上 下
14 / 351
第一章 北辺に出会う

1.14 村からの来訪者①

しおりを挟む
 身体を洗い終えたサシャと共に、森の聖堂へと戻る。

 戻ってきた、石造りの小さな聖堂の入り口の前には、三つの影が佇んでいた。

「よお、サシャ」

 その影の一人、腰のベルトに小ぶりな斧をぶら下げた、肩幅の広い髭面の男が、戻ってきたサシャに手を上げて挨拶をする。

「あ、ドニさん。お久し振りです」

 頭を下げて挨拶を返すサシャの声は、穏やか。知り合い、なのだろう。サシャのエプロンの胸元に位置するポケットの中で、トールはほっと息を吐いた。

「森の村のサシャさんも」

 髭面の後ろに居た、背の高い方の影にも、サシャは頭を下げる。

「よお、聖堂のサシャ。相変わらずか細いな」

 大きく笑った背の高い男が発した言葉に、トールは小さく首を傾げた。

「『サシャ』って名前、珍しくないんだ」

 トールの困惑を見抜いたのか、サシャが小さな声でトールにそう、教えてくれる。亡くなった者は、その者と同じ血の下に生まれ変わるという信仰があるこの世界では、今は亡き高祖父や曾祖父の名前を子供の名付けに使う。現在生きている一族の者と同じ名前を名付けに用いることはできないため、記録に残る先祖の名前を全て使ってしまった後は、国を統べる王や、連合する七つの国をまとめる神帝の名をいただいて用いることもあるという。サシャの名は、この夏に老衰で亡くなった北向王家出身の神帝の名をもらったもの。手短なサシャの言葉に、トールは「分かった」と言うように大きく頷いた。

「紹介させてくれ、サシャ」

 小さな声でトールに説明しながら、聖堂の前に佇む三人の方へと近づいたサシャに、背の高い影がもう一人の小柄な影を指し示す。

「川下の村のリュシアン。俺の、その……」

「こいつら、どうしてもここの聖堂で契りを結びたいってんで、連れて来たのさ」

 言葉の途中で顔を真っ赤にした背の高い影に、ドニと呼ばれた髭面の男が大きく笑った。

「今、ユーグが準備をしている」

「できましたよ」

 ドニの言葉に続いて、聖堂から杖をついたユーグが現れる。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 ユーグに頭を下げた背の高い影が、小柄な影の手を掴む。そのまま、しずしずと聖堂の中に入っていった二つの影を、トールは目を瞬かせながら見送った。

「あいつら、契りの言葉、ちゃんと覚えているのか?」

「大丈夫でしょう」

 半分だけ閉まった、聖堂の重そうな扉の影から中を覗き込むドニに、ユーグが頷く。サシャも、ドニと同じように扉の影から聖堂内部を覗き込んでいるので、トールにも、仄暗い聖堂の内部が見えた。窓は全て雨戸かカーテンで塞がれているらしく、聖堂奥の祭壇の上にある丸いステンドグラスから差し込んでいる光のみが、祭壇の前に跪く二つの影を照らしている。寄り添っているように見える二つの影は、祈っているようにしか見えない。これが『契りを結ぶ』ということなのだろうか? 動かない、聖堂の中の二つの影に、トールは目を瞬かせた。

「これが、『契り』だよ、トール」

 僅かに興奮したサシャの囁きが、耳を揺らす。

「神に祈り、誓いを立てることで、二人のどちらかに子供ができるんだ」

[どちらか? 決まってないのか?]

「決めるのは神様」

 トールの戸惑いに、サシャは当然という顔で回答を紡いだ。

「母上も、叔父上も、マルタンお祖父様の配偶者の方が身籠もって産んだんだって」

 だが。次に響いた、悲しみを帯びたサシャの声に、はっとしてサシャを見上げる。

「お祖父様の配偶者は、叔父上を産んだ後で、身体を弱くして亡くなったんだって、お祖父様、言ってた」

 サシャの小さな声が、トールの耳を強く打った。

「神様のことは責めなかったけど、身体が丈夫な自分が子供を身籠もらなかったこと、お祖父様、ずっと悲しんでた」

 小さく首を振ったサシャに、頷くことしかできない。

「やっとあいつも、契りを結ぶ気になってくれて良かったぜ」

 そのトールの耳に、扉の影から離れたドニの太い声が響く。

「契りを結べば、子供ができますからね」

 自分が身籠もれば、やりたいことができなくなるかもしれない。相手が身籠もっても、産み育てる責任は変わらない。トールが生きていた世界と大体において同じことを呟いたユーグに、トールの心はすとんと落ち着いた。この場所には、男女の区別が無い。それが、違うだけだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。 「では開廷いたします」 家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

処理中です...