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狼谷縁起

陽炎の詩

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 そうは、父母を識らない。
 一応、物心ついた時からずっと、優しい養父母に育てられてきてはいるし、多く居る義理の兄弟姉妹との仲も悪くはない。もうすぐ十三になるが、現在の境遇に、特に不満はない。だが、それでも、焦燥感に似たイライラが時々、心の奥底から湧き上がってくる。『本当の父母』を知らないことから来るのではないかと思われる、その心の痛みを、蒼は止めることができなかった。
「……だからって、それを、此処に来る理由にされてもねぇ」
 鋭く落ちる夏の雨を、まだ青い畳の敷かれた二階の部屋から眺めている蒼の背に、呆れたような女の声が降って来る。振り向くと、部屋の柱に紐を引っ掛けて作る簡単な織機の前に屈みこんでいる、長い黒髪を無造作に一つに括った女の人の姿が目に入った。唇を引き結んだ、染みも皺も全く見当たらないその横顔は、何となく自分に似ている気がする。その類似に心が落ち着くので、蒼は「仕事を手伝う」という名目を作ってはしばしばこの女性、らんの元へ遊びに来ていた。現在蒼が佇んでいるここ『茜沢』は、『狼谷』の西の端という不便な所にあり、住んでいるのは蘭だけだから、『田畑用の男手』という名目がきちんと通る。
「ま、あんたと私が似ているのは当然なのよね」
 色とりどりの糸が巻かれた幾つもの杼を、無造作にも見える動きで左右へ動かしながら、溜息交じりに蘭が呟く。
「私の異母弟の子孫が、あなたのお父さんになるのだから」
 その昔、時の権力者に迫害され、大陸中を彷徨った七人兄弟が見つけた安住の地。それが、蒼や蘭が現在住んでいる『狼谷』。そして、その一族は、必ず一つの『能力』を持って生まれてくるという『特徴』を持っていた。
 その一族の中でも、蘭の能力はかなり特殊である。『不老不死』らしいと、蒼は耳にしている。そして、一族がこの谷に住み始めた頃に生まれ、今まで生きてきた彼女だから、蒼の本当の両親についてもきちんと知っていた。
 その蘭に教えてもらったところによると。蒼の父、紺は、『猿飛』の術の達者であり、身体も頑健な生まれながらの武人であった。その、自分の『能力』に従い、軍人として谷の外で生活していたらしいが、蒼が生まれた頃のとある戦闘で行方不明になったそうである。蒼の母は、谷の一族のものではなく、両親の反対を押し切って紺と一緒になったのだが、紺が行方不明になった後、両親の説得に負け、蒼を捨てて他家へ嫁いだという。身寄りの無くなってしまった蒼を拾ってくれたのが、蘭と、現在の養父母。そのことに関しては、蒼は心の底から感謝していた。
 だが、それでも。心の中のわだかまりは、消えない。
「そんなに気になるの? 育ててくれたわけじゃないのに」
 父母の話をする時の蘭は必ず、この言葉で話を締めくくる。会う度に父母の話をせがむ蒼に、半ば呆れているのかもしれない。だが。……渇望しているのだ、心が。
 養父母のことは好きだし、尊敬もしている。でも、それでも、「自分は何者なのか」という、心の奥底にある想いは、止めることができない。だからどうしても、蒼には『やりたいこと』が一つ、あった。
「探しに、行きたいのね。……成人祭の『儀式』が済んだら」
 質問ではない。蘭の発する断定の口調が、蒼の耳に刺すように響く。心の内を見透かされたようなその言葉を、蒼は雨の降り続く外を見ることでやり過ごした。
 昼過ぎから降り始めた、夏の雨は、止む気配すら見えない。雨に煙る谷を確かめてから、再び蘭の方を見やり、蒼は話題を変えた。
「それは、俺の?」
 織機に掛かっている、蒼の掌ほどの幅の厚地の布を指差して、そう尋ねる。
「違うわよ」
 蒼のその質問に、蘭は笑って首を横に振った。
「この前、谷の外に嫁いで行った娘さんに赤ちゃんができたんですって」
 狼谷に棲む一族の人生には、三つの『節目』が存在する。一つ目は、生まれた時。二つ目は、十三になる誕生日の夜に行われる『成人祭』。三つ目は『結婚式』。そして、そのそれぞれの日に、手織りの帯を贈ることが、谷の風習。誕生祝の帯は、子供の母方、あるいは母が一族の者でない場合には谷の村長から贈られる。成人祭の時には父方が、そして結婚式の時には、花嫁と花婿がそれぞれ自分で帯を作り、交換する。贈られた帯は、谷の祭日には必ず身につけ、その人が亡くなった時には、遺体と共に埋めてもらう。『狼谷』に住む一族にとって、『帯』は、とても重要なもの。
「じゃあ、俺の帯は?」
 重ねて、質問してみる。慣習から推測すると、蒼の『成人祭』の帯は、父方の親戚の一人である蘭が作ることになる。そして、蒼の『成人祭』は、あと三日後に迫っていた。
「心配しなくても大丈夫よ」
 蒼の問いに、蘭は再び笑って答えた。
「もうすぐだもんね、蒼の番」
 蘭の言葉に、蒼の背中が凍りつく。しかし、その戦慄は、どこか快い感覚でも、あった。
 十三になった夜に、この谷を作ったとされる『大巫女』が祭られている祠に向かい、そこで一晩を過ごす。蒼が他の大人たちから説明を受けた『成人祭』の内容は、たったこれだけ。その『儀式』を経なければ、谷の子供はいつまで経っても『子供』のまま、決して『大人』とはみなされない。しかし、『成人祭』の儀式が終われば。
 『成人祭』の試練をきちんとくぐり抜けさえすれば、谷で『大人』と認められる。そして、『大人』であると認められさえすれば、この谷を出て何処へでも行くことができる。
 誰の許可を得なくとも、『本当の両親』を捜しに行ける。あと、三日。心の中で、何度も繰り返し、『成人祭』までの日を数える。もう、少し、だ……!
「……よし、できた」
 しかし、心の高揚感は、蘭の言葉と鋏の音で断ち切られる。
 少しばかりむっとしつつ振り向くと、蘭は先ほどまで織っていた帯を無造作に丸めていた。
「これ、巫女の所に持って行って」
 それでもきちんと畳まれている帯を、綺麗な紙で包んでから、蘭はその包みを蒼の膝の上にぽんと放り投げた。
「雨止んだし、夕方だし、もう家に帰らないと」
 蘭の言うとおり、障子窓の向こうの空は、すっかり赤みを帯びている。
 半ばしぶしぶ、蒼は蘭に向かって軽く頷くと、織機を片付ける蘭に背を向けた。

