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第1章 新しい派遣先

3.レディースファッション部の日常

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ドン、コピー用紙を補充していると、いきなり後ろにぶつかられた。

無様に尻餅をついて見上げたら、ハンガーラックを引いた新本しんもとさんがブラウンのシャドーをつけた目を吊り上げていた。

「気をつけてよね!」

「すみません」

慌てて立ち上がって道をあける。

「事務は暇なんだろうけど、こっちは忙しいんだから!」

新本さんはカツカツと七センチヒールの音を威勢よく響かせて進んでいく。

「キャッ」

私の視界から消えたところで小さく悲鳴があがる。

「そんなとこいたら、じゃま!」

きっと、前なんか見ずに我が道を歩いて行っているんだろう。
でも、そんなことはここでは珍しくない。

はぁっ、ため息をつきつつ机に戻ると、今度は布浦ぬのうらさんが待っている。

「いつまで待たす気ー」

人の椅子に座り、机の上にだらしなく置いた腕の上に顎を乗せていた布浦さんは、けだるそうに語尾を延ばした。

「すみません」

「まあいいけどー。
友子ゆうこは心が広いから、待たされたくらいで怒んないしー」

社会人でそんな言葉遣いが許されるのかとは思うけど、ここは治外法権らしく許されるらしい。

「あのさぁ。
これ、まだ間に合うよねー?」

差し出された領収書は、すでに締め日が過ぎたものだった。

「あの……」

「間に合うよねー?」

声は軽い調子だが、布浦さんの目は全くもって笑っていない。

「……どうにかします」

「よろしくー」

布浦さんは自分の要求が通って満足したのか、機嫌よく売り場へ消えていった。

はぁーっ、もう癖になっているため息をついて椅子に座り、少しのあいだ、どっぷりと沼に浸かる。

……気をつけてって自分が前方不注意だっただけだよね。
私が急に目の前に飛び出してきたんじゃないんだし。
間に合うよねって、間に合っていないですよね。
もしかして、私と違うカレンダー、見てますかー?

心の中で愚痴を吐き出し、一度大きく深呼吸して俯いていた顔をあげる。
こんなことでくよくよしていたら、ここではやっていけないのだ。

あとで知ったが、ここは派遣社員がすぐに辞めることで有名な部署らしい。
もって一ヶ月、早いと一日。
病んで辞めた人もいるという話だが、その理由はよくわかる。

「おーい」

「はいっ!?」

いきなり隣から聞こえた声に驚いて視線を向けると、隣の椅子に池松さんが座っていた。

「なに百面相やってるんだ?」

いつものように後ろ無期に座った椅子の背もたれに両腕を乗せ、にやにや笑っている池松さんにはムッとはするが、別に嫌ではない。

「見てたんなら早く声、かけてくださいよ……」

じっと見られていたなんて、変な顔をしていたんじゃないかと恥ずかしくなってくる。

「だって羽坂、じーっと考え込んでて俺に気づかないんだもん」

「……」

ううっ、自分の世界に入りすぎて池松さんに気づかないなんて恥ずかしすぎる……。

「それで君、……なにやってるんだ?」

眼鏡の下の眉を寄せた池松さんから、潜った机の下をのぞき込まれた。

「穴を掘って埋まりたいですが、穴は掘れないので机の下に……」

「……ぷっ。
はは、はははっ、ははっ」

吹き出したかと思ったら池松さんが凄い勢いで笑い出すから、ますまずイジケて膝を抱えて堅く丸くなった。

「羽坂って案外、おもしろいっていうか可愛いのな!」

笑いすぎて出た涙を人差し指でフレームを押し上げるようにして池松さんが拭う。
さりげなく可愛いなんて言われると、知らず知らず頬に熱が上っていく。

「ほら、出ておいでー。
羽坂ちゃーん。
ん?
はーちゃんがいいか?」

猫か小さい子供扱いされているのは腹が立つが、どうでもいいことに真剣に悩んでいる池松さんがおかしくて、机の下から這い出た。

「……こほん。
それで、なにか用だったんじゃないですか」

椅子に座り直し、まだ熱い顔を誤魔化すように小さく咳払いする。

「ん?
用はねーわ」

「はい?」

いたずらっぽく八重歯を見せてにやっと笑う池松さんについ、首が傾いてしまう。
用があるからわざわざ私のところに来たんじゃないんだろうか。

「ただ、今日も羽坂の眉間に、消えないくらいふかーい皺が刻まれてないか見に来ただけ」

「あ……」

つい、自分の眉間にふれてしまう。
きっとさっきはふかーい皺が刻まれていただろう。

「落ち込んだときは糖分補給」

差し出された拳に手を出すと、その上にパインアメが落とされる。
池松さんはもう一個ポケットから出して、自分の口にぽいっと入れた。

「ほんとは本多さんがもうちょっと、気遣ってやればいいんだけどな。
あの人、ここに配属されてからどんどん、影と髪が薄くなっていったからな」

「……」

そこは笑っていいのか判断に苦しむ。

本多課長が私の父より若いと知ったときは思わず二度見してしまった。
どうみても本多課長の方がずっと年上に見えるのだ。

「まあその分、俺が愚痴でもなんでも聞くわ」

椅子から立ち上がり、池松さんはひらひらと手を振って行ってしまった。
いなくなって、もらったパインアメを自分の口に放り込む。

……池松さんにはかなわない。

私が嫌な思いをしているといつも、ふらっとやってきて励まして去っていく。
きっとまだ、この会社を辞めずにやっていけているのは池松さんのおかげだと思う。

「元気も出たし、この領収書、どうにかしなきゃね」

毎回くれるパインアメは、私の元気のスイッチを押してくれる。
気合いを入れ直して私は、仕事の続きをはじめた。
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