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霊的人狼に対する三組の夫婦の物語
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1
真夜中。
何かに見つめられているような感覚をおぼえ、優理はふと目を醒ました。
身体をベッドに横たえたまま、ゆっくりと頭だけを動かす。古い館の真ん中にある主寝室には、いつも通りの暗闇が広がっていた。
……いや、違う。違和感を抱えたままの視線がある一点で留まる。そこにいたのは。
〈……狼!〉
思わず、息を呑む。
目の前にいたのは、間違いなく、狼。優理の背丈より大きいように見えるそれは、明かりもないのにぼうっと光っており、その冷たい瞳で優理のほうをきっと睨んで、いた。しかも、既に前足をベッドにかけてしまっているではないか。その、妖しくも計り知れない激怒に満ちた姿に、優理は一瞬身を固くしたが、すぐに我に帰り隣に寝ている夫クラメルの身体に手を伸ばした。
「クラメル!」
上ずった声が、静寂に響く。
優理の声だけで異常を察したクラメルは、起き上がるなり左腕で妻を庇い、枕の下に常備している短剣を右手で構えた。
そしてそのまま、そろそろと狼の方を向く。クラメルが感じたのは、狼が自分に対して向けている、切羽詰った強い感情の嵐。しかし、そんな感情を向けられる理由が、クラメルには思い当たらない。もちろん、妻の優理にも、だ。
だが、この『狼』のことは、どこかで聞いたことがある。それに思い当たるや否や、クラメルはやおら短剣を持ったままの右手で枕を掴み、狼に向かって思いっきり投げつけた。
弧を描いて落ちる枕が、狼の広い背中にすとんと当たる。次の瞬間、夫のいきなりの行動に唖然とする優理の前で、狼は跡形も無く消えうせて、しまった。
「……一体、何?」
口をぽかんと開いたままの優理がクラメルにそう質問するまで、かなりの間が、あった。
「聞いた事ないかい、『霊的人狼』の話」
「ああ、なるほど」
しかし、クラメルの説明に、優理は軽く納得する。
「でも何故、そんなものが私たちのところに……?」
「それは、分からんな」
一応、小さいながらも土地の『領主』をしていれば、誰かから理由も無く恨まれることも勿論あるだろう。クラメルはそう、考える。だが、自分の考えはそっと胸の中にしまいこみ、クラメルは優理を安心させるように、その冷えた身体を優しく抱いた。
2
同じ頃。
優理とクラメルの住む館から少し離れた森の中に立っている小さなテントの中で、珮理ははたと目を醒ました。
……何かが、いる。確かに、そう、感じる。それが何かを確かめるために、珮理はゆっくりと上半身を起こした。
と。
「ひっ……!」
咽喉の途中で悲鳴が止まる。珮理の瞳に映ったのは、確かに、銀色に光る大狼。
〈な、何で、こんな所に、狼……?〉
テントの外には、父風理が施した結界が張ってある筈なのに。害ある者は全く通ることができないその結界を、通ることのできる生き物がいるなんて。父の魔法力を信じきっている珮理にはそのことが一番信じられなかった。
幸い、結界自体は寝床の周りにも張られており、これが破られない限り大丈夫、だと思うのだが。しかし、もし結界が破られて狼が襲い掛かって来たら、自分も父母も妹の禎羅もただでは済むまい。
「父さん! 母さん!」
だから大急ぎで二人を起こす。
先に起きたのは、父風理のほうだった。
目覚めてすぐ狼の姿を認めたのだろう、風理は珮理を抱き寄せると、その頭を優しく撫でて言った。
「大丈夫だよ、珮理」
「あの狼は、私たちに何もできない」
父の言葉の後から、母朧嵐の優しい声が響く。確かに、狼の方も、最終の結界には入れないらしく、しきりに前足を珮理のほうに伸ばしては顔をしかめている。
「だから、珮理も心配しないで、寝なさい」
風理が珮理を、自分と禎羅の間にそっと寝かせてくれる。それでも、こちらをじっと見つめている狼の視線が怖くて、珮理は風理の胸にしっかりとその顔を埋めた。
