23 / 351
第一章 北辺に出会う
1.23 追う者、助ける者②
しおりを挟む
その時。
サシャとトールに向いていた切っ先が、不意に逸れる。知らぬ間にサシャとテオの間にいた大柄な影が、テオの剣を持った腕を掴んで持ち上げている。そのことを、トールが理解するのに数瞬掛かった。
「邪魔、す、る……」
大柄な影を睨んだテオの喚きは、大柄な影の無言の圧力に尻すぼみになる。
「貴様っ! 覚えてろよっ!」
大柄な影がテオの腕を離すと同時に、テオは、抜き身の剣とサシャのマントを掴んだまま、陳腐な捨て台詞を残して去って行った。
「あ……」
立ち尽くすサシャが、大柄な影の方へ顔を上げる。
「あの、ありが、と……」
お礼を言いかけたサシャの声は、一足でサシャの眼前に立った大柄な影の圧力に掻き消された。
「この、釦……」
サシャとトールを見下ろした薄色の瞳が、不意に大きくなる。テオの腕の倍以上太い腕が、トールが入っているエプロンの胸ポケットを強く掴んだ。
「この釦を、俺にくれ」
次に響いたのは、不可解な言葉。
[え……?]
言葉の意味を掴み損ね、大柄な人物の、肩で揺れる白に近い金色の髪を見上げる。夕刻の光でもサシャよりは血色が良く見える大柄な影の肌は、トールがこれまでに見てきたこの世界の人々の肌より白い。この人は、もしかして。この世界の本から得た知識を、トールは何とか引っ張り出した。この人は、この北向の地の北方に住む、『冬の国』の人、なのか? しかし何故、『冬の国』の人が、サシャのエプロンの釦を欲しがる? そこまで考えたトールが感じたのは、サシャの、震える身体と鼓動。
[サシャ?]
血の気を無くしたサシャの頬に、声を掛ける。サシャのエプロンの胸ポケットを掴む大きな手を見つめたまま震え続けるサシャの見開かれた瞳に、トールははたと手を打った。『冬の国』の言葉は、サシャ達が話している言葉とは、違うのか?
[大丈夫だ、サシャ]
サシャに見えるように、背表紙に大文字を踊らせる。
[その人、エプロンの釦が欲しいって言ってるだけだから]
それだけで、分かったのだろう。唇の震えを止めたサシャが、トールに向かって小さく頷く。顔を上げ、大柄な人物を見上げたサシャは、口の端を少しだけ上げ、そして大きく頷いた。
「……!」
サシャの頷きを見た大柄な人物の口の端が、暗さを増した空間でも分かるほどに大きく上がる。サシャからその手を離すと、大柄な人物は腰の短刀を抜き、意外に繊細な動作で、サシャが付けた釦の糸を素早く断ち切った。
「ありがとう」
サシャのエプロンにあった二つの釦が、大柄な人物の腰の袋に収まる。短刀を腰に戻した大柄な人物は、不意に横を向くと、落ちていた不格好な麻袋を拾ってサシャに押しつけた。
「これは、礼だ」
戸惑いに震えるサシャの腕が麻袋を掴むのを確かめもせず、大柄な影が踵を返す音が響く。
[うぐっ……]
ごつごつとした麻袋の中身に押し潰され、トールは思わず悲鳴を上げた。
そのトールの悲鳴が聞こえたのが、サシャの腕から麻袋が滑り落ちる。
[……?]
すっかり暗くなってしまった荒野には、サシャとトールの他には誰も居なかった。
[大丈夫か、サシャ?]
幸いなことに小降りになった雪の間に立ち尽くすサシャに、声を掛ける。
「うん……」
俯いたサシャの頬に流れた涙に、トールは言葉を失った。
[と、とにかく、帰らないと]
それでも何とか、言葉を紡ぐ。
[ユーグさん、心配してる]
「うん」
涙を拭いたサシャが、地面に落ちた麻袋を抱え上げたことに、トールはほっと胸を撫で下ろした。
[袋、重いのか?]
