上 下
67 / 351
第二章 湖を臨む都

2.25 新学期の教室②

しおりを挟む
 それは、今から三週間ほど前のこと。

 暗殺者から受けた傷から回復し、図書館の中にある事務室で次に入学する学生達の書類を整理する事務長ヘラルドの手伝いをしていたサシャの前に現れたカジミールは、全身から疲れを発していた。

「『星読ほしよみ』の手伝いはどうしたんだ、カジミール?」

 憔悴しきったカジミールの顔色に驚くサシャの横で、同じようにヘラルドの手伝いをしていたエルネストが軽い口調でカジミールに声を掛ける。

「もう、数字は、金輪際見たくない」

 エルネストの言葉に、カジミールはサシャの横の空いている椅子に崩れるように座り込んだ。

 カジミールは、確か、『星読み』の養い子。前に聞いた言葉を、思い出す。『煌星祭きらぼしのまつり』が近いので、『星読み』達も、暦が星の運行に合っているかどうかを確かめる計算に全力で取り組んでいるらしい。今朝ヘラルドが言っていた言葉を組み合わせることで、トールは、算術と天文に苦手意識を持っているカジミールの苦境を理解した。

「だが、ここでサボっていても、『星読み』の仕事が軽くなるわけじゃない」

「それは、……そうだけど」

 ヘラルドの指摘に、カジミールの敬語を忘れた声が響く。

「『文法』と『論理』の資格は持っているんだよな、カジミール」

 カジミールを助けたのは、エルネストの軽い言葉。

「あ、はい。夏前に試験には受かりました、が」

「じゃ、サシャと交代しても問題は無いな」

「えっ?」

 エルネストの提案に、サシャとトールとカジミールが同時に声を出す。

 しかし確かに、算術と幾何が得意である上に『星読み』の仕事に興味があるサシャが『星読み』の仕事を手伝えば、『星読み』達の仕事は幾分楽になるだろう。『文法』の資格を持つカジミールは、資格を持っていないサシャには扱うことができない、今度の『煌星祭』から学生になる少年達が提出した書類の処理ができる。カジミールは帝華ていかの官僚を目指していると聞いているから、書類の処理のスキルは必須。どちらにとっても良いことしかない。

「じゃ、休憩ついでに交渉してくるか」

 背伸びをして立ち上がったヘラルドに、思わず口の端を上げる。

 事務長ヘラルドと『星読み』博士ヒルベルトの話し合いはすぐに終わり、『煌星祭』当日まで、サシャは、『星読み』の館に泊まり込みで計算の手伝いをした。

 些細な計算の誤りも見逃さない『星読み』達の過酷な仕事風景を、サシャはどう感じただろう? カジミールに微笑むサシャを、エプロンのポケットから見上げる。

「ヒルベルト様、もう、北辺ほくへんに?」

 トールの視線に気付かないサシャは、カジミールとの会話を続けていた。

「ああ。今朝早くに発ったみたいだな」

 秋分祭しゅうぶんのまつりで起きた暗殺未遂事件で、北向きたむく王家の脆弱性に気付いた。カジミールの代わりにサシャが『星読み』の手伝いに入ってすぐに聞いた『星読み』博士ヒルベルトの言葉を、思い出す。老王の息子は三人、直系の孫も三人いるが、直系の曾孫は、セルジュと、身体の弱いセルジュの兄しかいない。セルジュと同世代の王族も、ヒルベルトとセレスタンの息子リュカと、帝華に住まう神帝じんていを守護する『白竜はくりゅう騎士団』の団長を務めるセルジュの叔父の息子だけだ。神帝候補であるリュカは、他の人と契りを結んで子を成すことができない。次の世代に繋ぐために、リュカやセルジュと同世代の王族を増やさなければ。さもないと、早晩、北向王家は滅びてしまう。……夏炉かろの王家と同じように。だからヒルベルトは、配偶者であるセレスタンと再び契りを結ぶために、北辺へと旅立った。配偶者を亡くしている北向の王太子アナトールも、他の王家から配偶者を迎えようとしていると聞く。皆、頑張っている。自分も、……サシャのために頑張らないと。カジミールの言葉に頷いたサシャの、少しだけ赤くなった頬を確かめ、トールはぐっと腹に力を込めた。

「あ、あれは」

 顔を上げたサシャが、小さく声を出す。

 サシャの視線の先にいた、小さな影に、トールは唇を横に引いた。あの小さな影は、怪我をしたサシャの代わりに図書館の掃除をしてくれていた、事務長ヘラルドが雇った少年。確か、北都ほくとの城壁内にある、人々の日々に寄り添う修道院の修練士だと、ヘラルドは言っていた。名前は、確か、ヤン。

「あ、ヤン」

「サシャ」

 隣に席があることを教えるために上がりかけたサシャの右腕を、カジミールが強く引く。

「え?」

 突然のことにサシャがぽかんと口を開ける前に、裾の長いガウンをまとった学長が、学生でごった返す教室に入ってきた。

 戸惑ったまま、それでもカジミールには何も言わず、教授の方に顔を向けたサシャに、息を吐く。サシャが座ったままでは、あの小柄な影がどこに席を見つけたのか、知る術はない。この混雑した教室に、空いた場所があれば良いのだが。小さく揺れるサシャの鼓動に、トールは小さく首を横に振った。

 サシャに友達が増えることは、原則として良いこと。そう、トールは思っている。だからこそ、カジミールの行動が、不可解でならない。サシャの隣で教授の演説を聴く、カジミールの色素の薄い頬を見上げ、トールは誰にも分からないレベルで唸った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

追放したんでしょ?楽しく暮らしてるのでほっといて

だましだまし
ファンタジー
私たちの未来の王子妃を影なり日向なりと支える為に存在している。 敬愛する侯爵令嬢ディボラ様の為に切磋琢磨し、鼓舞し合い、己を磨いてきた。 決して追放に備えていた訳では無いのよ?

