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幼馴染は蜜の味
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僕の朝は、隣に住むマコトを起こしに行くことから始まるんだ。
「おはよう夏樹、今日も誠を頼むな」
おじさんが申し訳なさそうに僕を出迎えてくれながら、入れ違いに出かけていくのもいつもの日課。
「ねえマコト、朝だよ! 起きてよ!」
「うるせえナツキ殺すぞ寝かせろぐにゅう……」
あーもう。
なんでこんなに寝起きが悪いんだろう、こいつは。
毎日これの繰り返しだから、慣れたといえばそうなのだけれど、僕だって人間だからさ。
こいつのこんな態度を笑顔で許してあげる日もあれば、むかついてどうしようもない日もある。今日は大丈夫だけれどね。
次にドアの外から心配そうにマコトの様子を覗いているお手伝いさんに僕はウインクをする。
するといつものようにお手伝いさんはマコトの制服とメッセンジャーバッグをそっと部屋から持ち出し、僕の家に届けてくれるんだ。
さてっと、
「ほらマコト、早く起きないと大好物のベーコンごはんがなくなっちゃうよ!」
これも毎朝の呪文。
「なんだと!」
と、反射的に飛び起きたマコトの手を掴んで、寝起きで朦朧としているマコトを僕の家まで一気に連行するんだ。
家に戻ると、マコト家のお手伝いさんがリビングにマコトの制服とバッグを置いてくれている。
「それでは、坊ちゃまをよろしくお願いいたします」
「うん、それじゃまた後でお願いするね」
こうしたお手伝いさんとの会話も毎朝の日課。昔からの癖で、平日の朝はマコトは僕んちで朝ごはんを食べているんだ。お手伝いさんがマコトの家に来るようになってもね。
ベーコンごはんで釣ってきたマコトは僕んちの食卓で椅子にだらしなく腰掛けながら鋭意二度寝中。
えーっと。
今日は火曜日だから、味付けはレモンバターだね。
僕は母さんが事前に用意してくれておいた朝食の仕上げに入るんだ。
母さんが室温に戻してくれたベーコンをフライパンに置いて加熱する。
ベーコンから油がじゅわじゅわとにじみ出てきたら、その日の仕上げに応じてベーコンの状態を確認する。
今日は火曜日。
火曜日の味付けはレモンバター。
だから僕は、レモンバターでステーキのように柔らかく食べられるように、肉厚のベーコンをさっと焼くんだ。
ベーコンに火が通ったら、マコト専用のどんぶりと、僕のお茶碗にごはんを盛って、その上に野菜を乗せるんだ。
今日はレモンバターの優しい味を邪魔しないように、キャベツの千切りをごはんに乗せる。
そこにほどよく焼けたベーコンを重ねて、その上に僕特製のレモンバターを乗っけてやる。
ちなみにマコトはこれだけでは味が足りないので、フライパンに残ったベーコンの油にちょっとお醤油を差して、そいつをどんぶりに上から回しかけてやるんだ。
そしたら別にお母さんが用意してくれていたお味噌汁を器によそって朝食の出来上がり。
「それじゃマコト、いただきまーす!」
「なんだとー! あれ?」
ここでマコトが本格的に目を覚ますのも毎日のこと。
「あ、ナツキ、おはよう。レモンバターということは、今日は火曜日か!」
こんな感じで僕とマコトは朝を迎えるんだ。
「マコト、今日は何にする?」
「うーんと、蜂蜜はあるかな?」
「あるよ」
マコトがどんぶりをかっ込むのと、僕がお茶碗のごはんを食べ終わるのは大体同じくらいなんだ。
そしたらデザート。
僕はヨーグルト。
マコトはバナナ。
「俺はグルメだからな。ただのバナナだけでは満足できない身体なのだよ」
口調が変わったということは、完全に目覚めたということ。
はいはい、わかったから今日はバナナに蜂蜜をかけて食べな。
バナナの皮を内側だけ剥いて、白い果肉をナイフで一口サイズに切り分けてから、そこに今日は蜂蜜をかけてやる。
「はい、どうぞ」
「ナツキ、うまい! 美味いぞ!」
「はいはい。よかったね」
これも毎朝の日課。
こうしてすっかり目覚めたマコトは、当たり前のように制服に着替え、当たり前のようにパジャマを袋に入れて、玄関のドアノブにそいつを引っ掛ける。
こうしておけば、後からマコト家のお手伝いさんが回収してくれるんだ。
「それじゃ行くぞナツキ」
「はーい」
こうして僕たちの学校生活は今日も始まる。
◇
マコトが前を歩き、僕はその後ろからついていく。
マコトは身長百九十センチ。僕は身長百五十センチ。その差はなんと四十センチ。
体重だってマコトは七十キロ。僕は四十キロでその差三十キロ。
だから歩幅だってとても違う。
マコトを追いかけるのって大変なんだ。
それに、外に出たら僕たちの関係は変わってしまう。
「誠くん、おはようっす」
「はいよ」
「誠さん、おはようございます」
「はいよ」
マコトには道で出会う皆が挨拶をしていく。
でも、僕には誰も声をかけてこない。
これも毎日のこと。そう、中学卒業までは。
マコトは僕に何も言わず、さっさと自分のクラスに行ってしまう。
僕もマコトに何も言わず、自分のクラスに向かう。
今日はどんな嫌がらせが待っているのだろうなと、憂鬱になりながら。
◇
「誠の情婦にプレゼント」
今日の机には、そんなメモと一緒に血で汚れた女ものの下着が入っていた。
へえ、今日は変化球で来たなあ。
久しぶりの嫌がらせに、僕はちょっとおかしくなって笑ってしまう。
もう僕の心はこんなものでは動揺しない。
なぜって、これまでいろいろなものが机に入っていたからさ。
小学生の頃は、ごみ箱のごみや、使い終わった雑巾とかが入っていた。
ちょっとしたことで、僕は同級生にいじめられた。
その度に僕は泣いた。
その度にマコトは僕のために犯人探しをし、仕返しをしてくれた。
その結果、僕の机には、マコトすらも目をそらしてしまうようなモノが、誰が犯人なのかわからないように巧妙に入れられるようになった。
僕に対してのいじめは、教室からトイレへと移っていった。
そんなある日のこと。マコトは僕をいじめた子を殴り、歯を折ってしまった。
マコトの仕返しを、僕をいじめた子の親が「暴力だ」と学校に訴えた。
そしてそれは大人同士の話し合いになってしまった。
僕のお母さんも、マコトのお父さんも学校に呼ばれたんだ。
校長室で、僕の机にネズミの死骸を入れた奴の親が「まったく、そちらさまは、息子さんたちにこれまでどういった教育をされてきたのですか!」と、お母さんとマコトのお父さんをなじった。
担任の先生はうつむいたまま。
校長先生も困っている。
お母さんとマコトのお父さんは「暴力をふるったことは謝ります」と繰り返した。
「なあナツキ。お前、これから我慢できるか?」
耳元でマコトが囁いた。
わかんない。
わかんないよマコト。
でも、多分僕が我慢すればいいんだよね?
