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5章

愛の病 1

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 窓のない、完全に密閉された部屋で雪村ゆきむら理沙子りさこは目覚める。

 人間だった記憶があるので、ここで起きる度に陰鬱になる。
 だがこの生活は自分で選んだことだ。仕方がないと身体を起こして、輸血パックに入った見ず知らずの人間の血液をグラスに注いだ。餓えと渇きを満たすために飲み干す。

 人間だった時は、鉄臭くてとても口にできる代物ではなかっただろうに、体質の変化というものは恐ろしい。

 微かな光もない部屋だが、彼女の目は全てを見透す。

 不便なことが多いが、これは数少ない便利になったことだ。以前は視力も良くなかったが、それも回復している。容姿も理沙子の望んだように変貌していた。

 契約を交わしたが反りが合わず放逐したインキュバスの力が消えている。
 調子に乗って真堂家に手を出して撃退されたのだろう。

 自分との繋がりを洩らしていなければ良いのだが、と小さくため息をつく。

 武藤眞澄の秘密を暴いたのは理沙子の独断だ。しかしそれは彼女に僅かだが希望を与えた。

 人間だった頃と変わらない生活ができるようになれば、今よりずっと動きやすくなるだろう。もちろん、眷属となれず消え去る場合もあるとわかっている。

 それでも人間から吸血種となり、白の眷属になれた存在が誰かはっきりしたと彼に伝えればその好奇心を痛く刺激すると期待している。


 部屋を出ると、間接照明で明るさの抑えられた廊下を歩いて研究室に向かう。

 やはり灯りの控えられたそこには、理沙子の敬愛する男性と、先日、研究材料として捕らえて意識を奪ったままの吸血種の姿があった。吸血種に効果のある麻酔薬の開発は順調だ。

「社長、まだお帰りになっていなかったのですか?」

 彼女が目覚めたということは、日が沈んだということだ。

「最近ちょっと帰りにくくてね」

 中年と言われる年齢の社長だが、背が高く均整のとれた体躯をしている。

 黒いフレームの眼鏡が知的で、顔つきは温和だが精悍さがあり、壮年と言った方がしっくりとくる。
 そんな彼がいたずらっ子のように肩を竦めて微笑む姿はとても絵になる。

 ようやく人間の血の香りにも自制心が利くようになった。

 彼の役に立ちたい一心で死と隣り合わせの賭けに勝ち吸血種になったというのに、こうして彼と再び言葉を交わせるようになるまで随分時間を要してしまった。

 彼の血は特に理沙子の鼻腔を甘く擽る。そのため、彼に会う前には必ず血液の補充が必要だった。

 社長の傍らに居るために、理沙子は無理に無理を重ねた。それが彼女にとっては幸せだった。

 この男への胸懐は恋愛感情というより、崇拝や傾倒と言った方が良いかもしれない。

 彼の望む研究を思う存分してもらう。そのためなら理沙子自身も他人も、人間だろうが悪魔であろうが、彼以外の命は奪うことも厭わない。

 危険な思想であることはよく理解している。こんなことを考えていると知られれば、彼の傍にいられなくなることも。社長はそんなことは望んでいないとわかっていた。

 全ては理沙子の願望だ。




 †††††††




 淳くんの透き通りそうに白い頬が、高熱のせいで紅潮している。ミルクティーの色の瞳は潤んで見える。

 部屋で寝ていた方が良いと思うのだけど、淳くんは寂しいからみんなとリビングでいたいと言って毛布を被ってソファーで横になっていた。


 昼間に淳くんがインキュバスを滅したことを、みんなへ簡単にだけど伝えた。

「俺、今日はみさきちゃ……」
「却下。お前はここで寝れば良いだろ」

 額がぶつかりそうな距離で眞澄くんが透さんを威嚇する。だけど不思議とふたりは仲が良さそうに私には見える。
 言ったら多分眞澄くんが全力で否定して、透さんが茶化すだろうけど。

「風邪ではないので、僕の部屋で寝ていただいても感染しませんよ。真壁さんが良ければ、ですが」

 起き上がって微笑む淳くんの傍に心配そうに眞澄くんが駆け寄った。

「無理するな」
「ありがとう。そろそろ部屋に戻るよ」
「そんなに心配やったら、眞澄クンが一緒に寝てあげたらええやん」

 透さんは頭の後ろで手を組んでにやにやと笑う。

 この様子にハラハラしているのは私だけのようで、誠史郎さんはちらりとも視線を上げることもなく読書しているし、裕翔くんは床に寝そべってみやびちゃんと遊んでいる。淳くんは困ったような微笑みを浮かべている。

 そうだわ、とひらめいた。これが様式美と言うものなのだ、と私は納得する。

「お前を野放しにしたら……!」
「体調悪い淳くんに俺の面倒押し付けるん?」

 眞澄くんは言葉に詰まる。前髪を掻き上げると大きなため息を吐いた。

「……わかった。透が寝るのは俺の部屋で良い。てゆーか、強制だから」

 何とか話はまとまったみたい。


 まるで一段落つくのを待っていたようにインターホンが鳴る。

 こんな時間に誰だろうとモニターを見ると以前うちにやって来た吸血種の珠緒さんが映っていた。

 照明を暗めにして迎え入れる。相変わらず着物の似合う楚楚とした美人だ。

 玄関からリビングに戻ると、淳くんは自室へ戻ったみたいで姿がなかった。眞澄くんは付き添っているみたいでいない。

「……初めまして」

 珠緒さんは透さんに少し警戒する様子を見せながら会釈する。

「初めまして」

 透さんは彼女が吸血種だとわかっているみたい。視線が鋭い。

「真壁さんは今、私たちがお力添えいただいている方ですのでご安心ください」
「左様ですか……」

 誠史郎さんの言葉に珠緒さんは透さんを見たけれど、やはりまだどこか怯えているように見える。

「吸血種ってだけでいきなりケンカ売ったりせえへんから、安心して。珠緒さんは人間と上手いことやっていこうってグループのリーダーのひとりやって知ってる」

 先程までの鋭い眼光が嘘のように、透さんはニコッと人懐こい笑みを浮かべた。その落差に驚いてしまう。

 珠緒さんも少し警戒を緩めるように息を吐いた。

「今日はどうされたのですか?」
「依頼の仲介を頼まれましたの。お受けにならなくても構わないと私は思うのですが、翡翠をさがしてほしい、とのことです」

 私は誠史郎さんと顔を見合わせた。

「ご自分でお願いに上がらないのは失礼ですし、群れからは捨て置くように言われているご様子ですから」

 勝手に動き回っていたヒスイくんは切り捨てるということだろう。非情だけど、吸血種たちが生きていくには仕方のないことなんだと思う。

 ヒスイくんがいなくなったということは、私たちにとっての脅威がひとつ減ったということだから、このまま放置していても良いかもしれない。

 だけど私の直感が探したいと訴える。

「やらせてください」

 みんなの意見を聞かずにそう言ってしまった。
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