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蜂蜜入りのホットミルク
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ある日の晩、彼はふと目を覚ます。
枕元の時計は午前の3時を指していた。
何もない日(明日─いや、もう今日であるが─は久方ぶりの完全なオフの日で、昨晩は早々と眠りにつかされたのである)に起き出すには、いささか早すぎる時間だ。
それが冬の夜ともなれば尚更で、『もうひと眠りするか』と温かな布団の中で彼はもう一度目を閉じる。
しかし一度目覚めた頭に、眠りは中々訪れてはくれない。そうこうしているうちに喉の渇きを感じて、彼は結局体を起こすことになる。
─夜に起きちゃった時って、なんで喉乾くんだろ。
そんなことを考えつつ、彼は意を決して布団を出る。冬の夜特有のひんやりした空気に体を震わせながら、彼は部屋を出てキッチンへと向かった。
その道すがら、ふと彼はベランダの方へ目を向けた。別に、何かが見えたわけではない。強いて言うなら、窓から差し込む月明かりに気を取られたくらいだ。
しかし、何気なく目を向けた先で、朝陽は思わず目を瞬かせる。
誰もいないはずのベランダに、人影が見えたからである。─祐樹だった。
寝間着にコート姿の祐樹は、ベランダの手すりに寄りかかってはどこか遠くを眺めていた。ガラス戸一枚で隔てられた室内からは、その表情を目にすることはできない。ここから見えるのは、黒いコートの後ろ姿と、時折ほわ、と漂っては消える白い息だけ。
彼もこの時間に起きていたという偶然もさることながら。この時間─それも冬の深夜である─に寒々としたベランダにいるという事実に、彼は自分の目を疑った。
少しの逡巡の後、朝陽はガラス戸に手をかけた。
当然、鍵はかかっていない戸を開けた途端、冷たい風が室内へと吹き込む。
まるで突き刺すような寒さに、まだ少しぼんやりとしていた朝陽の頭もすっかり覚めたようだ。
「…さっむ」
思わず零れたその声で、祐樹はようやく窓際に立つ友人の姿に気が付いたようだ。振り返った横顔から見える鼻先と耳は真っ赤で、見るからに寒々しい。
しかし、それを心配するよりも先に、朝陽はどこか安堵していた。
─その目元は、赤くなっていなかったから。
意味も分からず、安堵していた。
突如湧き上がってきた安堵とそれに対する困惑。
黙り込んでしまう朝陽に対し、先に口を開いたのは、祐樹の方だった。
「…お前、明日オフだろ」
─こんな時間に何してんだ。
どこか無愛想でつっけんどんな口調で、彼は言う。
普段となんら変わらない、いつも通りの彼だ。だからこそ、朝陽もいつも通りに返すことができた。
「…それはこっちのセリフだよ。お前こそ何してんの」
「…別に何も」
「そんなとこいたら風邪引くよ?」
『中入れば?』と室内を指し示すが、返って来たのは「…おー」という空返事だけ。
彼は知っている。こういう時、この男に何を言っても無駄である、ということを。
(…困ったなぁ)
祐樹という男は、こう見えても案外頑固なのである。
こういう時は気が済むまでやらせておくのが一番だが、今回はそうもいかない。こんな寒さの中放っておいて、風邪を引かれても困る。
少し考えた末、彼は一旦ベランダを離れることにした。
向かった先はキッチンだ。
キッチンの上の戸棚を開け、マグカップを2つ取り出す。色違いのそれは、この同居生活を始めた直後に二人で購入したものである。
それらを水で軽くゆすいでから調理台に置き、冷蔵庫から取り出した牛乳を、そこに注ぐ。パックを冷蔵庫に仕舞ってから、今度は下の棚を開けた。
(蜂蜜どこだっけ)
暗がりの中、棚を覗き込めば、隅の方に大きめの瓶があるのが見えた。棚から取り出し、蓋を開けたそれを、マグカップに注ぎ入れようとした所で、彼は突然固まる。
(…量とか分かんないや)
こういう時、料理慣れしている人間─例えば今ベランダで黄昏れている幼馴染のような─なら、なんとなくで分かるのだろうが…普段料理をしない彼には至難の業なのである。
(とりあえずこんなもんか?)
