上 下
35 / 50

高架下2

しおりを挟む

「ちょっ……、待て待て! さすがにそれはまずい!」

 駆け寄ってきた憲剛けんごが、寛哉ひろやの腕を掴む。
 後がまずいって! もう一度強く言われ、寛哉はやっと我に返った。

 憲剛も我に返る。
 後がまずい、とは。

 男を見ると、恐怖と絶望で歪んだ顔をしていた。
 絶対“死体の後片付けが面倒でまずい”と思われた。
 暴行で捕まったらシロくんをどうするんだ、という意味だったのに。それに寛哉は絶対、組の若頭だと思われた。

 男を地面に叩き付けると、解放された男は蹲り激しく噎せ、寛哉を見ると情けない悲鳴を上げた。更には粗相もしてとんでもない有様だった。


 憲剛は安堵の溜め息をつき、するりと男の財布を抜き取る。

「名刺一枚いただくよ。……へぇ、結構いいとこにお勤めで」

 名刺と免許証を見比べ、本人である事を確認する。そして口の端を上げ、寛哉に頷いてみせる。寛哉も不機嫌に頷いた。
 寛哉の事だ。こんな状況でも現行犯の証拠写真を残していると思った。証拠がなければ立証は難しいと、まだ新人だった頃に嫌という程に学んだのだから。


「あー……、終わってたか」

 申し訳なさそうに雅が顔を出した。今日は署の方に居て、来るのが遅れてしまった。
 街の情報は全て頭に入っている為、彼の行動しそうな範囲をピックアップして連絡は出来たが。

 目の前の惨状を見やり、状況は一通り理解した。

「俺が処理した方がいい?」
「……こいつと一緒に、頼む」
「了解」

 雅はニヤリと笑った。
 被害者が成人済みの男で、それも未遂となると、暴行罪の中でも軽い刑しか科せない。その分再犯率も上がる。常々それを不満に思っていたのだ。
 雅に悪と認識されたらとことん追い詰められる。それが憲剛も一緒にとなると、二度とそんな気を起こさせないように出来るのだ。

「あれ、こいつ……。なるほど?」

 ますます愉しげな顔をした。
 以前、シロを襲いかけた男だった。ここまで付けて来たのだろうか。余罪、と内心で呟く。
 それを今寛哉に言えば流血沙汰になるのは確実。雅は笑顔で男の手に手錠をかけ、車を呼んだ。



 寛哉は重々しく息を吐き、背後を振り返る。
 見せないよう背後に隠していたのだが、シロは怯えたようにこちらを見つめていた。

「シロ」
「っ……」

 ビクリと震え、怯えたように寛哉を見上げる。
 シャツの裾は捲れ上がり、髪も乱れている。頬は腫れ、首には力尽くで従わせようとした跡があった。
 また男への怒りが込み上げる。グッと奥歯を噛み感情を抑え、深く息を吐いた。

「なんでお前は、いっつも危ないとこばっか……」

 服や髪を整えてやり、頬にそっと手を添えた途端、シロの目からぼろぼろと涙が零れ出した。

「っ……ひろや、さ……っ、おれ、こ、こわかっ、っ……」

 堰を切ったように零れる涙が、地面に幾つも落ちる。

「ごめっ、なさっ……、ごめん、なさいっ……」

 何度も謝りながら、両手で目元を擦り子供のように泣きじゃくる。恐怖と安堵に震える華奢な体を、両手でしっかりと抱き締めた。

「もう独りでこんな場所入るなよ?」

 シロはコクコクと頷き、きつく抱き締める寛哉の背に、縋るように腕を回した。


 ぼんやりとして歩いているうちに、気付かずにここへ入ってしまった。
 この辺りは馴染みのない場所。それでも、危険な事はすぐに分かった。
 気付けば辺りは暗闇で、その中では、足元に落ちる影も見えなかった。だから、背後から近付く影にも気付けなかったのだ。

 突然背後から抱きつかれ、強い力で鉄骨の陰に引きずり込まれた。
 抵抗すれば平手で打たれ、ますます容赦ない力で壁に押さえ付けられて……。叫んだ声は、電車の音にかき消されてしまった。もう一度叫ぼうとしたら、無骨な男の手で口を塞がれて。

 ……怖かった。
 同じ男なのに、何も出来なくて。
 男だから、例え襲われても対処出来ると思っていたのに。
 逃げなくては。そう思うのに、震える体は指一本すら動かしてくれなかった。

 男の手が体中をまさぐり、服の中へと入ってきた時、……安堵したのだ。
 殺されはしない。“それ”が目的なら、……初めてではないから、大丈夫。ただ少し、我慢をすれば終わる。だから大丈夫だと、自分に言い聞かせて。

 きっとこれは、罰なんだ。
 それなら甘んじて受けよう、と……。

 ……それなのに、震えが止まらなかった。逃げ出したかった。
 顔の見えない相手に、好きでもない相手に触れられる事が、これから起こる事が……怖かった。

 それでも抵抗すら出来なかった。ただ泣く事しか出来なかった。もし助けに来てくれなかったらと思うと……。
 ゾクリと恐怖が襲い、目の前の体温にしがみ付く。


 怖い、怖かった、ごめんなさい。そう言って泣きじゃくるシロの額に宥めるようにキスをして、寛哉は何も言わずにただ優しく背を撫で続けた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

ずっとふたりで

ゆのう
BL
ある日突然同じくらいの歳の弟ができたカイン。名前も年齢も何で急に弟になったのかも知らない。それでも頼れる兄になろうとして頑張っているカインと仕方なくそれを陰から支えている弟。 それから時は経ち、成人する頃に弟があからさまに好意を示しても兄はそれに気付かない。弟の思いが報われる日はいつになるのか。 ◎がついているタイトルは弟の視点になります。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

公爵様のプロポーズが何で俺?!

雪那 由多
BL
近衛隊隊長のバスクアル・フォン・ベルトランにバラを差し出されて結婚前提のプロポーズされた俺フラン・フライレですが、何で初対面でプロポーズされなくてはいけないのか誰か是非教えてください! 話しを聞かないベルトラン公爵閣下と天涯孤独のフランによる回避不可のプロポーズを生暖かく距離を取って見守る職場の人達を巻き込みながら 「公爵なら公爵らしく妻を娶って子作りに励みなさい!」 「そんな物他所で産ませて連れてくる!  子作りが義務なら俺は愛しい妻を手に入れるんだ!」 「あんたどれだけ自分勝手なんだ!!!」 恋愛初心者で何とも低次元な主張をする公爵様に振りまわされるフランだが付き合えばそれなりに楽しいしそのうち意識もする……のだろうか?

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

処理中です...