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第5章 最後のレッスン

4.私は冷たい人間なんだろうか

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土曜日は朝から掃除に洗濯と追われていた。
本当ならプレゼンの詰めをしたい。
けれど英人が来るのなら、部屋を綺麗にしておかないと怒られる。

「晩ごはん、なんにしよう……」

きっといまの、低カロリー薄味の食事じゃ英人は満足しない。
面倒だと思いつつ買い物に出る。
メニューを考えたくなくて、ハンバーグにした。
これにポテトフライと茹でブロッコリーを付け合わせ、コンソメスープでもつけておけば文句は言わないだろう。

「……で、何時に来るんですかね……」

時計はもうすぐ午後八時になろうとしているが、英人からの連絡はない。
いつもそうだから気にはならないけど。
その間に少しでも、プレゼンの詰め作業をする。
明日は予行練習だから、少しでもやっておきたい。

――ピンポーン。

「はい!」

不意にインターホンが鳴り、玄関に急ぐ。

「具合わりー」

勝手に上がり込んできた英人の顔は赤く、足もとは若干、ふらついていた。

「なんか昼から寒気がしてくるし。
だりーしさ……」

そんなことを言いながら英人は私のベッドに潜り込んでいく。

「なら帰れば……」

「は?
お前、なに言ってんの?
彼氏が具合悪いって言ってるんだぞ?
看病するのが当たり前だろ」

布団に丸まりガタガタ震えている英人は気の毒だとは思うが……は?
当たり前?
この間、具合の悪い私の家に上がり込み、ひとりで騒いだだけでさっさと帰ったのは誰?

「うーっ、さみー。
これってもしかしてインフルエンザ?
お前のがうつったんじゃねーの。
なら、なおさら看病しなきゃだろ」

相手は病人だってわかっている。
けれど私は妙に醒めた目で彼を見ていた。

「タクシー呼んであげるから帰りなよ。
それで明日になったら病院行って」

「なんで帰らなきゃいけねーんだよ。
お前がここで看病してくれればいいだろ」

傲慢。
わがまま。
自分勝手。
こんな男にこれ以上、振り回されたくない。

「私、週明けに大事なプレゼンが控えてるの。
だから、あなたにかまっている暇はない。
タクシー呼んであげるから帰って」

「茉理乃!」

病人らしからぬ力でベッドに押し倒された。
怒りの炎が燃える瞳で私を見る彼を、ただただなんの感情もなく見上げていた。

「……!」

唇が重なり、強引に舌をねじ込まれる。
滝島さんからは自分から動かせと指導されたが、なにもせずにじっとしていた。
なにも、なにも感じない。
ううん、むしろ感じるのは……嫌悪。

「……お前はオレのものだ」

「私はあなたのものじゃない」

力いっぱい、ぐいっと唇を拭う。
押しのければ、限界にきていた彼の身体はいとも簡単に転がった。

「今日は帰って。
わかった?」

「……」

返事のない彼を無視してタクシーを呼ぶ。
蹲ったまま動かない彼は放置で、つい先日、滝島さんが差し入れしてくれたものの残りと簡単に食べられそうなものを袋に詰めた。
間もなくしてタクシーが到着を告げ、袋と一緒に英人を押し込む。

「これ。
インフルだったら外に出られないから、よかったら食べて。
……運転手さん、これでこの人を家まで。
おつりはけっこうです」

お金を渡したあと、すぐにバタンとドアが閉まり、タクシーが走りだす。
最後に窓から見えた英人は捨てられた猫のようで心が痛んだが、気づかないフリをした。

「……冷たかったかな」

本当に英人は具合が悪そうだった。
私だってつい先週、動けなくなって滝島さんにヘルプを出したくらいだ。
もう少しくらい、優しくしてやればよかったかもしれない。
でも私にはどうしてもできなかった。

「……嫌な女だよね、きっと」

仕事があるからと英人を切り捨てた。
簡単に切り捨てられた。
いまの私にとって、英人よりも仕事が優先だったから。
でもこれがもし、……滝島さんだったら?

「なに考えてるんだろ、私」

どうしてここで滝島さんが出てくるんだろう。
わけがわからない。
ううん、考えない。
いまはプレゼンのことだけ考えていよう。



日曜日は滝島さんが借りてくれた貸し会議室で待ち合わせだった。

「じゃあ、はじめるぞ」

「はい」

ストップウオッチを握る滝島さんは休日だというのにスーツだ。
もちろん、私もスーツ。
その方が当日の雰囲気が出るからって。
さらにオーディエンスとして路さんと小泉さんが加わってくれた。
橋川さんも気持ちとしては来たいけど、休日は奥さんサービスの日だからごめんね、ってあやまらないでいいのにあやまってくれた。

