7 / 9
第7話 吹っ切れない恋
しおりを挟む
久しぶりに話がしたいと陽菜乃に言われ、吟はファミリーレストランに足を運んでいた。高校時代によく来ていた店で懐かしい気持ちになる。ここは、陽菜乃との思い出もたくさん詰まった場所である。
当時はお小遣いだったのでドリンクバーを注文して話し込んでいた。今では好きな物を注文できる事に大人になったと感じる。
「吟、お待たせ」
長椅子に座り、窓の外を眺めていると声がした。振り返ると陽菜乃が立っている。
自分の対面に座るようジェスチャーする。彼女は座るとメニューを見ながら話した。
「このお店懐かしいよね。こっちに戻ってきた時、まだやってるんだって嬉しくなったよ」
「うん」
陽菜乃は季節限定のメニューに釘付けだ。
「東京での仕事はどうしたの?」
吟は先に注文していた紅茶を一口含む。ストレートのさっぱりとした味が広がる。
「辞めたの。体壊しちゃって」
陽菜乃は店員を呼び、季節限定のパフェを注文するとそう答えた。
「やりがいはあったんだけど大変でね。いつの間にか無理しちゃってたみたいで限界が来たの。お父さんとお母さんがこっちに戻ってきたらって言ってくれたから、会社辞めて家を継ごうかなって」
彼女の実家はいちご農家だ。陽菜乃が継ぐなら両親も安心だろうと吟は思う。
「そっか」
安心したように吟は呟く。
「……聞かないの?」
陽菜乃は吟を上目遣いで見る。高校時代からの彼女の癖だ。
「何を?」
彼女が言いたいことは分かっているが、わざと分からないふりをした。
「わたしがいきなり別れようって言った理由」
陽菜乃の言葉に吟は振り返る。
高校2年生の頃から吟と陽菜乃は付き合っていた。お互い犬が大好きという共通点があった。吟が今、保護活動をしているきっかけを作ったのは陽菜乃だ。彼女の手伝いとして参加したのがきっかけである。
大学を卒業してから陽菜乃は東京の会社に、吟は実家から通勤できる距離の所に就職した。必然的に遠距離恋愛となったが、空いている時間に電話をしたり、休みの日に東京へ向かったりしていて、距離は出来ても昔のままの関係が続いていた。
陽菜乃と連絡が取れなくなり『別れよう』というメッセージが届くまでは。
「陽菜乃なりの理由があったんだろうなと思うだけで聞き出すまではしない」
「そう。じゃあ、わたしが勝手に話すね。吟には言っておきたかったの」
陽菜乃の目の前に季節限定のパフェが運ばれる。細長いスプーンで掬い取り、美味しそうに頬張る。
「あの時、海外転勤が決まったの。これまで以上に遠距離になるんだと思うと、耐えられなくて。だから一方的に別れようって言って連絡を絶ったんだ。吟の事だから海外転勤になったって言えば、きっとついてきてくれる。それだと吟の将来を奪ってしまう。話し合えばわたしの決意も鈍る。……ああするしかなかったんだ」
陽菜乃の話を聞きながら吟はその通りだなと思う。
彼女が海外転勤になったと言えば当時の自分はついていくだろう。愛する人の傍にいられるならどんな犠牲もかまわないと思っていた。
「でも、地元に戻って来てまた会えて嬉しかった」
陽菜乃は言う。好きだった彼女の笑顔が浮かぶ。
「ねぇ、わたし、吟のことまだ好きだよ――」
◆◆◆
アニマルハピネスで保護した15匹のトイプードルのほとんどが預かりボランティアさんの所へ行った。
兎山さんの別宅には1頭のオスだけ残っている。
「この子だけ預かりさんが見つからなくてねぇ」
兎山さん曰く、アニマルハピネスと連携している預かりボランティアさんでは手一杯らしく、受け入れ先が見つかっていないのだという。他の保護団体とも協力し合って受け入れ先を探しているらしいが、どこも満員でなかなか見つからない。
「出来るだけ人と暮らした方が良いんだよね。この子の未来を考えるなら」
里親を見つける為にも人と暮らす訓練をしなければならない。今まで無法地帯のような環境だったからしつけも最初から必要だろうし、問題行動も出てくるだろう。より多くの可能性を見つける為にも『人と暮らし慣れる』必要があると兎山さんは言っていた。
私はまだ名前もないオスのトイプードルを抱きながら考えている。もし、受け入れ先が見つからなかったらどうしよう。色々と考えこんでいると、人が入ってきたことにしばらく気付かなかった。
「あ、吟君、陽菜乃ちゃん!」
兎山さんの嬉しそうな声で我に返る。今、知らない名前を聞いたような。
私は扉の方を見た。そこには吟君と隣に立つ背の低い女の人が立っている。
「奈々子ちゃんは初めてだよね。こちらは陽菜乃ちゃん、東京で働いていたんだけど最近戻ってきたらしくてね。また、うちの活動を手伝ってくれることになったんだ」
