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第七章 東の理

7.14 『星読みの塔』からの帰り道

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「ホルストさん、優しい人だったね」

 緑みが増えた畑の間にある細い道を歩くサシャの、スキップをするような足取りに、定位置であるエプロンのポケットの中で笑いながら頷く。

 一人と一冊の前にあるのは、薄灰色の『象牙の塔』を含む大学町の城壁。背後には、濃い灰色をした『星読ほしよみの塔』があるはずだ。

 春分祭が過ぎた頃、ようやく、『象牙の塔』の北側にある『星読みの塔』を訪ねる許可がグスタフ教授から出た。『星読みの塔』を管理する長ホルストは、大学街での噂通り、穏やかで怜悧な人だった。

「君がサシャだね。ギュンターから聞いてる」

 帝華ていかでサシャがお世話になった星読みの名を出したホルストは、グスタフ教授からの紹介状と手土産を持って訪れたサシャを『星読みの塔』の地下室に案内してくれた。

「ここにあるのが、この塔で保管している星図の記録書の全部だ」

 帝都ていとでは、サシャはギュンターと共に星の運行の実測値と予測値がずれる原因を探っていた。その原因の一つと思われる『歳差運動』を証明するためにサシャが昔の星の記録を閲覧したいと思っていることをギュンターから聞いているのであろう、サシャの1.5倍はありそうな背丈を持つホルストの細い影が、天窓からの陽の光のみが灯りになっている地下室に設えられた背の高い書棚から難なく、大量の羊皮紙を引っ張り出す。

「ぼろぼろだな」

 その細い影が発する呆れた声の通り、一人と一冊の目の前に積まれた羊皮紙は、埃にまみれ、かつ文字の判読ができないほどに色褪せていた。

「これを、読み解けば、ギュンターが言ってた『歳差』ってやつのこと、分かるか?」

「は、はい」

 ホルストの言葉に、サシャが、くしゃみをしながら頷く。大変そうだが、文字や数字の判読さえできれば。

「じゃ、これはこのままにしておくから、好きな時に見に来てくれ」

 もうもうと立ち上る埃を細い手で払ったホルストは、次にサシャを、塔の一番上まで連れて行った。

「星の観測に使う器具はどの『星読みの塔』でも同じだから、使えるよな」

 塔の周りに広がる畑の薄緑を確かめながらのホルストの言葉に、サシャが大きく頷く。

「計算も上手いってギュンターは言ってたから、観測の方も手伝ってくれるとありがたい」

「もちろんです!」

「はは、ありがとう」

 久し振りに星読みの手伝いができるのが嬉しいのだろう。いつになく前のめりになっているサシャに、ホルストは今度は豪快に笑った。

「そうだ」

 そのホルストが、階段を降りる途中でポンと手を叩く。

緋星祭あかぼしのまつりの前に、星読みの見習達を『ステーロ様の遺跡』に連れて行く予定だけど、サシャも来ないか?」

「良いんですか?」

 ホルストの申し出に、サシャが相好を崩すのを、トールは見逃さなかった。

 東雲しののめの中央平原には、唯一神の教えを八都はちと中に広めた行者ステーロがまだ『星読み』の一員だった頃に戦乱を避けて暮らしていた住居の一部が『遺跡』として残っている。その遺跡までの遠足の話は『象牙の塔』でも出ていたが、希望者に比べて引率者が少なく、大学街に長くいる人を優先するという理由から、この夏開催の遠足にはサシャは申し込むことができなかった。サシャは、唯一神を真っ直ぐ信奉している。その唯一神の教えを広めた行者ステーロの遺跡に行くことができるのだから、サシャの喜びは桁違い。『星読みの塔』から『象牙の塔』までスキップで帰りたくなる気持ちも分かる。段々と近くなってくる薄灰色のどっしりとした塔と、その周りのうっすらと茜色になりつつある空を確かめ、トールは小さく口の端を上げた。春分祭しゅんぶんのまつりのずっと前に南苑なんえんの教授メイネからの手紙をサシャに届けてくれた、本と羊皮紙と表紙用の革を扱う南苑の商人ファースは、昨今の帝都の混乱ぶりを「大袈裟だな」とトールが思ってしまうほどはっきりと愚痴っていた。小貴族達の反乱はとりあえず収まったが狂信者達はまだまだ跋扈している帝華と春陽はるひの間にある小国夏炉かろのことも。東雲から南苑に向かうには、夏炉を通らなければならない。夏炉の混乱が収まっていないのであれば、南苑に戻らず、この東雲で頑張った方がサシャの安全のためには良いのだろう。柔らかに揺れる畑の麦に、トールは大きく頷いた。

 その時。
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