次に珮理が目を開けたときには、既にテントの布が明るくなっていた。寝床には妹の禎羅の姿しかない。珮理ははっとして飛び起きると、枕の片付けも忘れてテントの外へ飛び出した。
「……おはよう、珮理」
「枕は片付けたの、珮理?」
外にいたのは、いつもどおりの父と母。その、いつもどおりの二人の姿に、珮理は心底ほっとした。
「あ、うん、枕は今から片付ける」
きっと、あの狼は『夢』だったんだ。珮理は自分にそう言い聞かせると、日課である枕の片付けの為に再びテントに戻った。
3
そして、時代は下り。
いつものように、魔界にある自分の城のベッドで眠っていた魔王数は、不審な気配にむっとして目を醒ました。
すぐ横に、ぼうっと月色に光る『狼』が立っているのが見える。
「ほう」
魔界の大王なのだから、その『狼』の正体はすぐに分かる。
『人魔』の一種である『霊的人狼』が、人間は近づくことすらできないこの魔界に現れるとは。これは、よほどの術者の『もの』に違いない。あるいは、魔界に暮らすモノが作り出した『狼』か。いずれにしろ、数に何かしらの憤りを持つ者が放ったものであることは間違いない。
「失せろ」
その狼を、毅然とした瞳できっと睨みつける。
「そんなに俺に害をなしたい、か?」
その一睨みで、狼の姿は煙のように消えた。
「……ふん、たわいも無い」
数は軽く鼻を鳴らすと、ベッドの傍らを優しく見つめた。そこには、今までの騒ぎにも拘らず、すやすやと寝息をたてている数の妻、珮理の姿がある。
「全く、鈍感なんだか肝が据わっているんだか」
数は軽く溜息をついてから、蹴飛ばされている珮理の布団を優しく掛け直してやった。
一般に、『霊的人狼』とは、生物、特に人間や魔物の『怒り』や『妬み』といった強い負の感情が『狼』の姿で肉体の外に現れた『霊体』である。
この種の人狼は、物質化したところでせいぜい豆腐ほどの硬度や密度しかなく、更に、相手に精神的なダメージを与えることを主な目的として現れる為、実は、軽い物理的ダメージを与えたり、気の強い人なら睨み返したりするだけで簡単に退治することができる、のである。
真夜中。
何かに見つめられているような感覚をおぼえ、優理はふと目を醒ました。
身体をベッドに横たえたまま、ゆっくりと頭だけを動かす。古い館の真ん中にある主寝室には、いつも通りの暗闇が広がっていた。
……いや、違う。違和感を抱えたままの視線がある一点で留まる。そこにいたのは。
〈……狼!〉
思わず、息を呑む。
目の前にいたのは、間違いなく、狼。優理の背丈より大きいように見えるそれは、明かりもないのにぼうっと光っており、その冷たい瞳で優理のほうをきっと睨んで、いた。しかも、既に前足をベッドにかけてしまっているではないか。その、妖しくも計り知れない激怒に満ちた姿に、優理は一瞬身を固くしたが、すぐに我に帰り隣に寝ている夫クラメルの身体に手を伸ばした。
「クラメル!」
上ずった声が、静寂に響く。
優理の声だけで異常を察したクラメルは、起き上がるなり左腕で妻を庇い、枕の下に常備している短剣を右手で構えた。
そしてそのまま、そろそろと狼の方を向く。クラメルが感じたのは、狼が自分に対して向けている、切羽詰った強い感情の嵐。しかし、そんな感情を向けられる理由が、クラメルには思い当たらない。もちろん、妻の優理にも、だ。
だが、この『狼』のことは、どこかで聞いたことがある。それに思い当たるや否や、クラメルはやおら短剣を持ったままの右手で枕を掴み、狼に向かって思いっきり投げつけた。
弧を描いて落ちる枕が、狼の広い背中にすとんと当たる。次の瞬間、夫のいきなりの行動に唖然とする優理の前で、狼は跡形も無く消えうせて、しまった。
「……一体、何?」
口をぽかんと開いたままの優理がクラメルにそう質問するまで、かなりの間が、あった。
「聞いた事ないかい、『霊的人狼』の話」
「ああ、なるほど」
しかし、クラメルの説明に、優理は軽く納得する。
「でも何故、そんなものが私たちのところに……?」
「それは、分からんな」
