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優しい彼
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――私の彼は。
優しい。
うん、優しい。
優しいのだ。
……って。
優しいって連呼しているけど。
それ以外が思いつかない。
ちょっとウェーブの入った、茶色がかった髪。
ほんの少ししだけ垂れた目元にほくろ。
毛穴が見えないくらい、つるつるの肌。
通った鼻筋にいつもちょっと笑っているみたいな口元。
……はっきりいって王子、だ。
社内でも王子で通っている。
しかも王子と呼ばれているのは見た目だけじゃなくて、誰にでも優しいから。
たまにそれで勘違いとかしている女もいるんだけど、
「ごめんね。僕、彼女いるから」
と、すまなさそうにいわれると反対にキュンとなって、応援したくなるらしい。
……いや、そんなことはどうでもいい。
確かにあいつが誰にでも優しいのは腹立たしいが、それがあいつの性質なので仕方ない。
私が一番気に触るのは。
……あいつが私に優しすぎるってこと。
なにをしても
「愛衣のいいようにしたらいいよ」だし、普通の彼氏だったらヤキモチ妬いて怒るようなことをしても「別にいいよ」だし。
まあ、大人の余裕、もしくは後ろめたさといえばそうともとれるかもしれない。
二十六歳の私にバツイチ三十二歳の宜哉。
そんな私たちだから。
ちなみに離婚した理由は、奥さんに好きが人ができたから。
別れて欲しいといわれて、好きにしたらいいよって、いつもみたいに笑っている宜哉が容易に想像できる。
……そういう人、だもの。
でも、その優しさは無関心の裏返しなんじゃないか、とか思ってしまう。
「愛衣!……えっと?」
仕事終わり、会社を出るとき宜哉に会った。
「あ、宜哉は知らないよね。
同じ部署で同期の三峰くん。
三峰くん、営業の佐和田さん」
「どうも」
「……ども」
ふたりがぎこちなく、頭を下げて挨拶する。
ちょっとだけ、三峰くんが宜哉のことを睨んでいた気がするのは……気のせい、かな。
「珍しく早く終わったから、食事でもどうかと思ったんだけど……。
連絡、いれといたよね?」
「ごめん。
三峰くんと飲みに行く約束してるから」
「ふたりで行くの?」
「そう。
反省会、だから。
……ダメ?」
上目遣いに宜哉の目を見つめる。
「いいよ、別に。
でも遅くならないうちに帰りなよ」
「……うん」
にっこりと笑う宜哉に、少しいじけて視線を外す。
私たちがふたりで歩いて行くのを、宜哉は手を振って見送っていた。
「なあ、ほんとによかったのかよ」
「いいんじゃない、別にー。
だってそういわれたんだから」
ガツン、空にしたグラスを机の上に叩き付けるように置く。
「俺だったら彼女が、別の男とふたりで飲みに行くとか許さないけどな」
「ふつー、そうだよねー」
……反省会、といいつつ宜哉の話で盛り上がる。
こんな風に他の男とふたりで出かけて、宜哉が嫌がったことは一度もない。
いつも「いっておいで」だ。
はっきりいって、楽しいわけがない。
私はただ、宜哉にヤキモチ妬いて欲しくてやってるだけなんだから。
「……宜哉はほんとに私のこと、好きなのかな」
「なんで?
おまえにいつも優しいんだろ」
「優しいよ?
優しいけどさ。
一度も怒ったこと、ないんだもん」
グラスに残っていたお酒をぐいっと飲み干す。
結構、酔ってきていると思う。
いつもならこんなに飲まない。
けど、今日はなんか、宜哉への不満が最高になっていたというか。
「私がちょっと言い過ぎたりしたら、ふつー、怒るよね?」
「なに、怒んないの?」
「全然ー。
いっつも困ったみたいに笑って、『ごめん』っていわれるの」
「あれじゃね?
