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第六章 西からの風
6.26 かつての友人から、頼まれたこと①
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澱んだ空気が、微かに動く。
朝には、まだなっていない。薄暗い空間に、トールは目を瞬かせた。サシャは、ぐったりと冷たい床に横たわったまま。
「……」
サシャの横に膝をついた大柄な影を、睨む。津都の太守ロレンシオではないが、おそらく、ロレンシオの部下。ロレンシオの命令通り、サシャを「津都の市場の処刑台に放置」するために来たのだろう。自分は、……何もできない。悔しさに、トールは無意識に奥歯を噛んでいた。
身動き一つしないサシャの髪に手を伸ばした大柄な影が、羽織っていたマントをサシャに被せる。
「……サシャ」
その動作と、狭い空間に響いた声に、トールは、脳の奥底に放り投げていた記憶を探った。この声には、……聞き覚えがある。
「『祈祷書』も」
大きなマントで小さなサシャの身体を優しく包んだ大柄な影、バジャルドが、床に転がっていたトールをその大きな手で掴む。サシャの胸の上にトールを置くと、バジャルドはトールごとサシャを抱き上げた。
何故、バジャルドがここにいるのだろう。眠るサシャの鼓動を確かめ、暗すぎて表情が見えないバジャルドの揺れる髪を見上げる。秋津出身で、文武両道を旨とする帝都の白竜騎士団において誰もが認める『守人候補』だったバジャルドだから、故郷に戻った後、秋津の権力者である津都の太守に仕えているのは自然なこと、なのだろう。だが。……何故バジャルドは、サシャを助ける? いや。サシャを横抱きにしたまま、砦の階段を延々と降りていくバジャルドを睨む。助けてくれるとは限らない。古代の神々を信じる教授に生贄にされかけ、結果として亡くなってしまったバジャルドの弟ブラスの遺体を白竜騎士団の詰所まで運んだ時の、怒りに満ちたバジャルドの瞳と、不意の攻撃で尻餅をついた一人と一冊のギリギリ真横の地面に突き刺さった剣の鋭さを、トールはまざまざと思い出していた。神帝を守護する白竜騎士団の『守人』を愚直に務めていたバジャルドだから、新たな主人である津都の太守に逆らうことは、おそらく、……無い。
力が抜けたトールの視界に、柔らかい白色をした靄が入る。『星の河』へと続く、桟橋。辺りの景色を認識する前に、一人と一冊はバジャルドの手によって優しく船底へ横たえられた。
「坊ちゃま」
バジャルドの従者らしい、節くれ立った手に櫓を握った老人が、バジャルドに向かって頭を下げる。
「行きますか」
「頼む」
風は凪いでいるので、帆を使う必要はないでしょう。老人の言葉と共に、船はゆっくりと、水面を滑り始めた。
朝には、まだなっていない。薄暗い空間に、トールは目を瞬かせた。サシャは、ぐったりと冷たい床に横たわったまま。
「……」
サシャの横に膝をついた大柄な影を、睨む。津都の太守ロレンシオではないが、おそらく、ロレンシオの部下。ロレンシオの命令通り、サシャを「津都の市場の処刑台に放置」するために来たのだろう。自分は、……何もできない。悔しさに、トールは無意識に奥歯を噛んでいた。
身動き一つしないサシャの髪に手を伸ばした大柄な影が、羽織っていたマントをサシャに被せる。
「……サシャ」
その動作と、狭い空間に響いた声に、トールは、脳の奥底に放り投げていた記憶を探った。この声には、……聞き覚えがある。
「『祈祷書』も」
大きなマントで小さなサシャの身体を優しく包んだ大柄な影、バジャルドが、床に転がっていたトールをその大きな手で掴む。サシャの胸の上にトールを置くと、バジャルドはトールごとサシャを抱き上げた。
何故、バジャルドがここにいるのだろう。眠るサシャの鼓動を確かめ、暗すぎて表情が見えないバジャルドの揺れる髪を見上げる。秋津出身で、文武両道を旨とする帝都の白竜騎士団において誰もが認める『守人候補』だったバジャルドだから、故郷に戻った後、秋津の権力者である津都の太守に仕えているのは自然なこと、なのだろう。だが。……何故バジャルドは、サシャを助ける? いや。サシャを横抱きにしたまま、砦の階段を延々と降りていくバジャルドを睨む。助けてくれるとは限らない。古代の神々を信じる教授に生贄にされかけ、結果として亡くなってしまったバジャルドの弟ブラスの遺体を白竜騎士団の詰所まで運んだ時の、怒りに満ちたバジャルドの瞳と、不意の攻撃で尻餅をついた一人と一冊のギリギリ真横の地面に突き刺さった剣の鋭さを、トールはまざまざと思い出していた。神帝を守護する白竜騎士団の『守人』を愚直に務めていたバジャルドだから、新たな主人である津都の太守に逆らうことは、おそらく、……無い。
力が抜けたトールの視界に、柔らかい白色をした靄が入る。『星の河』へと続く、桟橋。辺りの景色を認識する前に、一人と一冊はバジャルドの手によって優しく船底へ横たえられた。
「坊ちゃま」
バジャルドの従者らしい、節くれ立った手に櫓を握った老人が、バジャルドに向かって頭を下げる。
「行きますか」
「頼む」
風は凪いでいるので、帆を使う必要はないでしょう。老人の言葉と共に、船はゆっくりと、水面を滑り始めた。
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