この麻袋の中身は、一体? 再び感じる、麻袋の中身のごつごつと固い感触に、悲鳴を堪えてサシャに尋ねる。
「大丈夫」
抱えやすいように麻袋と腕の位置を調整したサシャは、何とか一歩だけ、歩を進めた。
そのサシャの、唇の震えに、上げそうになった声をどうにか堪える。今日のサシャのエプロンは、トールとサシャが出会った翌日に、サシャがポケットを付け足したもの。だから、あの大柄な人物に渡してしまった、エプロンの胸ポケットに付いていた釦は、サシャの母の唯一の、形見。
[サシャ]
視界を塞ぐ麻袋とサシャのエプロンの間にできた僅かな隙間から、サシャの顔を見上げる。
俯きがちに歩くサシャの、それでも震えが無い身体の熱さに、トールはほっと、息を吐いた。
サシャとトールに向いていた切っ先が、不意に逸れる。知らぬ間にサシャとテオの間にいた大柄な影が、テオの剣を持った腕を掴んで持ち上げている。そのことを、トールが理解するのに数瞬掛かった。
「邪魔、す、る……」
大柄な影を睨んだテオの喚きは、大柄な影の無言の圧力に尻すぼみになる。
「貴様っ! 覚えてろよっ!」
大柄な影がテオの腕を離すと同時に、テオは、抜き身の剣とサシャのマントを掴んだまま、陳腐な捨て台詞を残して去って行った。
「あ……」
立ち尽くすサシャが、大柄な影の方へ顔を上げる。
「あの、ありが、と……」
お礼を言いかけたサシャの声は、一足でサシャの眼前に立った大柄な影の圧力に掻き消された。
「この、釦……」
サシャとトールを見下ろした薄色の瞳が、不意に大きくなる。テオの腕の倍以上太い腕が、トールが入っているエプロンの胸ポケットを強く掴んだ。
「この釦を、俺にくれ」
次に響いたのは、不可解な言葉。
[え……?]
言葉の意味を掴み損ね、大柄な人物の、肩で揺れる白に近い金色の髪を見上げる。夕刻の光でもサシャよりは血色が良く見える大柄な影の肌は、トールがこれまでに見てきたこの世界の人々の肌より白い。この人は、もしかして。この世界の本から得た知識を、トールは何とか引っ張り出した。この人は、この北向の地の北方に住む、『冬の国』の人、なのか? しかし何故、『冬の国』の人が、サシャのエプロンの釦を欲しがる? そこまで考えたトールが感じたのは、サシャの、震える身体と鼓動。
[サシャ?]
血の気を無くしたサシャの頬に、声を掛ける。サシャのエプロンの胸ポケットを掴む大きな手を見つめたまま震え続けるサシャの見開かれた瞳に、トールははたと手を打った。『冬の国』の言葉は、サシャ達が話している言葉とは、違うのか?
[大丈夫だ、サシャ]
サシャに見えるように、背表紙に大文字を踊らせる。
[その人、エプロンの釦が欲しいって言ってるだけだから]
それだけで、分かったのだろう。唇の震えを止めたサシャが、トールに向かって小さく頷く。顔を上げ、大柄な人物を見上げたサシャは、口の端を少しだけ上げ、そして大きく頷いた。
「……!」
サシャの頷きを見た大柄な人物の口の端が、暗さを増した空間でも分かるほどに大きく上がる。サシャからその手を離すと、大柄な人物は腰の短刀を抜き、意外に繊細な動作で、サシャが付けた釦の糸を素早く断ち切った。
「ありがとう」
サシャのエプロンにあった二つの釦が、大柄な人物の腰の袋に収まる。短刀を腰に戻した大柄な人物は、不意に横を向くと、落ちていた不格好な麻袋を拾ってサシャに押しつけた。
「これは、礼だ」
戸惑いに震えるサシャの腕が麻袋を掴むのを確かめもせず、大柄な影が踵を返す音が響く。
[うぐっ……]
ごつごつとした麻袋の中身に押し潰され、トールは思わず悲鳴を上げた。
そのトールの悲鳴が聞こえたのが、サシャの腕から麻袋が滑り落ちる。
[……?]
すっかり暗くなってしまった荒野には、サシャとトールの他には誰も居なかった。
[大丈夫か、サシャ?]
幸いなことに小降りになった雪の間に立ち尽くすサシャに、声を掛ける。
「うん……」
俯いたサシャの頬に流れた涙に、トールは言葉を失った。
[と、とにかく、帰らないと]
それでも何とか、言葉を紡ぐ。
[ユーグさん、心配してる]
「うん」
涙を拭いたサシャが、地面に落ちた麻袋を抱え上げたことに、トールはほっと胸を撫で下ろした。
[袋、重いのか?]
この麻袋の中身は、一体? 再び感じる、麻袋の中身のごつごつと固い感触に、悲鳴を堪えてサシャに尋ねる。
「大丈夫」
抱えやすいように麻袋と腕の位置を調整したサシャは、何とか一歩だけ、歩を進めた。
そのサシャの、唇の震えに、上げそうになった声をどうにか堪える。今日のサシャのエプロンは、トールとサシャが出会った翌日に、サシャがポケットを付け足したもの。だから、あの大柄な人物に渡してしまった、エプロンの胸ポケットに付いていた釦は、サシャの母の唯一の、形見。
[サシャ]
視界を塞ぐ麻袋とサシャのエプロンの間にできた僅かな隙間から、サシャの顔を見上げる。
俯きがちに歩くサシャの、それでも震えが無い身体の熱さに、トールはほっと、息を吐いた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判
七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。
「では開廷いたします」
家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜
よどら文鳥
恋愛
フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。
フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。
だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。
侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。
金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。
父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。
だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。
いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。
さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。
お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる