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エピローグ

2.後悔はしない

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あれから、結婚の許しを得ようと、何度か父に会いに行った。

「帰れ!
お前のような親不孝者の顔など見たくない!」

私目指してコーヒーカップが飛んでくる。
けれど征史さんが手を出して庇ってくれた。

あんなに私を溺愛していたとは思えない、父の態度。
しかしそれだけ父には私の反乱がショックだったのだろう。


「お父様。
お父様には申し訳ないことをしたと思っています。
でも、私は決して、間違ったことをしたとは思っていません。
もうお父様の、春熙の顔色をうかがって生きるのはやめたんです」

「……っ」

父は目もとを赤く染め、黙ってしまった。
悔しかったのか――それともいままでの自分の行動が恥ずかしかったのか。
後者、だったらいい。

「もうお前と話すことなどなにもない。
私には最初から娘も息子もいなかった。
……いなかったんだ」

あたまを抱え込み、とうとう父は黙ってしまった。

――娘も息子もいなかった。

その言葉が胸に刺さる。

父自慢の兄が勝手に大学をやめてアメリカに渡ってしまったとき、父の落ち込みようは凄まじかった。
それだけ、兄に期待を寄せていたのだろう。
そしてその後、その期待は春熙に向くようになったのだけれど。

私に対する溺愛も、ちょうどその頃、誘拐未遂事件があったのもあって酷くなった。

期待を寄せていた息子は勝手に自分の手を離れ、さらには溺愛していた娘も自分を裏切る。

父の絶望はきっと、私なんかが想像できないほど、深い。

「また、来よう」

征史さんに促されて立ち上がる。

荒れ果てた室内。
いつもきれいに花が飾ってあった花瓶は、いまは枯れ果てた花がそのままになっている。


父が辞職し、母は父と離婚した。
金の切れ目が縁の切れ目だったのかもしれない。
父の退職金から十分すぎるほどの慰謝料をぶんどって家を出ていった母が、いまどうしているかなんて知らない。
知りたくもない。

失意の父はいままで家で働いていてくれた人たちをすべて、解雇した。
あんなに尽くしてくれた、永沼さんでさえも。
実際、職を失い、母から多くの金を奪われた父がこれまで通りの生活が続けられるわけがない。
「お父様、また来ます」

返事のない父に小さくはぁっとため息をつく。

何度か家政婦を寄越したものの、断られた。
ちゃんと食事をしているか心配になる。
父は酷く、やつれて見えたから。

後ろ髪を引かれる思いで家を出る。

「愛乃?」

じっと家を見ていた私に、征史さんは怪訝そうだ。

「なんでもないです。
行きましょう」

ここで生活していたときはちゃんとした家だったけれど、父ひとりになってしまうとただの大きな入れ物に見えた。
こんなところにいるから父はさらにふさぎ込んでしまうのだ。
けれど引っ越しを勧めても父は、聞く耳を持たない。
もしかしたらいまだに、過去にしがみついているのかもしれない。

「どうする?
東藤の家に寄るか?」

征史さんが聞きにくそうに聞いてくる。
「はい」

私が片付けなければ問題は、多い。



「春熙坊ちゃんは誰ともお会いにならないそうです」

「そう……」

坂巻さんからの相変わらずの返事。
何度、訪ねてきてもそうだ。

〝会いたくない〟

これが、春熙の答え。
春熙はあれからすぐに会社を辞めて家に閉じ籠もっている。

籠に閉じ込められていたのは春熙も一緒だ。

生まれたときから実の父親の期待を一身に背負って。
私の兄がいなくなってからは私の父の期待をも背負い。

いくつも、やりたかったことを春熙が諦めたのを知っている。

そんな春熙の、唯一の心の拠り所が自分だったのも。


早く春熙にも、私と一緒で籠から出てきて自由になってほしい。
私は征史さんの手助けがあって籠から出られた。

だから、――春熙にも手助けが必要ならば。

私はそれを惜しまない。
きっと、征史さんも。

そう伝えたいのに、私の声はもう、春熙には届かない。

帰りに覗いたガレージの中では、ポルシェが薄汚れて置いてあった。
暇さえあれば磨いて、あんなに自慢だったのに。

車に乗ると重い現実につい、俯いてしまう。

「……」

「愛乃が悪いんじゃないから」

征史さんの手が伸びてきて、私のあたまをがしがし撫でる。

「俺ももっと、なにか考える。
愛乃ばかりが苦しまなくていい」

「……ありがとう、まさくん」

私は愛する人と生きていくと決めた。
周りをどんなに、不幸にしても。
後悔は絶対にしない。

――したくない。


父とも春熙ともまともに話ができないまま、結婚の話は進んでいく。

親類に出した招待状は、一通も戻ってすら来なかった。
父にも日時と場所は伝えたが、返事はない。

それでも、席は準備してもらった。
父には絶対に、来てもらいたかったから。

新生活は楽しいことがたくさんだったが、同じくらい解決できない過去の問題を抱えている。
そのどれもひとつも解決できないまま、――征史さんとの結婚式の日が来た。
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