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14.保元の乱

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 怨霊つながりとして、次は崇徳天皇です。怨霊になる人というのは、人間的なパワーのみならず、魅力的な人が多いと言える。

 崇徳天皇と言えば、日本三大怨霊の一人とされている。

 あらましは、後三条天皇の頃にさかのぼる。

 後三条天皇は、藤原氏を祖父に持たない天皇として、即位したことから、藤原氏が推し進めていた荘園という利権に対して、メスを入れる。

 時代の転換となる天皇だったわけだが、在位期間はわずか4年で、自分の後継に息子の白河天皇を指名する。

 後三条天皇は、白河天皇に継がせたものの、自分の息子たち全員に同じように天皇を継がせるつもりでいた。すなわち、白河天皇の弟2人に順番に譲位していくつもりが、白河天皇が即位した翌年に、後三条天皇は崩御されてしまう。

 遺言としては、あったのだろうけど、白河天皇は、自分の息子に譲位して堀河天皇が即位されることになる。そして、白河天皇は、そのまま上皇となり実験を納める。

 白河天皇、堀河天皇、そして堀河天皇の息子の鳥羽天皇になり、その息子の崇徳天皇が後継になる。自分の血統で高位を独占するため、次々と譲位を繰り返していき、自分は上皇になっていく。

 天皇の位を退いた上皇が天皇に成り代わって実権を握る「院政」を敷き、治天の君と呼ばれるようになる。

 白河上皇が亡くなった直後、鳥羽上皇、崇徳天皇という関係だったにもかかわらず、鳥羽上皇は崇徳天皇に譲位を促し、弟の近衛天皇が即位されることになるも、近衛天皇の死去後、今度は崇徳天皇の弟の後白河天皇に天皇の座が行き、どんどん皇位から遠ざかることになってしまった崇徳天皇は焦る。

 ちなみに崇徳天皇は、5歳で天皇に即位したのだが、崇徳天皇の母は絶世の美女という噂があり、白河上皇の子種だという噂がまことしやかに流れ、これを耳にしてから鳥羽上皇は崇徳天皇に対して、態度を一変させたのだ。

 近衛天皇こと体仁親王は、異母弟だったが崇徳天皇の養子ということにすれば、素得点王がじょうこうになれる。と鳥羽天皇から諭され、即位の日を心待ちにしていたのだ。それが即位した途端、鳥羽天皇の鶴の一声で弟ということにされ、すべては鳥羽天皇にいじめられてのことだと言える。

 当然のことながら、鳥羽天皇との親子関係も亀裂が入り、悪化していく。鳥羽天皇が病気に伏したときも、見舞いにも行けず、崩御されてからは、その遺体と体面も許されなかったという。

 いくら自分の子種ではなかったかもしれないが、そこまでするとは、しょせん器の小さい男だったのだ。

 なぜ、崇徳の母、藤原璋子(ふじわらのしょうし)に当たらず、その息子の崇徳天皇に怒りの矛先が向いたかはわからない。

 近衛天皇は即位するも、すぐ崩御されたのであるが、この時、崇徳天皇が呪い殺したという噂が流され、またしても、鳥羽天皇はそれを信じ、藤原璋子が産んだ後白河を後継として、天皇の座に就ける。

 鳥羽上皇の後ろ盾で天皇に就いた後白河天皇と崇徳天皇の関係も悪化していき、その内輪もめにつけ行ったのが、武士の平家と源氏、藤原氏。

 崇徳は、妹のところへわずかな手勢を連れ身を寄せただけで、謀反を起こしたと冤罪を着せられてしまう。

 当時、武士が暴れたくて、名目が欲しいところ、崇徳を勝手に名目にされてしまって、むしろだまし討ちに会ったというところ。

 それぞれが地位の向上を求め、動き出し、鳥羽上皇が亡くなったことがきっかけとなり、保元の乱が起きてしまう。

 後白河側についたのは、平清盛、藤原忠道、源義朝で源の良知は、妻の父のいとこが鳥羽天皇の乳母だった関係で、兄弟分かれての合戦に挑む。

 藤原忠道の弟は、鳥羽上皇と関係が悪かったため、崇徳天皇側についたことで、この争いに決着をつけるため、武士に召集を行ったことから乱に発展する。

 平清盛は、鳥羽上皇に重用されていたため、後白河側に、叔父の平忠正は藤原頼長の警護についていたことから崇徳天皇側に分かれて戦う。

 戦いは、先手を打った後白河天皇の方に軍配が上がる。

 崇徳天皇の陣営では、源為朝を中心に好戦するが敗北し、父の源為義は、息子の源義朝の手により処刑され、平忠正は、甥の平清盛により処刑されるという残酷な結末が待っていたのだ。

 讃岐国へ崇徳天皇は流罪にされてしまうが、保元の乱で数多くの犠牲者が出たことを悼み、自ら法華経、大品般若経、涅槃経、大集経、華厳経などを3年間にわたり写経し、鎮魂のために都の仁和寺に奉納をしようとしますが、これを朝廷が「呪詛」との言いがかりをつけ拒否して、崇徳のところへ送り返してしまう。

 それは、崇徳天皇のプライドを全否定するものであったことから、絶望し、写経の最後の欄に自ら舌を噛み切り、その血で、呪いの言葉を記す。

 「皇を取って民とし、民を皇となさん」

 天皇が民と同じになり、民が政治を治める。ということで、現在まで、ずっと続いている呪いであるともいえる。

 民は、武士のことをいい、鎌倉時代には、実際にそうなり、それから語の祭りごとすべて朝廷は飾り物にしか過ぎない。

 明治になってから、真っ先にやったことは、讃岐国に勅使を派遣して、京都に神社を造り祀るので、もう祟るのをやめてほしいと新政府が掛け合いに行った。昭和天皇も東京オリンピック開催が成功するようにと、奇岩に行かれたという話もある。
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