スプーン一杯分くらいをとり、カップの上でそれを傾ける。月の光に照らされ、黄金色に輝く蜂蜜はとろりと流れ落ち、カップの中に消えていった。
同じことを、もう一つのカップでも。もう一方、つまり自分の分は少しだけ多めに。朝陽は甘党である。
瓶の蓋を閉め、中身をそれぞれかき混ぜた後に電子レンジに入れ、とりあえず一分くらいでセット。
オレンジのランプが灯っている間、彼は自室へ向かい、適当な上着を手に取った。なにせ、今は真冬である。寝間着姿のままベランダにいたら、流石に凍え死んでしまいそうだ。
自室から戻ってくると、レンジの加熱は終わっていた。
熱くなったカップを取り出し、先程使ったスプーンでもう一度軽くかき混ぜてから、自分の方を一口。
カップが熱い割にはそこまで温まっていないことに少し眉を潜めつつも、ひとまずは納得する。スプーンをもう一本取り出し、カップに差し入れた。
ベランダを振り返れば、いつもよりどこか小さく見える後ろ姿と、ほわほわ漂っては消える白い息はまだそこにあった。
レンジの音には流石に気づいている筈だが、それでも戻って来ようとはしないところを見る限りはまだそこを離れるつもりはないらしい。予想通りだが、朝陽は少し嘆息する。
「上着取ってきて正解だった」とそれを羽織り、朝陽は二つのカップを手に祐樹の元へと向かう。
両手が塞がっているので、扉はお行儀悪くも足で開けた。
上着を羽織っていても寒い夜だ。朝陽はぶるっと身震いし、そそくさと祐樹のすぐ隣に身を寄せた。
早くも熱を失い始めたカップの一方を「ん」と差し出すと、怪訝そうな顔をした祐樹は驚いたように目を軽く見開いた。
「…何だよ」
「いや…お前も成長したなあ、と」
『昔はレンジも碌に使えなかったってのに』。懐かしむように笑い、祐樹は朝陽の手からカップを受け取った。
カップを渡す時、ちょんとだけ触れた祐樹の指先はまるで氷のようだった。あまりにも冷え切ったその手に、朝陽は内心動揺する。
「…失礼な。レンジくらい昔から使えてたわい」
「一応言っとくが、威張れることじゃないからな?」
─一体どれだけの時間、祐樹はここにいたというのだろう?
表向きは平然を装ったまま、朝陽はカップに口をつける。
並んで佇む二人の間には、ちらちらと雪が降り落ちていた。
枕元の時計は午前の3時を指していた。
何もない日(明日─いや、もう今日であるが─は久方ぶりの完全なオフの日で、昨晩は早々と眠りにつかされたのである)に起き出すには、いささか早すぎる時間だ。
それが冬の夜ともなれば尚更で、『もうひと眠りするか』と温かな布団の中で彼はもう一度目を閉じる。
しかし一度目覚めた頭に、眠りは中々訪れてはくれない。そうこうしているうちに喉の渇きを感じて、彼は結局体を起こすことになる。
─夜に起きちゃった時って、なんで喉乾くんだろ。
そんなことを考えつつ、彼は意を決して布団を出る。冬の夜特有のひんやりした空気に体を震わせながら、彼は部屋を出てキッチンへと向かった。
その道すがら、ふと彼はベランダの方へ目を向けた。別に、何かが見えたわけではない。強いて言うなら、窓から差し込む月明かりに気を取られたくらいだ。
しかし、何気なく目を向けた先で、朝陽は思わず目を瞬かせる。
誰もいないはずのベランダに、人影が見えたからである。─祐樹だった。
寝間着にコート姿の祐樹は、ベランダの手すりに寄りかかってはどこか遠くを眺めていた。ガラス戸一枚で隔てられた室内からは、その表情を目にすることはできない。ここから見えるのは、黒いコートの後ろ姿と、時折ほわ、と漂っては消える白い息だけ。
彼もこの時間に起きていたという偶然もさることながら。この時間─それも冬の深夜である─に寒々としたベランダにいるという事実に、彼は自分の目を疑った。
少しの逡巡の後、朝陽はガラス戸に手をかけた。
当然、鍵はかかっていない戸を開けた途端、冷たい風が室内へと吹き込む。
まるで突き刺すような寒さに、まだ少しぼんやりとしていた朝陽の頭もすっかり覚めたようだ。
「…さっむ」
思わず零れたその声で、祐樹はようやく窓際に立つ友人の姿に気が付いたようだ。振り返った横顔から見える鼻先と耳は真っ赤で、見るからに寒々しい。
しかし、それを心配するよりも先に、朝陽はどこか安堵していた。