 夕暮れの赤に染まった谷を、軽やかに歩く。
 雨の後だからだろうか。谷を染めた夕焼けは、いつも以上に赤みが強かった。
 『狼谷』に降りかかる災いを、自然の中の兆しから読み取る『巫女』の家は、谷の真ん中にある。その小さな館に辿り着いた蒼は、いつものように気軽に木製の戸を叩いた。
 その『能力』の重要性から、狼谷の巫女の地位は村長に次いで高い。だが、現在巫女職に就いているのは蒼の義姉。年の近いこの姉とは仲が良かったし、何よりも姉自身が気さくな性格なので、この家は、蘭が谷に居ない時に使う、蒼の『もう一つの避難場所』となっていた。
 だが。
 戸を何度叩いても、反応が無い。どこかに行っているのだろうか? そう思い、蒼が踵を返した、まさにその時。
「……蒼!」
 いきなりの声と共に、蒼の背中に温かい腕が当たる。
 目の前の、かなり近い所に、姉の見開いた目が、有った。
「姉、さん?」
 いきなり抱き締められて、正直戸惑う。
 だが、蒼が次の言葉を発する前に、姉は蒼の身体から手を離した。
「ごめん、蒼」
「うん」
 どうしたの? そう、蒼が聞く前に、姉は蒼に向かって少しだけ微笑みかけた。
「うん、……夕焼けの所為だと思うんだけど」
「何が、見えたの?」
 急に、体温がすっと下がる。小さい頃から、姉の『能力』は他の兄弟の群を抜いていた。その姉のことだ、きっと何か良くないことが見えたに違いない。……蒼自身に関する、ことが。
「うん。……あ、あのね」
 蒼から目を逸らし、俯いて口ごもる姉。
 だが、その後すぐに出てきた、姉の言葉に、蒼の全身は総毛立った。
「血に、塗れてたの」

