上 下
171 / 351
第五章 南への追放

5.13 ラドヴァンの砦

しおりを挟む
 近くに、自分が所有する春陽はるひの砦がある。ラドヴァンの言葉に、リエトとグイドが頷く。微熱の所為か足下がおぼつかないサシャを、ラドヴァンが背負ってくれる。その結果、『本』であるトールは、サシャの手からリエトの手に渡された。

[サシャ、大丈夫か?]

 幻の首を伸ばし、リエトの肩越しにラドヴァンとサシャを確かめる。背後からの襲撃に対応するためだろう、ラドヴァンの指示で、グイドとリエトはラドヴァンの前を歩いている。ラドヴァンの対応が正しいのだろう。それは、分かっている。

「この道で、良いのか?」

「ああ」

 時折振り向き、ラドヴァンの指示を仰ぐグイドの、警戒が解かれていない顔色に、トールは無意識に首を横に振り、自分を抱き締めているリエトの、グイドに似た顔立ちを見上げていた。リエトが、行方不明となっていた夏炉かろの王。耳に残っているラドヴァンの声に、再び、ラドヴァンに背負われたサシャを確かめる。ラドヴァンにとってリエトを守ることが第一なのは分かっている。だが、トールにとっては、サシャのことが第一。

 トールが唸っている間に、木々の間隔が広くなる。

「この向こうだ」

 ラドヴァンの声に顔を上げると、前を歩くグイドの向こう、木々の間に、灰色の崖が見えた。

「まだ、歩くのか?」

 不信感を帯びたグイドの声が、木々の間に小さく響く。

「いや」

 そのグイドに、ラドヴァンはにやりと笑った。

「すぐ近くだ」

 ラドヴァンの言葉に従うと決めたのだろう、辺りを見回したグイドが、木々が途切れる明るい空間に歩を進める。踏みしだかれた道は、真っ直ぐに、灰色の崖まで続いていた。

「あの崖が、砦なのですか?」

 続いて森から出たリエトが、ラドヴァンを見上げて尋ねる。そのリエトに、ラドヴァンは笑ったまま大きく頷いた。なるほど。再び崖の方を向いたリエトの視線を辿り、灰色の景色をくまなく観察する。ところどころ暗く見える、崖の凸凹にしか見えない影は、おそらく矢狭間。夏炉でラドヴァンと共に泊まった修道院や、グイドやリエトが暮らしていた修道院と同じように、ラドヴァンの砦は崖に擬態していた。

 そのような観察をしているうちに、視界が急に暗くなる。

「客人に、部屋の準備を頼む」

 砦の中に入った。トールがそう、理解する前に、駆け寄ってきた部下らしき影に指示を出すラドヴァンの声がトールの耳に響いた。

「リエト殿とグイド殿は、同じ部屋で良いな」

「ええ」

「では、奥の部屋と、……湯と食事の準備も頼む」

 ラドヴァンの質問に頷いたグイドに、ラドヴァンが部下の一人の肩を叩く。

「サシャは……」

 ラドヴァンが辺りを見回す前に、恰幅の良い影がリエトとラドヴァンの間に割って入った。

「サシャ!」

 この、声は。思いがけない再会に目を瞬かせる。

「熱があるようだが」

「左肩の怪我から、毒が入ったようです」

 ラドヴァンの背からぐったりとしたサシャを受け取ったアランに、トールを抱き締めたままのリエトが声を上げた。

「そうか」

「サシャにも、部屋を一つ用意してくれ」

 サシャの上着を脱がせ、左肩を確かめるアランの横で、部下に指示を出したラドヴァンがリエトからトールを受け取る。

「……アラン、師匠?」

 アランの腕の中でサシャが目を覚ましたのは、丁度その時。

「『教授』な」

 目を瞬かせたサシャの言葉を、アランが笑って訂正する。

「サシャのおかげだ」

「え……?」

 続くアランの言葉に首を傾げたサシャに、トールは小さく吹き出した。

「しかし良かった」

 サシャの白い髪を撫でたアランが、サシャの細い身体をしっかりと抱き締める。

「ラドヴァンから『サシャが行方不明になった』と聞かされた時には、さすがに肝が冷えたよ」

 教授資格を得てすぐ、アランは、帝都ていとから船で南苑なんえんへ向かい、南苑から北上して春陽に到着した。だが、先に着いていると思っていたサシャは、夏炉と春陽の国境付近で行方が分からなくなっており、ラドヴァンの従者達の捜索にも拘わらず手掛かりすら見つからない。無事でいてくれと、ずっと祈っていた。サシャを抱き締め続けるアランの、震える太い腕に、トールは首を横に振った。サシャが無事に、ここまで辿り着くことができて、本当に良かった。

「部屋の準備ができたようだ」

 そのトールの耳に、ラドヴァンの小さな声が降ってくる。

 アランに抱えられ、砦の奥へと向かうサシャに、トールは安堵の息を吐いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。 「では開廷いたします」 家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

処理中です...