─その目元は、赤くなっていなかったから。
意味も分からず、安堵していた。
突如湧き上がってきた安堵とそれに対する困惑。
黙り込んでしまう朝陽に対し、先に口を開いたのは、祐樹の方だった。
「…お前、明日オフだろ」
─こんな時間に何してんだ。
どこか無愛想でつっけんどんな口調で、彼は言う。
普段となんら変わらない、いつも通りの彼だ。だからこそ、朝陽もいつも通りに返すことができた。
「…それはこっちのセリフだよ。お前こそ何してんの」
「…別に何も」
「そんなとこいたら風邪引くよ?」
『中入れば?』と室内を指し示すが、返って来たのは「…おー」という空返事だけ。
彼は知っている。こういう時、この男に何を言っても無駄である、ということを。
(…困ったなぁ)
祐樹という男は、こう見えても案外頑固なのである。
こういう時は気が済むまでやらせておくのが一番だが、今回はそうもいかない。こんな寒さの中放っておいて、風邪を引かれても困る。
少し考えた末、彼は一旦ベランダを離れることにした。
向かった先はキッチンだ。
キッチンの上の戸棚を開け、マグカップを2つ取り出す。色違いのそれは、この同居生活を始めた直後に二人で購入したものである。
それらを水で軽くゆすいでから調理台に置き、冷蔵庫から取り出した牛乳を、そこに注ぐ。パックを冷蔵庫に仕舞ってから、今度は下の棚を開けた。
(蜂蜜どこだっけ)
暗がりの中、棚を覗き込めば、隅の方に大きめの瓶があるのが見えた。棚から取り出し、蓋を開けたそれを、マグカップに注ぎ入れようとした所で、彼は突然固まる。
(…量とか分かんないや)
こういう時、料理慣れしている人間─例えば今ベランダで黄昏れている幼馴染のような─なら、なんとなくで分かるのだろうが…普段料理をしない彼には至難の業なのである。
(とりあえずこんなもんか?)
スプーン一杯分くらいをとり、カップの上でそれを傾ける。月の光に照らされ、黄金色に輝く蜂蜜はとろりと流れ落ち、カップの中に消えていった。
同じことを、もう一つのカップでも。もう一方、つまり自分の分は少しだけ多めに。朝陽は甘党である。
瓶の蓋を閉め、中身をそれぞれかき混ぜた後に電子レンジに入れ、とりあえず一分くらいでセット。
オレンジのランプが灯っている間、彼は自室へ向かい、適当な上着を手に取った。なにせ、今は真冬である。寝間着姿のままベランダにいたら、流石に凍え死んでしまいそうだ。
自室から戻ってくると、レンジの加熱は終わっていた。
熱くなったカップを取り出し、先程使ったスプーンでもう一度軽くかき混ぜてから、自分の方を一口。
カップが熱い割にはそこまで温まっていないことに少し眉を潜めつつも、ひとまずは納得する。スプーンをもう一本取り出し、カップに差し入れた。
ベランダを振り返れば、いつもよりどこか小さく見える後ろ姿と、ほわほわ漂っては消える白い息はまだそこにあった。
レンジの音には流石に気づいている筈だが、それでも戻って来ようとはしないところを見る限りはまだそこを離れるつもりはないらしい。予想通りだが、朝陽は少し嘆息する。
「上着取ってきて正解だった」とそれを羽織り、朝陽は二つのカップを手に祐樹の元へと向かう。
両手が塞がっているので、扉はお行儀悪くも足で開けた。
上着を羽織っていても寒い夜だ。朝陽はぶるっと身震いし、そそくさと祐樹のすぐ隣に身を寄せた。
早くも熱を失い始めたカップの一方を「ん」と差し出すと、怪訝そうな顔をした祐樹は驚いたように目を軽く見開いた。
「…何だよ」
「いや…お前も成長したなあ、と」
『昔はレンジも碌に使えなかったってのに』。懐かしむように笑い、祐樹は朝陽の手からカップを受け取った。
カップを渡す時、ちょんとだけ触れた祐樹の指先はまるで氷のようだった。あまりにも冷え切ったその手に、朝陽は内心動揺する。
「…失礼な。レンジくらい昔から使えてたわい」
「一応言っとくが、威張れることじゃないからな?」
─一体どれだけの時間、祐樹はここにいたというのだろう?
表向きは平然を装ったまま、朝陽はカップに口をつける。
並んで佇む二人の間には、ちらちらと雪が降り落ちていた。
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