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レイラ

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 暗い。何も見えない、漆黒の闇だ。

「大公妃様……」

 声は音となって響く。ここは広い空間なのだろうか。

 手を翳し光を出そうとしても、少しの明かりも灯せなかった。
 いや、灯せても、光すら闇に飲まれて見えないのかもしれない。

 ここでじっとしていても始まらない。
 慎重に、一歩踏み出す。
 足の下には固い感触。
 王宮の廊下のように、滑らかな石の上を歩いているような感覚だ。


 どれくらい歩いただろう。時間の感覚もなく、いくら歩いても疲れを感じない。
 足元の固さで、体が傾く感覚だけは分かる。何度か転び、触れたそれが大理石のような石だという事は分かった。

 だが、視界は未だに暗闇のまま。目を開けているのか閉じているのかすら分からなくなる。
 静まり返った闇の中、聴覚すらも奪われたような錯覚。

 空腹も、喉の渇きも感じない。
 五感を失っていくようなそれは、まるで
 ……訪れる、死――。

「っ……」

 ゾクリと恐怖が襲った。

涼佑りょうすけっ……」

 咄嗟に零れたのは、涼佑の名。
 幼い頃から、暗い中でもいつも手を引いてくれた。正しい出口へと連れて行ってくれた。いつも涼佑に、守って貰ってばかりだった。

 死の影に追い立てられるように、暗闇の中を駆けていく。

「ウィルさん、オスカーさんっ……」

 この世界に来てからずっと守ってくれた二人も、ここにはいない。

 息が切れる感覚もなく、呼吸の音すら消える錯覚。

「っ!」

 バランスを崩し、固い床へと倒れ込んだ。打ち付けた場所が小さく痛む。

「……痛、い……?」

 痛みは、現実のように存在する。
 その場に座り込み、床を触った。滑らかで、冷たい。感覚がある事に、泣きたい程に安堵した。


「……オスカーさん?」

 そこで、ふと、声が聞こえた。
 言葉は分からなかった。それでも、優しい響きが胸の内に暖かなものを満たしていく。
 あんなに取り乱した気持ちも、心が砕けそうになる恐怖も、ふわりと溶けるように消えてしまった。

(大丈夫……、俺は、ひとりじゃない)

 暖人はるとは深く息を吐く。そして暗闇の中で、真っ直ぐに前を見据えた。
 皆に止められても、この場所へ来る事を決めたのは自分だ。出来ると思ったからここへ来た。
 皆それを信じてくれたから、ここで蹲っているわけにはいかない。

「俺、頑張ります」

 パン、と頬を叩いた。
 ここが大公妃の夢の中なら、暗闇のどこかにいる筈。
 見えないなら、呼べば良い。
 届かないなら、叫べば良い。


「大公妃様! ……レイラ様っ、聞こえますか!」

 上げた声は、遥か遠くまで響き渡った。
 返る声はない。それでも、呼び続けた。
 この闇の中では疲れる事はない。幾らでも叫び続けられる。

「レイラ様!」

 呼び続けていると、ふと音の響きが変わった。
 何かに当たるような反響。壁に跳ね返るようなそれは、段々と近付いてくる。

「レイラ様……!」
「……おにいちゃん、だぁれ?」

 ふいに、小さな女の子の声がした。
 すぐ近く、足元で。

「だぁれ?」
「っ……」

 グッと服の裾を引かれる感覚。
 その瞬間、パッと周囲が明るくなった。



「っ……、子供、部屋……?」

 明るさに目が慣れると、パステルピンクの壁紙が視界に入った。
 それから、風に揺れるレースのカーテン。棚には、人形やぬいぐるみが並んでいた。

 声のした方へ視線を落とすと、そこにいたのは小さな少女だった。
 白いふんわりとしたワンピースを着た少女は、丸く大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、暖人を見上げている。

「……おねえさまに、あいにきたの? ここはレイラのおへやよ」

 そう言って視線を落とし、ぎゅっとウサギのぬいぐるみを抱き締めた。

(レイラ、様……?)

 ツインテールに結った髪色は、青み掛かった金だ。瞳は淡い紫色をしている。それに、レイラという名。
 どういうわけか、夢の中の大公妃は幼少期の姿をしているようだった。
 呪いの話をするにはまだ幼い。どうしよう、と暖人は思案した。


 少女は寂しげな顔をしながら、暖人をチラチラと見上げる。
 彼女が大公妃だとしても、幼い子供を前にした暖人はつい頬を緩ませ、少女の前に屈み視線を合わせた。

「お姉さんじゃなくて、レイラちゃんに会いに来たんだよ」
「レイラにっ?」

 パッと笑顔になる。

「どうして? レイラとあそんでくれるの?」
「うん、一緒に遊ぼう。レイラちゃんは何がしたいかな?」
「えーっと、えーーっと……」
「したいこと、全部しちゃおうか」

