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第二章 湖を臨む都

2.8 山腹に分け入る

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 サシャが持つ杖が、草の中に隠れた殆ど見えない道を掻き分ける。

 蛇は、いない。緩やかな斜面を丁寧に踏み進むサシャの、少し危なっかしげな足下を見ながら、トールは小さく頷いた。

 丘の上にある修道院の裏手に位置する森の中に、サシャとトールは足を踏み入れている。見上げて視界に映る森の木々は、葉が付いている所為か、北辺ほくへんの森よりもどっしりとしている。日陰となっている木々の下には、当たり前だが草は少ない。

[日向の方に、道、あるか?]

 狙うなら、蔓草か、丈の高い草。その考えのままにサシャに助言する。

「うーん。……足下、滑りそう」

 掻き分けた草の下に突然見えた段差に、サシャは上着の袖で額の汗を拭った。

「でも、頑張らないと」

 どこにでも生えている草から『紙』を作ることができたら、リュカが書いた文字を保存することができるし、学校に提出するレポート用の羊皮紙の値段で悩まなくて良い。歩きながらのサシャの言葉に、大きく頷く。トールが『紙』のことをもう一度サシャに詳しく話したのは、アラン師匠と共に修道院に帰った、その夜のこと。草を叩きほぐして水と混ぜ、草の繊維が混ざったその液体を平らに掬い上げて網の上に置き、水が乾くまで待つことによって草の繊維の『膜』を作る。小学生の頃、社会見学で見聞きした光景を思い出しながら、トールはサシャに紙作りのことを説明した。

「そう言えば」

 トールの説明に、サシャが目を丸くする。

「麻の糸を取る時、煮すぎるとドロドロになってた」

 北辺でサシャを育てていたサシャの叔父ユーグは麻を栽培して糸を績み、修道院に納めていた。その叔父の手伝いをしていたサシャの観察眼に、トールは小さく唇を開いた。

「それを水に伸ばして、平らに掬い上げたら『紙』になる?」

 サシャの問いに、頷く。麻も植物だし、麻を使った紙もある。

「あ、でも、麻は服を作るのに必要だから」

 ユーグが麻糸を績んでいる場面は、サシャが熱を出している時にトールも見た覚えがある。北辺で、ユーグは、修道院には納められない粗悪な糸を使って布を織り、サシャの下着を作ってくれていたらしい。サシャの言葉に、サシャの行李に入っている下着の数を思い出し、トールはゆっくりと頭を振った。現在、サシャと共に北都近くの修道院に寄宿しているユーグの仕事は、北辺で行っていたものと同じ、修道院近くにある畑の作物栽培と、麻績みと羊毛紡ぎと布織り、そして修道院内にある細かいものの制作と修理。サシャの下着は、おそらく減らない。

[理論上は、どんな草木からでも『紙』は作れる、はず]

 思考を切り替えるように、大学の図書館で読んだ『紙』についての本の内容を思い出しながらゆっくりと、背表紙に文字を並べる。

[『自分のことに使う日』に、探しに行っても良いんじゃないか]

「うん、そうしよう!」

 トールの言葉に、サシャが大きく頷くのが、嬉しかった。

 『紙』の作成にサシャが乗り気になっている。その気持ちを、大切にしなければ。日向に生えた、サシャの背丈と同じくらいの草に手を伸ばしたサシャに、助言するように大きく頷く。

 雲はあるが、雨を心配するほどではない。同じ種類の草を少しずつ、修道院で借りた小刀で切り取り、サシャの叔父ユーグが貸してくれた、ユーグが木の皮を編んで作った背負い籠に入れるサシャの頭上を、確かめる。トールの助言が、役に立っている。そのことに踊る自分の心を確かめ、トールは大きく頷いた。
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