「……巫女の言うことだから、用心したほうが良いわね」
 その夜、養父からの要請を受けて蒼の家に顔を出した蘭は、蒼の目の前ではっきりとそう言った。
「でも。……『成人祭』は?」
 思わず、尋ねる。
 『成人祭』ができなければ、『大人』であると認められないし、谷を出て本当の両親を捜しに行くこともできない。自分が傷ついて血塗れになるか、または自分が誰かを殺す羽目になるのかといった心配よりも、蒼の心配は『成人祭』ただ一点に絞られて、いた。
「それは、ちゃんとしなきゃね」
 だから、次に蘭が発したこの言葉に、心から安心する。
 しかしながら。
「ま、とにかく、しばらく外出は控えること。私の家にも来ちゃだめよ」
「えー!」
 諭すような、蘭の物言いに、思わず反発する。『逃げ場』が無くなるのは、正直辛い。
「仕方無いでしょ。『成人祭』前に怪我なんかしたら、……行けなくなるわよ」
 だが。実感のこもった蘭の言葉に、蒼の反抗の言葉はその行き場を失った。
 『成人祭』の儀式が行えなくなるのも、その後で父母を探しに行くことができなくなるのも、嫌だ。
 蘭自身も、『成人祭』の前に生死の境を彷徨うような大怪我をしたらしい。その怪我で、蘭の『能力』である『不老不死』が分かったのだが、その当時は、蘭の『儀式』が滞りなく行えるのかどうかについてかなり危惧されたそうだ。
 自分以外の人には、あんな辛いことはさせたくない。そう、きっぱりと言い放つと、蘭は蒼にもう一度注意をしてから夜の闇の中へと消えていった。

 その、三日後。
 蒼の家は、その朝から、熱い騒ぎの只中に、あった。
 村長や養父母縁の人々が、入れ代わり立ち代わり挨拶に来る。もしかして『狼谷』中の人が来ているではないか? 思わずそう、呟きそうになるほどの人の多さに、蒼は正直面食らった。
 しかしながら。挨拶に来た人々の発する祝いの言葉はどれも、含蓄と喜びに満ちている。養父母の横に並んで大人しく、養父母と村人達の会話に耳を傾けながら、蒼はしばし巫女の予言のことも、夜に行われる『儀式』のことも、忘れた。
 だが。
「……うん、ぴったりだわ」
 夕方、養母にこの祭の為の晴れ着を着せ掛けられて、はっと我に返る。
 ……もうすぐ、だ。夏の夜なのに寒い気がするのは、蒼の気のせい、だろうか?
「それにしても、大きくなったわねぇ」
 蒼が生まれた時に贈られた、茜色に金糸が刺してある帯を蒼の腰に巻きながら、養母がそう、呟く。着せられた袖無しの着物の裾に入った、様々な色の刺繍が重く感じられ、蒼の頬は少しだけ、引きつった。
 この刺繍は、養母が毎晩、心を込めて刺したもの。その養母を置いて、『本当の父母』を捜しに行くことは、間違っているのではないだろうか。このときになって初めて、蒼の心に後悔の念が生じた。
 だが、胸の渇望も、確かに感じる。蒼は軽く首を横に振ることで、無駄な思念を追い払おうとした。
 と、その時。
「遅くなりました」
 涼やかな声に、顔を上げる。
 長い包みを持った蘭が、縁側から蒼のいる部屋へと入って来るのが見えた。
 夏の夜なのに、蘭は白小袖と緋袴の上に、緋色の袖無しの上着と帯を二本、身に付けている。それが、蘭の正装。
「蒼の帯を持って来ました」
 汗一つ浮かんでいない顔で、蘭は蒼に向かってにっこりと笑いかけてから、床に置いた包みを殊更ゆっくりと開く。その包みから出てきたのは、紺色の帯。所々に配した銀糸が、行灯の光できらりと光った。
「この子が毎日のように邪魔しに来るから、中々仕上がらなくって」
 そう言ってから、苦笑して蒼の方を見る蘭。そうか。ふと、蒼の心の中で納得がいく。それでここ最近、蘭は家に来た蒼のことを邪険に扱っていたのか。
 蘭から帯を受け取った養母が、赤い帯の上に紺色の帯を巻いてくれる。
 急に心が軽くなり、蒼は蘭に向かってにっと笑いかけた。

