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第六章 西からの風

6.29 秋都の手前で②

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 地面を蹴る音に、はっと顔を上げる。これは、……馬? しかも多い。耳を澄まさずとも、こちらに向かってくる足音と人の声が、トールの耳にはっきりと響いた。これで、……大丈夫。空を見上げ、トールはほっと息を吐いた。人気が無いとは言え、街道に倒れているのだから、きっと助けてくれる。

「……おい、止まれ!」

 一人と一冊の横を勢いよく通り過ぎようとした馬群が、少し離れた場所で止まる。

「行き倒れか?」

 その馬群の先頭を走っていた馬を操っていた小柄な影が、軽い調子でサシャの方へと歩いてきた。

秋都あきとへ向かう学生でしょうかね」

「もう煌星祭きらぼしのまつりは過ぎたのにか?」

 その後ろから、二つの細い影が、小柄な影を守るように一人と一冊の方へと近づいてくる。小柄な影も、二つの細い影も、服装は簡素で軽いように見える。ところどころに血のような染みが見えるが、形は、北向きたむくの王子であるセルジュが着ているものと同じ。三人の後ろで佇む馬群に乗せられた動かない鹿の角に、トールは小さく頷いた。おそらく、彼らは、狩りの帰り。

「おい、大丈夫か?」

 身構えつつ三つの影を確認していたトールの横で、小柄な影が地面に倒れているサシャを抱き起こす。

「この、怪我……」

「水はあるか?」

 この影は、北向の神帝じんてい候補リュカの父、北向の『星読ほしよみ』の長であるヒルベルトにどことなく似ている。トールがそんなことを考える前に、サシャの背中の傷に眉を顰めた細長い影の横で小柄な影が叫んだ。

「生の葡萄酒しかありませんぜ、ホセ学生長」

 馬群の方を確認した、小柄な影の後ろに付いていた落ち着きのない影が、小柄な影の方を確かめるように見下ろす。

「良いから持って来い、ベニグノ」

「はいはい」

 ホセと呼ばれた小柄な影の苛立ちを見せた声に、ベニグノと呼ばれた落ち着きのない影は肩を竦めると同時に一息で馬の鞍から革の水筒を取り外して戻ってきた。

「飲めるか」

 小柄な影が差し出した水筒に色褪せた唇を乗せたサシャが、水筒の中身を一口だけ飲んで咽せる。サシャは、アルコール類が飲めない。他に飲む物はないのだろうか。小さく唸ったトールの背は不意に、サシャとは違う細く温かい手に掴まれた。

「これは」

 小柄な影ホセの横に立つ細い影が、この世界の人々には『祈祷書』として認識されているトールを確かめる。

「『祈祷書』だな」

 その細い影を見上げた小柄な影は、不意に、自身の腕の中でぐったりしているサシャにその視線を向けた。

「お前、学生か?」

 小柄な影、ホセの問いに、目を閉じたままのサシャが気怠く頷く。

「では聞くが、神は、どこにいるんだ?」

[……は、い?]

 次にホセの口から出てきた言葉に、トールは細い影の手の中で絶句した。それは、今、血を失ってぐったりしている人間に尋ねることなのだろうか。

「どこにいらっしゃるのかは分かりません」

 それよりも、早く、サシャの怪我の治療を。背中を流れる汗を感じたトールの耳に、静かなサシャの言葉が響く。

「でも、どこかに必ずいらっしゃると思います」

 ゆっくりと瞼を上げ、まだ光が薄い紅い瞳でホセを見上げたサシャに、ホセは目を細めた。

「証拠は?」

「今、あなたが僕を助けてくださっている、から」

「面白い解答だ」

 それで満足したらしい。その腕でサシャを支えたままのホセが、止めていた馬の方を向く。

「ベニグノ」

 一頭の馬から狩りの獲物を別の馬の背に移していた影に、ホセは口の端を上げて言った。

「お前の馬が一番速いだろう。こいつを俺の屋敷に連れて行け」

「ユドークス教授は下町の診療所でしょうね」

「門番の息子に聞けば分かるだろ」

 ホセの言葉を補足する細い影の台詞に、ベニグノと呼ばれた影がにっと笑う。

 これで、サシャは、……助かる。ベニグノがまたがった馬にサシャを押し上げる小柄な影と、まだぐったりとしているサシャの腕にトールを手渡した細い影に、トールは大きく頭を下げた。
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