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第5章 誤解と打算

1.花火大会

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電車の窓ガラスに映る自分を見ると、どんよりと重たい気持ちになる。

……なんで行くとか言っちゃったんだろ。

宗正さんに花火大会に誘われて、OKの返事をしていた。

宗正さんを好きになれば池松さんを忘れられる、そう考えなかったとはいえない。

酷い女だってわかっている。

だからなおさら、行きたくないのだ。

……でも、約束しちゃったんだし。

せめてゲリラ豪雨にでもなって中止になればいいと思うが、窓の外は憎いくらいに雲ひとつない青空だった。


「よく似合ってるね」

待ち合わせ場所に行くと、私を見つけた宗正さんはぱっと顔を綻ばせた。

「……ありがとうございます」

褒められるとなんだかこそばゆい。
今日着てきた浴衣は呉服部で宗正さんが選んでくれたのだ。

「これはオレからのプレゼント」

こそこそと宗正さんの手が私のあたまで動く。

「鏡、見てみて」

持っているコンパクトミラーを開いて見る。
三つ編みを添えて簡単にお団子にしてきた髪に、桜色の花のかんざしが揺れていた。

詩乃うたのに似合うって思って。
それに今日の浴衣、ピンクの花柄だから合うかなって」

ぽりぽりと照れくさそうに宗正さんが頬を掻く。

「……今日は名前で呼びたいけど、ダメかな」

自信なさげに上目遣いでうかがわれると怒る気にはなれない。
以前は計算だと思っていたけれど、これはどうも池松さんと同じで天然らしい。

「いいですよ。
かんざし、ありがとうございます」

「うん。
行こっか」

ぱっと笑って歩き出した宗正さんについて歩く。
宗正さんは浴衣の私が焦らないでいいようにゆっくり歩いてくれるし、人にぶつかりそうになるとさりげなくガードしてくれた。
そういうのは慣れているなって思う。

屋台を見ながら進んでいき、適当に空いた場所でバッグからシートを出して引いてくれた。

「座ろっか」

「はい」

並んで座ったけれど、急になにを話していいのか困る。

「……宗正さんは浴衣じゃないんですね」

一緒に浴衣を見に行ったとき、宗正さんも紳士用の浴衣を見ていたから今日は浴衣だとばかり思っていた。
けれど実際はボーダーのVネックカットソーに黒のスキニー、それに白の長袖コットンシャツを腕まくりしている。

「……大河」

「はい?」

ぶーっと宗正さんが唇を尖らせ、首を傾げてしまう。

「職場じゃないんだから名前で呼んで。
大河。
はい」

はい、とか促して、期待を込めた目で見つめられても困る。

「た、大河……さん」

「ブー。
大河って呼ばないと返事しない」

ぷいっ、子供のようにむくれて顔を背けられ、途方に暮れてしまう。

「た、大河」

「なに?」

ぱーっと満面の笑みで見つめられるとま、眩しすぎる。
例のごとく、ミニチュアダックスのふさふさのしっぽがパタパタ振られていておかしくなってくる。
ちなみにいっておくけど、私が宗正さんにイメージしているミニチュアダックスはクリーム色の毛が長いタイプだ。