転生幼女は幸せを得る。

泡沫 ウィルベル
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!? 今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−

勇者パーティのサポートをする代わりに姉の様なアラサーの粗雑な女闘士を貰いました。

石のやっさん
ファンタジー
年上の女性が好きな俺には勇者パーティの中に好みのタイプの女性は居ません 俺の名前はリヒト、ジムナ村に生まれ、15歳になった時にスキルを貰う儀式で上級剣士のジョブを貰った。 本来なら素晴らしいジョブなのだが、今年はジョブが豊作だったらしく、幼馴染はもっと凄いジョブばかりだった。 幼馴染のカイトは勇者、マリアは聖女、リタは剣聖、そしてリアは賢者だった。 そんな訳で充分に上位職の上級剣士だが、四職が出た事で影が薄れた。 彼等は色々と問題があるので、俺にサポーターとしてついて行って欲しいと頼まれたのだが…ハーレムパーティに俺は要らないし面倒くさいから断ったのだが…しつこく頼むので、条件を飲んでくれればと条件をつけた。 それは『27歳の女闘志レイラを借金の権利ごと無償で貰う事』 今度もまた年上ヒロインです。 セルフレイティングは、話しの中でそう言った描写を書いたら追加します。 カクヨムにも投稿中です

悪役令嬢に転生したので、ゲームを無視して自由に生きる。私にしか使えない植物を操る魔法で、食べ物の心配は無いのでスローライフを満喫します。

向原 行人
ファンタジー
死にかけた拍子に前世の記憶が蘇り……どハマりしていた恋愛ゲーム『ときめきメイト』の世界に居ると気付く。 それだけならまだしも、私の名前がルーシーって、思いっきり悪役令嬢じゃない! しかもルーシーは魔法学園卒業後に、誰とも結ばれる事なく、辺境に飛ばされて孤独な上に苦労する事が分かっている。 ……あ、だったら、辺境に飛ばされた後、苦労せずに生きていけるスキルを学園に居る内に習得しておけば良いじゃない。 魔法学園で起こる恋愛イベントを全て無視して、生きていく為のスキルを習得して……と思ったら、いきなりゲームに無かった魔法が使えるようになってしまった。 木から木へと瞬間移動出来るようになったので、学園に通いながら、辺境に飛ばされた後のスローライフの練習をしていたんだけど……自由なスローライフが楽し過ぎるっ! ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

【完結】魔王様、溺愛しすぎです!

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
「パパと結婚する!」  8万年近い長きにわたり、最強の名を冠する魔王。勇者を退け続ける彼の居城である『魔王城』の城門に、人族と思われる赤子が捨てられた。その子を拾った魔王は自ら育てると言い出し!? しかも溺愛しすぎて、周囲が大混乱!  拾われた子は幼女となり、やがて育て親を喜ばせる最強の一言を放った。魔王は素直にその言葉を受け止め、嫁にすると宣言する。  シリアスなようでコメディな軽いドタバタ喜劇(?)です。 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう 【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264) 挿絵★あり 【完結】2021/12/02 ※2022/08/16 第3回HJ小説大賞前期「小説家になろう」部門 一次審査通過 ※2021/12/16 第1回 一二三書房WEB小説大賞、一次審査通過 ※2021/12/03 「小説家になろう」ハイファンタジー日間94位 ※2021/08/16、「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過作品 ※2020年8月「エブリスタ」ファンタジーカテゴリー1位(8/20〜24) ※2019年11月「ツギクル」第4回ツギクル大賞、最終選考作品 ※2019年10月「ノベルアップ+」第1回小説大賞、一次選考通過作品 ※2019年9月「マグネット」ヤンデレ特集掲載作品

子爵家の長男ですが魔法適性が皆無だったので孤児院に預けられました。変化魔法があれば魔法適性なんて無くても無問題!

八神
ファンタジー
主人公『リデック・ゼルハイト』は子爵家の長男として産まれたが、検査によって『魔法適性が一切無い』と判明したため父親である当主の判断で孤児院に預けられた。 『魔法適性』とは読んで字のごとく魔法を扱う適性である。 魔力を持つ人間には差はあれど基本的にみんな生まれつき様々な属性の魔法適性が備わっている。 しかし例外というのはどの世界にも存在し、魔力を持つ人間の中にもごく稀に魔法適性が全くない状態で産まれてくる人も… そんな主人公、リデックが5歳になったある日…ふと前世の記憶を思い出し、魔法適性に関係の無い変化魔法に目をつける。 しかしその魔法は『魔物に変身する』というもので人々からはあまり好意的に思われていない魔法だった。 …はたして主人公の運命やいかに…

処理中です...