犬飼くんと犬居さん

十井 風

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第4話 犬飼君の好きなタイプ

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 譲渡会が終わってからすぐに撤収の準備に入った。みんなテキパキと作業しながら里親が見つかった子達について話している。
 犬も猫も数人里親が見つかったらしい。私は少ないと感じたけど、犬飼君いわく多い方だと言っていた。縁というのは毎回必ず繋がるわけではないから。
 帰り道も犬飼君に家まで送り届けてもらい、その日は別れた。

『譲渡会の手伝いのお礼に食事でも行きませんか? 今回は人だけで』

 譲渡会から数日後、犬飼君から連絡が来た。私はもちろん了承した。その食事の日が今日だ。

 今回は人だけなのでいつもより綺麗めの服装を選ぶ。いつもおろしている髪はハーフアップに纏めて、耳には小ぶりのパールが煌めくイヤリングを。普段履かない7cmのヒールを履いている。

「犬居さんお待たせしました」
 スマホで時間を確認していると、走ってきたのだろうか、息をきらした犬飼君がやって来た。
「慌てなくて良いですよ。約束の時間が過ぎているわけじゃないですし」
「俺より先に犬居さんが待っていたので、待たせてしまったなと」
 よほど慌ててやって来たのだろう。額には汗をかいている。

「姉に教えてもらったお店なんですけど、とっても美味しいんですよ」
 連れてきてもらったのは創作居酒屋。店内はとてもお洒落で上品だ。

「初めてですよね、人だけで食事するの」
 犬飼君は照れくさそうに言う。彼が緊張しているのが伝わってきて私も脈が速くなってきた。こうなったらお酒の力に頼るしかない。
「まずはドリンクからいただきましょうか」

 ◆◆◆

「犬飼君、飲んでる~?」
「犬居さん何杯目ですか、あまり飲みすぎないようにしてくださいね」
 犬飼君が私を止めようとしているが、私は何杯目かもう分からないお酒の入ったグラスを傾け、喉に流し込む。頭がふわふわして緊張もほどけてきたと思う。
 いつの間にか私は犬飼君に敬語を使うのをやめていた。

「ねぇ、犬飼君の好きなタイプってどんな人~?」
 酔っている私の中で冷静な私が“素面だったら絶対聞けないやつ”と言っている。
「俺の好きなタイプ!? え、え~っと、犬が好きで、頑張り屋な人ですかね」
 恥ずかしそうに言う姿が可愛らしい。いじめたくなってしまうタイプだ。
「それって私の事でしょ~?」
 これも絶対素面だったら言えない。っていうかとんでもない事を聞いてくれるな、酔いが覚めた時どんな顔したら良いんだよと冷静な私が怒る。
「そう……ですね……」

 犬飼君の言葉が小さく萎んでいく。何を言っているのか全然聞き取れない。
「えっ? なんてもう一回言って?」
「もう飲みすぎですよ。すみません、お水ください」
 いつの間にか私が持っていたグラスは回収され、代わりに水がたっぷり入ったビールジョッキを手渡される。二日酔いになるのも嫌だし、ここは素直に飲んでおくか。

「う~ん」
 さっきから足が痛い。足元を見るとかかとが靴擦れしている。慣れない靴だったからか。こういう時に限って絆創膏とか持ってくるの忘れちゃうんだよね。まぁ、帰りを我慢すれば何とかなるか。女性ならよくあること。

「犬居さん、廊下側に体を向けてもらって良いですか」
 犬飼君は椅子の上でゆらゆらしている私の肩に手をやり、彼の方へ向かせる。
 そして——。
「へっ!?」
 私の足から靴を脱がし靴擦れしている所に絆創膏を貼っていく。

「そ、それくらいは自分で出来るよ!?」
「ベロベロに酔っているじゃないですか。目も焦点合ってないし」
 そうかもしれないけど。っていうかその通りなんだけど。

 犬飼君の綺麗な目が私を見上げる。見透かすような視線に私の心は跳ねる。

 心臓の鼓動がうるさい。耳元でどくんどくんと鼓膜が鳴る。
 お酒のせいじゃないよね。私、犬飼君にときめいているんだ。ときめくって事は好きになっちゃってたんだ。

 考え事をすると頭がぐわんぐわんと揺れ始める。急に瞼が重くなって――。
「えっ、犬居さん? いきなり寝落ち!?」
 なぜか意識が途切れた。


 ◆◆◆

 目が覚めると見知らぬ天井が見えた。
 最後の記憶は犬飼君と創作居酒屋で飲んでいたところまで。あれ、それからどうしたっけ。
 私は起き上がる。体を動かすと頭がズキンと鋭く痛む。出来るだけ頭が痛くならないようにゆっくりと動く。

 ここは知らない部屋だ。私の家じゃない。寝かされているベッドはシンプルなもので女性らしいものは一切なかった。机とパソコン、本棚があるだけで部屋は綺麗に整理整頓されている。私の部屋より綺麗だ。

 そして私は服を着ていなかった。正確には見覚えのないバスローブを着ているだけ。まさかこれって。一つの考えに至った時、部屋の扉が開き、問い詰めたい人物が入ってきた。

「あっ、犬居さん。おはようございます、起きたんですね」
「おはようございます……?」
 夜じゃないの? と思い、部屋の壁にかけられている時計を見ると時刻は朝の10時をさしている。昨日は夜だったからつまり――?

