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第1話 王太子による愛の挨拶★(キスだけ)

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 公爵令嬢ゼナ・イレルフは悩みながら放課後の廊下を歩いていた。
 最近、ひしひしと婚約破棄されそうな気配を感じていたからだ。
 といっても嫌なのではない。婚約破棄に希望をすら見いだしていた。

 そこへきての急な呼び出しである。
婚約破棄の予感が確信へと変わる。
 きっと今日、されてしまうのだろう……。

 とぼとぼと歩きながら、ゼナはにんまりするのをやめられなかった。
 けれどやはり愛する人から告げられるであろうその言葉を思うと気が重い。でも婚約破棄は希望でもある。
 もう、自分の気持ちをどう扱ったらいいのか分からない。

 喜んだらいいのか、悲しんだらいいのか。

 悩み宇宙にうずまかれるゼナではあるが、しかし放課後で賑わう廊下において彼女の姿はまるで存在感がなかった。

 ゼナはぴっちりと全身を布で包んだような露出の少ない服装をして、腰まで届く長い黒髪を三つ編みにして前に垂らしていた。極めつけに、いつも不安げな影が落ちている目には瓶底眼鏡である。

 どこから見ても地味だが、その容姿自体はとても整っていた。目鼻立ちはくっきりとしていて、肌の色は白くきめ細かい。瓶底眼鏡のなかにある目も、驚くほど美しい緑色をしている。
 ただ、それを知るものはほんの一握りしかいなかったけれど。



 生徒会長室――すなわちフレデリクが待つ部屋の前にききて、ゼナは一つ深呼吸した。
 そしてドアをノックする。

「入れ」

 フレデリクの張りのある声がする。
 ゼナはため息を一つして、おそるおそるドアを開けた。

「失礼します……」

 フレデリクは王子様のような整った顔つきをした金髪碧眼の男であった。というか実際に王子様である。

 背は高くすらりとしており、誰に対しても優しい性格をしている。文武両道であり、しかも頭もいいという完璧超人っぷりだ。
 おまけにモンテルラン王国の王子様なのだ。文句なしの優良物件だろう。
 ちょっと愛情表現が過激すぎるのが玉に瑕なくらいである。

(私じゃ釣り合わないよね……)

 と、ゼナは思っていた。身分的には公爵家の令嬢であるゼナは合っているのだが、問題はそこではない。
 あの輝きが眩しすぎるのである。

 彼はいつも自信たっぷりで輝いていた。

(私じゃだめなの、私じゃ……。なんだかいっつも流されちゃうし。ううん、好きは好きなんだけど。けどやっぱり強烈な光の前では私なんて溶けちゃうから……)

 だから、彼の隣に立つ少女がいても、ゼナは胸の痛みを感じつつもほっとするのである。

 ハニーブロンドのその少女は、幼さの残る顔立ちをした可愛らしい女の子だった。だがその青い瞳には敵意があった。こちらをムッと睨んできているのだ。

 フレデリク殿下に取り入ろうとしている新入生の噂は聞いたことがある。確か男爵令嬢で、名をナルティーヌ・ヴァランティーヌといったはずだ。それが彼女だろう。
 彼女なら自分から婚約者を奪うに相応しい華があると、ゼナは思った。

「やあゼナ。よく来てくれたね。さあ、入って入って」

 座ったまま、爽やかな笑顔を浮かべて手招きをするフレデリク。

「はいぃ……」

 ゼナの返事は消え入りそうなくらい小さかった。
 フレデリクは椅子から立ち上がり、近づいてきたゼナの手を取る。そして優しく引き寄せた。

 そのまま、ゼナの身体がフレデリクの腕のなかにすっぽりと収まる。

「えっ? ふぇ?」

 突然のことに混乱しているうちに、フレデリクの唇が自分のそれに重ねられていた。

「んー!」

 ゼナのくぐもった悲鳴が上がる。しかし、フレデリクはかまわずキスを続けてくる。

「やめ……ん……ちゅ……じゅぷ……」

 抵抗にもならない言葉を浮かべている間にも、ゼナの舌はフレデリクに絡め取られていた。ゼナの脳裏に甘い痺れが広がり、何も考えられなくなっていく……。

「ん……んっ、ん……」

 ゼナの口内にフレデリクが唾液を流し込み、ゼナはそれを喉に入れた。
 ゼナの身体が上気していく。

 実のところ、婚約者からのキスは初めてではない。むしろ、今まで何度も何度もキスされてきた。

 最初は唇をツンと合わせるだけのキスだったのだが、何度も繰り返すうちにここまで濃厚なものになってしまっていた。

 会うたびにこれなので、ゼナはすっかり参ってしまっている。

 というか、この場に誰かいなかったっけ?

 やがて、フレデリクは名残惜しそうに口を離した。二人の間に銀の橋がかかる。

「ゼナ、好きだよ……」

「わたひも……んぅ」

 もう一度、深く口づけられる。

「ゼナ、ゼナ、ゼナ……」

「あっ、待って、ダメ、ですぅ……」

 トロンとした脳みそは、もう他人なんかどうでもいい、と思ってしまっていた。それより今はフレデリクのキスが与えてくれる幸福感を得ることに集中していたい。

 ゼナの細い腰と背中を、フレデリクの大きな手が抱きしめている。

「ゼナ、僕のこと愛してるかい?」

「はい……」

「僕だけのモノになってくれるんだね」

「はい……」

 とろんと溶けた目で見つめ合う二人。

「ちょっ……、フレデリク殿下ってば!」

 声があがった。ハニーブロンドの少女ナルティーヌだ。
 そういえば彼女がいたのだった。だが、熱でぽーっとした頭は恥ずかしさすら感じない。

「なんなんですか、突然!? ナルってば意味分からないです!!」

「あぁ……ゼナ……」

 ぽーっとしているのはフレデリクにしてもそうだったらしい。
 潤んだ瞳でゼナを見つめているのだ。まるで恋する乙女のように。

「ああ、今日も可愛いねゼナ。まるで墓場から出てきたような神秘性が最高だよ」

「それ愛する女性にいう言葉じゃないんじゃないですかね? ナル間違ってます?」

 ナルティーヌからの突っ込みは受け流して、くるりん、とゼナの三つ編みお下げを指に巻きつけてご満悦のフレデリク殿下である。

「僕は君が大好きだ。だから、キスしたいと思ったらしてしまうんだ……。ごめんね、嫌だったかい? もし誰かを絞殺するときにはこの三つ編みを使っていいかい?」

「えーと……」

 これは、なんと答えるのが正解なのだろうか。
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