兎山さんの紹介で私は陽菜乃さんと顔合わせをする。
ふんわりと巻かれた髪、大きくてつぶらな瞳。椿さんとは雰囲気が異なるけれど、陽菜乃さんもお人形さんのようだ。守ってあげたくなるような存在。
「初めまして、鴉田《からすだ》陽菜乃といいます。犬居さんの事は吟から聞いてますよ。人手がいつも足りないから兎山さん、助かってると思います。わたしの事は陽菜乃と呼んでください」
「あ、は、はは。私の事も奈々子で……」
上手く返事が出来なかった。『吟』って呼んでたよね。吟君と陽菜乃さんって仲が良いんだと思うと、胸の奥底がずきりと痛む。もやもやが出てきて考えがまとまらないし、言葉に詰まる。得体の知れない不安がじわりと滲み出てきた。
「この子の受け入れ先、まだ見つかっていないんですね」
吟君は私に近付き、抱き上げているトイプードルの頭を撫でる。
「うん、どこもいっぱいでねぇ」
兎山さんの言葉に我に返った。
「もし、受け入れ先が見つからなかったら私が預かっても良いですか?」
私の言葉に吟君や兎山さんが目を丸くする。
「いいの? 奈々子ちゃん、実家でしょう。ご両親は大丈夫?」
「はい。両親も犬が大好きですし、前に預かりの事を話したらうちでもやろうかなって言っていたので」
「助かるよ~。預かりをするのに必要な書類があるから書いといてくれる? あと、預かり期間中に分からない事があれば陽菜乃ちゃんに聞くと良いよ。彼女も今回レスキューした子を預かってくれているから」
兎山さんの言葉に私は陽菜乃さんを見る。彼女はにこりと笑いかけてくれた。私も笑いかけたつもりだが、上手く笑えているだろうか。どうしても陽菜乃さんを意識してしまう。先ほどの『吟』呼びの衝撃が大きい。
兎山さんに渡された書類に目を通してから必要な箇所を記入して渡す。その後、陽菜乃さんと連絡先を交換した。
ちょうど吟君がいなかったので私は意を決して聞くことにした。
「陽菜乃さんと吟君って仲が良いの?」
私の言葉に陽菜乃さんは少し目を丸くして言う。
「はい。元カレです」
も、元カレ――。
「高校生の時から付き合っていたんですけど、色々あって数年前に別れました。でも、わたしは今でも吟の事が好きで、吹っ切れていない恋をしています」
陽菜乃さんはどこか悪戯っぽく笑う。無邪気なその笑顔に私は何も言えなかった。
当時はお小遣いだったのでドリンクバーを注文して話し込んでいた。今では好きな物を注文できる事に大人になったと感じる。
「吟、お待たせ」
長椅子に座り、窓の外を眺めていると声がした。振り返ると陽菜乃が立っている。
自分の対面に座るようジェスチャーする。彼女は座るとメニューを見ながら話した。
「このお店懐かしいよね。こっちに戻ってきた時、まだやってるんだって嬉しくなったよ」
「うん」
陽菜乃は季節限定のメニューに釘付けだ。
「東京での仕事はどうしたの?」
吟は先に注文していた紅茶を一口含む。ストレートのさっぱりとした味が広がる。
「辞めたの。体壊しちゃって」
陽菜乃は店員を呼び、季節限定のパフェを注文するとそう答えた。
「やりがいはあったんだけど大変でね。いつの間にか無理しちゃってたみたいで限界が来たの。お父さんとお母さんがこっちに戻ってきたらって言ってくれたから、会社辞めて家を継ごうかなって」
彼女の実家はいちご農家だ。陽菜乃が継ぐなら両親も安心だろうと吟は思う。
「そっか」
安心したように吟は呟く。
「……聞かないの?」
陽菜乃は吟を上目遣いで見る。高校時代からの彼女の癖だ。
「何を?」
彼女が言いたいことは分かっているが、わざと分からないふりをした。
「わたしがいきなり別れようって言った理由」
陽菜乃の言葉に吟は振り返る。
高校2年生の頃から吟と陽菜乃は付き合っていた。お互い犬が大好きという共通点があった。吟が今、保護活動をしているきっかけを作ったのは陽菜乃だ。彼女の手伝いとして参加したのがきっかけである。
大学を卒業してから陽菜乃は東京の会社に、吟は実家から通勤できる距離の所に就職した。必然的に遠距離恋愛となったが、空いている時間に電話をしたり、休みの日に東京へ向かったりしていて、距離は出来ても昔のままの関係が続いていた。
陽菜乃と連絡が取れなくなり『別れよう』というメッセージが届くまでは。
「陽菜乃なりの理由があったんだろうなと思うだけで聞き出すまではしない」
「そう。じゃあ、わたしが勝手に話すね。吟には言っておきたかったの」
陽菜乃の目の前に季節限定のパフェが運ばれる。細長いスプーンで掬い取り、美味しそうに頬張る。