「ああ、俺も我慢するからさ」
次の日から、僕は何があっても泣かないことにした。
そうしたら、しばらくすると僕に対する嫌がらせは、机の中に変なものが入れられること以外にはぴたりと止んだんだ。
そっか、僕も毅然としていればよかったんだ。
周りからの舌打ちや陰口も気にしないことにした。
どうせ学校にいる間のことだけなんだから。
小学校、中学校。
僕は机の中に仕掛けられたさまざまな「嫌なもの」に対峙してきた。
そして高校。
僕とマコトは、同じ進学高に進んだんだ。
高校入学のころには、マコトはすでに有名人になっていたんだよ。
「歩く核弾頭」
「ボタンを間違えると爆発する」
「触るな危険」
これがマコトの愛称さ。どこの地下格闘技チャンピオンだよ。
でね、僕にもこんな愛称がついたんだ。
「誠の避雷針」
という愛称がね。
◇
高校に入学して、同じクラスになったマコトは、ことあるごとに僕をいじるようになったんだ。
多分はたから見ると、僕はマコトの子分に見えるのだろうね。
「ナツキ、三十秒で焼きそばパン買ってこい」
「無理だよマコトくん!」
あえてクン付けで答える僕を尻目に、マコトはちらりと教室内に目をやる。
「じゃあお前、六十秒で焼きそばパン買ってこい!」
「誠君、六十秒は無理っす! 勘弁してください!」
マコトに突然焼きそばパン購入を指示された剣道部のホープは真っ青になってしまう。
「それじゃあ誰だ! 誰か行ってこい!」
「わかったマコトくん、僕が全力で行ってくるから、ちょっと待ってて」
「九十秒で行ってこい!」
返事もせずに、僕は教室を飛び出すんだ。焼きそばパンのために。
これはほんの一例。
マコトは高校生になってクラスの暴君になった。
多分僕のために。
今のクラスメイトは僕をいじめる余裕なんかないんだ。マコトのおかげでさ。
「誠の避雷針」
これはクラスメイトが僕につけた「安全装置」という意味のあだ名。
さっき脅かされた剣道部員も、マコトに見られないように、そっと僕に「助かったよ、夏樹」と囁いてくれるんだ。
高校生になって、僕はクラスに居場所ができたんだ。
でも世の中って変だよね。
こんな僕にジェラシーを感じる人もいるらしい。
今日の血で染まった女性用下着は、大方そういうことだろう。
ここは男子高。
いろんな奴がいるのかもね。
◇
今日も朝を迎え、マコトを迎えに行く。
ところが、どうもいつもと様子が違う。
いつもは豪快に掛布団を蹴散らしているマコトなのに、なぜか今日のブランケットはベッドの上に綺麗に山を作ってキープされている。
そしてなぜかブランケットの中で丸まっているマコト。
「あれ、マコト。起きてるの?」
僕の問いかけに、いつもとは全く違う雰囲気を見せるマコト。
何となくおどおどとした様子で、マコトはブランケットから顔をのぞかせたんだ。
その表情から、普段のマコトよりもほっそりとした印象を受けたんだ。
あれ? 痩せたのかなマコトは?
いやいや、昨日の今日でそんなことはないか。きっと光の加減だよね。
「なあナツキ」
「何だよマコト。今日は目玉焼き&ベーコンだよ」
何だか様子がおかしいなあ。
「実はさ、目玉焼きよりも重大な相談があるんだけど」
へえ、マコトの朝にベーコンよりも重要なことなんかあるんだ。今知ったよ僕は。
いや、ベーコンと良い勝負をするのがもう一つあった。もしかしたらバナナのことかな。
「バナナはチョコレートソースにするかい?」
「そのバナナなんだけれどな」
なんだろ。普段と違っていやに話を進めるのが遅いなあ。熱でもあるのかな?
「マコト、具合でも悪いの?」
「まあな、気分は最悪だ」
季節の変わり目だし、風邪でも引いたのかな。いやいや、油断大敵。ここはちゃんとお医者さんに診てもらった方がいいよね。
「それじゃ学校行く前に病院に寄ってみる?」
「その前に相談があるんだ」
もう、まどろっこしいなあ。
「だからなんなの?」
「あのな、バナナがなくなったんだ」
はあ?
「オレのバナナがなくなったんだよ!」
え? それってどういうこと?
するとマコトは意を決したようにブランケットからはい出してきたんだ。
あれ?
やっぱり痩せたよね。それに何だか雰囲気も柔らかくなっちゃっているしさ。
するとマコトは僕の右手を掴んだんだ。
「なんだよ?」
「こういうことだよ」
次の瞬間、僕の右手は強引にマコトの股間に押しつけられたんだ。やめろ気色悪い!
って、あれ?
あれ? あれ?
「な、無いだろ?」
僕はマコトのつるりとした股間の感触に動揺しながら、ひたすら無言で頷くしかなかったんだ。
◇
「でな、乳が生えた」
そこは胸とか、おっぱいとか言おうよマコト。
あとね、生えたって表現は変だよ。
「触ってみるか?」
え、いいの?
「いいさ、減るもんじゃなし」
マコトの股間から解放された僕の右手は、今度は僕の意思に従って、マコトの胸に向かったんだ。
うわあ……。
「思ったより大きいね。それに柔らかいや」
「それ以上はやめろ。くすぐったいから」
何となくマコトと僕の間に険悪な空気が流れてしまう。
「それでナツキ、オレはどうしたらいいと思う?」
どうしたらいいかって聞かれても、僕だって困っちゃう。
とにかく朝ごはんを食べて、制服に着替えてみようよ。
そろそろお手伝いさんが部屋を覗きに来ちゃうころだしさ。
「そうだな。そうしよう」
目の前にはパジャマ姿で、いつもよりもほっそりした印象のマコトがどんぶりごはんをいつものようにかっこんで……。
あれ?
手が止まっちゃった。
「マコト、今日はちょっとオレには多いみたいだ」
そっか。
やっぱり具合が悪いんだよね。
そうだよね。突然女の子になっちゃったんだものね。
「いいよ。片付けておくからさ。それより制服に着替えてみたら?」
「ああ、そうしてみる」
数分後、僕の目の前に立ったのは、男子高校生のコスプレをした長身の女子高校生だったんだ。
あちゃー。
ちょっと問題あるよね、この格好は。
まず目立つのは胸。
ワイシャツ越しにピンク色が透けちゃっているし。
「我ながら乳首が透けるのは恥ずかしいな」
なんで余裕見せてるのマコト?
それとも動揺しちゃって正常な思考が働いていないの?
とにかく胸を何とかしなきゃ!
ブラジャーをつければいい?
いや、それじゃだめだ。今度はブラのラインが透けてみえちゃうよ。
何かないかな。
あ、そう言えばブラトップと言うのをコマーシャルでやっていたよね!
って、何考えてるの僕!
そもそも胸が目立っちゃだめでしょ!
そういえば、確か和服のときってさらしで胸を巻くよね。
って、さらしなんかないし巻き方もわからないよ。
「ナツキ、そういうときは『ぐぐれかす』だ」
言われなくてもわかっているよ!
えっと、検索は「胸をつぶす」でいいのかな。
あ、これがいいかな!
「ねえマコト、テーピングで胸をつぶす方法が載っているよ!」
「そうか、それじゃそれでやってくれ」
「僕がやるの?」
「他に誰がいる?」
あっそう。
それから十数分、僕はマコトの膨らんだ胸をテーピングで巻いてつぶす作業に従事したんだよ。
もうね、色気も何もないよね。
って僕、何考えてんだ! 相手はマコトだよ!
胸が苦しいと文句を言っているマコトをなんとかなだめて、僕たちはとにかく学校に行ったんだ。
クラスメイト達も、何人かはマコトの様子がおかしいのに気付いたみたいだけれど、僕が平然としているからだろうか、特に何も言ってくることはない。
先生もいつもと同じ様子。
ちぇ、僕だけか。
平静を装っているけれど、実は心臓がバクバクしているのは。
◇
「ナツキ、ちょっとこい」
「なんだよマコトくん」
今は休憩時間。
マコトが僕を呼びつけるのはいつものことなので、クラスメイト達も特に気にしない。
で、どうしたの?
そしたら、マコトは僕に頭を近づけるようにおいでおいでをしてから、僕の耳元で囁いたんだ。
「小便をしたい」
はあ?
「だから、小便をしたい」
してくればいいじゃん。
「あのな、そうしたいのは山々なのだが、肝心のホースがないんだ」
あ……。
それは盲点だった。
ちょっと待ってね。ぐぐれかすってみるから。
……。
なに動揺してるの僕!
こんなの検索する必要ないよ!
なんで「女性が立ちションをする方法」なんて検索してるの僕!
「普通に大きい方でしてくればいいじゃん!」
「あ、そうだな。ナツキはかしこいな」
マコト、もしかしてふざけてんの?
そんなこんなで、とりあえず今日の授業は終了。
そろそろ胸が限界だと文句言いまくりのマコトを連れて、僕は一旦家に帰ったんだ。
◇
「それで、これからどうするの?」
「どうしたらいいんだろうな」
ねえマコト、これって君の問題だよ。何で自分で解決しようとしないの?
