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夜会3

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「すごい、映画みたい……」

 扉を開けると、音楽が聞こえた。
 弦楽器と鍵盤楽器で演奏されるゆったりとした曲。思い思いに歓談を楽しむ人々。
 公爵夫人が用意したホール上階の席は、映画の中で貴族がオペラ鑑賞をするような場所だった。

 椅子が三つ横に並び、その前には軽食の置かれた小さなテーブルもある。
 ベルベッドのような生地のボルドー色のカーテンは少しだけ開けられ、それでも充分ホールの様子が見渡せた。
 身を乗り出さなければ向こうから見える事はないとウィリアムは言い、暖人はるとを椅子に座らせる。


「ハルト。必要な物があれば遠慮なくラスに言ってくれ」
「ラスさん?」

 目を丸くして後ろを振り返ると。

「ハルト君、お久しぶりです。専属護衛さんが来るまでの繋ぎですけど、俺がしっかり護衛しますよ」
「専属、ですか?」
「はい。では団長方、ハルト君は俺に任せて、どうぞに戻られてください」

 勝ち誇った顔をするラスに、二人の視線が刺さる。
 仕事とはつまり、下で愛想を振り撒いて来いという意味だ。

(うわっ、殺気が……)

 暖人でさえビリビリしたものを感じ、背筋が震えた。だがラスは笑顔のまま二人にひらひらと手を振る。

(もしかしたらラスさん、ウィルさんと同じくらい強いのかも……)

 この二人が先陣を切って襲ってきたら、敵は戦う前から逃げ出してしまいそうだ。……と、暖人が想像した通り、幾つかの戦場では相手の戦意喪失で不戦勝になっていた。



 ウィリアムとオスカーはそれぞれ暖人の頬と髪にキスをして、後ろ髪を引かれながらホールへと向かう。
 ラスは暖人に断ってから隣の椅子に座った。

「ハルト君の正装が見られるなんてラッキーでした。今夜は一段と綺麗ですよ」
「っ……、あ……ありがとうございます……」

 さすが老若男女にモテる人は違う。さらりと会話に挟んできた。

 頬を赤くする暖人を見つめるラスも、正装をしている。色のある服ではなく、白のシャツと黒の燕尾服だ。

「ラスさんの正装も初めて見ました。いつもよりもっと大人っぽくて、かっこいいです」

 褒められると照れるというのに、自分から褒めるのは平気らしい。ラスは一瞬目を瞬かせ、嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます。やっぱりハルト君に褒められるのが一番嬉しいです」
「そう言って貰えると、俺も嬉しいです」

 また頬を赤くする暖人に、ラスは満面の笑みを浮かべる。普段なら軽くかわされるが、今日は正装のおかげかとても優しい。


「色のある服じゃないのがちょっと意外でした」
「シャツも白ですもんね。隣に並ぶ女性の華やかなドレスを引き立てるには、無彩色が一番なんですよ」
「……ラスさんらしい理由で何だかホッとした俺がいます」
「えっ、どんな理由と思ってたんですか?」
「伝統とか、お家の決まりとか……」
「あー、ないですね。そういう堅苦しいの苦手なんで」
「ラスさんがラスさんで安心しました」
「あ。もしかしてハルト君、見慣れない俺に緊張してます?」

 やけにそわそわして、ラスの答えに何度も安堵する。もしかしてと問えば、暖人は目を瞬かせた。

「……そうなんでしょうか?」
「そうなんだと思いますよ」

 疑問を疑問で返されてしまい、ラスはくすりと笑う。こてん、と首を傾げる仕草が愛らしい。
 今夜の暖人は少し鈍いようだ。ふと、ラスの悪戯心が頭をもたげた。

「知らない人みたいで緊張してる、といったところでしょうか」
「……あの、ラスさん、顔が近いです」
「いつもみたいに押し返していいんですよ?」
「っ……」

 押し返そうとラスの肩に付いた手を逆に掴まれ、びくりと震える。

「ハルト君は、本当に綺麗ですね」

 間近で見つめる赤の瞳。普段とは違う正装で、違う雰囲気で、本当に知らない人みたいに見えてしまう。
 手袋越しの指先が唇を撫で、ますます顔が近付いて……。


(知らない人……なわけないっ)

