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第五章 仕事にトラブルはつきものです
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食後、矢崎くんがコーヒーを淹れてくれる。
いつも夕食のあとはこうやって、一緒に過ごしていた。
「で、さっきのお詫びだけど」
ソファーに座り、彼が切り出してくる。
「う、うん」
なにを言われるのかわからず、どきどきとしながら続きを待った。
「純華からキス、して」
「うん。
……は?」
惰性で頷いたものの、言われた内容を理解して彼の顔を見る。
矢崎くんは期待が隠しきれない顔で私を見ていた。
「えーっと。
……私、から?」
笑顔が引き攣りそうになる。
そんなの、できるはずがない。
「そう。
純華から」
「うっ」
レンズの向こうからキラキラした目で見つめられ、たじろいだ。
キスしてくれるよね? って、圧が凄い。
「えーっと。
別の……」
「ん」
他のモノに変えられないか聞きたいのに、そうはさせないとでもいうのか、矢崎くんは目を閉じて唇を少し突き出して封じてきた。
「うっ」
これはしないと、するまで待たれそうだ。
「……わかったよ」
ため息をひとつつき、腹を決める。
キスなんて毎日、しているじゃないか。
おはよう、おやすみ、いってきます、おかえり。
とにかく矢崎くんはキスをしたがり、一日に何度もしていた。
いまさら、恥ずかしがることもない。
邪魔になる髪を耳にかけ、彼に顔を近づける。
……あ。
睫、レンズに当たりそうなくらい、長いんだ。
なぜか妙に冷静に、そんなことを考えていた。
唇を重ね、離れる。
ゆっくりと彼の目が開き、私を捉えた。
「……足りない」
まだ吐息がかかる位置で彼の手が私の後ろ頭にまわり、引き戻される。
今度は彼のほうから唇が重なり、侵入してきた彼がすぐに私を捉える。
「……んん」
くちゅりくちゅりと私たちが立てる水音が、部屋の中に響いていく。
甘く痺れた頭で、夢中になって彼を求める。
そのうち、情動を抑えきれなくなったのか、彼の手が私の胸を弄った。
それで一気に、現実に戻る。
「……ダメ」
彼から離れ、やんわりとその手を押し止めた。
「なんで」
矢崎くんは驚いているようにも怒っているようにも、……傷ついているようにも見えた。
それを見て、私の胸も釘でも打ち込まれたかのように、ズキズキと痛む。
「……ごめん」
気まずくなって、俯いて視線を逸らした。
「それは俺に抱かれるのが嫌だから?」
ふるふると黙って首を振る。
私だって今のキスで、身体が矢崎くんが欲しいと望んでいた。
でも、それでも。
「……好き、だから抱かれたくないの」
そんな幸せを経験したら、別れられなくなる。
それだけは避けなければ。
「それはいつもの、言えない理由か」
無言でそれに、頷いた。
「じゃあ、聞かない」
目の前が暗くなったかと思ったら、ぎゅっと彼に抱き締められていた。
「俺は純華が話したくなるまで、いつまでも待つよ」
私の顔をのぞき込み、ふふっと小さく笑って彼がちゅっとキスしてくる。
「……ありがとう」
それにぎこちないまでも笑顔を返す。
優しい、矢崎くん。
こんな彼に愛されて、私は幸せ者だよ。
でも、私は彼に言えない秘密を抱えている。
知ったって彼は、私を軽蔑したりはしないだろう。
その、確信はある。
でも、それで私を庇い、未来の地位を失って、今までの努力を全部無駄にしてしまうのも見えている。
矢崎くんはそういう人だもの。
それは、私が耐えられない。
だから、私が彼の近くにいるのは、彼にとって害にしかならないんだってわかっている。
でも、もう少しだけ。
傍にいさせて……。
いつも夕食のあとはこうやって、一緒に過ごしていた。
「で、さっきのお詫びだけど」
ソファーに座り、彼が切り出してくる。
「う、うん」
なにを言われるのかわからず、どきどきとしながら続きを待った。
「純華からキス、して」
「うん。
……は?」
惰性で頷いたものの、言われた内容を理解して彼の顔を見る。
矢崎くんは期待が隠しきれない顔で私を見ていた。
「えーっと。
……私、から?」
笑顔が引き攣りそうになる。
そんなの、できるはずがない。
「そう。
純華から」
「うっ」
レンズの向こうからキラキラした目で見つめられ、たじろいだ。
キスしてくれるよね? って、圧が凄い。
「えーっと。
別の……」
「ん」
他のモノに変えられないか聞きたいのに、そうはさせないとでもいうのか、矢崎くんは目を閉じて唇を少し突き出して封じてきた。
「うっ」
これはしないと、するまで待たれそうだ。
「……わかったよ」
ため息をひとつつき、腹を決める。
キスなんて毎日、しているじゃないか。
おはよう、おやすみ、いってきます、おかえり。
とにかく矢崎くんはキスをしたがり、一日に何度もしていた。
いまさら、恥ずかしがることもない。
邪魔になる髪を耳にかけ、彼に顔を近づける。
……あ。
睫、レンズに当たりそうなくらい、長いんだ。
なぜか妙に冷静に、そんなことを考えていた。
唇を重ね、離れる。
ゆっくりと彼の目が開き、私を捉えた。
「……足りない」
まだ吐息がかかる位置で彼の手が私の後ろ頭にまわり、引き戻される。
今度は彼のほうから唇が重なり、侵入してきた彼がすぐに私を捉える。
「……んん」
くちゅりくちゅりと私たちが立てる水音が、部屋の中に響いていく。
甘く痺れた頭で、夢中になって彼を求める。
そのうち、情動を抑えきれなくなったのか、彼の手が私の胸を弄った。
それで一気に、現実に戻る。
「……ダメ」
彼から離れ、やんわりとその手を押し止めた。
「なんで」
矢崎くんは驚いているようにも怒っているようにも、……傷ついているようにも見えた。
それを見て、私の胸も釘でも打ち込まれたかのように、ズキズキと痛む。
「……ごめん」
気まずくなって、俯いて視線を逸らした。
「それは俺に抱かれるのが嫌だから?」
ふるふると黙って首を振る。
私だって今のキスで、身体が矢崎くんが欲しいと望んでいた。
でも、それでも。
「……好き、だから抱かれたくないの」
そんな幸せを経験したら、別れられなくなる。
それだけは避けなければ。
「それはいつもの、言えない理由か」
無言でそれに、頷いた。
「じゃあ、聞かない」
目の前が暗くなったかと思ったら、ぎゅっと彼に抱き締められていた。
「俺は純華が話したくなるまで、いつまでも待つよ」
私の顔をのぞき込み、ふふっと小さく笑って彼がちゅっとキスしてくる。
「……ありがとう」
それにぎこちないまでも笑顔を返す。
優しい、矢崎くん。
こんな彼に愛されて、私は幸せ者だよ。
でも、私は彼に言えない秘密を抱えている。
知ったって彼は、私を軽蔑したりはしないだろう。
その、確信はある。
でも、それで私を庇い、未来の地位を失って、今までの努力を全部無駄にしてしまうのも見えている。
矢崎くんはそういう人だもの。
それは、私が耐えられない。
だから、私が彼の近くにいるのは、彼にとって害にしかならないんだってわかっている。
でも、もう少しだけ。
傍にいさせて……。
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