 悩む姿が愛らしくて、くすりと笑いそう言うと、少女は「いいの?」と目をキラキラと輝かせた。

 彼女が魂の一部なら、浄化の光を当てれば呪いも解ける筈だ。だが試してみても光は灯らず、暖人も何故か、今ではないと納得していた。





 最初は絵本を読んで、次は庭で駆けっこをして、水遊びやままごとをした。
 外は青空のまま。空腹も訪れない。だが遊び疲れた少女は、暖人の膝の上でウトウトとし始めた。
 ウトウトしては、ハッとして目を開ける。

「レイラちゃん、寝ていいんだよ?」
「んんっ、もっとあそぶのっ」

 イヤイヤと首を振り、暖人にぎゅうっと抱き付いた。

「ちょっとだけお昼寝したら、また遊ぼうね」 

 可愛い仕草にくすりと笑い、あやすようにトントンと背を叩く。ゆらゆらと揺れながら、いい子いい子、と小さな頭を撫でた。
 そのうちに体から力が抜け、すり、と暖人へと頬を寄せる。

「……おにいちゃん。レイラとあそんでくれて、ありがとう」
「こちらこそ、一緒に遊んでくれてありがとう。楽しかったよ」

 一緒に駆け回って、寝ころんで空を見上げて、子供の頃に戻ったようだった。こちらの方が遊んで貰ったのかもしれない。
 暖かな体温を感じながらそっと目を細めると、少女はぽつりと声を零した。


「……おねえさま、からだがよわくて、おかあさまもおとうさまも、ずっとおねえさまのところにいるの」

 ぎゅうっと暖人の服を掴む。

「おねえさまのことは、すきなの。でもね、レイラいっつもひとりぼっちで、……ほんとは、さみしかったの」

 ぽろ、と大きな瞳から、雫が零れた。

「おとなになっても、ひとりぼっちだったら、どうしようっ……」

 ぼろぼろと涙を零しながら、暖人を見上げる。
 さみしい、かなしい。
 その感情が、まるで自分のもののように心に突き刺さってくる。
 暖人の瞳から、一筋の雫が頬を伝った。

(これは、呪い……?)

 少女の体からじわりと染み出す黒い霧。
 悲しい気持ちと共に、それは暖人の内側へと入り込もうとする。
 だが暖人は少女を突き放す事なく、しっかりと抱き締め、優しく背を撫で続けた。

「レイラちゃん、大丈夫だよ。ひとりじゃないよ」
「……さみしいよ、ずっと、ひとりぼっち……」
「ひとりじゃないよ。大人になったレイラちゃんは、大好きな人たちに囲まれてるって、俺は知ってるよ」

 綺麗な花を生けた部屋で、優しく語り掛け、愛しさの溢れる瞳で見つめる人を。
 保養地にいると信じ、回復を祈り、帰りを待っている人たちを。
 ……彼女の為と信じ、慕っていた叔父すら手に掛ける程に追い詰められてしまった人を。
 大切に想われ、大切に想い、そんな人たちがいる事を、知っている。


「大丈夫。レイラちゃんのことが大好きで、ずっと一緒にいられる人に出会えるよ」
「……ほんと?」
「うん。それに俺も、レイラちゃんのことが大好きだよ」

 ぎゅうっと抱き締め、頬を擦り寄せる。黒い霧ごと、包み込むように。

「もう大丈夫。寂しくないからね」

 霧に触れると、胸が痛い程に苦しくなる。涙は頬を伝い、幾つも零れ落ちた。

「……おにいちゃん。レイラも、おにいちゃんが、だいすき」

 小さな手がぎゅっと暖人の服を掴む。

「レイラ、さみしくないよ」

(っ……、光……?)

 その瞬間、暖かな光が溢れた。それは少女の体を包み込み、黒い霧を晴らしていく。
 青い空が見えなくなる程、溢れる光。

 ありがとう――。

 光が粒になり消える間際、少女の幸せそうな声が聞こえた。



「……レイラちゃん」

 暖かなぬくもりは、腕の中から消えてしまった。
 再び訪れた暗闇。

(あの子は、魂の一部だったのかな……)

 浄化の力で、あの少女の寂しさが少しでも癒えていたら嬉しく思う。だが……、腕の中から消えてしまったぬくもりに、言いようのない寂しさを覚えた。

 呪いを掛けた相手はきっと、心の弱い部分を利用して呪いを植え付けていくのだろう。
 悲しい思い出を繰り返し夢に見させるのなら、そんな非情な事をする相手を許してはおけない。

 捕まれば、国から正しい処罰は受けるだろうが……。

(その前に、俺も何発か殴ってやる)

 男だったら急所を思いっきり、と暖人も非情な事を決めて、消えてしまったぬくもりをぎゅっと抱き締めた。

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