「ラスさんはラスさんでしたっ」

 中身はいつものラスだ。掴まれた手をするりと取り返し、グイッと肩を押し返す。そして怒ったふりでプイッと顔を逸らした。

「すみません、悪ふざけが過ぎました」

 本当に怒らせてしまったかと、ラスは慌てる。今まで聞いた事のない声で。

「ハルト君、その……」
「…………見慣れないラスさんに緊張してたみたいです」

 あまりに信じてしまったラスに、暖人はさすがに罪悪感を覚えて困ったように笑った。

「ドキドキしてしまって、反応が遅れました。俺の方こそすみません」
「いえ……」

 嫌われなかった安堵と、むしろドキドキして貰えた事実に、今度はラスの方が反応が鈍くなる。
 だがそれも数秒。

「ハルト君にドキドキして貰えるなんて光栄です」

 いつものように明るく笑った。
 暖人もやっといつものようにくすりと笑い、緊張は解けたようだ。



「ずっとハルト君とお話ししていたいですけど、今日はお勉強に来たんですよね?」
「っ、はいっ」

 ハッとして会場へ視線を向けた。
 ラスも本来の目的の為に、ホールを見渡す。

「夜会の流れや細かいところは、後から団長が教えたがると思うので……今日は雰囲気と、その場に立った時の姿勢や目線を学びましょうか」
「はいっ」

 元気な返事に、ラスはそっと目を細める。
 元は控えめでおとなしく陰のある少年だったが、今は元気さを抑える方法を学んでいる。それを思うと、初めて会った頃の暖人は酷く傷付き憔悴していたのだと改めて思った。

 こんなにも明るく笑えるようになった事が嬉しい。まるで本当の兄になった気分だ。
 そしてその気持ちのままに、暖人に貴族社会での振る舞いや表情を指導していった。


 その時。

「フィオーレ公爵家ご令息、ウィリアム様ご到着です!」

 ウィリアムが会場に訪れた事を伝える。

「っ、わ……すごい、一瞬で囲まれました……」
「団長は毎回あんな感じですよ」
「毎回」
「しっかり見ててくださいね。あの人が、ハルト君の恋人です」
「っ……、ラスさん、それは意地悪です」

 意地悪。
 うっかり押し倒してしまいそうになり、ラスはグッと堪える。

「拗ねた顔でそんな事言われたら、思わず押し倒して食べちゃうところでしたよ」

 堪えた意味もなく、言葉で暴露した。

「ラスさん。あの人が俺の恋人なんですけど」
「すみませんでした」

 スッとウィリアムを指す暖人に、ラスはすぐさま頭を下げる。そして二人は顔を合わせ、楽しげに笑った。


 暖人がふと視線を会場の端へと向けると。

「あれ? オスカーさん、名前呼ばれました?」

 ウィリアムのように会場に到着を告げる声を聞いていない。それなのにオスカーは、いつの間にか会場にいた。

「あー……オスカー団長、また裏から入りましたね」
「また、ですか?」
「目立つのが嫌で、来た事を告げさせないんですよ」
「ですか……。オスカーさんらしいですね」
「はい。こういった場に出る事すら珍しいですし、やっぱりハルト君の力は偉大ですね」
「えっ、俺は何も」
「ハルト君のお勉強の為と、ネクタイの宣伝もハルト君の為ですよね。ほら、あのオスカー団長が自ら話しかけに行ってます。貴重な光景ですよ」

 感嘆するラスに、それほどレアな事なんだ、と暖人は唇を引き結んだ。

(オスカーさんが、俺のために……)

 話しかけられた男性たちが表情を固くしている事に気付き、オスカーはそっと笑みを見せる。すると男性たちは唖然として、だが安堵した表情を見せた。
 恐ろしい人物だという噂とは違い、話してみたら意外と好青年だった。そんな顔で。


「……オスカーさんが笑ってる」
「ですね。驚きました」

 こういった場でも、話し掛けられれば真顔で対応していたオスカーが、まさかあんなに社交的な顔が出来るとは。やはり暖人の力は偉大だ。

 ラスはちらりと暖人を見る。
 他人に優しく笑いかけるから、拗ねた顔で嫉妬していた……と後でオスカーに報告してあげよう、とラスはこっそり口の端を上げた。

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