「あの時、海外転勤が決まったの。これまで以上に遠距離になるんだと思うと、耐えられなくて。だから一方的に別れようって言って連絡を絶ったんだ。吟の事だから海外転勤になったって言えば、きっとついてきてくれる。それだと吟の将来を奪ってしまう。話し合えばわたしの決意も鈍る。……ああするしかなかったんだ」
陽菜乃の話を聞きながら吟はその通りだなと思う。
彼女が海外転勤になったと言えば当時の自分はついていくだろう。愛する人の傍にいられるならどんな犠牲もかまわないと思っていた。
「でも、地元に戻って来てまた会えて嬉しかった」
陽菜乃は言う。好きだった彼女の笑顔が浮かぶ。
「ねぇ、わたし、吟のことまだ好きだよ――」
◆◆◆
アニマルハピネスで保護した15匹のトイプードルのほとんどが預かりボランティアさんの所へ行った。
兎山さんの別宅には1頭のオスだけ残っている。
「この子だけ預かりさんが見つからなくてねぇ」
兎山さん曰く、アニマルハピネスと連携している預かりボランティアさんでは手一杯らしく、受け入れ先が見つかっていないのだという。他の保護団体とも協力し合って受け入れ先を探しているらしいが、どこも満員でなかなか見つからない。
「出来るだけ人と暮らした方が良いんだよね。この子の未来を考えるなら」
里親を見つける為にも人と暮らす訓練をしなければならない。今まで無法地帯のような環境だったからしつけも最初から必要だろうし、問題行動も出てくるだろう。より多くの可能性を見つける為にも『人と暮らし慣れる』必要があると兎山さんは言っていた。
私はまだ名前もないオスのトイプードルを抱きながら考えている。もし、受け入れ先が見つからなかったらどうしよう。色々と考えこんでいると、人が入ってきたことにしばらく気付かなかった。
「あ、吟君、陽菜乃ちゃん!」
兎山さんの嬉しそうな声で我に返る。今、知らない名前を聞いたような。
私は扉の方を見た。そこには吟君と隣に立つ背の低い女の人が立っている。
「奈々子ちゃんは初めてだよね。こちらは陽菜乃ちゃん、東京で働いていたんだけど最近戻ってきたらしくてね。また、うちの活動を手伝ってくれることになったんだ」
兎山さんの紹介で私は陽菜乃さんと顔合わせをする。
ふんわりと巻かれた髪、大きくてつぶらな瞳。椿さんとは雰囲気が異なるけれど、陽菜乃さんもお人形さんのようだ。守ってあげたくなるような存在。
「初めまして、鴉田《からすだ》陽菜乃といいます。犬居さんの事は吟から聞いてますよ。人手がいつも足りないから兎山さん、助かってると思います。わたしの事は陽菜乃と呼んでください」
「あ、は、はは。私の事も奈々子で……」
上手く返事が出来なかった。『吟』って呼んでたよね。吟君と陽菜乃さんって仲が良いんだと思うと、胸の奥底がずきりと痛む。もやもやが出てきて考えがまとまらないし、言葉に詰まる。得体の知れない不安がじわりと滲み出てきた。
「この子の受け入れ先、まだ見つかっていないんですね」
吟君は私に近付き、抱き上げているトイプードルの頭を撫でる。
「うん、どこもいっぱいでねぇ」
兎山さんの言葉に我に返った。
「もし、受け入れ先が見つからなかったら私が預かっても良いですか?」
私の言葉に吟君や兎山さんが目を丸くする。
「いいの? 奈々子ちゃん、実家でしょう。ご両親は大丈夫?」
「はい。両親も犬が大好きですし、前に預かりの事を話したらうちでもやろうかなって言っていたので」
「助かるよ~。預かりをするのに必要な書類があるから書いといてくれる? あと、預かり期間中に分からない事があれば陽菜乃ちゃんに聞くと良いよ。彼女も今回レスキューした子を預かってくれているから」
兎山さんの言葉に私は陽菜乃さんを見る。彼女はにこりと笑いかけてくれた。私も笑いかけたつもりだが、上手く笑えているだろうか。どうしても陽菜乃さんを意識してしまう。先ほどの『吟』呼びの衝撃が大きい。
兎山さんに渡された書類に目を通してから必要な箇所を記入して渡す。その後、陽菜乃さんと連絡先を交換した。
ちょうど吟君がいなかったので私は意を決して聞くことにした。
「陽菜乃さんと吟君って仲が良いの?」
私の言葉に陽菜乃さんは少し目を丸くして言う。
「はい。元カレです」
も、元カレ――。
「高校生の時から付き合っていたんですけど、色々あって数年前に別れました。でも、わたしは今でも吟の事が好きで、吹っ切れていない恋をしています」
陽菜乃さんはどこか悪戯っぽく笑う。無邪気なその笑顔に私は何も言えなかった。
0
お気に入りに追加
4
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる