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第三章 森と砦と
3.16 砦の地下の不思議①
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その日の、夕方。
「なぜ……?」
砦の仕事を手伝うために、砦の地下に穿たれた井戸で水を汲むサシャの、何度目かの呟きに、今度はきちんと縫い付けられたエプロンのポケットの中で首を横に振る。
何故、狂信者達は、サシャを差し出せと言ってきているのだろう? サシャと同じ疑問は、ずっと、トールの頭の中を回り続けていた。
砦を包囲する狂信者達についてトールが知っていることは、少ない。狂信者の長がデルフィーノという名前であること。狂信者達を援助しているのが夏炉の貴族クラウディオであること。クラウディオのことは、北都でサシャが暗殺者を止めた後、ヴィリバルトがその生い立ちを話していた。夏炉の小貴族の末子で、学問をすることに反対されたが故に親兄弟を謀殺し、一人占めした権力を恣に使っているらしい。後は、……狂信者達は、古代の神を信奉し、古代人が八都のあちこちに建立した神殿を塒にしていること。それくらいだ。
古代人の遺跡のことを脳裏に浮かべると、無意識に震えが走る。古代人の遺跡で見る、幸せそうな小野寺と伊藤に嫉妬していないと言えば嘘になるだろう。それとは別に。古代人の遺跡、特に神殿は、一度以上、サシャとトールの時間と空間の感覚を狂わせている。一人と一冊があの暗闇で過ごした時間は、ほんの二、三日。移動距離も、そんなに長くはなかったはずだ。それなのに、帝華の北の森にいた一人と一冊はいつの間にか夏炉の真ん中の森の中にいて、季節も、夏から初冬へと移り変わっている。絶対におかしい。トールが暮らしていた世界が遺跡に二重写しになることもそうだが、遠い『冬の国』に暮らしているはずのタトゥがいきなり北都の東の森の遺跡から現れたことも、トールの胸に引っかかっていた。
「手伝い、無くて大丈夫か?」
明るい声に、思考を現実へと戻す。
「この井戸、意外と深いんだ。そう簡単には枯れないって、隊長、言ってた」
北都で出会った漁師見習いのクリスに似た、生意気にも聞こえる声だとトールが判断すると同時に、サシャと同じ背の高さをした影がサシャの横に現れた。彼の名は、ピオ。近くの村に住む兵士見習いだと、この砦の隊長ブルーノは言っていた。
「さっきまで、外、見てたんだけどさ」
どうやら手伝いにかこつけて話をしたいだけらしい。井戸の中を確かめるように覗き込んだピオの声が小さくなる。
「狂信者達ってさ、集まると、結構不気味だな」
自分の村でも、狂信者の集団に加わった人達がいる。告白めいたピオの言葉に、トールの背がピンと伸びる。
「食えれば、どっちだって良い。前は俺もそう思ってたんだ」
だが、次のピオの言葉に、トールは別の意味で緊張した。
「でも、デルフィーノ、って名前だったかな、狂信者の長。あいつ、『古代の神々に捧げる』とか言って、気にくわない奴らを火炙りにしてるのを見ちまって、さ」
村に暮らす母や弟達を守りたい。だから、この砦で兵士の見習いをすることにした。ピオの言葉に頷くサシャに、思わず微笑む。だが。……もしも、砦の人達の意見が変わって、サシャを狂信者達に差し出すと判断してしまったら。世界史の資料集に載っていたおぞましい火刑の絵が脳裏を過る。今はまだ大丈夫そうだが、食料が無くなってしまったらどうなるかは分からない。トールには、彼らの判断を止める術はない。自分の非力さに、トールは唇を噛み締めた。
「どっかにさ、誰も知らない秘密の抜け道とかがあると良いんだけどなぁ」
俯くトールの耳に、あくまで明るいピオの声が響く。
「古代の神殿には、誰も知らない抜け道があったって、祖父ちゃんは言ってたけど」
古代の遺跡は夏炉にもある。だが、抜け道があるような神殿は、ピオの祖父も実際には見たことがないらしい。それでは、参考にすらならない。ピオの言葉に、トールは肩を落とした。
「あれも、古代の遺跡?」
不意に、サシャが壁の一部を指し示す。
井戸がある地下室は、円筒形の砦の地下らしい扇のような形をしている。その端にある小さな隙間に、何か人型のようなものが挟まっている。
「ああ、うん。ここにも、昔は神殿があったって」
部屋の隅にある隙間に近づいたサシャに、ピオが頷く。図書館の大きめの机に並んで座っている小野寺と伊藤の後ろ姿を振り払うと、トールは隙間に安置された、下半身が馬になっている小さな像を見つめた。
あの暗闇の中で起こったことが、閃光のようにトールの脳裏を過る。あの、円盤を掲げた大きな像も、古代の神々の一柱。ここにいる小さな像も。と、すると。
〈試してみても、いいかもしれない〉
トールと同じ思考をしているサシャの赤みを帯びた頬を見上げ、サシャを見つめるピオの方へと首を向ける。
「一人の方が、良いよね」
瞳だけをピオの方へ動かしたサシャが、唇を横に引き結ぶ。
