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第1章 女は度胸

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その後はトラブルもなく、披露宴は終わった。

「いい式だったよ、ほんと。
幸せにな」

「ありがとうございました」

最後まで伯父さんは感動しっぱなしで、良心が大変痛む。

「これで最後、と」

見渡した辺りには、もう誰も残っていない。

「のりきっ、た……」

気が抜けて、その場に座り込みそうになった。
でも最後の気力で控え室まで向かう。
両親には改めて連絡すると伝え、今日のところは帰ってもらった。

「今日はありがとうございました」

着替えたあと、改めて鈴木氏(仮)にお礼を言った。
彼がいなければ、式は中止だった。
それにどんな形にしろ、花嫁になりたいという私の願いは叶ったのだ。

「いや、いい。
お前の役に立ったんなら」

ふっ、と僅かに唇を緩ませた彼は、とても優しげだった。

「本当に助かりました。
このお礼はどうすれば……?」

無償で、なんてないことは私にだってわかる。
貯蓄のほとんどを騙し取られたので、どんなお礼ができるのかわからないが。

「そうだな。
とりあえず、俺と一緒に来い」

部屋を出て歩きだした彼を追う。
エレベーターに乗って彼が五十五階のボタンを押す。
ビルの案内ではそこは、会員制のバーだったはず。

「あの……」

真っ直ぐに前を見たまま彼はなにも言わない。
黙っている間にエレベーターは目的階に到着し、ドアが開いた。

「ようこそいらっしゃいました、御津川様。
お連れ様がお待ちです」

いかにも、なタキシードのスタッフが慇懃に彼へあたまを下げる。
会員制なのに止められることなく個室へ案内されたということはやはり、彼はそうなのだろう。

「上手くいったのか?」

ひとりで飲んでいた男が、右のレンズを掴むようにして眼鏡を上げた。

「だから、このとおり」

くいっ、と鈴木氏(仮)――もとい。
御津川氏が顎で私を指す。

「そりゃ、よかったね」

くすくすとおかしそうに笑いながら、男はグラスの水割りをぐいっと飲み干した。

「あの……この方、は」

たぶん、御津川氏の親しい人なんだろうとは推測できるが。

「友達の弁護士だ。
――憲司けんじ

砺波となみ憲司です」

別に疑っているわけでもないのに砺波さんはわざわざ、弁護士の身分証を見せてくれた。

「それであっちの方は?」

「もう万端」

御津川氏がソファーに座り、その隣をぽんぽんと叩くので、仕方なくその隣に腰掛ける。

「結婚式って意外と疲れるのな」

御津川氏はヘラヘラと笑いながら、置いてあったセットで水割りを作った。
そのタイミングでいつ頼んだのか、入っていたスタッフが私の前にカクテルを置く。

「アプリコットフィズって度数は低めのカクテルだ。
別に、酔わせてどうこうとか考えてない」

「……ありがとうございます」

御津川氏がグラスに口を付けるので、私もカクテルを口に運んだ。
甘いそれは、少しだけ私の緊張を解いた。

「確認、したいのですが。
あなたはあの、MITSUGAWAの御津川社長で間違いないんですよね」

MITSUGAWAはもはや、日本の重要施設の、ほとんどの警備をしていると言っても過言ではない警備会社だ。
日本だけじゃない、世界あちこちでも展開している。
警察にも太いパイプを持っており、いまの警視総監は前社長の弟だったはず。
前社長から慧護氏へ社長の座が譲り渡されたのは一昨年の話だ。

グラスをテーブルの上へ戻し、姿勢を正す。
御津川氏は左腕をソファーに預け、水割りを舐めるように飲んでいた。

「間違いないな」

「どうして今日は、身分を隠してまで花婿の替え玉なんて」

「ただの気まぐれ?」

彼がグラスを揺らし、氷がカランと音を立てる。

「たまたま、本当にたまたま、詐欺で捕まったあの男と今日、挙式予定の女がいるって知ったんだ。
それで、どんな間抜けか顔を見に来た」

くいっ、とグラスの中身を彼が口に含む。

「思ったとおり、間抜けな女でさぞかしおかしかったでしょうね」

カモにされているなんて知らずに、この日を心待ちにしていた。
自分でも、なんて滑稽なんだと思う。

「そうだな。
でも同時に、どれだけこの女が今日を楽しみにしてたのか思ったら、可哀想になった。
だから、せめて式くらい挙げさせてやろうと思ったんだ」

ふっ、と唇を緩め、彼はグラスをテーブルの上に戻した。
同情、されていたのがなんか悔しい。
けれど、それで助かったのも事実。

「ま、それだけじゃないけどな」

御津川氏が頷き、砺波さんが私の前に紙を置く。

「売買契約書だ」

「バイバイ契約書……?」

上手く字が、思い浮かばない。
その紙にもそんな字はなかった。

「ああ、今日の費用は俺が払った」

さらにその紙の上へ、御津川氏宛になっている領収書が置かれる。
名目は挙式費用一式になっていたし、金額も私が聞いていたものとほぼ同じだった。

「どうして、あなたが?」

「反対に訊くが、お前は払えたのか」

「うっ」

あとで払うから立て替えておいてくれと鈴木からは言われていた。
しかも、その資金は彼に預けた。
きっとそのお金はもうないだろう。
妙に後払いに拘っていたわけだ。

「ロ、ローンとか」

「詐欺で金を騙し取られたうえに、七百万もローンを組むのか?
莫迦じゃないのか」

「うっ」

前のめりになっていた彼が、はっ、と吐き捨てるように笑ってソファーに背を預ける。

「で、でも、私にはそうするしかないわけで」

鈴木にプロポーズされた日。
あんなに浮かれていた自分が莫迦みたいだ。
まさか、こんな日が来るなんてあのときの私は知りもしない。

鼻の奥がツン、と痛くなり、慌てて顔を上げると、目があった。
なぜかレンズの向こうの目は少しつらそうに歪んでいる。

「俺が、その七百万でお前を買う」

「……え?」

言っている意味が理解できない。
彼の長い人差し指がトン、と書類を叩いた。

「これがそのための売買契約書だ。
七百万で俺はお前を買う。
いや、もう払ったんだから買った、が正しいか?
買われたお前は一生、俺のものだ」

御津川氏はかなり、酔っているのだろうか。
じゃなければ、こんなこと。

「……ひとつ、確認しても?」

「なんだ?」

レンズ越しに彼の瞳を見つめる。
その瞳には全く揺らぎがなかった。

「どうして私、なのですか。
私にそんな価値があるとは思えません」

「お前の価値は俺が決める。
俺から見てお前にはそれだけの価値がある。
それだけだ」

答えになっていない気がするが、彼には全く迷いがない。

「いますぐ七百万、耳をそろえて返すか、俺の女になるか。
お前に選べるのはこのどちらかしかない」

どうして今日はこう、重要な決断ばかり迫られるのだろう。
初めの選択が間違っていた気がするが、いまからやり直せるわけでもない。

「俺の女になれ、李亜」

彼の、強い視線が私を射る。
一ミクロンも目は逸らせずに少しの間、見つめあった。
気持ちを落ち着けようと目を閉じ、一度深呼吸する。

「女は、度胸」

目を開け、一口飲んだだけで乗っていたアプリコットフィズを、景気づけに一気に飲み干した。

「わかりました、あなたに従います」

「そうこなくっちゃ」

ニヤリ、と御津川氏が右頬を歪ませた。
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