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エピローグ

3.幸せになるから

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ウェディングドレスを着て鏡に映る私は、幸せそうじゃなきゃいけないのに酷く不安そうに見えた。

「愛乃?」

様子を見にきた征史さんが、困った子だねとでもいうように笑った。

「大丈夫だ、お義父さんはきっと来てくれる」

そっと、結い上げられた髪を崩さないように征史さんは私を抱きしめた。

「……うん」

いつもの匂いを吸い込むと、不安が薄れていく。
ちょっと不思議。

「そのドレス、よく似合っている」

「まさくんも格好いいです」

ちゅっと重ねた唇は、酷く甘い。
けれど、それで胸焼けを起こしたりはしない。

今日の衣装は昔、征史さんがお世話になったデザイナーさんのオートクチュールだ。
私のドレスはボレロのようにレースの袖がついた、ドレス。
裾は広い教会にも映えるように、長い。

征史さんはグレーの艶のある、タキシード。
ぴったりと征史さんの身体に合わせて作ってあるからスタイルの良さを引き立たせて、いつもよりもさらに格好良く見える。

「デザイナーさんに感謝しなくちゃですね」

「別にいい。
あの人は俺を、こき使ってくれたからな」

なんだかいろいろありそうだけど……それはおいおい聞こう。

――コンコン。

ノックの音がして、ふたり同時にドアを振り返った。

「その。
新婦のお父様が到着です」

ふたりで顔を見合わせ、急いで席を立つ。
係の人に案内された先では、父が手持ちぶさたに立っていた。

「お父様!」

私の姿を見つけた父が一瞬、嬉しそうな顔をした。
けれど次の瞬間にはそれを隠すように苦虫を噛み潰したかのように不機嫌になる。

「来てくれてありがとうございます」

「……お前のためになど来てない」

征史さんがあたまを下げたものの、父はそっぽを向いてしまった。

「お父様。
本当にありがとうございます」

「べ、別にお前たちの結婚を祝福してやろうとかではなく、その、親が式に出席しないなど、ちょっと可哀想か、などと同情してやっただけで……」

早口で捲したてる父の耳は赤くなっている。
どういう心境の変化かわからないが、それだけで嬉しい。

「はい、それでも嬉しいです」

「だから、私は別に……こら、やめなさい!
はしたないぞ!」

衣装が乱れるなど気にせずに、父に抱きつく。
あんなに私へ過剰なスキンシップをしていた癖に、父は完全に照れていた。



――カーン、カーン、カーン、カーン。

青空に響き渡る音で、教会の鐘が鳴る。

「こっち向いてくださーい」


カメラマンと一緒になって携帯で写真をパシャパシャ撮っているのは橋川くんだ。

「そんなに撮らなくてもいいんじゃないかな……?」

「あとでNyaitterにあげますから!
式の模様もNyanTubeで実況中継します!」

橋川くんはいま、社長直轄でNyaitterの運用と、その他SNS運用の補助をしている。

【今日の朝メシは新製品の林檎とさつまいものパン】

毎日の朝食報告をはじめとするユルい呟きが受けて着実にフォロワーを増やし、最近はそのおかげで会社のイメージもアップ。
さらには商品の売れ行きもじわじわと伸びているらしい。

「橋川。
それは本当に必要か?」

大張り切りの橋川くんに征史さんはあきれたように笑っている。

「必要ですって!
だって、世間が注目している社長の結婚式ですよ?」

「俺としてはあまり、いい気はしないんだがな……」

征史さんはあれから少しして、正式にSMOOTHの社長に就任した。
その容姿と元モデルの経歴から〝美しすぎる社長〟なんて騒がれている。
征史さん自身はそれが嫌でしょうがないみたいだけど、それで話題になって売り上げが伸びるならと、椎名さんの戦略で全面的に売り出し中だ。

智行ともゆき、ちゃんと写真撮れた?」

電話を済ませた椎名さんがこちらへと向かってくる。
橋川くんと一緒になって携帯のカメラをかまえた彼女の左手薬指には指環がはまっている。

「そんなに心配しなくても、ちゃんと撮れてますって」

「広報誌にも載せるんだから、いいの撮ってよ」

ふたりの言いあいが微笑ましい。

椎名さんと橋川くんはもうすぐ、結婚する。

酔った勢いの授かり婚だと椎名さんは嫌そうだったが、そう言う彼女の口もとは緩んでいてもともと橋川くんが好きだったんじゃないかと思う。

橋川くん自身も。

ただ、橋川くんが四つ年下というハンデがなかなか超えられなかっただけじゃないかな。

……なんて私の想像だけれど。

「そろそろお時間です」

係の人に呼ばれて、中へと戻る。
征史さんは先へ聖堂の中へと入っていった。
扉の前で父に腕を取られ、そのときを待つ。

「高鷹……征史君がこの間、ひとりで家に来たんだ」

まっすぐ前を見たまま、父がぼそぼそと話す。

「絶対に愛乃を幸せにしてみせる、だから自分に任せてほしいと、汚れるのも厭わずに土下座されたら……折れるしかない」

ふふっ、思いだしたのか小さく父が笑った。
征史さんがそんなことまでしていたなんて知らなかった。
私って征史さんから本当に愛されているんだ――。

「お時間です」

係員の手が、カウントダウンをはじめる。

「お父様。
……ごめんなさい。
でも私は幸せになるから」

父からの返事はない。
係員の合図と同時に扉が開き、バージンロードを進んでいく。
その先には征史さんが待っている。

「……幸せになれ」

征史さんに私を託す際、父が小さく呟いた。
それだけですでに、泣きそうになった。


厳かに式がはじまる。

「……永遠の愛を誓いますか」

「はい」

征史さんは私が最後の女と決めていると言ってくれた。
だから私も誓う、征史さんが最後の男だって。

「では、誓いのキスを」

ベールが上がり、征史さんの顔が近づいてくる。
目を閉じるとそっと唇が重なった。
いままでしてきたどんな口づけよりも幸せなキス。
私を満たす幸福感が溢れ、涙になって落ちていく。

目を開け、征史さんに笑いかける。
征史さんも笑って、私の涙を拭ってくれた。
盛大な拍手の中、征史さんに腕を取られて退場する。
見送る人たちの中には当然、元経営戦略部のみんなもいる。
征史さんが社長になってからはばらばらになってしまったものの、いまでもみんな、仲がいい。

ブーケトスを待つ人たちの中には椎名さんもいて、苦笑いしかできない。

……無理してお腹の子に触らなければいいんだけど。

ちょっぴりそんな心配をして、ブーケを投げる。

「取ったー!」

振り返った先では、掴んだブーケを手に椎名さんが大喜びしていた。
あの椎名さんにもこんな子供っぽい姿もあるんだって、ちょっと驚いた。
でも、次の花嫁になれるって、もう決まっていますよね?
まあ、喜んでいるからいいか……。
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