やっぱバツイチに負い目があるとか」
「バツイチだろうとバツニだろうと、
バツがいくつついたって、関係ない!」
また空にしたグラスを置く。
店員を呼び止めかけて止められた。
「そろそろやめとけって。
飲み過ぎ」
「私は宜哉にヤキモチ妬いて怒って欲しいのー」
気が付いたら、わんわん泣いていた。
私って飲んだら泣き上戸になるんだっけ、とか変なことをぼんやり考えていた。
「ああもう、泣くなよ。
……そんなにいまの彼氏が
不満なら、さ。
俺と付き合わねー?」
「え?」
三峰くんの言葉に驚いて、涙が一瞬で止まった。
さっきまでへらへら笑っていたのが嘘のように、真剣な、顔。
「だって俺、ずっとおまえのこと好きだったんだ。
おまえとふたりで飲みにこられて、どんだけ嬉しいと思ってんの?
なのに聞かされる話は彼氏の愚痴。
そんなに不満なら、俺と付き合えよ」
「え?
あ?
えっと?」
「だからー、王子だっけ?
見た目に欺されてるんだよ。
結局中身はバツイチのただのおっさんだろ。
同い年の俺だったら、絶対こんな風におまえを泣かせないから」
まっすぐに見つめる三峰くんの瞳。
……だけど。
「……うん。
ありがとう。
でも……ごめん」
「そっか。
まあ、愚痴くらいならいつでも聞いてやる。
乗り換えたくなったらいつでもいえ」
「い、痛いよ!」
またもとのようにへらへらと笑うと、三峰くんはばしばしと私の背中を叩いた。
おかげで、微妙になっていた空気はどこかへ消し飛んだ。
足下がおぼつかなくなっていたので、送ってくれた。
アパートの前まででいいっていったんだけど、部屋まで送るって一緒にタクシーを降りる。
「ほら、しっかり歩けよ」
「ごめんねー」
「……なあ、さっき俺がいったこと、覚えてる?」
「えっ?」
戸惑っていると三峰くんの唇に口を塞がれた。
「な、なにすんの!?」
抗議しつつ視線をあげた先に見えたのは、……宜哉の顔。
……なんで、ここに?
「考えといてくれ」
耳元でボソッとそう囁いて、固まっている私を残して三峰くんは帰っていった。
「……おかえり、愛衣」
「なんで、宜哉がいるの……?」
「ん?
置いてた本が読みたくなって取りに来たんだけど。
……結構飲んでるみたいだね。
足下、ふらついてる。
部屋に入ろうか」
「……うん」
そっと宜哉が私を支えてくれる。
いつも通りの優しい宜哉。
……そう、いつも通り。
「ほら、水飲んで」
「……うん」
キッチンで水を汲んできて、渡してくれた。
私が飲むのをじっと見つめている。
「……なんで、なにもいわないの?」
「ん?」
「さっきキスしてたの、見たんでしょ!」
涙目で睨み付けたら、宜哉は……見たことない顔、していた。
「……いっていいのかよ」
「えっ!?」
床ドンされて、上から見下ろされる。
明らかに怒っている、宜哉。
「なに他の男とキスしてるんだよ!
大体、遅くならないうちに帰れっていったのに、いつまでたっても帰ってこないし!
そもそもなんで、男とふたりで飲みに行ったりするんだよ!」
「たか、や……?」
「そりゃこっちはバツイチだし?
愛衣のことはあいつ以上に好きだから失敗したくないし?
だからいうこと全部許してたらいつもいつも……」
……もしかして。
いままでずっと、ヤキモチ妬いていたの?
「……宜哉は私に関心がないのかと思ってた」
「はぁ?
好きで好きで仕方ないから、嫌われないように必死だったに決まってんだろ!」
「……なんで、今日は……」
「もう我慢の限界なんだよ!