「それよりナツキ、オレちょっとこういうのに興味が出てきちゃったんだけれどさ」
マコトがスマホに写しだしたのは可愛い女の子の画像なんだ。
へえ、マコトはこういう子が好みになったんだ。
なんだろ、ちょっとむかついたのはなぜだろ?
「オレもこんな恰好をしてみたいと思ってな」
え? なんだ、そっちのほうなんだ。
むかついた僕恥ずかしい。
ふーん。
あ、ちょっと可愛いかも。
「それじゃ、明日にでも街に出てみる?」
「ところがオレは女性ものの服を持っていないのでな」
「だからなに?」
「ちょっと明日のお出かけ用の服を買って来てくれないか?」
はあ?
「近場の量販店のでいいからさ。とりあえずこんなの」
と、マコトは別の画面を写したんだ。
それは量販店の通販サイトの画面。
「とりあえずこれとこれを買ってこい。六十秒だ」
「なんだよ! 僕が一人で買いに行ってくるの? それに売店の焼きそばパンじゃないんだから六十秒は無理だよ!」
あ、売店の焼きそばパンも六十秒は無理だよね。
って、何で僕が錯乱してるの?
「阿呆、オレがこの格好で自分の服を買うのはおかしいだろ?」
そう言われてみれば、確かに男子高校生の格好で「これ下さい」はおかしいな。
わかったよ。もう。
「それじゃ行ってくるよ」
「ブラトップも忘れるなよ」
うるさい!
量販店はたまに下着やソックスを買いに来るけれど、ウイメンズコーナーに足を踏み入れるのは初めて。
ちょっと恥ずかしいな。
えーっと。確かこれだったよね。
アウターは無事購入。
残るはインナー。
さて、どれにしようかな。
などと僕がブラトップのコーナーで悩んでいると、女性の店員さんがやってきた。
「お客様でしたら、こちらのサイズがよろしいかと」
ほら来た、だから嫌なんだよ。
僕はこういうところに来ると、ほぼ間違いなく女の子だと思われてしまうんだ。
なんで男の子の僕がSサイズのブラトップを着なければならないのよ。
「あ、姉の頼まれものなので」
「それは失礼いたしました」
だからね、XLサイズを手に取った僕をまじまじと見ないでよ。
わかったよもう!
僕は店員さんの圧力に負けて、Sサイズのブラトップもカゴに入れたんだ。
「待ちくたびれたぞマコト」
「ごめんよ。で、これでいいのかな?」
家に帰った僕は、マコトに指定されたアウターとインナーを渡したんだ。
「それじゃ着替えてみるからテーピングを外してくれるか?」
えー。
「それも僕がやるの?」
「当たり前だ」
はいはい……。
これで二回目の、マコトの胸とのご対面。
テーピングの跡がちょっと痛々しいなあ。
でも、でも……。
「おい、顔が真っ赤だぞ。そんなにオレの胸が好きなのか?」
仕方ないじゃん。僕だって男なんだからさ。
◇
翌日は土曜日。
僕とマコトはそれぞれの家で朝食をとり、朝九時に待ち合わせをしたんだ。
マコトはいつものシャツにジーンズ。
なぜって、家を出てくるときから女の子の格好ではおじさんやお手伝いさんを驚かせてしまうから。
一方の僕はシャツにハーフパンツ。
それと大きなバッグを抱えている。
この中にマコトの着替えをしまってあるんだよ。
「おじさんとお手伝いさんの様子はどうだった?」
「特におかしなところはなかったぞ」
「おじさんに相談はしないの?」
「『あんたの息子が女になりました』なんて言えると思うか?」
うーん。それはショッキングだよね。
もし自分ならどうだろう?
「お母さん、あなたの息子が娘になりました」
……。
喜ぶかもしれない。お母さんだったら。
「ナツキ、ぼうっとしてないで出かけるぞ」
呆然としたのは誰のせいだと思っているんだよ。
ふん。
って、何で遠慮なく歩きだしちゃうのよキミは!
待ってよマコト!
◇
繁華街の駅に到着したら、着替えタイム。
キャミソールタイプのブラトップにハーフパンツを合わせ、そこにカーディガンを纏ったマコトは、どこからどう見ても女子高生。
へえ、すらっとした雰囲気は「女子バレー部主将でーす」って感じだよね。
かっこ可愛いっていうのかな。
「マコト、お前も付き合え」
え?
「これを着ろ」
それは昨日量販店で店員さんの圧力に負けて購入してしまったTシャツタイプのブラトップ。
あの、僕は特に胸では困っていないんですけど。
「女同士にしておいた方がいろいろと便利だろ。行ける店も増えるしな」
わかったよ。じゃあ着替えるよ。
なんか変な感じ。
胸の下辺りがちょっとだけ締め付けられているけど、胸にはやわらかな素材がちょっと当たる。
なんだろこれ。
「おっぱいが生えていると具合がいいぞ」
悪かったなおっぱいが生えてなくて。
「そんな顔をするなナツキ。さあ、ショッピングを楽しもう!」
なんだよ晴れ晴れした表情をしちゃってさ。
わかったよ。わかりましたよ。お付き合いすればいいのでしょ。
「ナツキ、次はこの店だ」
へえ、こういうフリフリした服が好きなんだ。
「お前にも似合うかもな」
やめろそういうこと言うのは。
「ナツキ、オレはバナナチョコレートのクレープを食べたい」
そう言えばマコトは外では甘いものを食べなかったよね。大好物なのにさ。
「ストロベリーと生クリームのも美味しそうだよ」
「それじゃあそれも食べようかな」
楽しそうだなマコト。
キミって、こんな屈託のない表情で笑うんだね。
「どうしたマコト。オレの顔に何かついているのか?」
ついているよ。飛びきりの笑顔がね。
◇
それから僕とマコトは、毎朝マコトの胸にテーピングをする以外は、これまでと同じように高校生生活を送ったんだ。
でも、その日はマコトの様子が朝から変だったんだ。
「ナツキ、下腹《したはら》が痛い……」
なんだよ、食い過ぎか?
「ナツキ……。血が……」
え?
あれ、何だこのシーツの赤い染みは。
鼻血じゃないよねこれって。
「ナツキ、アレかも……」
あ。
僕も思いついた。
女の子と言えばあれだよね。
待ってて、すぐにぐぐれかするから!
えっと、えっと、えっと!
「すぐにドラッグストアに行ってくる!」
僕はお手伝いさんにナツキの部屋に入らないように釘を刺してから、外に飛び出したんだ。
◇
ここは大手のドラッグストア。
どうしよう。
慌てて家を飛び出してきちゃったけれど、どれがいいのだろ?
色々ありすぎてわかんないや。
ぐぐれかすってもさっぱりわかんない。
ええい!ままよ!
「すいません、教えてください」
僕は勇気を出して女性店員さんに尋ねたんだ。
「スポーツをするのなら、このタイプがお薦めですよ」
店員さんが教えてくれたのは、スリムタイプの羽根つきというもの。
どんな仕組みなのかな?
そしたら、店員さんが僕の表情に気付いたのか、使い方を教えてくれたんだ。
「お客様ならもうワンサイズ小さくても……」
またかよ。
「いえ、姉のお使いですから!」
結局店員さんの無言の圧力で、ツーサイズ買っちゃったよ。僕のバカ。
◇
慌ててナプキンを持ち帰った僕は、マコトに使い方を教えてあげるも、マコトはいまいち不満そうな表情を見せている。
「なあナツキ」
「なんだよ」
「このナプキン、ボクサーパンツにつかないぞ」
え?
あ、本当だ。
ボクサーパンツには羽根がつかないや。
「なあナツキ」
「なんだよ」
「パンツ買ってこい」
はいはい、わかりましたよ。
行ってくればいいのでしょ。
僕は再びドラッグストアに戻り、下着を買ってきたんだ。
「ほれマコト、これにナプキンつけてはけ」
「マジかよナツキ……」
「マジだよ」
僕はマコト用に、ピンクの生理用ショーツを買って来てやったんだ。
ほら、大人しくピンクパンツをはいていろ。
どうだ恥ずかしいか?
