上 下
1 / 34
1.一匹と一人、転生する

0.犬と共に去りぬ

しおりを挟む
 トテ、トテ、トテ。

 目の前をモコモコのお尻が歩く。

 フリ、フリ、フリ。

 左右に揺れるくるくる尻尾。

 ああ。可愛いなぁ。

 愛犬との散歩――それは人生において最も偉大な至福の時間である。

 今、日本は空前のペットブーム。
 数年前には、飼われている犬猫の数が、十五歳以下の子供の数をとうとう上回った。

 だけれども、親バカかも知れないが、そんな星の数程いるペットの中でも柴犬というのは格別な味わいがあると思う。

 日本人のDNAに刻まれた素朴さ。凛々しさ。そして――

 ぷり、ぷり、ぷり。

 ああ、このお尻よ。

 うっとりとサブローさんのお尻に見とれていると、俺の視線に気づいたサブローさんは振り返って首を傾げる。

「クン?」

 俺の中の可愛さバロメーターが爆発する。

「ああっ……可愛い! お前はなんて可愛いんだッ!!」

 目の前の茶色いモフモフを抱き上げ、自分の頬を擦りつける。

 産まれたてみたいにホワホワした毛。
 落ち葉のような香ばしい匂い。
 くるくる尻尾に、引き締まった肛門。
 お尻の周りのモコモコした白い毛。

 可愛らしい肛門――

 ああああああああぁぁぁ!

「可愛い……可愛い!!」

 柴犬というのはどうしてこんなに可愛いのだろう。まさに神が作った芸術品。

「ママーわんちゃん」
「シッ、近寄っちゃいけません!」

 ハアハア言いながら犬にスリスリする俺が不審者に見えたのか、女の子の手を母親が慌てて引っ張っていく。

「ハッ、駄目だ駄目だ、つい興奮してしまった」

 我に返り、サブローさんを地面に下ろす。

「どうも犬の事となると我を忘れてしまうな。注意しないと」


 申し遅れたが、俺こと柴田犬司《しばたけんじ》は大の犬好きだ。

 犬の魅力に取り憑かれて早十数年。

 その犬への愛は、モフモフにまみれた大学生活を送りたいという一心で、偏差値を1年で20上げ、親にも学校にも絶対に無理だと言われていた大学の獣医学部にも合格したほど。

 俺も来月からは晴れて大学生。憧れの大学生活に思いを馳せる。

「ふふふ、沢山動物に触れるんだろうなあ」

 俺がモフモフにまみれたを大学生活を夢見ながら曲がり角を曲がると、突然目の前にヌッと黒い柴犬が現れた。

「わっ」

 咄嗟にサブローさんのリードを短くする。

 普段は人に会わないように誰もいない早朝に散歩をするのだが、春休みだからって散歩の時間を遅めにしたのが裏目に出たか。

 ドギマギしていると、飼い主の女の子がニコニコしながら言う。

「あ、大丈夫ですよー、うちの子、大人しいので」

 ニコリと笑うセーラー服の女の子。
 いや、そっちが大人しくても、うちの犬が何かするかもしれないしだな。

 噛んだりしないかハラハラしながら見守っていると、サブローさんは自分の倍くらいの大きさの黒柴に普通に近づき挨拶をした。

「わあ、お友達になったみたいですね」

 ナヌッ。早すぎないか? まさかサブローさん、リア獣?

「可愛いですねー。お名前は?」

 微笑む女の子。可愛い。

 だが勘違いしてはならない。犬の飼い主というものは、基本的に犬にしか興味は無い。
 犬の散歩中に「お名前は」と聞かれたら、それは100%犬の名前を尋ねている。
 
「さ、サブローさんって言うんです」

「サブローさん。可愛い~!」

 女の子がサブローさんの背中を撫でるとサブローさんは気持ちよさそうな顔をした。

「うちの子はムギっていうんです!」

 ニコリと微笑むムギちゃんの飼い主。

「可愛いなぁ。ムギちゃん」

 俺もムギちゃんの背中を撫でる。広い背中。同じ柴犬だけどサブローさんより一回り大きい。

 ムギちゃんは尻尾を振って俺の手を舐めた。うーん、キャワイイ!!

