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第七章 東の理

7.33 図書室で、仲良くなる

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 掃除と洗濯を全て終わらせてから、北の塔の一階にある図書室へと向かう。

「うわぁ!」

 図書室の扉の前で足を止めてしまったサシャの、小さな感嘆の声を聞きながら、トールも誰にも聞こえない感嘆の声を漏らした。

 東辺とうへんの塔の図書室は、これまでに一人と一冊が足を踏み入れたどの図書室・図書館よりも明るくすっきりとした表情をみせていた。天井近くの壁に設えられた北向きの横長の硝子窓から降り注ぐ柔らかな光が、この場所だけ1.5階分の高さがあるという図書室全体を柔らかく照らしている。カーブした壁に沿う形で置かれている、サシャが両腕を横に伸ばしたくらいの幅を持つ背の高い本棚と、その前に二列に並ぶサシャの肩の高さくらいの本棚には、鎖と小口ではなく、トールの世界の図書館と同じように背表紙を見せる形で本が置かれている。天井が高い所為か少し肌寒いように思えるが、本を読んだり調べ物をしたりするには良い空間だ。図書室の入り口横にあった小さな机の上に持っていた本を置き、恐る恐る本棚の方へと歩を進めるサシャの鼓動に、トールは微笑みを隠せなかった。

 今日、この図書室に来た目的は。先程サシャが机の上に置いた大きめの薄い本を横目で確かめる。ユリアンへのお土産にとサシャが持参した、サシャとカレヴァが作成した印刷機で試作した『象牙の塔』の教授達の随筆や主張を載せたパンフレットをカレヴァが製本した『本』をこの図書室のどの棚に置くかを決める。ゼバスティアンの依頼を達成するために背の低い方の本棚の本を確かめるサシャの、初めて本に触れるかのような手の震えに、トールは思わず「大丈夫だよ」の文字を背表紙に並べた。

「うん」

 トールの言葉に頷き、背の高い本棚の方へと目を移したサシャに、小さく微笑む。

 背表紙が見えているから、背表紙に書いてある本の題名がトールにも一目で分かる。ユリアンの興味に合わせているらしく、背の低い本棚にある本の殆どは天文や幾何、算術など、『星読ほしよみ』に必要な本。背の高い本棚の方には、法学と歴史の本が並んでいる。これは全て、リーンハルト団長の本だろうか? 柔らかな光に映る背表紙の古さに、トールは無意識に背を震わせた。トールの世界とは異なり、本を手書きで貴重な紙に書き写すことでしか本を増やすことができないこの世界では、本は中々手に入らない、貴重なもの。カレヴァがサシャと一緒に作った紙と印刷機があれば、もっと楽に本を手に入れることができるようになると思う。だが、それでも、これだけの本を揃えるのに掛かった時間と手間とお金のことを考えると。目眩を覚え、トールは、再び背の低い本棚の方へと身体を向けたサシャの頬の赤みを確かめた。『象牙の塔』では、神学と法学が主に教えられている。『象牙の塔』に居る教授達のエッセイを集めた本は、法学の棚に置けば良いだろう。『象牙の塔』近くにある『星読みの塔』を管理する星読み博士ホルストが言っていた星読みの本があったのだろう、灰色になりかかっている黒表紙の分厚い本を本棚から抜き出したサシャは、次に、背の高い本棚から東雲しののめの歴史が詳細に書かれている本を取り出し、二つの本を抱えて机面が少し斜めになっている閲覧用の机の方へと向かった。歴史の本は、おそらくトール用。

「……あ」

 小さなサシャの声に、サシャの腕の中の本の隙間から前方を見る。図書室の入り口横の机の側に居たのは、リーンハルトを小さくした影。その影が、サシャが置いておいた、印刷機で印刷された本のページを熱心にめくっている。チャンスだ。

「あ」

 サシャが見ているのに気付いたユリアンが、一飛びで机から離れる。

「触っても、大丈夫」

 サシャの方を見上げた、ヴィリバルトよりも柔らかい蒼色の瞳に、サシャは笑って話しかけた。

「その本、ここに置く予定だから」

 普段よりも堂々と言葉を紡ぐサシャの、普段以上に速くなった鼓動を確かめる。

[大丈夫]

 背表紙に光らせたトールの言葉に小さく頷くと、サシャは、速い鼓動のまま、ユリアンの側に歩を進めた。

「この、本、ね、『印刷機』で作ったの」

 腕に抱えていた分厚い本を机の上に置き、印刷機で作成した薄い本を開いたサシャが、僅かに逃げる気配を見せたユリアンに、カレヴァと共に作成した印刷機と、印刷に必要な紙やインク、活字のことを掻い摘まんだ形で話す。サシャの話に引き込まれるように、図書室の入り口近くまで身を引いていたユリアンがサシャが差し出した薄い印刷本へと手を伸ばす、その様子に、トールはほっと胸を撫で下ろした。サシャと同じように、本が好きで好奇心旺盛の子、らしい。これならきっと、サシャと仲良くなれる。星読み博士ホルストから聞いていた、冬至祭とうじのまつり前に起こる月食のことを話すサシャとユリアンの会話と、平静に戻ったサシャの鼓動を聞きながら、トールは静かに目を閉じた。
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