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第一章 一番にはなれない私

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お店を出て部長がタクシーを拾う。
一緒に乗り込み、窓の外を流れていく光をぼーっと見ていた。
富士野部長もずっと黙っている。
十五分ほど走って降りたのは、モダンな一軒家の前だった。

「ここ……」

「私の家です」

……富士野部長って何者?

そんな疑問が浮かんでくる。
白壁が美しい家は〝豪邸〟という言葉がぴったりだ。
確かに部長で私なんかよりはずっとお給料をもらっているだろう。
しかしうちの会社は二流の飲料メーカー。
社長の「いつか、高級スポーツカーを買いたい」との自虐ネタはもはや鉄板だ。
いや、買えないほど儲かっていないわけではないんだけれど。

まあ、そんな会社なので、いくら彼が部長だからってこの家は立派すぎなんじゃないかと思ったわけなのだ。

「浴室はここです。
シャワー、浴びますよね?」

「そう、ですね」

一日過ごして汗を掻いている。
さすがに、このままじゃマズいだろう。
案内されたリビングに荷物を置き、浴室へ行った。
大理石でできた大きな洗面台のある脱衣所はまるで、高級ホテルのようだ。

服を脱ごうしたらドアがノックされ、手が止まる。

「はい」

「浴室側の引き出しにタオルが、その隣にバスローブが入っています。
よかったら使ってください」

すぐに外から富士野部長の声が聞こえてきた。

「ありがとうございます」

お礼を言い、それらしき場所を開けてみる。
そこには真っ白に洗ってある、バスタオルやバスローブが入っていた。

「自分で洗ってるのかな……?」

などと思いつつ、浴室でシャワーを浴びる。
部長には無理をお願いするのだ、少しでも不快な思いをさせないように、できるだけ綺麗に身体を洗った。
終わって、部長のバスローブを借りる。

「……ぞろびくんですが」

羽織ったバスローブは裾が床に着くどころか余っていた。
モデルのように背の高い彼と、服は低身長サイズでもいいんじゃないかってくらいの私とではそうなる。
しかしながらまたドレスを着るのはあれだし、かといってバスタオルを巻くのはいかにもヤります感があって嫌なので、紐で裾を踏まない程度にたくし上げてどうにか凌いだ。

「シャワー、ありがとうございました……」

リビングで部長は、ソファーに座って携帯を見ていた。
私に気づき、顔を上げる。

「いえ。
座っていてください」

「はい」

私がソファーに座るのと代わるかのように彼は立ち上がった。
そのままダイニングの奥へ消え、すぐにグラスを片手に戻ってきた。

「よかったら飲んで待っていてください。
私もシャワーを浴びてきますので」

「ありがとうございます」

そのまま、部長がリビングを出ていく。
ひとりになり、テーブルの上に置かれたグラスに手を伸ばした。
パチパチと泡の弾けるそれはレモンフレーバーの炭酸水で、少しだけ気持ちがリラックスした。

それにしても、広い家だ。
リビングダイニングだけで軽く、今住んでいるマンションの部屋より広い。
座っているソファーの向こうには暖炉まで見えた。
ライトブラウンの大きなソファーは革張りだし。
ほんと、富士野部長ってただの部長なのかな?

炭酸水を飲みながらぼーっと部屋の中を見ていたら、そのうち部長もシャワーを終えてきた。
濡れ髪を雑に撫でつけ、まだ上気した肌の彼は女の私なんかよりも色気がありすぎて、つい目を逸らしてしまう。

「紀藤さん」

「……はい」

促すように名前を呼ばれ、立ち上がる。
少し前を歩く部長に着いていった。
連れられていった部屋は当然、寝室だ。

「おいで」

広いベッドに座った彼が隣を軽くぽんぽんと叩き、優しく微笑みかける。

「……はい」

それに誘われるかのようにふらふらとそこに座った。

「本当にいいんですね?」

私の頬に触れ、眼鏡の向こうからじっと見つめている部長の瞳は、悲しみをたたえている。

「はい。
……お願い、します」

その目を真っ直ぐに見つめ返し、了承の返事をする。

「わかりました」

私の言葉で彼は、重々しく頷いた。

そっと部長が、私をベッドに横たわらせる。

「その。
富士野部長」

「はい」

「……ハジメテ、なので、その。
……優しくしてもらえると……」

こんなことを告白するのは恥ずかしくて、みるみる身体中が熱くなっていく。

「わかりました。
できるだけ優しくしますね」

私の髪を撫で、額に口付けを落としてきた部長は、酷く優しかった。

「それじゃあ」

そのひと言で、部長の纏う空気が変わった気がする。
現に。

「目は閉じてろ」

彼の口調が変わる。
彼の大きな手が私の顔に触れ、目を閉じさせた。

「俺を、好きな男だと思えばいい。
姿が見えなければ、想像できるだろ」

「……そう、ですね」

ちゅっと軽く、部長の唇が重なる。

「名を呼びたくなったら、その男の名を呼べ。
今だけ俺は富士野部長じゃなく、紀藤の好きなその男だ」

再び、唇が重なる。
さっきから部長は〝私〟ではなく〝俺〟と言っているが、もしかしてあわせてくれているんだろうか。
そういう気遣いが優しくて、部長に頼んでよかったと思えた。

私の唇を啄むように、繰り返される口付けがもどかしい。
つい、ねだるように甘い吐息が私の口から落ちた。
その隙を狙っていたかのように、彼がぬるりと侵入してくる。
そのまま、彼に翻弄された。
何度も丁寧に絶頂へと導かれた。
ぼーっとなった頭で、彼を迎え入れる。

「痛いか」

激しい痛みに耐えていたらそっと手が頬に触れ、目を開けた。
視界には酷く心配そうな部長の顔があった。

「痛い、です。
でもこれは、あの人を忘れるために必要な痛みだから」

精一杯、大丈夫だと笑顔を作る。

「……そうか」

短くそれだけ言い、部長は私の目をまた閉じさせた。

「可愛いよ、明日美は」

何度も落とされる口付けが、心地いい。
痛いのは最初だけで、次第に彼に溺れていった。

「裕司さん、裕司さん、愛してる……!」

うわごとのように、今まで一度も口にしたことがない気持ちを吐露する。
別の男の名で呼ばれているのというのに、部長は私を咎めたりしなかった。
それどころか。

「俺も明日美を愛してる」

まるで両想いのかのごとく、返してくれる。
部長は裕司さんじゃない。
わかっている。
それでも長年の想いが叶った気がして、私の心は満たされた。

ぐったりと疲れ、瞼を閉じている私の頭を、部長が撫でてくれる。

「満足したか」

「……はい」

目が覚めたら。
裕司さんを忘れよう。
明日からあの人は私にとって、ただの姉の夫だ。
私の頭を撫でる部長の手が気持ちよくて、そのまま夢も見ない深い眠りへと落ちていった。
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