 俺は赤の方が好きだけど、黒柴もいいな。茶色い眉毛がたまらん。キリッとしてて可愛くて最高だ。毛艶もいいしまだ若いんだろうな。

「じゃあ、私はこれで。ありがとうございましたー」
 
 ペコリと頭を下げて去っていく女の子の後ろ姿を見送る。近所の高校の制服。これから補修か何かで学校に行くのだろうか。

「お友達が出来て良かったなぁ、サブローさん」

 良かった。初めて会った人や犬と仲良くできるなんて、サブローさんは俺みたいなコミュ障ぼっちじゃないんだ。

 ちなみにだが、俺はと言えば、家族以外の女性とまともに話したのは数年ぶりである。

 自慢じゃないが、俺には生まれてこのかた彼女が出来たことがないし、女友達もいない。というか、男友達すらあまり居ない。

 何故なのかはよく分からない。顔はそんなに悪くないと思う。背だって割と高いし、頭も運動神経も悪くないと思う。

 他に考えられる要因としては俺のコミュニケーション能力に問題があるのではないかということぐらい。

 だけど今日は初対面の女の子と普通に話せた。ということは、俺はコミュ障じゃないのかもしれない。

 いや――


「もしかするとサブローさんと一緒だったから上手く話せたのかもしれないな」

 犬を連れていると緊張せずに人と話すことができる。
 相手もたまたま犬好きだったから、それで上手くいったのかもしれない。

「サブローさんのおかげだな。犬の散歩をしていたおかげで、犬好きな人に会えた」

 交差点。信号が青になる。
 横断歩道をゆっくりと渡りだす。

「もしかして、サブローさんを連れていれば、これから散歩友達が沢山できるかもしれないな」

 揺れる茶色い尻尾。

「今までは他の犬を避けてきたけど、今度からは遅めの時間に散歩してもいいかもな。犬の集まる公園なんかにも――」

 頭に輝かしい未来を思い浮かべる。
 丁度来月から大学生だし、これから沢山犬友達ができるんじゃないかという、淡い期待を。

 だけど――


「――危ない!」


 響き渡るブレーキ音。
 大きなトラックが、俺たちの方へと突っ込んでくる。

 咄嗟にサブローさんを抱きかかえる。


 ――が。
 



 俺はそこで、動物にまみれた理想の大学生活を送ることも、犬好きの友達が出来ることもなく一生を終えたのであった。



◇◆◇




「ハッハッハッ」

「あーよちよち、可愛いでしゅねー」

 そして目が覚めると、目の前で知らない金髪の女がサブローさんを撫でていた。

「サブローさん?」

 呟くと、サブローさんは耳をピクリと動かし、尻尾を激しく振りながらこちらに向かってきた。

「わはは、くすぐったい!」

 俺の顔をベロベロ舐めてくるサブローさん。その首元をワシャワシャ撫でていると、金髪女が冷たい声で言った。

「あら柴田、目を覚ましたのね?」

 何だこいつ。一体誰だ?

 見たことない女だ。金髪に青い目。外国人だろうか。一度見たら忘れないほどの整った顔立ちだが、見覚えがない。

 それに白い薄布一枚をバスローブみたいに羽織っただけで何とも妙な格好だ。露出狂だろうか?

 女はカツカツと俺の側まで歩いてくると、腕組みをし、俺を見下ろしながら言った。

「単刀直入に言うわ。あなたは死んだの。これから異世界に転生して魔王を倒してきて貰うわ!」


 ……はい?




--------------------------------------------


◇柴田のわんわんメモ🐾

◼柴犬
小さな立ち耳に巻き尾が特徴の日本原産の小型犬。天然記念物に指定されている6犬種の内の一つで、縄文時代からその姿がほとんど変わっていないとされる。被毛は赤、黒、白、胡麻など。性格は飼い主に忠実で警戒心が強い。今年の人気犬種ランキングでは5位。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

目立ちたくない召喚勇者の、スローライフな(こっそり)恩返し

gari
ファンタジー
 突然、異世界の村に転移したカズキは、村長父娘に保護された。  知らない間に脳内に寄生していた自称大魔法使いから、自分が召喚勇者であることを知るが、庶民の彼は勇者として生きるつもりはない。  正体がバレないようギルドには登録せず一般人としてひっそり生活を始めたら、固有スキル『蚊奪取』で得た規格外の能力と(この世界の)常識に疎い行動で逆に目立ったり、村長の娘と徐々に親しくなったり。  過疎化に悩む村の窮状を知り、恩返しのために温泉を開発すると見事大当たり! でも、その弊害で恩人父娘が窮地に陥ってしまう。  一方、とある国では、召喚した勇者(カズキ)の捜索が密かに行われていた。  父娘と村を守るため、武闘大会に出場しよう!  地域限定土産の開発や冒険者ギルドの誘致等々、召喚勇者の村おこしは、従魔や息子(?)や役人や騎士や冒険者も加わり順調に進んでいたが……  ついに、居場所が特定されて大ピンチ!!  どうする? どうなる? 召喚勇者。  ※ 基本は主人公視点。時折、第三者視点が入ります。  

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

見習い動物看護師最強ビーストテイマーになる

盛平
ファンタジー
新米動物看護師の飯野あかりは、車にひかれそうになった猫を助けて死んでしまう。異世界に転生したあかりは、動物とお話ができる力を授かった。動物とお話ができる力で霊獣やドラゴンを助けてお友達になり、冒険の旅に出た。ハンサムだけど弱虫な勇者アスランと、カッコいいけどうさん臭い魔法使いグリフも仲間に加わり旅を続ける。小説家になろうさまにもあげています。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

異世界もふもふ食堂〜僕と爺ちゃんと魔法使い仔カピバラの味噌スローライフ〜

山いい奈
ファンタジー
味噌蔵の跡継ぎで修行中の相葉壱。 息抜きに動物園に行った時、仔カピバラに噛まれ、気付けば見知らぬ場所にいた。 壱を連れて来た仔カピバラに付いて行くと、着いた先は食堂で、そこには10年前に行方不明になった祖父、茂造がいた。 茂造は言う。「ここはいわゆる異世界なのじゃ」と。 そして、「この食堂を継いで欲しいんじゃ」と。 明かされる村の成り立ち。そして村人たちの公然の秘め事。 しかし壱は徐々にそれに慣れ親しんで行く。 仔カピバラのサユリのチート魔法に助けられながら、味噌などの和食などを作る壱。 そして一癖も二癖もある食堂の従業員やコンシャリド村の人たちが繰り広げる、騒がしくもスローな日々のお話です。

神に同情された転生者物語

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業に勤めていた安田悠翔(やすだ はると)は、電車を待っていると後から背中を押されて電車に轢かれて死んでしまう。 すると、神様と名乗った青年にこれまでの人生を同情された異世界に転生してのんびりと過ごしてと言われる。 悠翔は、チート能力をもらって異世界を旅する。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~

一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。 しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。 流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。 その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。 右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。 この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。 数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。 元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。 根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね? そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。 色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。 ……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

処理中です...