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おやすみ

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 涼佑りょうすけの部屋を出たウィリアムは、自室へ戻ろうとしてふと隣の扉に視線を向ける。
 不在の間に駄目だと思いながらも、脚はそちらへ向いてしまった。


 暗い室内。閉められたカーテンから、仄かに青白い月明かりが滲んでいる。

「君たちは置いて行かれてしまったのか」

 広いベッドの上には、うさぎと熊のぬいぐるみたちが綺麗に並べて寝かされていた。
 白猫のぬいぐるみだけは連れて行って貰えたのだろう。今も暖人はるとと一緒にいると思えば、完全に忘れられた訳ではないと微かな希望を感じられる。

「ハルト……」

 うさぎを持ち上げ、そっと抱き締める。
 暖人が涼佑と再会出来た事は、心から嬉しく思う。泣きそうに笑っていた暖人が、今は太陽のような笑顔ばかりを見せてくれるようになった。
 暖人の幸せが、何よりも嬉しい。暖人が幸せなら、それで……。

 ……以前のように、まるで自分だけのもののように、この部屋に閉じ込める事はもう叶わないのだろう。
 夜には必ずこの部屋にいて、おかえりなさい、と笑顔で迎えてくれた。
 朝出る時には眠い目をこすりながら、いってらっしゃい、と送り出してくれた。
 出逢ったばかりの頃。自分しか頼れる人がいなかった頃の、暖人は……。


『涼佑に、会いたい……』

 脳裏に蘇る震える声、泣きそうな笑顔に、はっと我に返る。
 あの頃の暖人は、ずっと傷付いて、涼佑がこの世界にいない事に怯えていた。もうあんな顔はさせたくない。暖人を泣かせたくはない。

『ウィルさん、おかえりなさい』

 涼佑と再会出来た暖人は、以前より明るく笑うようになった。それは、自分では涼佑の代わりにはなれないと突きつけられているようで……。


 ……それは、当然なのだろう。

 物心ついた頃からずっと愛し続けた人。ずっと傍にいた人。
 選ぶなら、当然彼の方だ。
 彼がいながらもこうして想いを受け入れて貰えるだけで、充分幸せだ。
 それで、充分。

「……おやすみ」

 うさぎと熊を順に撫で、そっと布団を掛けて部屋を後にした。







 パタン、と音がした。
 暖人はぴくりと反応し、立ち上がる。

「はる?」
「ごめん、涼佑」
「……ああ、そのくらい別にいいよ」
「ありがとう」

 暖人の言わんとする事を察し、涼佑は仕方ないとばかりに笑った。


「ウィルさん」
「ハルト?」

 ぱたぱたと扉へと向かい廊下へ出た暖人は、自室へ向かうウィリアムを呼び止める。

「あの、もしご迷惑でなければ……、一緒に寝ませんか?」

 涼佑の部屋になりますけど、とウィリアムを見上げる。

「だが……」
「はるがそうしたいと言ってるので、僕は別にいいですけど」

 部屋から顔を出した涼佑は、特に不機嫌でもなくそう言った。

「です。俺はお疲れのウィルさんの抱き枕になりたいです。俺で少しでも癒しになればですけど……」
「それは、なるけれど……」
「じゃあ、起きて待ってますね」
「早く着替えてきた方がいいですよ。はるのこの顔見てください」

 にこにこと笑う暖人だが、目がとろりとしている。夕方に少し眠ったとはいえ、普段の就寝時間はとっくに過ぎているのだ。

「ふ……、確かに急いだ方が良さそうだね」

 ウィリアムはくすりと笑い、暖人の頬にキスをした。

「ハルト、すぐに戻るよ」
「はい、待ってます」

 ふわりと笑う暖人の、今度は唇に啄むようなキスをして、ウィリアムは自室へと戻って行った。



 ソファに座り、暖人を脚の間に座らせ、背後から抱き締める。
 肩に顎を乗せた涼佑は、甘えるように頬を擦り寄せた。

「ウィリアムさん、疲れると元気がなくなるの?」
「スキンシップが激しくなる方が多いんだけど、時々ネガティブになる時もあるみたい」
「だからさっきはあっさり帰ったんだ」
「多分。今日は結構お疲れだなって思ってはいたんだけど……」
「はるは、あの人の事も良く分かってるんだね」
「涼佑の事ほどじゃないけど、分かるようになってきたよ」

 さらりと返す暖人に、涼佑は肩を竦めた。
 申し訳ない顔をされたり、意地悪だと言われる事ももうないのは、思ったよりショックではない。そんな自分に少し驚きながら。

「まぁ、僕としても、こっちの事なんておかまいなしにはるを取り合いに来られた方がやりやすいけど」
「俺としても、困るのは困るけどグイグイ来られた方が安心する」
「困るの?」
「……二人とも顔がいいし、筋肉もあるし、……俺は感じやすいみたいだし」
「これからどうされちゃうんだろうって困るのかぁ」
「まあそんな感じ」

