上 下
348 / 351
第九章 知識と勇気で

9.58 即位式の朝①

しおりを挟む
「……サシャ?」

 不意に響いた高い声に、はっと意識を取り戻す。

 すっかり明るくなった部屋に入ってきたのは、重そうな白い服を身にまとった、既知の小柄な影。

「熱、下がった?」

 トールを抱くサシャの腕の隙間から見えた、サシャが力無く身を預けるベットへと歩を進める北向きたむくの王子リュカの屈託の無い表情に、胸がぎゅっと縮む。何故、北向に留め置かれているはずのリュカがここに? おそらく、ティツィアーノの非を糺し、ディーデの魔の手からサシャを救うために帝都ていとに向かう北向の若王セルジュに無茶を言って、セルジュ率いる北向軍に付いてきたのだろう。よりによって、息を引き取ったサシャの第一発見者がリュカになるとは。温かいサシャの腕の中で、トールは小さく頭を振った。……温かい?

「下がってる。良かった」

 汗の無いサシャの額にサシャよりも大きな掌を当てたリュカの重たげな袖が、天窓から差し込む柔らかな陽の光を反射して僅かな金色に光る。

「……リュカ?」

 そのリュカの動作で、サシャの瞼がゆっくりと上に上がった。

「良かった。もう元気だね」

 目を瞬かせたサシャに微笑んだリュカが、着ている服を見せるように一歩下がって腕を大きく横に伸ばす。

「これから即位式だから、サシャも見に来て」

 即位、式? いきなりの単語に、思考が混乱する。

「元気そうだな」

 のっそりとした調子でサシャの部屋に入ってきた大柄な人物が、トールの思考を更に混乱させた。

「起きれるか?」

 白竜はくりゅう騎士団の白い制服をビシッと着こなしたイザイアが、リュカの斜め前に立つ。イザイアの言葉に誘われるようにサシャが上半身を起こしたので、『本』であるトールは枕の側に小さく落ちた。

「白竜の人数合わせにはなりそうだな」

 普段通りの蒼白さを持つサシャの頬を見やったイザイアの口の端が、大きく上がる。

「毒は、抜けたようだな」

 続いて響いた、イザイアとは別種の落ち着いた声と共に、水の入った桶を手にしたアランが部屋に入ってきた。

「うん、大丈夫だ」

 サシャの額と頬に手を当て、そして胸に耳を当てたアランが、大きく頷く。

「じゃ、即位式、出れるね」

「説明が必要そうだな」

 リュカのはしゃいだ声に頷いたサシャの、僅かな首の傾きに大きく笑ったイザイアが、不意に真面目になった瞳をサシャに向けた。

夏炉かろ神帝じんていティツィアーノは、北向の神帝候補サシャを『神帝候補に相応しくない』と断言した。あの場にいた白竜騎士団員はそう言っていたが、これは、間違いないか?」

「……はい」

 ティツィアーノに乗り移った南苑なんえんの神帝候補ディーデに魔術の生贄にされかけたことを思い出したのだろう、サシャの声が僅かに震える。

「その時点で、北向の神帝候補はサシャからリュカに変わったわけだ」

 神帝によって神帝候補が否定された場合、否定された神帝候補の出身国は新たな神帝候補を選出しなければならない。東雲しののめでのグスタフ教授の講義内容がトールの脳裡を過る。

「その後、ティツィアーノは俺と契りを結んでいる、すなわち神帝の条件である『誰とも契りを結んでいない』を満たしていないことが判明したため、廃位された。と、すると、だ」

 神帝が廃位された場合、次の順番の神帝候補が神帝になる。再び、グスタフ教授の声が脳裡を過る。夏炉の次は北向の神帝候補が神帝となる。すなわち、『即位式』とは、……リュカが神帝になるための儀式!

「リュカ、おめでとう!」

 イザイアの横で笑ったままのリュカにサシャが微笑む。

「ありがとう、サシャ!」

 サシャの身体を確認したアランがサシャから離れるや否や、リュカは即位式用の重そうな衣装をものともせずにサシャに飛びつき、サシャの身体をぎゅっと抱き締めた。

「サシャの、おかげ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。 「では開廷いたします」 家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

処理中です...