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第八章 再び北へ

8.16 自分の道を進む

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 それは、八年前のこと。当時院長代理であったジルドは、ジャンを北都ほくとへ留学させるための奨学金を出してほしいと前の修道院長に頼んだエリゼに対して難癖を付け、北都での勉学に必要な推薦状を得るためにエリゼ自身の蔵書の全てをジルドに差し出すことと、修道院への更なる奉仕を約束させた。

「先に『冬の国ふゆのくに』へ行っていた先輩が、全部話してくれたんだ」

 突然の言葉に呆然とし、ジャンの隣に尻餅を付くように座ったサシャの両手を、ジャンが掴む。サシャの手を包むジャンの手の血の気の無さに、トールの全身は熱く震えていた。ジルドは、サシャを扱き使っていたのみならず、サシャの母にも、幼馴染みにも、酷いことをしていたとは。いや、それだけではない。一度サシャに与えた『祈祷書』トールを何度も奪おうとした。帝都ていとにいた頃のルーファスから預かったエリゼへの返信を、エリゼに渡さなかった。そこまで思い出してはっとする。ジルドは、エリゼ宛てのルーファスからの手紙を、信頼のもとで託された手紙を勝手に読み、自分に都合良く扱き使える者を手放したくなかったが故にその手紙をエリゼに渡さなかった。酷すぎる。真っ白になった視界に、トールは唇をきつく噛み締めた。

「俺、サシャに」

「気にしなくて良いよ、ジャン」

 だが。ジャンに向かって首を横に振ったサシャに、胸の熱さがすっと消える。

「僕は、今、母上と同じ道を進んでる、から」

 サシャの言葉に、ジャンが目を瞬かせる。

 そう、サシャは今、大好きな勉学に打ち込むことができている。ジャンに向かって微笑んだサシャの、僅かな頬の赤みに息を吐く。サシャは、自由七科の資格を得、大学で法学を、『星読ほしよみ』達から星を読む術を学んでいる。勉学のための資金の方も、最初はセレスタン隊長からの援助、そして黒竜こくりゅう騎士団からの援助に頼っていたが、今後は、カレヴァと共に作り上げている『印刷機』からの利益でまかなうことができる、と思う。諸悪の根源はジルドだが、サシャは、ジルドの邪悪な心に負けず、自分の道を進んでいる。確かに、ジャンはエリゼには謝らないといけないかもしれないが、サシャに謝る必要は、どこにもない。

「僕は、大丈夫」

 頷いたサシャに、トールも頷く。

 ジャンの頬の色も、生気を取り戻している。

「ジャンは、これからどうするの?」

 続いてのサシャの言葉に、はっとしてジャンを見直す。『冬の国』は、八都はちとからの伝道師を全て拒否する。そう、タトゥは言っていた。と、すると、ジャンの『仕事』は、無くなってしまう。今更の気づきに、トールは小さく唸った。

「僕は、タトゥさんが『冬の国』に帰るのを見届けてから南苑なんえんに行くけど、ジャンも一緒に来ない?」

 そのトールの耳に、サシャの、幼馴染みを気遣う言葉が響く。

「足の怪我、治さないといけない、けど……」

「サシャ!」

 続いて耳に響いたのは、サシャをぎゅっと抱き締めたジャンの涙。

 サシャらしい。サシャとジャンの胸の間で板挟みになりながら、口の端を上げる。膂力がありそうなジャンなら、きっとカレヴァの工房で戦力になる。それで、ジャンの生活資金もどうにかなるだろう。温かくなった心に、トールはほっと、息を吐いた。
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