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第八章 再び北へ

8.6 南か、それとも北か

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 目覚めて目にした光景に、一瞬、身が固まる。

 暗く冷たい床の上で眠るサシャの呼吸で僅かに上下するトールの視界に広がるのは、天井いっぱいに描かれた巨大な瞳を持つ人物。確か、『冬の国ふゆのくに』の人々が信奉する主神、雷と火を司る神、だったか。冷静に記憶を辿るトール自身に、トールの一部分は驚きを隠せないでいた。

 先程まで見ていた幻影が、不意に脳裏を過る。妹のひかるは、あの街を出て行きたがっていた。その理由を、トールは知らない。兄妹とはいえ、光との関係は、あの街に引っ越してからは特に、希薄に感じていた。光の方も、サッカーと読書三昧の兄を敬遠していたように思う。今にして思えば、……それで良かったのだろう。それよりも、今は。

[サシャ]

 トールの呼びかけに呼応するように、サシャが身動ぎを示す。

「ん……」

 横たわったまま暗闇を確かめるサシャの冷たい手が、エプロンのポケット越しにトールに触れた。

「ここ、は?」

 雪の中じゃ、無いよね? 上半身を起こし、首を傾げたサシャに、同意の頷きを返す。薄暗がりの中に見えるのは、天井いっぱいの猛々しい神の絵と、一人と一冊をぐるりと取り囲む灰色の壁。雪崩に巻き込まれたはずなのに、円柱状の部屋の中に閉じ籠められている。トールに分かるのは、ただそれだけ。……いや。

「あれ、は」

 湾曲した壁に映る二つの細長い隙間を見つけたサシャが、おもむろに立ち上がる。

 壁に近づいて見えたのは、隙間に収められた二つの像。右側にあるのは、大きな額に九芒星が刻まれた像。そして左側にあるのは、日輪を模した円形の石板を掲げ持つ像。

「えっと、この像は、確か……」

 エプロンごとトールを抱き締めたサシャが、難しい問題を解く時と同じ小さな唸り声を上げる。

 九芒星が刻まれた像は、北へ連れて行かれる像。円形の石板を掲げ持つ像は、南へ連れて行かれる像。東雲しののめにいた時にサシャがトールの余白に書き込んだ表を、トールは背表紙に浮かべた。

「南と、北」

 トールから両手を放したサシャが、唇を横に引き結ぶ。一人と一冊をこの場所に置き去りにした『何か』は、いったい何を考えているのだろうか?

「……南へ戻っても、問題は何も解決しないよね」

 伝道師達が冬の国を追われたことは、サシャが解決すべき『問題』なのだろうか? 思わず、首を傾げる。しかしサシャの言う通り、南へ戻っても、セレスタン閣下やアラン教授は安堵するかもしれないが、八都はちとが、サシャが生まれ育った北辺ほくへんが危機に曝されているかもしれないという状況は変わらない。だが。……サシャの気質は、既に把握済み。

 だから。

「冬の国、行ってみよう」

[だな]

 右側の像の方へと手を伸ばしたサシャの言葉に、大きく頷く。

 九芒星を額に刻む像の埃を払い、像を隙間に置き直すと同時に、一人と一冊の右手に小さな扉が現れた。
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