「大河は浴衣じゃないんですね」

「ブー。
敬語も禁止ー」

また宗正さんが拗ね、だんだんめんどくさくなってきた。

「大河は浴衣じゃないん……だね」

「そうだよー。
浴衣で揃えてもいいけどさ。
慣れない浴衣だと、詩乃をかっこよく守れないからね」

そういう気遣いはまた、女慣れしているんだろうなと感じさせた。
こんなに可愛くて女性にもてる宗正さんがどうして私なんかにこだわるのか、やはりわからない。

「お腹空いていない?
なにか買ってくるよ」

「えっ、私も、それにお金、」

宗正さんが立ち上がり、慌てて私も立ち上がろうとしたけど止められた。

「今日はオレにおごらせて。
じゃ、待っててねー」

ひらひらと手を振って、宗正さんは私を残して行ってしまった。
ひとりになって暇になり携帯をチェックすると、池松さんからメッセージが入っていた

【おはよう】

【今日は天気良さそうでよかったな】

【浴衣の着付け、手に余るようなら言え。
妻に頼んでやるから】

【あと、今日はしっかり宗正におごらせろ。
あいつは君と違って正社員なんだから】

【熱中症には気をつけろよ。
楽しんでこい】

眼鏡のおじさんの、スタンプ混じりのメッセージにはぁっ、小さくため息が漏れる。
会社で私と宗正さんが花火大会の相談をしているのを池松さんは聞いていたのだ。

「おう。
若い人間は羨ましいな。
おじさんは休みの日、疲れて寝ていたいぞ」

パインアメで口をもごもごさせながら言われたって、少しも笑えない。
そうやって私に予防線を張っているのがわかっているからこそ。

「池松係長の年になると、花火大会の人混みはつらそうですもんね」

私のことで池松さんと話すとき、宗正さんはいつも威嚇している。
まるで池松さんに私を取られまいとするかのように。
でもそんなに威嚇する必要はないんだけどな。
池松さんは全く私に気がないどころか、暗に拒絶しているんだから。

「そうだぞ。
もうあの人混みは勘弁してもらいたい。
若いもんは若いもん同士で楽しんでこいや」

そうやって何度もだめ押しするかのように予防線を張らなくたって、池松さんは諦めなきゃいけない相手だってわかっている。

なのにこんなメッセージを送ってくる神経がわからない。
だから私はいつまでたっても池松さんを忘れられないのだ。

「お待たせ。
……どうかしたの?」

眉間にしわを寄せ、険しい顔で携帯を見つめていたあろう私を、戻ってきた宗正さんが怪訝そうに見ている。

「なんでもないですよ」

笑って誤魔化すと、宗正さんはぶーっとまた、唇を尖らせた。

「また敬語ー。
敬語、禁止」

「えっと。
……なんでもないよ、大河」

「合格ー」

にこにこと嬉しそうに笑って私の隣に座る宗正さんに、苦笑いしかできなかった。


そのうち暗くなって、花火があがり出す。

「きれいだね」

「そう、だね」

そっと宗正さんの手が私の手にふれる。
その手はおそるおそる私の手に重なった。

「……嫌?」

こわごわうかがうように聞かれ、ふるふると首を振る。
不思議と宗正さんにふれられても嫌じゃなかった。

もしかしてこのまま、宗正さんを好きになれる?
そうしたら池松さんを忘れられる?

「花火もきれいだけど、詩乃もきれいだね」

そっと、宗正さんの手が私の頬にふれた。
じっと私を見つめる瞳に私も見つめ返す。

「詩乃が、好きだ」

ゆっくりと傾きながら顔が近付いてきて、目を閉じた。

……これで池松さんを忘れられる。

でも本当にこれでいいんだろうか。
私は宗正さんの気持ちを弄んでいるだけなんじゃ。
それに、こんなことしたって、私の気持ちが変わるとは思えない。

「い、嫌」

目を開けると唇がふれる直前だった宗正さんは顔を離した。

「それはオレが嫌いだから?」

泣き出しそうな顔に胸がずきずきと痛む。
私がふるふると首を振り、さらに宗正さんは聞いてきた。

「池松係長が好きだから?」

俯いたままきつく唇を噛んだ。
だからといって言えるはずがない。

「オレ、前に言ったよね。
ほかの恋は応援してあげられるけど、池松係長とは無理だって。
あの人は結婚してるんだよ」

「わかってます。
わかってます、けど。
それでも池松さんが好きなんです……」

鼻声になっている自分に慌てて鼻を啜る。
落ちそうな涙に耐えるように顔をあげた途端、ぎゅっと宗正さんに抱きしめられた。

「……泣かないで」

私にはそんな資格はない、腕から抜け出ようとするけれどますます強く抱きしめられた。

「詩乃に泣かれると悲しくなる」

泣き出しそうな声にもがくのをやめた。
とくんとくんと宗正さんの心臓の音が淋しそうに響く。

「応援はしてあげられないけど、詩乃が泣きたいときはこうやって抱きしめてあげる。
オレにできるのはそれくらいだから」

自分の胸から私を離し、そっと指で涙を拭ってくれた。
その笑顔に胸の奥がきゅんと締まって、どうして私のが好きなのは宗正さんじゃないんだろうって思う。

「あ、でも誤解しないでね。
弱ってる詩乃に優しくして、オレに心変わりしてくれないかなって下心ありだから」

いたずらっ子のように目尻を下げて笑われ、私も笑うしかできなかった。
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