キスしてるとこなんか見せつけられて、はらわたが煮えくりかえりそうだ!」
「ごめ……ん!」
あやまろうとした言葉は宜哉の唇に消された。
「もう好き勝手できないように、教え込まないといけないみたいだな」
しゅるりとネクタイを緩めながら不敵に笑った宜哉の顔に。
……心臓の鼓動が一気に早くなった。
【終】
優しい。
うん、優しい。
優しいのだ。
……って。
優しいって連呼しているけど。
それ以外が思いつかない。
ちょっとウェーブの入った、茶色がかった髪。
ほんの少ししだけ垂れた目元にほくろ。
毛穴が見えないくらい、つるつるの肌。
通った鼻筋にいつもちょっと笑っているみたいな口元。
……はっきりいって王子、だ。
社内でも王子で通っている。
しかも王子と呼ばれているのは見た目だけじゃなくて、誰にでも優しいから。
たまにそれで勘違いとかしている女もいるんだけど、
「ごめんね。僕、彼女いるから」
と、すまなさそうにいわれると反対にキュンとなって、応援したくなるらしい。
……いや、そんなことはどうでもいい。
確かにあいつが誰にでも優しいのは腹立たしいが、それがあいつの性質なので仕方ない。
私が一番気に触るのは。
……あいつが私に優しすぎるってこと。
なにをしても
「愛衣のいいようにしたらいいよ」だし、普通の彼氏だったらヤキモチ妬いて怒るようなことをしても「別にいいよ」だし。
まあ、大人の余裕、もしくは後ろめたさといえばそうともとれるかもしれない。
二十六歳の私にバツイチ三十二歳の宜哉。
そんな私たちだから。
ちなみに離婚した理由は、奥さんに好きが人ができたから。
別れて欲しいといわれて、好きにしたらいいよって、いつもみたいに笑っている宜哉が容易に想像できる。
……そういう人、だもの。
でも、その優しさは無関心の裏返しなんじゃないか、とか思ってしまう。
「愛衣!……えっと?」
仕事終わり、会社を出るとき宜哉に会った。
「あ、宜哉は知らないよね。
同じ部署で同期の三峰くん。
三峰くん、営業の佐和田さん」
「どうも」
「……ども」
ふたりがぎこちなく、頭を下げて挨拶する。
ちょっとだけ、三峰くんが宜哉のことを睨んでいた気がするのは……気のせい、かな。
「珍しく早く終わったから、食事でもどうかと思ったんだけど……。
連絡、いれといたよね?」
「ごめん。
三峰くんと飲みに行く約束してるから」
「ふたりで行くの?」
「そう。
反省会、だから。
……ダメ?」
上目遣いに宜哉の目を見つめる。
「いいよ、別に。
でも遅くならないうちに帰りなよ」
「……うん」
にっこりと笑う宜哉に、少しいじけて視線を外す。
私たちがふたりで歩いて行くのを、宜哉は手を振って見送っていた。
「なあ、ほんとによかったのかよ」
「いいんじゃない、別にー。
だってそういわれたんだから」
ガツン、空にしたグラスを机の上に叩き付けるように置く。
「俺だったら彼女が、別の男とふたりで飲みに行くとか許さないけどな」
「ふつー、そうだよねー」
……反省会、といいつつ宜哉の話で盛り上がる。
こんな風に他の男とふたりで出かけて、宜哉が嫌がったことは一度もない。
いつも「いっておいで」だ。
はっきりいって、楽しいわけがない。
私はただ、宜哉にヤキモチ妬いて欲しくてやってるだけなんだから。
「……宜哉はほんとに私のこと、好きなのかな」
「なんで?
おまえにいつも優しいんだろ」
「優しいよ?
優しいけどさ。
一度も怒ったこと、ないんだもん」
グラスに残っていたお酒をぐいっと飲み干す。
結構、酔ってきていると思う。
いつもならこんなに飲まない。
けど、今日はなんか、宜哉への不満が最高になっていたというか。
「私がちょっと言い過ぎたりしたら、ふつー、怒るよね?」
「なに、怒んないの?」
「全然ー。
いっつも困ったみたいに笑って、『ごめん』っていわれるの」
「あれじゃね?