「ナツキはピンクの下着が好きなのか」
どうしてそうなるんだよ!
結局お手伝いさんにはマコトがのぼせて鼻血を出したことにしてシーツをクリーニングに出してもらった。
パジャマとパンツはこの際だから容赦なく捨てる事にしたんだよ。
こうして生理騒動はなんとか乗り越えたんだ。
はあ、疲れた。
◇
女の子になったマコトと僕の奇妙な生活は今日も続いている。
マコトは相変わらず学校では威張っているが、どうやらクラスメイトにもマコトの変化が伝わったらしく、これまでのようにマコトを恐れることはなくなってきたようなんだ。
というのは、マコトは女の子になってからは、僕にしか命令をしなくなったからだと思う。
クラスメイト達は感謝の念を持って今の僕をこう呼ぶんだ。
「完璧な避雷針」
これが僕の新しいあだ名さ。
でも、毎日が少しずつ変化しているのもわかる。
マコトは日ごとに、少しずつ、少しずつだけど女の子っぽくなってきているんだ。
物腰も、考え方も、そして、僕に対する態度も。
それはある休日。
僕たちはいつものように二人で街に出かけたんだ。
「なあナツキ」
「なんだよ」
「手、つなごうか?」
え?
「いやか?」
ぶんぶんぶん。
自分の頭が左右に空気を切り裂くのがわかる。
このままじゃセルフ脳震盪待ったなし。
「ほら」
不意にマコトの左手が僕の右手を握ったんだ。
ほんの少しひんやりとしたマコトの手には、真っ赤に火照った僕の熱さが伝わってしまっただろう。
「それじゃナツキ、今日もクレープを食べに行こうよ!」
僕よりも四十センチも高い位置から、可愛らしい微笑みが降り注いでくる。
うん、うん。
そうだね、一緒にクレープを食べに行こう。
これが「デート」ってやつなのかな。
マコトの笑顔で僕も嬉しくなる。
僕が指差す方を、マコトも一緒になって見つめてくれる。
楽しいなあ。
ただ、不満も一つだけ。
それは行く先々で言われる言葉。
「仲がよろしいですね。ご姉妹ですか?」
僕は男です。
◇
マコトは料理にも興味を持ったらしく、休みの日には僕の家で昼食をいっしょにこしらえることも多くなった。
「ナツキ、これはどうやって切るんだ?」
「えっとね、これはこうだよ」
マコトと一緒にいると、僕も料理が上手になっちゃう。
不思議だね。
◇
そんなある日の午後、マコトが突然部屋に来るように僕に言ったんだ。
最近は僕んちで過ごすことが多かったから、朝以外でマコトの部屋に行くのは久しぶりかも。
何かあったのかな?
お手伝いさんに会釈をしてから、マコトの部屋に行くと、彼女はベッドの上に腰かけていた。
いつものブラトップではなく、白いTシャツとボクサーパンツといういでたちで。
「どうしたのマコト」
「ナツキ、こっちにおいで」
僕は言われるがままにマコトのところに行き、勧められるがままに隣に座ったんだ。
ねえマコト、乳首が透けているよ。
「気にするな」
「気になるよ」
って、何するの?
突然、マコトは左に座る僕の顎を右手でそっと持ち上げたんだ。
「ナツキ」
「なんだよ」
「お前、好きな人はいるのか?」
え?
え?
「何だよ突然!」
「好きな人はいるのか、いないのか?」
「何だよ恥ずかしいよ!」
マコトの手に顎を捉えられたまま、自分の頬が真っ赤に染まっていくのがわかる。
思わずマコトの視線から目をそらしたけれど、彼女の左手で強引に元に戻されてしまった。
「オレには好きな人がいるんだ」
……。
「誰だかわかるか?」
……。
マコトの顔が僕の顔に近づいてくる。
なぜだろう、身体に力が入らない。
マコトを睨みつけてやりたいのに、自然と瞼が閉じてしまう。
「オレが好きなのはお前だ。ナツキ」
閉じた瞼に涙が浮かぶのがわかる。
「オレのことが嫌いか?」
そんなこと言われたら答えるしかないよ。
「そんなこと無い!僕もマコトのことが好きだよ!」
次の瞬間、僕の唇は温かく柔らかいもので塞がれたんだ。
ああ、脳がとろけてしまいそうだ。
全身がとろけてしまいそうだ。
マコト……。
◇
あれ?
混濁した意識が戻ってきたとき、目の前には見知ったマコトの顔が、ボクを覗き込んでいた。
「気がついたかナツキ?」
うん。
あれ? 何をしていたんだっけ?
「可愛いぞ、ナツキ」
え? 何言ってんのお前?
お前だって可愛いよマコト。
……。
あれ?
今ボクって、マコトに抱かれているよね。
なんなの? この目の前にそそり立つ分厚い胸板は。
「お前は俺が一生面倒を見てやるからな」
え? 何言ってんの。
普通はそういうのって男性から女性に言うものじゃないの?
今は時代遅れかもしれないけどさ。
「ナツキ、好きだ」
え?
再びボクの唇が温かい弾力に覆われる。
でも、それはさっきとは違って、ちょっと荒々しい。そう、それはむさぼるような感じ。
って、ちょっと待ってよ!
むぐ……。
え、なにこの感触。
マコトの手のひらがボクの胸に触れると、ボクの胸が優しくマコトの手のひらを押し返す。
え? ええ?
ボクは思わず唇を塞ぐマコトから首をそらして、続けて叫んだんだ!
「なんでおっぱいが生えてるの、ボク!」
◇
涙が止まらない。
それはまるで、これまで我慢してきた涙が一気にあふれ出てくるかのよう。
「すまなかった、ナツキ」
そう言いながらも、全然すまなそうじゃない表情で、マコトはボクに語りだしたんだ。
「実はな、でっかいナメクジがいてな」
はあ。
「余りにでっかかったもんでさ、つい小便をかけちゃったんだよ」
相変わらず馬鹿だなお前は。
で?
「そしたら突然頭に声が響いたんだ」
マコトが巨大ナメクジだと思ったのは、お忍びでこの世にやってきたカタツムリの神様だったらしい。
で、突然おしっこをかけられた神様は大激怒。
ということで、マコトにはおしっこならぬ呪いが掛けられた。
それは「性転換」の呪い。
しかも、その呪いはそれだけじゃなかった。
「俺が女になった後、誰かを愛したとするだろ。そしたら当然キスとかする訳だ」
そりゃそうかもな。
「でな、その呪いというのが酷くてな。俺と相思相愛となった相手とキスをすると、互いの性別をもう一度入れ替えて固定してしまうというものだったんだよ」
そりゃ大変だな。
って、もしかして?
「そこで俺は考えた。俺が好きになって、相手も俺を好きになった後、もう一度性別がひっくり返っても問題ない相手をな」
まさかお前。
「そうさ。前々からお前が女だったら、思う存分愛してやるのにと思っていたからな。作戦通りだぜイエーイ」
イエーイじゃねえよ馬鹿野郎。
じゃあボクはこのまま女の子のままなの?
「何か問題はあるか?」
「あるにきまってるじゃん! ボクは女の子がどういったものかなんて知らないんだよ!」
あれ?
本当にボク、女の子のことを何も知らないの?