「本日はお集まりくださり、ありがとうございます……」

いままでレポートでまとめてきたことを、資料に沿って話していく。
私のやりたいTwitter運用について、それによって得られる宣伝効果と見込み……などなど。

「……以上になります。
ご質問などございますか」

「いいかしら?」

路さんから手が上がり、背筋が伸びる。

「どうぞ」

「プラスイメージはわかるけど、マイナス効果についての具体性が薄いと思うの。
たとえば、炎上したときの対策なんか、これで十分だとは思えない。
それで運用無期停止になった企業アカウントもあることだし」

すーっと深呼吸し、その間に考えをまとめて口に出す。

「炎上した場合、消火になにを言っても無駄です。
よくて焼け石に水、悪いとさらなる燃料投下になってしまいます」

「そんな危険があるなら、Twitter運用なんてしない方がいいわよね?」

ニヤッ、と路さんの唇が愉しそうに笑う。
意地悪だとは思うけれど、実際にだって同じ質問があるかもしれない。
そのための予行練習なんだし。

「迂闊に個人の考えをツイートせずに、自分の後ろには我が社がいるのだと重々に意識したうえで行います。
そのうえで炎上してしまった場合は、潔く謝罪を。
また炎上保険もありますので、それについては資料をご覧ください」

「結局、このやり方だと担当個人にかかってくるということになりますよね。
ならばいままでどおり、申請制の方がいいのでは?」

容赦なく、小泉さんからも質問の手が上がる。
でも、怯んでなんかいられない。

「確かに、そのとおりです。
担当個人の人となりを信じてくださいとしか言えません。
ですが自由を与えることによって、より身近に感じてもらうことはできます」

「身近に、ねぇ」

懐疑的な小泉さんにさらにたたみかける。

「商品を企画し、作り、売り出しているのは等身大の人間です。
それを消費者には感じてもらいたい。
現に他社では……」

「他社が上手くいっているからと言って、我が社が上手くいくとは限らないでしょう?
その他社さんだってこのやり方では炎上の危険性があるわけで」

さらに滝島さんも質問してきた。
ここで負けたら、本番もきっとダメ。
頑張らねば。

「仰るとおりです。
この運用方法は個人にかけた完全なる賭けです。
ならばその賭け、……私に賭けてみませんか」

滝島さんを真似て、自信たっぷりに笑う。
この運用方法はどう頑張ったって、それ以上の結論が出ない。
私だってこんな質問を想定していなかったわけじゃない。
でも、どうしてもダメだった。
ならば、これしかないわけで。

「ヒューッ」

滝島さんが軽く、口笛を吹く。
これは正解?
それとも……。

「俺が上層部なら伊深に賭けるな。
ま、俺が、なら」

腕を組んでうんうんと滝島さんが頷く。
これって滝島さん的には合格ってこと?

「そうねぇ、私も茉理乃ちゃんに賭けてもいいわ」

「僕も!
僕も伊深さんに賭けていいです!」

路さんに続いてはいはーい、と小泉さんが手を上げた。
おおっ、これって路さんも小泉さんも合格ってことでいいのかな。

「頑張ったな。
考えもしっかりまとまっていて説得力もある。
最大の問題はあれで乗りきるしかないが」

やっぱり滝島さん的にもあれしかないんだ。
もしかしたら彼ならなにか、あるのかと期待したんだけど。

「俺も会社に似たようなことを言ったんだ。
それで公式に認められたんだから大丈夫だ」

「は、はぁ……」

それって大丈夫なの? とか一瞬思ったけど、そこは気づかなかったことにしよう。

「それであとは、いかに伊深の賭けに乗っていいかと思わせることだけど……」

「ええーっ、いまのままじゃダメなんですか!?」

さっき、皆、乗るって言ったのにー!
一気に肩ががっくり落ちるほど落ち込んでいたら、慌てて滝島さんがフォローしてきた。

「いや、プレゼンの内容は申し分ない。
でもさらにダメ押しで、伊深に賭けていいと思わせるものがあるといいだろ」

「はぁ……」

滝島さんの視線が私のあたまのてっぺんからつま先まで往復する。
これって、どういうことなのかな……?

「丹沢姐サン、どう思う?」

「確かに地味ね。
リクルートスーツはもう、ない」

「ええーっ」

勝負服といえばこれ、と出してきたスーツをバッサリ切り捨てられた。

「ううっ……」

「確かに中身で判断だとは思うが。
見た目がいいとさらに賭けてみようって気持ちが大きくなるだろ」

「そ、そうですね……」

「お菓子だってパッケージを変えただけで売り上げが上がったりしますからね」

そこ!
小泉さん、さらに追い打ちかけないでー!

「それで、だ。
丹沢姐サン、お願いできるか?」

「だから私を呼んだんでしょ?
任せなさい、誰もが落ちる美女に仕立ててみせるから」

自信たっぷりに路さんが笑った。
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