[もちろん、俺も一緒だ]
「うん」
サシャの小さな声に、トールは承諾の頷きを返した。
「なぜ……?」
砦の仕事を手伝うために、砦の地下に穿たれた井戸で水を汲むサシャの、何度目かの呟きに、今度はきちんと縫い付けられたエプロンのポケットの中で首を横に振る。
何故、狂信者達は、サシャを差し出せと言ってきているのだろう? サシャと同じ疑問は、ずっと、トールの頭の中を回り続けていた。
砦を包囲する狂信者達についてトールが知っていることは、少ない。狂信者の長がデルフィーノという名前であること。狂信者達を援助しているのが夏炉の貴族クラウディオであること。クラウディオのことは、北都でサシャが暗殺者を止めた後、ヴィリバルトがその生い立ちを話していた。夏炉の小貴族の末子で、学問をすることに反対されたが故に親兄弟を謀殺し、一人占めした権力を恣に使っているらしい。後は、……狂信者達は、古代の神を信奉し、古代人が八都のあちこちに建立した神殿を塒にしていること。それくらいだ。
古代人の遺跡のことを脳裏に浮かべると、無意識に震えが走る。古代人の遺跡で見る、幸せそうな小野寺と伊藤に嫉妬していないと言えば嘘になるだろう。それとは別に。古代人の遺跡、特に神殿は、一度以上、サシャとトールの時間と空間の感覚を狂わせている。一人と一冊があの暗闇で過ごした時間は、ほんの二、三日。移動距離も、そんなに長くはなかったはずだ。それなのに、帝華の北の森にいた一人と一冊はいつの間にか夏炉の真ん中の森の中にいて、季節も、夏から初冬へと移り変わっている。絶対におかしい。トールが暮らしていた世界が遺跡に二重写しになることもそうだが、遠い『冬の国』に暮らしているはずのタトゥがいきなり北都の東の森の遺跡から現れたことも、トールの胸に引っかかっていた。
「手伝い、無くて大丈夫か?」
明るい声に、思考を現実へと戻す。
「この井戸、意外と深いんだ。そう簡単には枯れないって、隊長、言ってた」
北都で出会った漁師見習いのクリスに似た、生意気にも聞こえる声だとトールが判断すると同時に、サシャと同じ背の高さをした影がサシャの横に現れた。彼の名は、ピオ。近くの村に住む兵士見習いだと、この砦の隊長ブルーノは言っていた。
「さっきまで、外、見てたんだけどさ」
どうやら手伝いにかこつけて話をしたいだけらしい。井戸の中を確かめるように覗き込んだピオの声が小さくなる。
「狂信者達ってさ、集まると、結構不気味だな」
自分の村でも、狂信者の集団に加わった人達がいる。告白めいたピオの言葉に、トールの背がピンと伸びる。
「食えれば、どっちだって良い。前は俺もそう思ってたんだ」
だが、次のピオの言葉に、トールは別の意味で緊張した。
「でも、デルフィーノ、って名前だったかな、狂信者の長。あいつ、『古代の神々に捧げる』とか言って、気にくわない奴らを火炙りにしてるのを見ちまって、さ」
村に暮らす母や弟達を守りたい。だから、この砦で兵士の見習いをすることにした。ピオの言葉に頷くサシャに、思わず微笑む。だが。……もしも、砦の人達の意見が変わって、サシャを狂信者達に差し出すと判断してしまったら。世界史の資料集に載っていたおぞましい火刑の絵が脳裏を過る。今はまだ大丈夫そうだが、食料が無くなってしまったらどうなるかは分からない。トールには、彼らの判断を止める術はない。自分の非力さに、トールは唇を噛み締めた。
「どっかにさ、誰も知らない秘密の抜け道とかがあると良いんだけどなぁ」
俯くトールの耳に、あくまで明るいピオの声が響く。
「古代の神殿には、誰も知らない抜け道があったって、祖父ちゃんは言ってたけど」
古代の遺跡は夏炉にもある。だが、抜け道があるような神殿は、ピオの祖父も実際には見たことがないらしい。それでは、参考にすらならない。ピオの言葉に、トールは肩を落とした。
「あれも、古代の遺跡?」
不意に、サシャが壁の一部を指し示す。
井戸がある地下室は、円筒形の砦の地下らしい扇のような形をしている。その端にある小さな隙間に、何か人型のようなものが挟まっている。
「ああ、うん。ここにも、昔は神殿があったって」
部屋の隅にある隙間に近づいたサシャに、ピオが頷く。図書館の大きめの机に並んで座っている小野寺と伊藤の後ろ姿を振り払うと、トールは隙間に安置された、下半身が馬になっている小さな像を見つめた。
あの暗闇の中で起こったことが、閃光のようにトールの脳裏を過る。あの、円盤を掲げた大きな像も、古代の神々の一柱。ここにいる小さな像も。と、すると。
〈試してみても、いいかもしれない〉
トールと同じ思考をしているサシャの赤みを帯びた頬を見上げ、サシャを見つめるピオの方へと首を向ける。
「一人の方が、良いよね」
瞳だけをピオの方へ動かしたサシャが、唇を横に引き結ぶ。
[もちろん、俺も一緒だ]
「うん」
サシャの小さな声に、トールは承諾の頷きを返した。
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