「これまで一緒にトレーニングをしてきたじゃないか。記念にお前には俺が生理用ショーツを買ってやる」
……。
はめられた。
そっか、全てはマコトの計画通りだったんだ。
フリフリのワンピも、甘いクレープも、ナプキンの選び方も、料理の仕方も……。
ボクはマコトの手のひらの上で踊らされていたんだ。
再び涙があふれてくる。
でもこの涙は、多分今の悲しみからだけじゃないと思う。
これからボクはどうしたらいいんだという不安の涙も含まれている。
それに、それにね。
ボクのマジ泣き顔におたおたし始めたマコトの姿を、指の隙間からちら見するのが楽しいのさ。
こうしてボクの女の子ライフは今日から始まったんだ。
いろいろやることはある。
けれど、まずはマコトと手をつないで街を歩くとしよう。
今度はボクがマコトを手のひらの上で踊らせる番だからね。
「おはよう夏樹、今日も誠を頼むな」
おじさんが申し訳なさそうに僕を出迎えてくれながら、入れ違いに出かけていくのもいつもの日課。
「ねえマコト、朝だよ! 起きてよ!」
「うるせえナツキ殺すぞ寝かせろぐにゅう……」
あーもう。
なんでこんなに寝起きが悪いんだろう、こいつは。
毎日これの繰り返しだから、慣れたといえばそうなのだけれど、僕だって人間だからさ。
こいつのこんな態度を笑顔で許してあげる日もあれば、むかついてどうしようもない日もある。今日は大丈夫だけれどね。
次にドアの外から心配そうにマコトの様子を覗いているお手伝いさんに僕はウインクをする。
するといつものようにお手伝いさんはマコトの制服とメッセンジャーバッグをそっと部屋から持ち出し、僕の家に届けてくれるんだ。
さてっと、
「ほらマコト、早く起きないと大好物のベーコンごはんがなくなっちゃうよ!」
これも毎朝の呪文。
「なんだと!」
と、反射的に飛び起きたマコトの手を掴んで、寝起きで朦朧としているマコトを僕の家まで一気に連行するんだ。
家に戻ると、マコト家のお手伝いさんがリビングにマコトの制服とバッグを置いてくれている。
「それでは、坊ちゃまをよろしくお願いいたします」
「うん、それじゃまた後でお願いするね」
こうしたお手伝いさんとの会話も毎朝の日課。昔からの癖で、平日の朝はマコトは僕んちで朝ごはんを食べているんだ。お手伝いさんがマコトの家に来るようになってもね。
ベーコンごはんで釣ってきたマコトは僕んちの食卓で椅子にだらしなく腰掛けながら鋭意二度寝中。
えーっと。
今日は火曜日だから、味付けはレモンバターだね。
僕は母さんが事前に用意してくれておいた朝食の仕上げに入るんだ。
母さんが室温に戻してくれたベーコンをフライパンに置いて加熱する。
ベーコンから油がじゅわじゅわとにじみ出てきたら、その日の仕上げに応じてベーコンの状態を確認する。
今日は火曜日。
火曜日の味付けはレモンバター。
だから僕は、レモンバターでステーキのように柔らかく食べられるように、肉厚のベーコンをさっと焼くんだ。
ベーコンに火が通ったら、マコト専用のどんぶりと、僕のお茶碗にごはんを盛って、その上に野菜を乗せるんだ。
今日はレモンバターの優しい味を邪魔しないように、キャベツの千切りをごはんに乗せる。
そこにほどよく焼けたベーコンを重ねて、その上に僕特製のレモンバターを乗っけてやる。
ちなみにマコトはこれだけでは味が足りないので、フライパンに残ったベーコンの油にちょっとお醤油を差して、そいつをどんぶりに上から回しかけてやるんだ。
そしたら別にお母さんが用意してくれていたお味噌汁を器によそって朝食の出来上がり。
「それじゃマコト、いただきまーす!」
「なんだとー! あれ?」
ここでマコトが本格的に目を覚ますのも毎日のこと。
「あ、ナツキ、おはよう。レモンバターということは、今日は火曜日か!」
こんな感じで僕とマコトは朝を迎えるんだ。
「マコト、今日は何にする?」
「うーんと、蜂蜜はあるかな?」
「あるよ」
マコトがどんぶりをかっ込むのと、僕がお茶碗のごはんを食べ終わるのは大体同じくらいなんだ。
そしたらデザート。
僕はヨーグルト。
マコトはバナナ。
「俺はグルメだからな。ただのバナナだけでは満足できない身体なのだよ」
口調が変わったということは、完全に目覚めたということ。
はいはい、わかったから今日はバナナに蜂蜜をかけて食べな。
バナナの皮を内側だけ剥いて、白い果肉をナイフで一口サイズに切り分けてから、そこに今日は蜂蜜をかけてやる。
「はい、どうぞ」
「ナツキ、うまい! 美味いぞ!」
「はいはい。よかったね」
これも毎朝の日課。
こうしてすっかり目覚めたマコトは、当たり前のように制服に着替え、当たり前のようにパジャマを袋に入れて、玄関のドアノブにそいつを引っ掛ける。
こうしておけば、後からマコト家のお手伝いさんが回収してくれるんだ。
「それじゃ行くぞナツキ」
「はーい」
こうして僕たちの学校生活は今日も始まる。
◇
マコトが前を歩き、僕はその後ろからついていく。
マコトは身長百九十センチ。僕は身長百五十センチ。その差はなんと四十センチ。
体重だってマコトは七十キロ。僕は四十キロでその差三十キロ。
だから歩幅だってとても違う。
マコトを追いかけるのって大変なんだ。
それに、外に出たら僕たちの関係は変わってしまう。
「誠くん、おはようっす」
「はいよ」
「誠さん、おはようございます」
「はいよ」
マコトには道で出会う皆が挨拶をしていく。
でも、僕には誰も声をかけてこない。
これも毎日のこと。そう、中学卒業までは。
マコトは僕に何も言わず、さっさと自分のクラスに行ってしまう。
僕もマコトに何も言わず、自分のクラスに向かう。
今日はどんな嫌がらせが待っているのだろうなと、憂鬱になりながら。
◇
「誠の情婦にプレゼント」
今日の机には、そんなメモと一緒に血で汚れた女ものの下着が入っていた。
へえ、今日は変化球で来たなあ。
久しぶりの嫌がらせに、僕はちょっとおかしくなって笑ってしまう。
もう僕の心はこんなものでは動揺しない。
なぜって、これまでいろいろなものが机に入っていたからさ。
小学生の頃は、ごみ箱のごみや、使い終わった雑巾とかが入っていた。
ちょっとしたことで、僕は同級生にいじめられた。
その度に僕は泣いた。
その度にマコトは僕のために犯人探しをし、仕返しをしてくれた。
その結果、僕の机には、マコトすらも目をそらしてしまうようなモノが、誰が犯人なのかわからないように巧妙に入れられるようになった。
僕に対してのいじめは、教室からトイレへと移っていった。
そんなある日のこと。マコトは僕をいじめた子を殴り、歯を折ってしまった。
マコトの仕返しを、僕をいじめた子の親が「暴力だ」と学校に訴えた。
そしてそれは大人同士の話し合いになってしまった。
僕のお母さんも、マコトのお父さんも学校に呼ばれたんだ。
校長室で、僕の机にネズミの死骸を入れた奴の親が「まったく、そちらさまは、息子さんたちにこれまでどういった教育をされてきたのですか!」と、お母さんとマコトのお父さんをなじった。
担任の先生はうつむいたまま。
校長先生も困っている。
お母さんとマコトのお父さんは「暴力をふるったことは謝ります」と繰り返した。
「なあナツキ。お前、これから我慢できるか?」
耳元でマコトが囁いた。
わかんない。
わかんないよマコト。
でも、多分僕が我慢すればいいんだよね?
