上 下
208 / 351
第六章 西からの風

6.34 ルジェクとの再会

しおりを挟む
 幸いと言って良いのだろう、トールの叫びは誰にも聞こえない。

「やっと、見つけた!」

 口をパクパクさせるトールの前で、上下が逆になった顔がにやりと笑う。窓の外から一人と一冊を確かめた影は、するりと一回転して一人と一冊が佇む部屋の中へと滑り込んだ。この、影は。身構えたトールは、しかしすぐに警戒を解いた。

「良かったぁ!」

 部屋に滑り込んだ影、黒竜こくりゅう騎士団内にある探索を主な任務とする一部隊『旅人たびと』の一員であるルジェクが、その敏捷な腕でサシャの凋れた白い髪を撫でる。

「ルジェク、さん?」

 ルジェクのその動作で目覚めたサシャの、まだ熱のある声に、ルジェクは照れたような笑みを浮かべた。

「悪かったな」

 そのルジェクの口から、謝罪の言葉が滑り出る。

「まさか、レフィも、夏炉かろ神帝じんてい候補の間者も津都つとに入り込んでるとは思わなくって、さ」

 八都はちとを統べる神帝であるヴィリバルトの命で、西海さいかいの疫病と津都の太守ロレンシオの企みについて調査していた『旅人』の一人が、あろうことか太守ロレンシオの本拠地である津都で、夏炉の神帝候補ティツィアーノの間者らしき影を認め、その影を追いかけた所為で危うく身分が割れそうになる失態を犯した。幸い、『旅人』がロレンシオを調べていることはばれなかったが、ロレンシオの猜疑心を増幅させるには十分な『事件』であり、結果として、関係の無いサシャにスパイの嫌疑が掛かってしまった。その所為で、サシャは、怪我を。

「で、サシャがロレンシオに捕まったところは『旅人』の一人が見てたんで、助けなきゃ、って思ってたんだけど」

 津都の太守ロレンシオの猜疑心をこれ以上膨らませないよう、細心の注意を払ってサシャを助け出そうと仲間で協議している間に、サシャの姿は砦の牢獄から消え去っていた。状況を説明するルジェクの、いつになく俯きがちな影に、トールは無意識に唸っていた。

「だから、本当に、ごめん」

「ううん、僕は、大丈夫」

 しかしトールが怒りの言葉を表出する前に、普段と同じサシャの声がトールの心を静める。

「怪我、ユドークス教授が診てくれたし」

「ああ、あの口の悪い爺さん教授ね」

 サシャの言葉でぱっと明るくなったルジェクの、普段通りの頬の色に、トールは小さく肩を竦めた。

「下町で見かけたけど、アラン師匠……じゃなかった、教授と同じくらい、下町の奴らに親切だったから、良い奴だと思う」

「うん……」

 アラン教授の名が出てきたからだろう、ルジェクの言葉に、サシャの声から元気が無くなる。

「しかし良かった」

 一方、ルジェクの声は、普段の軽さを取り戻していた。

秋分祭しゅうぶんのまつりの後でバルト団長のところに報告に戻ったら『南苑なんえんの様子を探ってこい』なんて言われてさ。でも、アラン教授も南苑の人々もすっごく心配してたぜ」

「うん……」

 南苑でお世話になった人々のことを思い出したのだろう、枕に半分以上顔を埋めたサシャの、蒼白さを増したように見える頬に、息を吐く。

「まあ、バルト団長、『何があってもあまり心配しなくても良い』っても言ってたから、俺は、……まあ、その」

 だが。ルジェクが発した、黒竜騎士団長を未だ兼務する恩人の名に、トールの脳裏に閃光が走った。

「あの、ルジェク」

 トールと同じ思考をしたのだろう、不意にサシャが、小さく呻いて身を起こす。

「神帝猊下に、伝えて」

 紙とペンとインクを。自分が寝かされていた部屋をぐるりと見回したサシャの瞳が、虚ろになる。この場所には、筆記用具が見当たらない。カジミールが持ってきてくれると思うが、隠密に調査を行う『旅人』であるルジェクをカジミールに会わせるのは。

「その利き手じゃ何も書けないだろ。口頭で大丈夫さ」

 ふらついたサシャの身体を支えたルジェクが、サシャを見下ろして口の端を上げる。

「それに、下手に文章があると、さ、万が一俺がロレンシオに捕まった時に、サシャと、この街が危なくなる」

「あ……」

 ルジェクの言葉に頷いたサシャは、包帯の巻かれていない左手でトールを掴んで自分の方へと引き寄せた。

 秋津あきつと西海を隔てる海峡における不漁と、海峡の両岸に広がる疫病のこと。その海峡に流れ込む『星の河ほしのかわ』の中下流域に接する稲の立ち枯れと、秋都あきとのすぐ下流で星の川に合流するドラド川に関する異変。ドラド川との合流地点よりも上流では稲の立ち枯れが無いという秋都の太守ホセからの情報。トールの余白にメモした記録と、時折トールが補足する一人と一冊の記憶を、サシャは簡潔にルジェクに話した。ドラド川の上流、かつて白竜はくりゅう騎士団に所属していた秋津のバジャルドの領地に何か問題があるのではないかという推測と、カジミールと共に調査に行くという、決意も。