やっぱバツイチに負い目があるとか」
「バツイチだろうとバツニだろうと、
バツがいくつついたって、関係ない!」
また空にしたグラスを置く。
店員を呼び止めかけて止められた。
「そろそろやめとけって。
飲み過ぎ」
「私は宜哉にヤキモチ妬いて怒って欲しいのー」
気が付いたら、わんわん泣いていた。
私って飲んだら泣き上戸になるんだっけ、とか変なことをぼんやり考えていた。
「ああもう、泣くなよ。
……そんなにいまの彼氏が
不満なら、さ。
俺と付き合わねー?」
「え?」
三峰くんの言葉に驚いて、涙が一瞬で止まった。
さっきまでへらへら笑っていたのが嘘のように、真剣な、顔。
「だって俺、ずっとおまえのこと好きだったんだ。
おまえとふたりで飲みにこられて、どんだけ嬉しいと思ってんの?
なのに聞かされる話は彼氏の愚痴。
そんなに不満なら、俺と付き合えよ」
「え?
あ?
えっと?」
「だからー、王子だっけ?
見た目に欺されてるんだよ。
結局中身はバツイチのただのおっさんだろ。
同い年の俺だったら、絶対こんな風におまえを泣かせないから」
まっすぐに見つめる三峰くんの瞳。
……だけど。
「……うん。
ありがとう。
でも……ごめん」
「そっか。
まあ、愚痴くらいならいつでも聞いてやる。
乗り換えたくなったらいつでもいえ」
「い、痛いよ!」
またもとのようにへらへらと笑うと、三峰くんはばしばしと私の背中を叩いた。
おかげで、微妙になっていた空気はどこかへ消し飛んだ。
足下がおぼつかなくなっていたので、送ってくれた。
アパートの前まででいいっていったんだけど、部屋まで送るって一緒にタクシーを降りる。
「ほら、しっかり歩けよ」
「ごめんねー」
「……なあ、さっき俺がいったこと、覚えてる?」
「えっ?」
戸惑っていると三峰くんの唇に口を塞がれた。
「な、なにすんの!?」
抗議しつつ視線をあげた先に見えたのは、……宜哉の顔。
……なんで、ここに?
「考えといてくれ」
耳元でボソッとそう囁いて、固まっている私を残して三峰くんは帰っていった。
「……おかえり、愛衣」
「なんで、宜哉がいるの……?」
「ん?
置いてた本が読みたくなって取りに来たんだけど。
……結構飲んでるみたいだね。
足下、ふらついてる。
部屋に入ろうか」
「……うん」
そっと宜哉が私を支えてくれる。
いつも通りの優しい宜哉。
……そう、いつも通り。
「ほら、水飲んで」
「……うん」
キッチンで水を汲んできて、渡してくれた。
私が飲むのをじっと見つめている。
「……なんで、なにもいわないの?」
「ん?」
「さっきキスしてたの、見たんでしょ!」
涙目で睨み付けたら、宜哉は……見たことない顔、していた。
「……いっていいのかよ」
「えっ!?」
床ドンされて、上から見下ろされる。
明らかに怒っている、宜哉。
「なに他の男とキスしてるんだよ!
大体、遅くならないうちに帰れっていったのに、いつまでたっても帰ってこないし!
そもそもなんで、男とふたりで飲みに行ったりするんだよ!」
「たか、や……?」
「そりゃこっちはバツイチだし?
愛衣のことはあいつ以上に好きだから失敗したくないし?
だからいうこと全部許してたらいつもいつも……」
……もしかして。
いままでずっと、ヤキモチ妬いていたの?
「……宜哉は私に関心がないのかと思ってた」
「はぁ?
好きで好きで仕方ないから、嫌われないように必死だったに決まってんだろ!」
「……なんで、今日は……」
「もう我慢の限界なんだよ!
キスしてるとこなんか見せつけられて、はらわたが煮えくりかえりそうだ!」
「ごめ……ん!」
あやまろうとした言葉は宜哉の唇に消された。
「もう好き勝手できないように、教え込まないといけないみたいだな」
しゅるりとネクタイを緩めながら不敵に笑った宜哉の顔に。
……心臓の鼓動が一気に早くなった。
【終】
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