「ああ、俺も我慢するからさ」
次の日から、僕は何があっても泣かないことにした。
そうしたら、しばらくすると僕に対する嫌がらせは、机の中に変なものが入れられること以外にはぴたりと止んだんだ。
そっか、僕も毅然としていればよかったんだ。
周りからの舌打ちや陰口も気にしないことにした。
どうせ学校にいる間のことだけなんだから。
小学校、中学校。
僕は机の中に仕掛けられたさまざまな「嫌なもの」に対峙してきた。
そして高校。
僕とマコトは、同じ進学高に進んだんだ。
高校入学のころには、マコトはすでに有名人になっていたんだよ。
「歩く核弾頭」
「ボタンを間違えると爆発する」
「触るな危険」
これがマコトの愛称さ。どこの地下格闘技チャンピオンだよ。
でね、僕にもこんな愛称がついたんだ。
「誠の避雷針」
という愛称がね。
◇
高校に入学して、同じクラスになったマコトは、ことあるごとに僕をいじるようになったんだ。
多分はたから見ると、僕はマコトの子分に見えるのだろうね。
「ナツキ、三十秒で焼きそばパン買ってこい」
「無理だよマコトくん!」
あえてクン付けで答える僕を尻目に、マコトはちらりと教室内に目をやる。
「じゃあお前、六十秒で焼きそばパン買ってこい!」
「誠君、六十秒は無理っす! 勘弁してください!」
マコトに突然焼きそばパン購入を指示された剣道部のホープは真っ青になってしまう。
「それじゃあ誰だ! 誰か行ってこい!」
「わかったマコトくん、僕が全力で行ってくるから、ちょっと待ってて」
「九十秒で行ってこい!」
返事もせずに、僕は教室を飛び出すんだ。焼きそばパンのために。
これはほんの一例。
マコトは高校生になってクラスの暴君になった。
多分僕のために。
今のクラスメイトは僕をいじめる余裕なんかないんだ。マコトのおかげでさ。
「誠の避雷針」
これはクラスメイトが僕につけた「安全装置」という意味のあだ名。
さっき脅かされた剣道部員も、マコトに見られないように、そっと僕に「助かったよ、夏樹」と囁いてくれるんだ。
高校生になって、僕はクラスに居場所ができたんだ。
でも世の中って変だよね。
こんな僕にジェラシーを感じる人もいるらしい。
今日の血で染まった女性用下着は、大方そういうことだろう。
ここは男子高。
いろんな奴がいるのかもね。
◇
今日も朝を迎え、マコトを迎えに行く。
ところが、どうもいつもと様子が違う。
いつもは豪快に掛布団を蹴散らしているマコトなのに、なぜか今日のブランケットはベッドの上に綺麗に山を作ってキープされている。
そしてなぜかブランケットの中で丸まっているマコト。
「あれ、マコト。起きてるの?」
僕の問いかけに、いつもとは全く違う雰囲気を見せるマコト。
何となくおどおどとした様子で、マコトはブランケットから顔をのぞかせたんだ。
その表情から、普段のマコトよりもほっそりとした印象を受けたんだ。
あれ? 痩せたのかなマコトは?
いやいや、昨日の今日でそんなことはないか。きっと光の加減だよね。
「なあナツキ」
「何だよマコト。今日は目玉焼き&ベーコンだよ」
何だか様子がおかしいなあ。
「実はさ、目玉焼きよりも重大な相談があるんだけど」
へえ、マコトの朝にベーコンよりも重要なことなんかあるんだ。今知ったよ僕は。
いや、ベーコンと良い勝負をするのがもう一つあった。もしかしたらバナナのことかな。
「バナナはチョコレートソースにするかい?」
「そのバナナなんだけれどな」
なんだろ。普段と違っていやに話を進めるのが遅いなあ。熱でもあるのかな?
「マコト、具合でも悪いの?」
「まあな、気分は最悪だ」
季節の変わり目だし、風邪でも引いたのかな。いやいや、油断大敵。ここはちゃんとお医者さんに診てもらった方がいいよね。
「それじゃ学校行く前に病院に寄ってみる?」
「その前に相談があるんだ」
もう、まどろっこしいなあ。
「だからなんなの?」
「あのな、バナナがなくなったんだ」
はあ?
「オレのバナナがなくなったんだよ!」
え? それってどういうこと?
するとマコトは意を決したようにブランケットからはい出してきたんだ。
あれ?
やっぱり痩せたよね。それに何だか雰囲気も柔らかくなっちゃっているしさ。
するとマコトは僕の右手を掴んだんだ。
「なんだよ?」
「こういうことだよ」
次の瞬間、僕の右手は強引にマコトの股間に押しつけられたんだ。やめろ気色悪い!
って、あれ?
あれ? あれ?
「な、無いだろ?」
僕はマコトのつるりとした股間の感触に動揺しながら、ひたすら無言で頷くしかなかったんだ。
◇
「でな、乳が生えた」
そこは胸とか、おっぱいとか言おうよマコト。
あとね、生えたって表現は変だよ。
「触ってみるか?」
え、いいの?
「いいさ、減るもんじゃなし」
マコトの股間から解放された僕の右手は、今度は僕の意思に従って、マコトの胸に向かったんだ。
うわあ……。
「思ったより大きいね。それに柔らかいや」
「それ以上はやめろ。くすぐったいから」
何となくマコトと僕の間に険悪な空気が流れてしまう。
「それでナツキ、オレはどうしたらいいと思う?」
どうしたらいいかって聞かれても、僕だって困っちゃう。
とにかく朝ごはんを食べて、制服に着替えてみようよ。
そろそろお手伝いさんが部屋を覗きに来ちゃうころだしさ。
「そうだな。そうしよう」
目の前にはパジャマ姿で、いつもよりもほっそりした印象のマコトがどんぶりごはんをいつものようにかっこんで……。
あれ?
手が止まっちゃった。
「マコト、今日はちょっとオレには多いみたいだ」
そっか。
やっぱり具合が悪いんだよね。
そうだよね。突然女の子になっちゃったんだものね。
「いいよ。片付けておくからさ。それより制服に着替えてみたら?」
「ああ、そうしてみる」
数分後、僕の目の前に立ったのは、男子高校生のコスプレをした長身の女子高校生だったんだ。
あちゃー。
ちょっと問題あるよね、この格好は。
まず目立つのは胸。
ワイシャツ越しにピンク色が透けちゃっているし。
「我ながら乳首が透けるのは恥ずかしいな」
なんで余裕見せてるのマコト?
それとも動揺しちゃって正常な思考が働いていないの?
とにかく胸を何とかしなきゃ!
ブラジャーをつければいい?
いや、それじゃだめだ。今度はブラのラインが透けてみえちゃうよ。
何かないかな。
あ、そう言えばブラトップと言うのをコマーシャルでやっていたよね!
って、何考えてるの僕!
そもそも胸が目立っちゃだめでしょ!
そういえば、確か和服のときってさらしで胸を巻くよね。
って、さらしなんかないし巻き方もわからないよ。
「ナツキ、そういうときは『ぐぐれかす』だ」
言われなくてもわかっているよ!
えっと、検索は「胸をつぶす」でいいのかな。
あ、これがいいかな!
「ねえマコト、テーピングで胸をつぶす方法が載っているよ!」
「そうか、それじゃそれでやってくれ」
「僕がやるの?」
「他に誰がいる?」
あっそう。
それから十数分、僕はマコトの膨らんだ胸をテーピングで巻いてつぶす作業に従事したんだよ。
もうね、色気も何もないよね。
って僕、何考えてんだ! 相手はマコトだよ!
胸が苦しいと文句を言っているマコトをなんとかなだめて、僕たちはとにかく学校に行ったんだ。
クラスメイト達も、何人かはマコトの様子がおかしいのに気付いたみたいだけれど、僕が平然としているからだろうか、特に何も言ってくることはない。
先生もいつもと同じ様子。
ちぇ、僕だけか。
平静を装っているけれど、実は心臓がバクバクしているのは。
◇
「ナツキ、ちょっとこい」
「なんだよマコトくん」
今は休憩時間。
マコトが僕を呼びつけるのはいつものことなので、クラスメイト達も特に気にしない。
で、どうしたの?
そしたら、マコトは僕に頭を近づけるようにおいでおいでをしてから、僕の耳元で囁いたんだ。
「小便をしたい」
はあ?
「だから、小便をしたい」
してくればいいじゃん。
「あのな、そうしたいのは山々なのだが、肝心のホースがないんだ」
あ……。
それは盲点だった。
ちょっと待ってね。ぐぐれかすってみるから。
……。
なに動揺してるの僕!
こんなの検索する必要ないよ!
なんで「女性が立ちションをする方法」なんて検索してるの僕!
「普通に大きい方でしてくればいいじゃん!」
「あ、そうだな。ナツキはかしこいな」
マコト、もしかしてふざけてんの?
そんなこんなで、とりあえず今日の授業は終了。
そろそろ胸が限界だと文句言いまくりのマコトを連れて、僕は一旦家に帰ったんだ。
◇
「それで、これからどうするの?」
「どうしたらいいんだろうな」
ねえマコト、これって君の問題だよ。何で自分で解決しようとしないの?