 最後はさらりと塩対応。

「はる、急に冷たくない?」
「照れたら負けだと思って」
「そんなはるも好きだよ」

 ちゅ、と自然に目元にキスをされ、だんだんこの国に染まってきたのではと涼佑を見上げる。
 口の端にキスをされ、この体勢で器用だなと思いながら、暖人は顔を前に向けた。


「はる、こっち向いて?」
「やだ」
「キスしよう?」
「……やだ」
「はる、キス好きだよね」
「…………好き、だけど、今したら寝そう」

 涼佑の触れるだけのキスは頭がふわふわして気持ちが良い。この体勢も暖かくて眠気を誘い、これは良くないとするりと涼佑の腕から抜け出した。

「猫」
「猫じゃないけどスキルアップした気がする」
「僕もスキルアップしないかな」
「わっ……」

 向かいのソファに座る暖人に覆い被さり、両手首を掴んだ。

「あ、掴めば逃げられないみたい?」
「反則っ」
「捕獲成功、かな」
「……離してくれたらキスする」

 悔しげに睨む暖人の言葉に、ほぼ反射的にパッと手を離す。
 暖人は涼佑の腕を引き、逆にソファに押し倒して、ちゅっと啄むようなキスをした。

「はる、もっとして?」

 暖人に見下ろされる貴重な体勢。ここぞとばかりにおねだりをする。
 うっ、と呻いた暖人はおねだり通りにもう一度キスをした。
 これはもう少し深いキスもいけるかもと、涼佑の手がそっと暖人の後頭部に触れて……。


「ハルト、起きているかい?」
「起きてます。ウィルさん、寝ましょう」
「わっ、はるっ」
「ああ、ハルト……なんて愛らしいんだ」
「うぷっ」

 涼佑の手からまた抜け出し、ウィリアムへと駆け寄る。
 ぎゅうっと抱き締められ、薄い生地の夜着越しに胸筋に埋もれた。

「はる~」

 あっさりと逃げられ、涼佑はさすがに不満げな声を出す。

「ハルトは俺を選んでくれたんだね。嬉しいよ」
「……今日のところは、ですよ。はるは僕のですし」
「それは、事実上君に勝てたという事だね」
「今日だけです」

 むっとする涼佑と、上機嫌のウィリアム。
 暖人を譲りたくはないが、すっかり元通りになった事に内心では安堵していた。あのウィリアムを一気に上機嫌にする暖人の笑顔は、やはり凄い。

「それより、暖人が窒息しそうなので離してあげてください」
「ああ、すまない」
「ぷはっ……はー、はー……」

(巨乳に埋もれて死にたいとか、聞くけど……すごく、苦しい……)

 酸欠の頭でそんな事を考える。世の男性は一度考え直してほしい、と。

 普段から帰宅してすぐにシャワーを浴びて部屋着に着替えるウィリアムだが、更に慌ててシャワーを浴びたのか、しっとりとした肌とふわりと漂う花の香りが大変艶めかしい。
 それでも離してくれと思ったのだから、やはりこれはオススメ出来なかった。


 ベッドに入り、ウィリアムは両手いっぱいに暖人を抱き締める。

「ハルトは、暖かいね」
「ウィルさんも暖かいですよ」
「気持ちがいいな……」
「はい……」

 すり、と擦り寄る。
 ふわりと漂う花の香りはもう、慣れ親しんだものになった。眠る時にはこの暖かさがないと落ち着かない時もある。
 それもこれも、そうなるようにウィリアムが仕組んでいたのだが。

「ハルト、眠いかい?」
「はい……いえ、もう少し起きてます……」

 ウト……としながらもまだ寝たくないという暖人の額にキスをして、そっと背を撫でた。

「ハルト」
「ん……、ぅ……」
「好きだよ」
「はい……、俺、も……」

 そっと重ねるだけのキスをされ、その柔らかさと暖かさに頭がふわふわする。

「好きだよ、ハルト」
「ふぁ……ん、……すき、です……」

 とろりと蕩けた瞳でウィリアムを見つめ、与えられるキスを嬉しそうに受け入れた。
 暖人の瞳が、ただ触れるキスだけでもう蕩けているのは。

「ぅ……」

 眠気が限界だから。
 背を撫でる手と暖かな体温に、もう眠気を我慢できない。何度目かのキスを終えると、すーすーと規則正しい寝息を立て始めた。

「おやすみ、ハルト」

 最後に瞼にそっと口付け、さらりと流れる艶やかな黒髪を撫でた。


「リョウも、おやすみ」
「僕には別に言わなくていいですけど。おやすみなさい」

 涼佑は素っ気なく言って、暖人の背に頬を寄せた。

 同じベッドの中で繰り広げられる甘い雰囲気に、嫉妬は勿論した。
 だが涼佑がおとなしくしていたのは、暖人が眠そうだったから。暖人の眠りを邪魔したくはなかった。

 眠い時の暖人は、普段より甘えたがりになる。涼佑の前でウィリアムに甘えた事に他意はない。ただ、眠かっただけ。

 天使で小悪魔って、はるの事だよ。
 困ったな、と小さく息を吐いて、暖かな体温に意識を溶かしていった。

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