 その後すぐ来た、迎えの籠に載せられて、蒼は祠へと山道の入り口へと向かった。
 竹で編まれた籠の中はかなり狭く、しかも蒼の身体全体をすっぽりと包んでいる為、少し動いても身体のどこかが籠にぶつかってしまう。
 何なんだ、この籠は? 籠を担いでいる人達に聞こえないよう、小声で呟いてから、微かに見える外を見つめる。だが、幾ら目を凝らしても、暗闇の他は何も見えなかった。
 その、暗闇に、俄かに不安が過ぎる。谷の大人たちも、『儀式』を先に終えた友人達も、祠に篭ってから後のことは話してはくれなかった。
 蒼の気持ちには全く頓着せず、籠は祠への入り口へ着く。
 不安な心を抱えたまま、蒼は静かに籠から下りた。
「……本当に、行って帰ってくるだけでいいんだよな」
 丁度すぐ横に立って、手を引いてくれている蘭に、小声でそう訊ねる。
「ええ」
 帰ってきた答えは、ひどくそっけないものだった。
「不安なの? ……行けば、分かるわ」
 いつもの蘭とは少し違う、静かな声。
 心に張り付いままの姉の予言と共に、蒼の不安はますます増大していく。しかし、それでも、……行かなければならない。
 背中の震えを抑えようと努めながら、蒼は蘭の手を離し、祠へと続く山道へとその歩を進めた。