「分かった」

 唇を引き結んでサシャの報告を聴いていたルジェクが、任せてくれと言わんばかりに胸を叩く。

「バルト団長に、ちゃんと伝える」

 これで、大丈夫。胸が軽くなったように感じ、トールは大きく息を吸い込んだ。

「これ、伝えたら、バルト団長、絶対ここに来ると思う」

 脳内でサシャの言葉を復唱するように唸ったルジェクが、不意にサシャの髪を撫でる。

「それまで、さ、ここで待てないか?」

 ルジェクの言葉に、サシャはトールの予想通り、首を横に振った。

「そうか」

 光を湛えたサシャの紅い瞳に肩を竦めたルジェクが、一人と一冊から一歩離れる。

「じゃ、最速でバルト団長に伝える」

 次の瞬間、ルジェクの影は、一人と一冊の前から綺麗に消え去っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します

桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる

異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~

モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎ 飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。 保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。 そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。 召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。 強制的に放り込まれた異世界。 知らない土地、知らない人、知らない世界。 不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。 そんなほのぼのとした物語。

当て馬悪役令息のツッコミ属性が強すぎて、物語の仕事を全くしないんですが?!

犬丸大福
ファンタジー
ユーディリア・エアトルは母親からの折檻を受け、そのまま意識を失った。 そして夢をみた。 日本で暮らし、平々凡々な日々の中、友人が命を捧げるんじゃないかと思うほどハマっている漫画の推しの顔。 その顔を見て目が覚めた。 なんと自分はこのまま行けば破滅まっしぐらな友人の最推し、当て馬悪役令息であるエミリオ・エアトルの双子の妹ユーディリア・エアトルである事に気がついたのだった。 数ある作品の中から、読んでいただきありがとうございます。 幼少期、最初はツラい状況が続きます。 作者都合のゆるふわご都合設定です。 1日1話更新目指してます。 エール、お気に入り登録、いいね、コメント、しおり、とても励みになります。 お楽しみ頂けたら幸いです。 *************** 2024年6月25日 お気に入り登録100人達成 ありがとうございます! 100人になるまで見捨てずに居て下さった99人の皆様にも感謝を!! 2024年9月9日  お気に入り登録200人達成 感謝感謝でございます! 200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!!

転生王子はダラけたい

朝比奈 和
ファンタジー
 大学生の俺、一ノ瀬陽翔(いちのせ はると)が転生したのは、小さな王国グレスハートの末っ子王子、フィル・グレスハートだった。  束縛だらけだった前世、今世では好きなペットをモフモフしながら、ダラけて自由に生きるんだ!  と思ったのだが……召喚獣に精霊に鉱石に魔獣に、この世界のことを知れば知るほどトラブル発生で悪目立ち!  ぐーたら生活したいのに、全然出来ないんだけどっ!  ダラけたいのにダラけられない、フィルの物語は始まったばかり! ※2016年11月。第1巻  2017年 4月。第2巻  2017年 9月。第3巻  2017年12月。第4巻  2018年 3月。第5巻  2018年 8月。第6巻  2018年12月。第7巻  2019年 5月。第8巻  2019年10月。第9巻  2020年 6月。第10巻  2020年12月。第11巻 出版しました。  PNもエリン改め、朝比奈 和(あさひな なごむ)となります。  投稿継続中です。よろしくお願いします!

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

神竜に丸呑みされたオッサン、生きるために竜肉食べてたらリザードマンになってた

空松蓮司
ファンタジー
A級パーティに荷物持ちとして参加していたオッサン、ダンザはある日パーティのリーダーであるザイロスに囮にされ、神竜に丸呑みされる。 神竜の中は食料も水も何もない。あるのは薄ピンク色の壁……神竜の肉壁だけだ。だからダンザは肉壁から剝ぎ取った神竜の肉で腹を満たし、剥ぎ取る際に噴き出してきた神竜の血で喉を潤した。そうやって神竜の中で過ごすこと189日……彼の体はリザードマンになっていた。 しかもどうやらただのリザードマンではないらしく、その鱗は神竜の鱗、その血液は神竜の血液、その眼は神竜の眼と同等のモノになっていた。ダンザは異形の体に戸惑いつつも、幼き頃から欲していた『強さ』を手に入れたことを喜び、それを正しく使おうと誓った。 さぁ始めよう。ずっと憧れていた英雄譚を。 ……主人公はリザードマンだけどね。

処理中です...