「それよりナツキ、オレちょっとこういうのに興味が出てきちゃったんだけれどさ」
マコトがスマホに写しだしたのは可愛い女の子の画像なんだ。
へえ、マコトはこういう子が好みになったんだ。
なんだろ、ちょっとむかついたのはなぜだろ?
「オレもこんな恰好をしてみたいと思ってな」
え? なんだ、そっちのほうなんだ。
むかついた僕恥ずかしい。
ふーん。
あ、ちょっと可愛いかも。
「それじゃ、明日にでも街に出てみる?」
「ところがオレは女性ものの服を持っていないのでな」
「だからなに?」
「ちょっと明日のお出かけ用の服を買って来てくれないか?」
はあ?
「近場の量販店のでいいからさ。とりあえずこんなの」
と、マコトは別の画面を写したんだ。
それは量販店の通販サイトの画面。
「とりあえずこれとこれを買ってこい。六十秒だ」
「なんだよ! 僕が一人で買いに行ってくるの? それに売店の焼きそばパンじゃないんだから六十秒は無理だよ!」
あ、売店の焼きそばパンも六十秒は無理だよね。
って、何で僕が錯乱してるの?
「阿呆、オレがこの格好で自分の服を買うのはおかしいだろ?」
そう言われてみれば、確かに男子高校生の格好で「これ下さい」はおかしいな。
わかったよ。もう。
「それじゃ行ってくるよ」
「ブラトップも忘れるなよ」
うるさい!
量販店はたまに下着やソックスを買いに来るけれど、ウイメンズコーナーに足を踏み入れるのは初めて。
ちょっと恥ずかしいな。
えーっと。確かこれだったよね。
アウターは無事購入。
残るはインナー。
さて、どれにしようかな。
などと僕がブラトップのコーナーで悩んでいると、女性の店員さんがやってきた。
「お客様でしたら、こちらのサイズがよろしいかと」
ほら来た、だから嫌なんだよ。
僕はこういうところに来ると、ほぼ間違いなく女の子だと思われてしまうんだ。
なんで男の子の僕がSサイズのブラトップを着なければならないのよ。
「あ、姉の頼まれものなので」
「それは失礼いたしました」
だからね、XLサイズを手に取った僕をまじまじと見ないでよ。
わかったよもう!
僕は店員さんの圧力に負けて、Sサイズのブラトップもカゴに入れたんだ。
「待ちくたびれたぞマコト」
「ごめんよ。で、これでいいのかな?」
家に帰った僕は、マコトに指定されたアウターとインナーを渡したんだ。
「それじゃ着替えてみるからテーピングを外してくれるか?」
えー。
「それも僕がやるの?」
「当たり前だ」
はいはい……。
これで二回目の、マコトの胸とのご対面。
テーピングの跡がちょっと痛々しいなあ。
でも、でも……。
「おい、顔が真っ赤だぞ。そんなにオレの胸が好きなのか?」
仕方ないじゃん。僕だって男なんだからさ。
◇
翌日は土曜日。
僕とマコトはそれぞれの家で朝食をとり、朝九時に待ち合わせをしたんだ。
マコトはいつものシャツにジーンズ。
なぜって、家を出てくるときから女の子の格好ではおじさんやお手伝いさんを驚かせてしまうから。
一方の僕はシャツにハーフパンツ。
それと大きなバッグを抱えている。
この中にマコトの着替えをしまってあるんだよ。
「おじさんとお手伝いさんの様子はどうだった?」
「特におかしなところはなかったぞ」
「おじさんに相談はしないの?」
「『あんたの息子が女になりました』なんて言えると思うか?」
うーん。それはショッキングだよね。
もし自分ならどうだろう?
「お母さん、あなたの息子が娘になりました」
……。
喜ぶかもしれない。お母さんだったら。
「ナツキ、ぼうっとしてないで出かけるぞ」
呆然としたのは誰のせいだと思っているんだよ。
ふん。
って、何で遠慮なく歩きだしちゃうのよキミは!
待ってよマコト!
◇
繁華街の駅に到着したら、着替えタイム。
キャミソールタイプのブラトップにハーフパンツを合わせ、そこにカーディガンを纏ったマコトは、どこからどう見ても女子高生。
へえ、すらっとした雰囲気は「女子バレー部主将でーす」って感じだよね。
かっこ可愛いっていうのかな。
「マコト、お前も付き合え」
え?
「これを着ろ」
それは昨日量販店で店員さんの圧力に負けて購入してしまったTシャツタイプのブラトップ。
あの、僕は特に胸では困っていないんですけど。
「女同士にしておいた方がいろいろと便利だろ。行ける店も増えるしな」
わかったよ。じゃあ着替えるよ。
なんか変な感じ。
胸の下辺りがちょっとだけ締め付けられているけど、胸にはやわらかな素材がちょっと当たる。
なんだろこれ。
「おっぱいが生えていると具合がいいぞ」
悪かったなおっぱいが生えてなくて。
「そんな顔をするなナツキ。さあ、ショッピングを楽しもう!」
なんだよ晴れ晴れした表情をしちゃってさ。
わかったよ。わかりましたよ。お付き合いすればいいのでしょ。
「ナツキ、次はこの店だ」
へえ、こういうフリフリした服が好きなんだ。
「お前にも似合うかもな」
やめろそういうこと言うのは。
「ナツキ、オレはバナナチョコレートのクレープを食べたい」
そう言えばマコトは外では甘いものを食べなかったよね。大好物なのにさ。
「ストロベリーと生クリームのも美味しそうだよ」
「それじゃあそれも食べようかな」
楽しそうだなマコト。
キミって、こんな屈託のない表情で笑うんだね。
「どうしたマコト。オレの顔に何かついているのか?」
ついているよ。飛びきりの笑顔がね。
◇
それから僕とマコトは、毎朝マコトの胸にテーピングをする以外は、これまでと同じように高校生生活を送ったんだ。
でも、その日はマコトの様子が朝から変だったんだ。
「ナツキ、下腹《したはら》が痛い……」
なんだよ、食い過ぎか?
「ナツキ……。血が……」
え?
あれ、何だこのシーツの赤い染みは。
鼻血じゃないよねこれって。
「ナツキ、アレかも……」
あ。
僕も思いついた。
女の子と言えばあれだよね。
待ってて、すぐにぐぐれかするから!
えっと、えっと、えっと!
「すぐにドラッグストアに行ってくる!」
僕はお手伝いさんにナツキの部屋に入らないように釘を刺してから、外に飛び出したんだ。
◇
ここは大手のドラッグストア。
どうしよう。
慌てて家を飛び出してきちゃったけれど、どれがいいのだろ?
色々ありすぎてわかんないや。
ぐぐれかすってもさっぱりわかんない。
ええい!ままよ!
「すいません、教えてください」
僕は勇気を出して女性店員さんに尋ねたんだ。
「スポーツをするのなら、このタイプがお薦めですよ」
店員さんが教えてくれたのは、スリムタイプの羽根つきというもの。
どんな仕組みなのかな?
そしたら、店員さんが僕の表情に気付いたのか、使い方を教えてくれたんだ。
「お客様ならもうワンサイズ小さくても……」
またかよ。
「いえ、姉のお使いですから!」
結局店員さんの無言の圧力で、ツーサイズ買っちゃったよ。僕のバカ。
◇
慌ててナプキンを持ち帰った僕は、マコトに使い方を教えてあげるも、マコトはいまいち不満そうな表情を見せている。
「なあナツキ」
「なんだよ」
「このナプキン、ボクサーパンツにつかないぞ」
え?
あ、本当だ。
ボクサーパンツには羽根がつかないや。
「なあナツキ」
「なんだよ」
「パンツ買ってこい」
はいはい、わかりましたよ。
行ってくればいいのでしょ。
僕は再びドラッグストアに戻り、下着を買ってきたんだ。
「ほれマコト、これにナプキンつけてはけ」
「マジかよナツキ……」
「マジだよ」
僕はマコト用に、ピンクの生理用ショーツを買って来てやったんだ。
ほら、大人しくピンクパンツをはいていろ。
どうだ恥ずかしいか?
