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最終章 入るor出る?

2.これからの私の生き方

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「ただいまー」

「おかえりな、さい」

夕方になって春熙が帰ってきた。
終業時間からすると帰りが早いんだけど……もしかして、早退でもしてきたのかな。

「いい子に……してなかったみたいだね、愛乃」

ソファーに座った春熙が私を膝の上に抱え上げ、頬を掴んでぎりぎりと潰す。

警報が鳴るのがわかっていながら、何度か窓やドアを開けようと試みた。
前はけたたましく警報が鳴るだけで開いたのに、今日は外からしっかり鍵がかけてあるらしく、びくともしなかった。

「悪い子にはお仕置きが必要だよね。
……そうだ、経営戦略部の連中、全員解雇しようか。
僕に刃向かう奴は必要ないからね」

するりと私の頬を撫で、春熙がくっくっと愉しそうに喉を鳴らす。

「やめて!
いい子にするから、いい子にするから、そんなこと、しないで……!」

懇願する私に、春熙はなおも愉しそうに笑っている。

「口ではなんとでも言えるよね」

私のあごを親指で持ち上げて無理矢理上を向かせ、視線を合わせる。
やっぱり春熙の目は虚ろで、私を見てなんかいなかった。

「いい子にする、から……!」

春熙の顔を掴み、自分から唇を重ねる。
きっと、それだけじゃ許してもらえない。
唇を舐めると、からかうかのようにすぐに開いた。
ぬるりと春熙の中へと侵入し、ぎこちないまでも彼を求める。
最初は私をおちょくって遊んでいた癖にすぐに彼の手が私の後ろあたまに回り、髪を乱した。

「……少しはわかってきたみたいだね」

唇が離れ、春熙が満足げに笑う。
私にはもう、こうやって生きていくしかないのだと絶望した瞬間だった。


夕食もやはり、坂巻さんが運んできて準備してくれた。

「愛乃、食べないの?」

「その、食欲なくて」

準備された上品なミラノ風カツレツも、ビシソワーズもサラダも、なんだか精彩を欠いて見えた。
それに春熙を前にすると、みるみる食欲が落ちていく。

「……下げろ」

「は?」

よく聞き取れなかったのか坂巻さんが尋ね返した瞬間、グラスが飛んでガシャンと割れた。

「下げろって言ってるんだ!
愛乃の食欲が出ないようなものを出すな!
これを作った奴はクビだ!」

「かしこまりました」

「た、食べるから!」

慌ててフォークを握り、サラダを口に運ぶ。

これくらいで怒って、料理人を簡単にクビにする春熙が怖い。
それになんの疑問も持たず、承知する坂巻さんが怖い。

「無理して食べなくていいんだよ?
愛乃が食べたいものを作らせるから」

心配そうに春熙が聞いてくるが、その愛情は酷く重くて潰れそうだ。

「なんかお腹、空いてきたから。
作ってくれるの待ってられないし。
それにこのカツレツ、おいしいよ?」

カツレツを口に入れ、にこにこと笑ってみせる。

春熙ははぁっと短くため息をついて、仕方ないなとでもいうように笑った。

「愛乃がそれでいいならいいけど」

これからの行動はひとつひとつ慎重に考えなきゃダメだ。
たったこれだけのことで、他の人に迷惑をかけてしまう――。


食事の後、私の前に広げられたのは婚姻届だった。

「お義父さんには愛乃の誕生日に併せてって言われたけど、そんなの待ってられないよ。
……また、邪魔が入るかもしれないし」

すでにそれの保証人の欄には、父とおじさまのサインがしてあった。

「愛乃もサインして?」

「……はい」

もう春熙が埋めてある、夫の欄の隣――妻の欄にサインする。
でもその字は、酷く震えていた。

「じゃあこれは明日提出するね。
そうそう、今日さ、高鷹の奴が僕のところに来たんだよ」

私を膝の上にのせ、いつものように熊のぬいぐるみみたいに抱いて春熙は愉しそうに話し続ける。

「警察から解放してもらった礼でも言いに来たのかと思ったら、愛乃を返してくれなんて言うんだよ?
愛乃は最初から、僕だけのものだっていうのに」

春熙の手に力が入り、本当に怒っているのだとうかがわせた。

「でもさ、あの傲慢な男が、カーペットにあのきれいな顔を擦りつけて僕に懇願するの。
見物だったなー」

くっくっと喉を鳴らし、愉快でたまらないとでもいうのか春熙が笑う。

征史さんにそんなことをさせている自分自身が情けなくなる。
私にそんな価値はない。
征史さんにはもう、私を忘れてほしい。

「そうだ、結婚式には彼も招待しよう。
愛乃が僕に永遠の愛を誓うのを彼に見せつけて、――絶望させてやる」

やめて、そう言いたいのに声が出ない。
それほどまでに――笑い続ける春熙が、恐ろしかったから。


夜はまた、春熙に蹂躙された。

「ああ、明日が楽しみだ」

私の上の春熙は今夜、ずいぶん上機嫌だ。

「明日の会議で高鷹を、追い出せるからね」

思わず、上げていた悲鳴が止まる。

「……どういう、こと?」

「父さんたちの背任行為がバレそうになってね。
それを高鷹になすりつけることにした。
高鷹は会社を追われ、父さんたちの罪はなくなる。
これほどいいことはないだろ?」

「約束が、違う……」

だって春熙は私がいい子にしていれば、征史さんを悪いようにはしないって言ったのだ。

「そんな約束、知らないな。
……それより愛乃は僕のことだけ考えていればいいの。
もっとこの身体に教え込まないとね」

「あっ、いやっ!」

春熙の責めが一段と激しくなる。
手放しそうになる意識で必死に、どうすれば征史さんを救えるのか考えた。
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