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第四章 帝都の日々

4.21 夏の夜の思考

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 人影の無い道へ向かってサシャが投げた小石が、ほぼ真っ直ぐな線を描いて光の届かない暗がりへと落ちる。あの酒場の主人ルーファスと、その息子イアンから教わっている石投げ、上手くなっている。トールが微笑んだ次の瞬間、先程よりも鋭い線が、暗がりの向こうへと飛んでいった。

「エゴン、さん?」

 その線の始点の方へ、一人と一冊が同時に顔を向ける。サシャを見下ろした大柄な同僚、エゴンは、石を持っている自分の右手をサシャに示すと、もう一度、暗がりに向かって鋭い線を描いた。エゴンがサシャに、投げる石の持ち方と投げ方を教えた。トールがそう理解するのに数瞬掛かる。前にルジェクが言っていた通り、エゴンは本当に何も喋らない。ヴィリバルトとの意思疎通はどうしているのだろうか? 無言のまま、槍の手入れに戻ったエゴンの、縦も横もサシャの倍以上ある影に、トールは小さく首を捻った。……ヴィリバルトの護衛であるはずのエゴンが、何故、サシャと一緒に、帝都ていとの城壁の外へ出て、夜の東門を守っているのだろう?

 帝都を守る二つの河は、帝都の南西側で一つの河になっている。合流地点の側に港がある以外、帝都はぐるりと、堅固な城壁で囲まれている。河と城壁で守られているのが帝都だが、唯一、東側にだけは、水路が無い。だから、神帝じんていが住まう宮殿を守るために、宮殿の東側に学生街と、白竜はくりゅう黒竜こくりゅうの二つの騎士団詰所を置き、その東に、小さな門を一つだけ持つ城壁が作られている。日没後、この東門の外に立ち、誰も帝都に入れないよう守るのは、白竜騎士団員の仕事。一応、白竜騎士団の『守人もりと』候補として修行を積んでいるサシャと、ヴィリバルトを守るために黒竜騎士団から白竜騎士団へと異動したエゴンが、この場所を守るのは、当たり前と言えば当たり前の行為、なのだが。エゴンをまねて石を投げる練習を始めたサシャの、汗ばみ始めた身体に、トールは殊更大きく息を吐いた。

 公私に渡って神帝を守護する『守人』は、物理的に神帝を守護すると同時に、神帝に助言することで神帝の治政を手助けする職務を持っている。それ故、『守人』に任命されるためには、自由七科の習得はもちろん、剣術にも優れている必要がある。これは、北都ほくとで読んだ本にもしっかりと書かれていた。だが。白竜騎士団の詰所で暮らしているサシャの同僚、『守人』候補達を思い出し、言葉を飲み込む。バジャルドは、グスタフ教授や他の大学教授の授業にも出ているし、剣術も、神帝を守護する正式な『守人』達にも引けを取らない。その弟のブラスも、マルシアル教授とのことが気になるが、ブラスなりに頑張っている。だが他の『守人』候補達は、剣術には打ち込んでいるように見えるが、勉学に励んでいるようにはみえない。サシャが自習に使う度に埃を払っている、白竜騎士団詰所内の立派な図書室の本棚を思い浮かべ、トールは眉を顰めた。『守人』候補には、勉学ができる健康な者が推薦されると、北都で読んだ本には書かれていたはずなのに、この体たらくとは。しかも、『そいつら』は、剣術の稽古では相手の剣を避けてばかりで反撃しない、それでいて、イアンに勉強を教え、交換に石投げを教わるために酒場に『入り浸って』いるサシャを馬鹿にして、この東門の警備を押しつけてきた。

 無意識に身体が震えるのは、怒りなのか、諦めなのか。石投げに疲れたのか、小さな門の側に腰を下ろしたサシャの頬の蒼白さを、頼りない松明の炎で確かめる。白竜騎士団は、居心地が悪すぎる。だが、十中八九、ヴィリバルトは、サシャを宰相にしたいと思っている北向きたむくの神帝候補リュカのために、サシャを『守人』候補に推薦した。ヴィリバルトがサシャを『守人』候補に推薦した理由を考えると、黒竜騎士団に戻るわけにはいかない。サシャも、そのことは理解しているのだろう。他の『守人』候補に剣術で意地悪をされても、生活圏内において悉く無視をされても、愚痴一つ言わず頑張っている。

 曇り空の所為か、空を見上げても、星は見えない。こんな蒸し暑い日に、侵入者なんて来ないだろう。楽観的なトールの予想は、しかしすぐに外れた。
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