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第4章 ハードル

4. 拒絶

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せっかくラムネアメをネタに池松さんと話せるかも、そんなうきうきとした気分だったのに、すっかり沈んで職場に戻る。

……なんで池松さんなんて好きになっちゃったんだろ。

ごそごそとパッケージを開けて口に入れたラムネアメは、味が違うとはいえパインアメと同じでどこか懐かしい味がしてほっとする。

「羽坂、いいもん食ってんな」

お昼休みが終わるまでのわずかな時間、ラムネアメを舐めながらぼーっと考えていたら、当の池松さんから声をかけられて焦った。

「それ、期間限定のラムネアメだよな。
俺、まだ買いに行けてなくてさ」

嬉そうに笑っている池松さんが可愛くて、ついつい顔が綻んでしまう。

「食べますか」

「いいのか?」

うきうきと袋の名からひとつ取り、池松さんは早速、口の中にぽいっと放り込んだ。

「羽坂、最近、元気ないよな。
宗正となんかあったか」

気分がようやく回復したのに、池松さんの口から出る宗正さんの名前に一気にまた下がっていく。

「なんでそんなこと聞くんですか。
宗正さんとはなんでもないですよ」

ついつい、声が尖ってしまう。
きっと眉は、不快そうに寄っていることだろう。

「あ、……すまない」

申し訳なさそうな池松さんの声ではっと我に返った。

苛ついて池松さんに当たったって仕方ない。
池松さんは私の気持ちを知らないのだし、教えるわけにもいかないのだから。

「私の方こそ、すみません。
……これ、よかったらもらってください」

残りのラムネアメを押しつけると池松さんは受け取って、すごすごと自分の机に戻っていった。

この想いが報われないのはもう、諦めがついている。
けれど池松さんに、ほかの男と付き合っているとか、好きだとかそんなふうに思われるのは我慢ができなかった。


苛ついたまま午後の仕事をする。
事務所裏に置かれたシュレッダーがそろそろ一杯なので、苛つきついでに掃除することにした。

「池松ってさ、なんかムカつくよね」

「そうそう、調子乗ってるっていうかさ」

聞こえてきた池松さんの名前にぴくりと手が止まる。
棚の陰になってこちらに気づかないのか、女性社員たちは話し続ける。

「今度、『P&P』と取り引きはじまるけどさー、あそこのデザイナー兼社長、気むずかしくて有名じゃん?」

「あー、聞いたー。
超有名セレクトショップの『Noirノワール』が買い付けに行ったけど、断られたって」

気配を殺してじっと、彼女たちの話を聞いていた。
P&Pとの取り引きは、繊研新聞に載るほどニュースになっている。

「池松、もしかして女社長に枕営業したんじゃない?」

シュレッダーのゴミ枠を持つ手に力が入る。
池松さんがそんなこと、するわけがない。

「社長、四十過ぎても独身なんでしょ。
ありえるー」

「結婚してるくせにやるよね」

「案外、奥さんとうまくいってなくて社長で憂さ晴らしとか?」

「うけるー」

言いたい放題の彼女たちに感情が少しずつ沸点へと向かっていく。

奥さんの方はどうだか知らないが、池松さんはちゃんと奥さんを愛している。
そんな池松さんが浮気なんてするわけないし、取り引きしてもらうためだけに寝るなんて女性に失礼なこと、するわけがない。

「だいたいさー、いっつも私らに注意とかしてくるけど、何様のつもり?」

「そうそう、本多課長なんてなにも言わないじゃん」

「ほんとムカつくよね、池松」

「雑用係は雑用係らしく、おとなしくしとけって」

「だよねー」

げらげら笑っている彼女たちにとうとう怒りが沸点を突破した。
ガタン、わざとらしく大きな音を立ててシュレッダーのゴミ箱を戻すと、おそるおそるといった感じで、村田さんが顔を出した。