 暗い山道を、確かめるようにゆっくりと進む。
 山の中は、昼間友達と遊んでいる時とは全く違う静寂の中に沈んでいた。
 晴れた夜空を、満月の光が優しく彩る。その月明かりに励まされるように、蒼は一歩、又一歩と足を進めた。
 やっとのことで、大巫女が祭られている祠へと辿り着く。やはり昼間とは違う、不気味な感じのする祠の、飾りにしか思えない古い木の扉へと、蒼は震える手を差し伸べた。
 と、その時。
 背後からの猛烈な気配に気付き、はっと身をかわす。次に蒼が感じたのは、強烈な痛み。
 痛む左肩に、震えっぱなしの右手を当てる。ぬるっとした感覚に、手の震えは一瞬にして全身へと広がった。蒼の目の前にあるのは、一点の光。それが刀の切っ先だと気付くまで、しばらくかかった。
 恐怖で、体が動かない。蒼は祠の前にへたりこんだ。
「若い身空で悪いが……」
 目の前にいる男のざらついた声が、やけに遠くで響く。がっしりとした男の影が、月明かりにはっきりと見えた。
 逃げないと。心はそう急かすのだが、身体が言うことを聞かない。傷口を押さえたまま、蒼はがたがたと震えることしかできなかった。
 切っ先が、蒼のギリギリ目の前まで来る。もう駄目だ。そう思った蒼が目を瞑った、次の瞬間。
「蒼!」
 不意に、風が動く。
 目を開けると、蒼と切っ先との間に小柄な影が立ち塞がっているのが、確かに見えた。
「蘭?」
 大男の剛刀を小刀で止める蘭の姿が、月明かりではっきりと見える。いつ着替えたのか、蘭の服装は先ほどまでの正装ではなく、小袖に四幅袴という普段着になっていた。
「堕ちたわね、紺」
 力をかけたともみえない内に、蘭の小刀が大男の刀を叩き落す。
 そして蘭は、蒼の腰を指差して大声で叫んだ。
「赤い方の帯に、見覚えない? 妻に贈るからって、あんたが私に作らせた帯よ」
 その、蘭の声に誘われるように、蒼もそろそろと自分の腰を見る。
 蘭がくれた紺色の帯は解けて地面に落ちており、その下の赤い帯と、その中に縫い込まれた金糸が、月の光に微かに光って、いた。
〈……この、人、が?〉
 蘭の言葉が確か――このような状況下で蘭が嘘をつくとは到底思えないが――ならば、今蒼の目の前にいる大男が、自分の父親、ということになる。蒼はゆっくりと顔を上げ、右腕を押さえて蘭を睨んでいる大男をまじまじと、見つめた。
「ここにいるのは、あんたの息子なのよ」
 蒼の中に生じた疑問を、蘭の言葉が肯定する。襲われた時の恐怖と、自分の父親らしき人が突然目の前に現れた戸惑いとで、蒼の心は混乱の極みに達していた。
「それを、手に掛けようなんて、どこまで堕ちれば気が済むの!」
 そう、蘭が言った、丁度その時。
 全く突然、別の邪悪な気配が、蒼の周りに広がった。
「そういうこと」
 くるりと首を巡らせて、蘭が舌打ちする。
 いつの間にか、二人は、大男と同じ黒服に身を包んだ四、五人の一団に取り囲まれていた。
「目的は、『人心の撹乱』でいいわけね」
 子供を殺すことで、谷を浮き足立たせる。酷い策だと、蘭は吐き捨てるように言った。
 そして、次の瞬間。
「蒼、谷に知らせて!」
 袖から金属片を放った蘭が、大声で叫ぶ。
 その声に弾かれるように、蒼はぱっと立ち上がると、手裏剣で怯んだ敵の隙間にその身を躍らせた。だが。肩の怪我の所為か、いつもの俊敏さが出てこない。いつもは避けることのできる小さな木の根に躓き、不様にも蒼は鼻を地面にぶつけてしまった。
 邪悪な気配に、大慌てで顔を上げ、背中を横に反らす。だが、それでも、きらりと光る切っ先を避けきることができない。
 思わず、目を瞑る。
 だが、目を閉じる瞬間に入ってきた影に、蒼は思わずその目を大きく見開いた。
 次の瞬間。影の重みが、蒼にのしかかる。血の匂いと、黒装束に広がる染みに、蒼の全身はがくがくと震えた。
「蒼!」
 不意に、視界が開ける。
 小さな広場に、黒い塊が五つ倒れているのが、月明かりではっきりと見えた。
 蘭だけが、ただ静かに立っている。
「……蒼」
 こちらを見て、蘭が眉を曇らせる。蒼はゆっくりと、のしかかっている影を見つめた。蒼を庇った、この黒装束の人物は、間違いなく、一番最初に蒼を襲った人物。
「父、さん」
 掠れた声で、そう、呼んでみる。だが、蒼が抱きかかえている影は、何の反応も見せなかった。
「このままにはしておけないわね」
 いつの間にか近づいて来た蘭の、あくまで冷静な声が、ずっと遠くに聞こえる。
 呆然とする蒼の目の前で、蘭は、その小柄な身体からは想像もつかないほどの力で蒼の父親を持ち上げると、祠の向こうへと歩き出した。
 その後をとぼとぼと、付いて行く。
「ここら辺で良いでしょう」
 しばらく歩いてから、蘭は静かに立ち止まり、蒼の父親を地面に横たえてから、近くの枝を使ってその傍に穴を掘り始めた。
 蘭の作業から目を反らし、父親の亡骸の傍らに膝をつく。静かに触れた父親の手は、大きく、そして冷たかった。
 夏の短い夜が終わりかけるまでに、蘭は、亡骸が入るくらいの大きさの浅い穴を掘り終える。亡骸の傍に呆然と座っている蒼の右肩を軽く叩いてから、蒼の父親を、穴の中に葬った。
「……蘭」
 亡骸に、ただ静かに土を掛けていく蘭。その蘭の背中に、蒼は躊躇いながら問いかけた。
「その人は、本当に、俺の……」
「ええ」
 返って来たのは、そっけない言葉。それでも、蒼の疑問をはっきりさせるには、十分だった。
 だから。
「蘭。……父は」
 その背中に、更に問う。
「俺の父は、『裏切り者』なのか?」
「だったら、蒼を助けるわけないじゃない」
 はっきりとした声と共に返ってきた答えは、蒼をほっとさせるのに十分なもの、だった。

 先に、帰るから。そう言い放つなり、蘭は蒼を一人置いて、山を降りて行った。

 その蘭の気配が消えてから、新しくできた、冷たく光る土の山の横に、そっと腰を下ろす。
 再び現れた夏の太陽が、蒼の身体を優しく包み込んだ。
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