑ってしまった。淳くんもクスクスと笑っていた。

「淳クンがおらんようになったら、俺は泊めてもらえるとこなくなって追い出されるやろうしなー」
「当たり前だろ。家に帰れ」

 最後尾から飛んできた軽口に、透さんはわざとらしくため息をついた。

「ほーら、眞澄クンは冷たい」

「みんな……」

 助手席にいる誠史郎さんは特に何も言わなかったけれど、今こうして和やかに話せるのは誠史郎さんのお蔭だ。あの時、真っ先に淳くんの様子を心配していた。

「……ありがとう」

 長い睫毛に縁取られた瞳に、優しい輝きが戻る。
 車内にも、安堵の空気が広がった。



 家に帰りついたのは、少し休憩すると日付の変わりそうな時刻だった。バタバタと仕度をして、一番最初にお風呂に入れさせてもらう。

 明日も学校だけど、ひとつ目的を果たさないともやもやして眠れそうにないと思っていた。
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