「私はまさか……」
「昨日、居酒屋で寝ちゃったんですよ。そのままにしておけないから犬居さんの家まで送ろうと思ったんですけど、夜も遅いし、ご両親に迷惑かなと思って手紙だけ投函して俺の部屋に運びました」
 雪之丞君も待っていたと思うんですけどすみません、となぜか犬飼君は謝っている。

「いや本当にすみませんでした。大の大人が、三十路手前のいい歳した女が、学生みたいな悪酔いをしてしまって、ご迷惑をおかけし大変申し訳ございませんでした!!」
 私は全力で謝り、全力で額を床につけた。土下座である。
「いやいや、謝らないでください。俺ももっと早くに止めておけばよかったですし」
「そこは私の責任ですので……。ところで不躾な質問で恐縮なのですが、私の格好……って」

 バスローブを見せると犬飼君はハッとして、慌てて後ろを向く。
「着ていた服が汚れてしまったので洗濯しているんですよ。姉の服はサイズが合わなくて、他に着るものがなかったので……。あ、着せたのは姉です! 俺は指一本触れていませんし、何も見ていません」

 犬飼君のお姉さんにも迷惑をかけてしまったのか……。自己嫌悪でいっぱいになる。

「いやもう本当にごめんなさい」
 ここまできたら謝るしか出来ない。

「本当に気にしないでください。良かったらお風呂どうぞ。汗もかいているでしょうし、俺と姉はリビングにいるので何かあったら言ってください。それと、服は乾いたので脱衣所に置いてます」
 犬飼君は逃げるように部屋を出て行った。

 部屋に一人になった私は床に倒れる。

 やってしまった――!


 ◆◆◆

 お風呂は丁寧にも沸かしたてを用意してくれていた。湯船につかりながら物思いにふける。
 犬飼君、私の事見損なっただろうな。もう会ってくれないかもしれない。
 そうなると悲しいな。思い出すのは犬飼君の表情だ。譲渡会で参加者に犬を飼う事について話していた真面目な顔。どきりとするほど美しい顔に可愛い笑顔。
 そして、私の足に絆創膏を貼ってくれた時の顔。

 私は犬飼君を好きになったのに。こんな失敗をするなんて終わった。

 せめて去る時くらいは綺麗に去ろう。私は立ち上がり、お風呂を出た。

 リビングには犬飼君の姿はなかった。その代わりに一人の女性がソファに座ってテレビを見ている。女性は大きなリボンのついたカチューシャをしていて、フリルがたっぷりとあしらわれたワンピースを着ていた。人形のように可愛らしい人だ。
 犬飼君のお姉さんだろうけど年齢不詳の容姿をしている。

「あっ、犬飼君……吟君にお世話になりました犬居です。ご迷惑をおかけしました」
 私が頭を下げると少女かと見まがうような彼女はふっと笑った。
「いいんですよ。吟も楽しそうでしたし、何も気にしないでくださいな」
 犬飼君のお姉さんとこんな形で会いたくなかった。

「吟は今、リリカのお散歩に行っているんですけど、もうすぐ帰ってくるでしょうし、戻ったら犬居さんも朝食を召し上がられてはいかがですか?」
 多大な迷惑をかけた上に朝食までいただく事は出来ないので私は丁重に断る。
 犬飼君のお姉さんは残念そうにしていたが、すぐにお暇した方が良いだろう。

「あの一泊させていただいて本当にありがとうございました。犬飼君、吟君にもお礼を言っていただけると幸いです。私からも連絡しておくんですが……」
 お姉さんの答えを聞かずに私はもう一度、頭を下げて荷物を手に取り、家を出て行った。

 ◆◆◆

「ただいま~。姉さん、犬居さんは?」
 リリカを抱きかかえながら吟がリビングに戻ると彼女の姿はなかった。
 テレビを見ていた姉が振り返り、悪戯っ子のような笑みを浮かべて答える。
「彼女なら帰ったわ。ねぇ、吟の好きな人ってあの子でしょう。過去に決着がついて前に進みだせているのね」
 吟は姉の言葉には答えなかったが、彼女は気付いている。

 彼の耳が真っ赤になっていることを。
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