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第七章 東の理

7.26 カレヴァの工房での一時

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「昨日は校正ありがとな」

 工房で揺れる洗濯物のように吊された印刷後の紙を見つめるサシャに、カレヴァが笑う。

「おかげで、今回も良い意見パンフレットになった」

 印刷機の試運転としてカレヴァとサシャが作っているのは、『象牙の塔』の教授達に依頼して書いてもらった教授達の学説や意見などの短い文章を両面印刷したパンフレット。『象牙の塔』のあちこちに貼ったり、学生達に配ったりしているパンフレットは結構好評だと、グスタフ教授は言っていた。

 印刷機は、今のところ上手く動いている。もう一度、夕日に沈むカレヴァの工房をぐるっと見回し、大きく微笑む。印刷機用のインクも、活字も、そして紙も。

 インクと活字は意外に簡単だったが、東雲しののめにある材料で良い紙を作れるようになるまでにはかなり時間が掛かった。東雲の村々を巡回して患者を診るボランティアをしているアランに連れて行ってもらった、『象牙の塔』からかなり北側に入った、東雲の北を囲む峻険な山々の近くでサシャが見つけてきた木にも草にも見える植物の靱皮繊維と、カレヴァが帝華ていかで見つけて持ち込んでいた藁のような植物の茎稈繊維を混ぜ合わせることでようやく、印刷に耐えるインクの滲みも適切な紙を作ることができた。

「パンフレットも大分作ったから、集めて製本するのも良いかもな」

 サシャが並べたハンス特製の夕食を頬張るカレヴァの言葉に、サシャが頷くのが見える。

秋分祭しゅうぶんのまつりが終わって、紙の原材料が収穫できたら、紙をたくさん作って、それから、祈祷書の作成に取りかかるか」

 次に出てきた、カレヴァの台詞に、サシャの瞳が丸くなった。

「祈祷書、完成したら、誰に贈りたい?」

 続くカレヴァの問いに、夕食を食べる手を止めたサシャが小さく微笑む。

 北辺ほくへんにいるユーグ叔父とクリストフにはもちろん贈る。北都ほくとにいるリュカにも。『神帝』であるヴィリバルトは既に自分の祈祷書を持っていると思うが、ヴィリバルトと、帝都ていとでお世話になった黒竜こくりゅう騎士団の面々と、春陽はるひ南苑なんえんでお世話になった騎士ラドヴァンと、サシャの父母の親友だという春陽王チェスラフと南苑王レクスにも贈りたい。今は夏炉かろを立て直すのに一生懸命であろう、夏炉でサシャを助けてくれた夏炉王リエトと、リエトを守っていた、北辺でサシャに武術を教えてくれたグイドにも。南苑のメイネ教授と、秋都あきとでお世話になった学生長ホセとユドークス教授。チェスラフの弟であるマティアーシュとエリアーシュにはまだ早いかもしれないし、西海さいかいで出会ったウォルターはともかく、イアンとオーガストには「読みたくない」と言われそうだ。秋都の騎士であるバジャルドや、バジャルドの弟ブラスのお墓がある村の家令の息子であるクレトには、贈ることは無理だろうか? サシャが考えていることは、トールには手に取るように分かっていた。

 完成した祈祷書を売れば、カレヴァの工房が潤う。過った思いに、息を吐く。カレヴァの工房を手伝う時に、カレヴァは、工房の利益の一割をアイデア料としてサシャに支払うという契約書をサシャに示した。「一割は多すぎる」とサシャは一度は拒否したが、「お金があれば、安心して勉学が続けられるだろ?」という、ある意味お気楽なカレヴァの言葉に促される形で契約書にサインをした。祈祷書が売れ、サシャにもお金が入るのであれば、この場所での学問を、ヴィリバルトやグスタフの厚意に頼ることなく続けることができる。この場所で、穏やかな日々を、サシャは送ることができる。

 ハンスがバスケットの中に入れてくれていた、パイのようなものを頬張るサシャの薄桃色の頬を、しっかりと見つめる。この幸せな日々を、守りたい。小さな決意に、トールは心の中でしっかりと頷いていた。
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