「……なにも知らないくせに」

「なに?」

村田さんと布浦さんは怪訝そうだが、私は怒りで全身の血液が沸騰していた。

「なにも知らないくせに!
池松さんがいつも、どれだけあなたたちに気を遣っているかわかりますか!
きっといまの話を聞いても『しかたねーなー』って笑うんですよ、池松さんは!
そういう人なんです!
それに、奥さんのことだって凄く愛されてて!
なのにそんなこと言うの、酷すぎます!」

一気にまくし立ててもまだ気が収まらなかった。
お腹の中に火がついたかのように熱い。
あたまも燃えるようだった。

「はぁ?
そんなの、知らないし」

あきれている村田さんにさらに感情はヒートアップしていく。

「池松さんだって憎まれ役なんてやりたくないですよ!
でも、誰かがしないといけないことだから!
誰かがちゃんと、だめなことはだめだって言わなきゃいけないから!
なのにどうして、そんなふうに言うんですか!?」

「ちょっと、やめてよ!」

詰め寄り、私が胸をドンと叩き、村田さんは困惑している。

悔しい。
悔しくて悔しくて涙がぽろぽろ落ちてくる。

「池松さんのことなんてなにも知らないくせに」

「ちょっとやめてって!」

再び胸をどんと叩くと、思いっきり押しのけられた。

「おっと!」

後ろによろけ、受け身も取れずにこけるのを覚悟した瞬間、誰かが私を支えてくれる。

「さっきから騒がしいな、君たち」

こわごわ見上げると、池松さんの顔が見えた。
笑っている、けど眼鏡の奥の目は怒っている。

「だって、羽坂さんが」

「ねえ」

村田さんと布浦さんは目配せしあい、ばつが悪そうに視線を泳がした。

池松さんの支えからひとりで立つ。
あんなに燃えていた感情は、一気に鎮火していった。
いくら池松さんの悪口に腹が立ったからって、私はなんてことを。

「話はどちらからも聞く。
君たちは会議室で待ってろ。
羽坂は俺と一緒に来い」

「……はい」

「……」

「……」

返事をした私と違い、ふたりは黙ったままふて腐れていた。
そのまま動こうとしないふたりにちっ、池松さんが小さく舌打ちする。

「さっさといけ!」

「は、はい!」

池松さんの鋭い声に、わたわたと村田さんと布浦さんはその場をあとにした。
ふたりがいなくなり、私の方など見ずに池松さんは足を踏み出す。

「行くぞ」

「……はい」

振り向かずに歩いていく池松さんの後を追う。

怒らせた。
あきれさせた。

後先考えなかった自分の行動を後悔した。


商談ブースで向かい合うように私を座らせ、池松さんははぁーっと大きなため息を落とした。

「どうした?
羽坂らしくない」

池松さんの言うとおり、自分らしくないとは思う。
普段の私だったら心の中で不満を言うだけで、絶対に本人にはぶつけなかっただろう。

でも、宗正さんに池松さんを莫迦にされた上に釘を刺され、さらには池松さんから宗正さんと付き合っていると誤解しているようなことを言われ、私の沸点はいつもよりもずっと低くなっていた。

「なにがあった?
また宗正で揉めたのか」

池松さんの言葉にせっかく鎮火した感情にまた火がつく。

「なんでそんなこと言うんですか!?
宗正さんは関係ないですよ!
私はただ、池松さんが莫迦にされてたから……!」

「あー……」

私が感情をぶつけると、池松さんは天井を仰いだ。
まるで聞かなきゃよかった、とでもいうかのように。

「あのな、羽坂」

少しだけ背中を丸めて猫背になり、池松さんは私と目を合わせないように俯いた。

「怒ってくれたのは嬉しいが、俺は羽坂にかばわれるほどいい男じゃない。
ただの……ただのおじさんだ」

顔をあげて私を見て、弱々しく笑った池松さんに心臓が握り潰される思いだった。

それは私の気持ちを知って、明確に拒絶するものだったから。
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