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第七章 東の理

7.27 『粒熱』に罹る

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 ベッドの上で苦しげに息を吐くサシャに、ベッド横の腰棚に置かれたままのトールの胸も痛くなる。

 毛布を押し退ける足も、その毛布を再び胸まで引き上げる腕も、小さな発疹に覆われている。『粒熱』だと、毎朝サシャを診に来てくれるアランは呟いていた。秋分祭しゅうぶんのまつりが終わった頃から小さく発生していた『粒熱』の流行が、『象牙の塔』の学生達の間に意外な速さで広まっていることも。

 『粒熱』は、子供の時に罹患すると軽く済む上に、一生罹らなくなる。サシャがアランから借りて読んでいた簡単な医学の本の内容を思い出す。『粒熱』よりも大きめの、膿を伴う発疹が出る『大粒熱』の方は、似ているが症状が軽い、牛に時々発生する痘に触ることで罹患を予防できるが、『粒熱』の方には有効な予防法がない、と、読んだ本には書かれていた。少年期に『粒熱』に罹患すると、他の世代が罹患するより死亡率が高いという記述も。

「まだ、熱、下がらないか」

 無意識に震えるトールの耳に、落ち着いたセルジュの声が響く。幼い頃に『粒熱』に罹っているセルジュは、病気で身動きが取れない近所の学生達の世話を引き受けている。アランからの情報をトールが思い出す前に、セルジュは、お粥らしきものが入った椀を机のトールの横に置き、再び毛布を蹴ったサシャの身体をそっと起こした。

「セルジュ」

「栄養、摂らないと、良くならない」

 口の中にも発疹ができているらしく、食事の度にサシャの顔が苦痛に歪む。そのサシャを宥めながら椀の中身を少しずつサシャの口に入れたセルジュは、椀が空になったことを確かめてからおもむろにベッドの下から金属の容器を取り出した。

「セルジュ」

「遠慮は、無しだ、サシャ」

 下穿きを脱がされて抵抗するサシャを宥めるセルジュに、頭を下げる。病人の下の世話も嫌がらないセルジュは、やはり、凄いと思う。北向きたむくの王子であるセルジュは、将来、王に次ぐ責任ある役目に就くだろう。そしてセルジュはきっと、その役目を十全にこなす。排泄を終えて再びベッドにぐったりと横たわったサシャの胸に毛布を掛け、汚物と共に部屋を出て行くセルジュの背に、トールは再び頭を下げた。

「大丈夫か?」

 セルジュと入れ替わるように、カレヴァの色素の薄い影が現れる。

「アランは、『大丈夫だ』って言っていたが」

 ベッド脇の椅子に腰を下ろし、首を横に振ったカレヴァに、部屋の硝子窓の向こうに見えた今朝の光景が重なる。屋根の無い荷馬車の上に人の形をした布包みを二つ、静かに運び込んでいたのもカレヴァだった。

 帝都ていとで生まれ育ったカレヴァも、幼い頃に『粒熱』に罹っている。数日前の、アランとカレヴァの会話を思い出す。しかし『冬の国ふゆのくに』から来たカレヴァの配偶者は、子供を産んですぐ、丁度帝都内で流行した『粒熱』に罹って亡くなってしまったらしい。病気が軽く済んだカレヴァの息子は、配偶者の一族が『冬の国』で育てている。その息子に、カレヴァは一度も会えてないらしい。サシャの庇護者であるグスタフ教授も、妊娠した配偶者を病気で亡くしている。この共通項が、グスタフ教授とカレヴァという、境遇が全く異なる二人を結びつけているのだろう。

「『祈祷書』作成用の紙は、原料がある分はほぼ漉き終わったな」

 カレヴァとサシャを交互に見やるトールの耳に、印刷機の進捗状況をサシャに話すカレヴァの柔らかい声が響く。

「紙はまだまだ必要だが、この状況だからな、作成できるのはずっと先だな」

 インクと活字の方は、とりあえず『祈祷書』の第一章部分が印刷できるだけの量は揃えた。微笑むカレヴァの言葉に、サシャが気怠く頷く。

「治ったら、また、色々手伝ってくれよ」

 そのサシャの、発疹に埋まった赤い額を易しく撫でると、カレヴァは冷たく濡らした手拭いでサシャの顔を拭き、固く絞った手拭いをサシャの額にそっと置いてから部屋を出て行った。
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