「ナツキはピンクの下着が好きなのか」
どうしてそうなるんだよ!
結局お手伝いさんにはマコトがのぼせて鼻血を出したことにしてシーツをクリーニングに出してもらった。
パジャマとパンツはこの際だから容赦なく捨てる事にしたんだよ。
こうして生理騒動はなんとか乗り越えたんだ。
はあ、疲れた。
◇
女の子になったマコトと僕の奇妙な生活は今日も続いている。
マコトは相変わらず学校では威張っているが、どうやらクラスメイトにもマコトの変化が伝わったらしく、これまでのようにマコトを恐れることはなくなってきたようなんだ。
というのは、マコトは女の子になってからは、僕にしか命令をしなくなったからだと思う。
クラスメイト達は感謝の念を持って今の僕をこう呼ぶんだ。
「完璧な避雷針」
これが僕の新しいあだ名さ。
でも、毎日が少しずつ変化しているのもわかる。
マコトは日ごとに、少しずつ、少しずつだけど女の子っぽくなってきているんだ。
物腰も、考え方も、そして、僕に対する態度も。
それはある休日。
僕たちはいつものように二人で街に出かけたんだ。
「なあナツキ」
「なんだよ」
「手、つなごうか?」
え?
「いやか?」
ぶんぶんぶん。
自分の頭が左右に空気を切り裂くのがわかる。
このままじゃセルフ脳震盪待ったなし。
「ほら」
不意にマコトの左手が僕の右手を握ったんだ。
ほんの少しひんやりとしたマコトの手には、真っ赤に火照った僕の熱さが伝わってしまっただろう。
「それじゃナツキ、今日もクレープを食べに行こうよ!」
僕よりも四十センチも高い位置から、可愛らしい微笑みが降り注いでくる。
うん、うん。
そうだね、一緒にクレープを食べに行こう。
これが「デート」ってやつなのかな。
マコトの笑顔で僕も嬉しくなる。
僕が指差す方を、マコトも一緒になって見つめてくれる。
楽しいなあ。
ただ、不満も一つだけ。
それは行く先々で言われる言葉。
「仲がよろしいですね。ご姉妹ですか?」
僕は男です。
◇
マコトは料理にも興味を持ったらしく、休みの日には僕の家で昼食をいっしょにこしらえることも多くなった。
「ナツキ、これはどうやって切るんだ?」
「えっとね、これはこうだよ」
マコトと一緒にいると、僕も料理が上手になっちゃう。
不思議だね。
◇
そんなある日の午後、マコトが突然部屋に来るように僕に言ったんだ。
最近は僕んちで過ごすことが多かったから、朝以外でマコトの部屋に行くのは久しぶりかも。
何かあったのかな?
お手伝いさんに会釈をしてから、マコトの部屋に行くと、彼女はベッドの上に腰かけていた。
いつものブラトップではなく、白いTシャツとボクサーパンツといういでたちで。
「どうしたのマコト」
「ナツキ、こっちにおいで」
僕は言われるがままにマコトのところに行き、勧められるがままに隣に座ったんだ。
ねえマコト、乳首が透けているよ。
「気にするな」
「気になるよ」
って、何するの?
突然、マコトは左に座る僕の顎を右手でそっと持ち上げたんだ。
「ナツキ」
「なんだよ」
「お前、好きな人はいるのか?」
え?
え?
「何だよ突然!」
「好きな人はいるのか、いないのか?」
「何だよ恥ずかしいよ!」
マコトの手に顎を捉えられたまま、自分の頬が真っ赤に染まっていくのがわかる。
思わずマコトの視線から目をそらしたけれど、彼女の左手で強引に元に戻されてしまった。
「オレには好きな人がいるんだ」
……。
「誰だかわかるか?」
……。
マコトの顔が僕の顔に近づいてくる。
なぜだろう、身体に力が入らない。
マコトを睨みつけてやりたいのに、自然と瞼が閉じてしまう。
「オレが好きなのはお前だ。ナツキ」
閉じた瞼に涙が浮かぶのがわかる。
「オレのことが嫌いか?」
そんなこと言われたら答えるしかないよ。
「そんなこと無い!僕もマコトのことが好きだよ!」
次の瞬間、僕の唇は温かく柔らかいもので塞がれたんだ。
ああ、脳がとろけてしまいそうだ。
全身がとろけてしまいそうだ。
マコト……。
◇
あれ?
混濁した意識が戻ってきたとき、目の前には見知ったマコトの顔が、ボクを覗き込んでいた。
「気がついたかナツキ?」
うん。
あれ? 何をしていたんだっけ?
「可愛いぞ、ナツキ」
え? 何言ってんのお前?
お前だって可愛いよマコト。
……。
あれ?
今ボクって、マコトに抱かれているよね。
なんなの? この目の前にそそり立つ分厚い胸板は。
「お前は俺が一生面倒を見てやるからな」
え? 何言ってんの。
普通はそういうのって男性から女性に言うものじゃないの?
今は時代遅れかもしれないけどさ。
「ナツキ、好きだ」
え?
再びボクの唇が温かい弾力に覆われる。
でも、それはさっきとは違って、ちょっと荒々しい。そう、それはむさぼるような感じ。
って、ちょっと待ってよ!
むぐ……。
え、なにこの感触。
マコトの手のひらがボクの胸に触れると、ボクの胸が優しくマコトの手のひらを押し返す。
え? ええ?
ボクは思わず唇を塞ぐマコトから首をそらして、続けて叫んだんだ!
「なんでおっぱいが生えてるの、ボク!」
◇
涙が止まらない。
それはまるで、これまで我慢してきた涙が一気にあふれ出てくるかのよう。
「すまなかった、ナツキ」
そう言いながらも、全然すまなそうじゃない表情で、マコトはボクに語りだしたんだ。
「実はな、でっかいナメクジがいてな」
はあ。
「余りにでっかかったもんでさ、つい小便をかけちゃったんだよ」
相変わらず馬鹿だなお前は。
で?
「そしたら突然頭に声が響いたんだ」
マコトが巨大ナメクジだと思ったのは、お忍びでこの世にやってきたカタツムリの神様だったらしい。
で、突然おしっこをかけられた神様は大激怒。
ということで、マコトにはおしっこならぬ呪いが掛けられた。
それは「性転換」の呪い。
しかも、その呪いはそれだけじゃなかった。
「俺が女になった後、誰かを愛したとするだろ。そしたら当然キスとかする訳だ」
そりゃそうかもな。
「でな、その呪いというのが酷くてな。俺と相思相愛となった相手とキスをすると、互いの性別をもう一度入れ替えて固定してしまうというものだったんだよ」
そりゃ大変だな。
って、もしかして?
「そこで俺は考えた。俺が好きになって、相手も俺を好きになった後、もう一度性別がひっくり返っても問題ない相手をな」
まさかお前。
「そうさ。前々からお前が女だったら、思う存分愛してやるのにと思っていたからな。作戦通りだぜイエーイ」
イエーイじゃねえよ馬鹿野郎。
じゃあボクはこのまま女の子のままなの?
「何か問題はあるか?」
「あるにきまってるじゃん! ボクは女の子がどういったものかなんて知らないんだよ!」
あれ?
本当にボク、女の子のことを何も知らないの?
「これまで一緒にトレーニングをしてきたじゃないか。記念にお前には俺が生理用ショーツを買ってやる」
……。
はめられた。
そっか、全てはマコトの計画通りだったんだ。
フリフリのワンピも、甘いクレープも、ナプキンの選び方も、料理の仕方も……。
ボクはマコトの手のひらの上で踊らされていたんだ。
再び涙があふれてくる。
でもこの涙は、多分今の悲しみからだけじゃないと思う。
これからボクはどうしたらいいんだという不安の涙も含まれている。
それに、それにね。
ボクのマジ泣き顔におたおたし始めたマコトの姿を、指の隙間からちら見するのが楽しいのさ。
こうしてボクの女の子ライフは今日から始まったんだ。
いろいろやることはある。
けれど、まずはマコトと手をつないで街を歩くとしよう。
今度はボクがマコトを手のひらの上で踊らせる番だからね。
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