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第四章 帝都の日々

4.42 審問の先に①

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 ダリオとドゥシャンに前後を挟まれる形で、引き摺られるように街路を進む。

 石畳に何度も躓いたサシャを案ずるトールの視界に入ってきたのは、緑地に黄金の小麦の穂が刺繍された旗と、石壁の上に木組みの壁を乗せた大きめの建物。この、旗は。この世界で読み覚えた本からの知識をどうにか引っ張り出す。ここは、確か、……秋津あきつの国民団が集会に使っている建物。しかし何故、ここにサシャを? しかもこんな乱暴に。トールの疑問は、すぐに悲しく解けた。

「連れてきました、エフライン教授」

 半ば無理矢理、薄暗い建物の中に押し込まれた一人と一冊は、すぐに、大きく開けた空間に引きずり出される。一人と一冊の目の前にいるのは、グスタフ教授の講義室にあるのと同じ形の教卓の後ろで口髭を伸ばす、医学部教授エフラインの大柄な影。見回さずとも、ざわめきだけで、この広間一杯に学生や教授がひしめいていることが分かった。

「お前が、北向きたむくの学生、サシャか?」

 教卓越しにサシャを見下ろしたエフラインの声は、人を屈服させ慣れた威圧感に満ちている。

「『狂信者』であるという」

「えっ……」

 その威圧感のまま、響いた単語に、一人と一冊は同時に絶句した。

 もしかして、これは……。震えて立ち尽くすサシャのエプロンの胸ポケットの中で、どうにか思考を巡らせる。これは、トールの世界で言う『異端審問』。難癖を付けて、人に罪を着せる集会!

[落ち着いて、サシャ!]

 逃げる術を探す。数瞬で辿り着いた方策を隠し、大文字を背表紙に並べる。サシャを辱め、罪を着せるのが目的ならば無駄かもしれないが、弁明は、必要。

「私は、唯一の神を信奉する者です」

 トールの文字を読み取り、小さく頷いたサシャが、サシャ以外の人々には『祈祷書』と認識されているトールをエプロンの胸ポケットから取り出す。

「ここに、その証が……」

 しかしトールを胸の前に掲げたサシャの言葉は、左横から現れてトールの視界を覆った大きな手に遮られた。

「なっ……」

[サシャっ!]

 奪われたトールを取り返そうとしたサシャの小さな身体は、右と後ろからの攻撃で頽れる。

[サシャっ!]

 叫ぶことしか、できない。

 悔しさに歯噛みするトールは、サシャからトールを奪った者の手によってエフライン教授が寄り掛かっている教卓に置かれた。

「『祈祷書』は、証にはならぬ」

 無造作にトールを開いたエフラインの、冷たい指と言葉に震えが走る。

 首を伸ばすことによってようやく見えた、床から身を起こしたサシャの全身の震えに、トールは首を横に振ることしかできなかった。

「この者の火傷の痕は、古代の魔術を復活させようとしている『狂信者』達が、この者に魔力を付与しようとした証」

 そのトールの耳に、エフラインの、勝ち誇ったような声が響く。

「他に、この者が『狂信者』であることを知る者は?」

 俯くサシャを見下ろし、唇を歪めたエフラインは、その表情のまま顔を上げ、学生や教授がひしめく空間を見回した。

「こいつ、いえ、この者は、神学部のマルシアル教授と、その学生で、友人でもあった者を古代の神に捧げました」

 この声は、白竜はくりゅう騎士団の誰か。罵声の中に響いた事実誤認の言葉に、荒い息が更に荒くなる。ブラスを古代の神に捧げようとしていたのは、マルシアル教授。サシャは、友人を助けようとし、その結果、『転生者』であったマルシアル教授を『元の世界』に戻しただけ。

「グスタフ教授の講義で、古代の『快楽』を褒め称えていたと聞きます」

「それ、は……」

 口を開いたサシャの身体が、再び二方向から突き飛ばされて床に頽れる。人が、サシャを害する気持ちを持っている者が、多すぎる。サシャを非難するざわめきと空気に、思わず耳を塞ぐ。『本』であるトールには、……何もできない。

「不動である、唯一神を示す『北の三つ星』が動くと主張しました」

 これでもかと言わんばかりに次々と、サシャが不利になる言葉が群衆から出てくる。

「なるほど」

 同郷の人々からの、事実を歪めた言葉に、エフラインは満足げな笑みを浮かべた。

「確かに、この者は『狂信者』であるな」

 その笑みのまま、エフラインは、立ち上がりかけたサシャを見下ろす。

「これで分かっただろう」

 エフラインの侮蔑に顔を上げたサシャは、何も言わず、その紅い瞳でエフラインを強く見据えた。

「なるほど」

 普段とは異なるサシャの瞳の色に頷いたトールの上から、エフラインの頷く声が降ってくる。

「認めなければ、……そうだな。『友人』をここに連れてきても良いんだが」

 急に優しさを帯びたエフラインの言葉に、サシャの顔色が明らかに変わる。

 サシャの脳裏に過ったのは、おそらく、北向の友人セルジュと、教授資格に挑戦しているアラン師匠。『学生』であるこの二人が、『大学』の事務組織兼互助組織である『国民団』に目を付けられたらどうなるか、この世界の大学の仕組みについてようやく理解しかけたトールでも分かる。……だが。

東雲しののめのアランは、その火傷の秘密を知る、『狂信者』との繋がりを持っているという嫌疑がかかっているし」

 サシャの左腕を指差し、エフラインが嘯く。

[サシャっ!]

 何も言うな! 届かない文字を、トールは表紙に並べた。確かに、神帝の侍医レイナルドが治せなかったサシャの火傷を、アランはいとも簡単に治してみせた。だがそれは、アランの判断力と知識がなせる技。サシャが『罪』を被っても、何の解決にもならない。こいつらは、サシャをいびったのと同じ言葉の刃で、アラン師匠とセルジュを帝都から追い出す。だから。

「僕、は……」

 俯いて言葉を紡いだサシャに、泣きそうになる。大切な人のために命を惜しまないのが、サシャ。それは、トールには痛いほどよく分かっている。……それでも。
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