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第三章 森と砦と

3.18 砦の地下の不思議③

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 ふわりと翻った松明の小さな光に、トールは急激な不安に襲われた。

 おかしい。確かに、あの地下室にあった隙間は小さなものだったが、塔を守る隊員の誰かが隙間に気付いても良さそうな気がする。地下室の井戸を使う回数は加算無限なのだから、隙間に気付く確率は高い、はず。だが、塔を守る隊員であるピオすら、通路があることを知らなかった。では、この通路はいつ現れた? おそらく、サシャとピオが地下室の壁に穿たれた隙間を眺めた後。そう、すると。言い知れぬ悪寒に、トールの思考は思わぬ方へ飛んだ。おそらく、あの隙間、古代人の遺跡と言うには小さすぎるあの場所が関係している。

 これまでに一人と一冊が出会った、遺跡での出来事をまざまざと思い出す。紙の材料を探して分け入った、北都ほくとの西の森の中にあった廃墟で、気が付いたら二日経っていたこと。北都の東にある森の崖に穿たれた遺跡から出てきた『冬の国ふゆのくに』の人間タトゥのこと。遺跡で眠っていたはずなのに、何故か真っ暗な空間に飛ばされていたこと。遺跡らしき場所からやっとのことで脱出すると、時間も空間も別の場所に飛ばされていたこと。この『遺跡』も、危険かもしれない。鼓動が、早まる。砦の隊長ブルーノにこの通路のことを知らせている間に、通路自体が無くなる可能性は大いにある。

[サシャ]

 懸念から導き出した解答を、背表紙に並べる。

[ピオだけ、先に脱出してもらった方が良い]

「え?」

 トールの言葉に目を瞬かせたサシャは、しかしすぐに、遠ざかりかけたピオの服の裾を掴んだ。

「ピオだけでも、ここを出て」

「はいっ?」

「これまで、誰も、この通路、見つけられなかったんでしょ」

 怒りをみせたピオの声に、サシャは冷静に首を横に振る。

「ブルーノ隊長に知らせる前に、また、この通路、消えるかもしれない」

「うっ……」

 しっかりとしたサシャの声に、上気したピオの顔色はゆっくりと色を失った。

「た、確かに」

「狂信者を率いるデルフィーノとクラウディオが砦を囲んでいること、ヴィリバルトさんに伝えることが、先だと思う」

 ルジェクの懸念をそのまま言葉にしたサシャに、ピオと同時に頷く。

「でも、黒竜こくりゅう騎士団の団長は、俺のこと知らないぜ」

「うん……」

「サシャは、団長、知ってんだろ? サシャが行けば」

 そして。ピオの提案に、サシャは冷静に首を横に振った。

「僕は、夏炉かろの地理を知らない。ピオの方が僕より速く団長の許に辿り着ける」

「うーん……」

 黒竜騎士団の団長が、信頼の無い相手の言葉を信じるとは思えない。サシャの影響を受けているのか、意外に冷静になっているピオの言葉に、小さく呻く。ピオに手紙を託すという手も、ある。トールと一緒にエプロンの胸ポケットに入っている蝋板と鉄筆の感覚を確かめる。しかし蝋板の文字は、改竄ができる。封をするために必要なものは、ここには無い。

「……トール」

 唸りながら思考を巡らせていたトールの耳に、サシャの、泣きそうな声が響く。

「ごめんなさい」

 その言葉と共に、トールをエプロンの胸ポケットから取り出したサシャは、同じくエプロンから取り出した小刀でトールの裏表紙をトールから切り離した。

「インク、無いから、……血で、書く」

 白い親指を小刀で傷付け、血を付けた鉄筆でトールの裏表紙裏に文字を刻むサシャに、はたと手を打つ。『本』であるトールの裏表紙裏には、かつて北辺ほくへんの修道院でサシャが字を教えた北向きたむくの神帝候補、リュカの署名がある。覚えたての字を得意げに刻んだリュカの丸顔が、トールの脳裏を過る。北都の東に広がる森の崖に刻まれた古代の遺跡で見つけた、王族を暗殺する陰謀が書かれた羊皮紙の件で初めてヴィリバルトに逢った時、ヴィリバルトはトールの裏表紙裏に書かれたリュカの署名を見ている。その署名と同じ場所に書かれた報告ならば、ヴィリバルトもきっと信用する。サシャは、やはり賢い。必要なことを簡潔な文章で記述するサシャの小さな手の震えに、トールは大きく頷いた。

「できた」

「じゃ、持ってく」

 文字の乾き具合を確かめ、息を吐いたサシャの手の中の『手紙』を、ピオが静かに受け取る。

「黒竜騎士団の、なんか『全てを見知っている』目をした人に渡せば、良いんだな?」

「はい」

 黒竜騎士団も、騎士団を率いる団長も、遠目では見ているので分かると思う。少し頼りなげなピオの言葉に、笑って良いのか分からなくなる。

「場所と方向は、太陽が昇れば分かるか」

 普段通り、にやりと笑ったピオは、サシャに手を振ると同時に薄暗い森の木々の間に消えた。
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