一応、小さいながらも土地の『領主』をしていれば、誰かから理由も無く恨まれることも勿論あるだろう。クラメルはそう、考える。だが、自分の考えはそっと胸の中にしまいこみ、クラメルは優理を安心させるように、その冷えた身体を優しく抱いた。
2
同じ頃。
優理とクラメルの住む館から少し離れた森の中に立っている小さなテントの中で、珮理ははたと目を醒ました。
……何かが、いる。確かに、そう、感じる。それが何かを確かめるために、珮理はゆっくりと上半身を起こした。
と。
「ひっ……!」
咽喉の途中で悲鳴が止まる。珮理の瞳に映ったのは、確かに、銀色に光る大狼。
〈な、何で、こんな所に、狼……?〉
テントの外には、父風理が施した結界が張ってある筈なのに。害ある者は全く通ることができないその結界を、通ることのできる生き物がいるなんて。父の魔法力を信じきっている珮理にはそのことが一番信じられなかった。
幸い、結界自体は寝床の周りにも張られており、これが破られない限り大丈夫、だと思うのだが。しかし、もし結界が破られて狼が襲い掛かって来たら、自分も父母も妹の禎羅もただでは済むまい。
「父さん! 母さん!」
だから大急ぎで二人を起こす。
先に起きたのは、父風理のほうだった。
目覚めてすぐ狼の姿を認めたのだろう、風理は珮理を抱き寄せると、その頭を優しく撫でて言った。
「大丈夫だよ、珮理」
「あの狼は、私たちに何もできない」
父の言葉の後から、母朧嵐の優しい声が響く。確かに、狼の方も、最終の結界には入れないらしく、しきりに前足を珮理のほうに伸ばしては顔をしかめている。
「だから、珮理も心配しないで、寝なさい」
風理が珮理を、自分と禎羅の間にそっと寝かせてくれる。それでも、こちらをじっと見つめている狼の視線が怖くて、珮理は風理の胸にしっかりとその顔を埋めた。
次に珮理が目を開けたときには、既にテントの布が明るくなっていた。寝床には妹の禎羅の姿しかない。珮理ははっとして飛び起きると、枕の片付けも忘れてテントの外へ飛び出した。
「……おはよう、珮理」
「枕は片付けたの、珮理?」
外にいたのは、いつもどおりの父と母。その、いつもどおりの二人の姿に、珮理は心底ほっとした。
「あ、うん、枕は今から片付ける」
きっと、あの狼は『夢』だったんだ。珮理は自分にそう言い聞かせると、日課である枕の片付けの為に再びテントに戻った。
3
そして、時代は下り。
いつものように、魔界にある自分の城のベッドで眠っていた魔王数は、不審な気配にむっとして目を醒ました。
すぐ横に、ぼうっと月色に光る『狼』が立っているのが見える。
「ほう」
魔界の大王なのだから、その『狼』の正体はすぐに分かる。
『人魔』の一種である『霊的人狼』が、人間は近づくことすらできないこの魔界に現れるとは。これは、よほどの術者の『もの』に違いない。あるいは、魔界に暮らすモノが作り出した『狼』か。いずれにしろ、数に何かしらの憤りを持つ者が放ったものであることは間違いない。
「失せろ」
その狼を、毅然とした瞳できっと睨みつける。
「そんなに俺に害をなしたい、か?」
その一睨みで、狼の姿は煙のように消えた。
「……ふん、たわいも無い」
数は軽く鼻を鳴らすと、ベッドの傍らを優しく見つめた。そこには、今までの騒ぎにも拘らず、すやすやと寝息をたてている数の妻、珮理の姿がある。
「全く、鈍感なんだか肝が据わっているんだか」
数は軽く溜息をついてから、蹴飛ばされている珮理の布団を優しく掛け直してやった。
一般に、『霊的人狼』とは、生物、特に人間や魔物の『怒り』や『妬み』といった強い負の感情が『狼』の姿で肉体の外に現れた『霊体』である。
この種の人狼は、物質化したところでせいぜい豆腐ほどの硬度や密度しかなく、更に、相手に精神的なダメージを与えることを主な目的として現れる為、実は、軽い物理的ダメージを与えたり、気の強い人なら睨み返したりするだけで簡単に退治することができる、のである。
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