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第1章 守護神石の導き

第1話 隠されていた真実 (1)

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暖かな日差しの下、ヤギたちはのんびりと生い茂る草を頬張っていた。オオカミなどの天敵の訪れをまるで警戒していない様は、彼らが飼い慣らされていることを示している。

ここはエルゼリアの南東に位置する草原地域である。近隣には澄んだ水が流れることで有名なタロ川、そして五十人あまりの人が住むのどかな集落、グレンアイラ村がある。

そしてヤギたちから少し離れた丘の上では、両の手を枕代わりにして静かに寝息を立てている青年がいた。彼の名前は、ティム・アンギルモア。グレンアイラ村の若いヤギ飼いだ。

飼っているヤギに餌を与える為に、ティムはしばしばこの辺りの草原に訪れている。村に生えている雑草を食べさせることも多いが、そればかりだと村から草がなくなってしまう。このように草原でヤギを放牧することで、村の草がなくならないようにしているのだ。
今日も朝早くからここに来て、のんびりとした時を過ごしていた。

その時、彼が眠っている丘の上に若い女が一人現れた。彼女は彼の名前を呼ぶが、彼はいっこうに目覚める気配がない。

女は一つ溜息を吐くと、ティムの体を揺すり始めた。

「ティム。ねえ、ティムってば」

すると、ようやくティムは目を覚ました。透き通るような青空をバックに、女の顔が視界に入る。

「村中探してもいないと思ったら、やっぱりここにいたのね」
女は、風になびく栗色の長い髪を耳にかけながら目を細めた。

「何だ、ベネッサか・・・」
ティムは伸びをしながら、大きなあくびをした。

ベネッサは、ティムと同じグレンアイラ村の住人である。二人は幼い頃から仲が良い。ベネッサがティムより二つ年上だったので、まるで姉弟のような関係だ。ベネッサは村人たちから『かなりのべっぴんさん』と評されているが、本当に美人なのかどうかティムにはよく分からない。幼い時から家族同然の付き合いをしていると、相手の容姿に対する感覚が鈍くなるものだ。

「まったく。放牧しながら居眠りだなんて、もし大切なヤギに何かあったらどうするつもりなの?」
ベネッサが、呆れたように言う。

「何か用かい?ベネッサ」
ティムはゆっくりと上体を起こすと、気怠そうに頭を掻きむしった。

「ハグルさんが、ティムのこと呼んでるの。家まで来てくれってさ」

「ハグルが?どうして?」

「さあ?私はただ、そう伝えるようにハグルさんに頼まれただけだから」
ベネッサは、両手を広げて肩をすくめた。

「ああ、そう」
ティムはもう一回大きなあくびをすると、跳ねるように立ち上がった。
「じゃあ、一緒に村に戻ろうか」

「ヤギはもう大丈夫なの?」

「うん。もう十分食べただろ」

ティムは、ピィーと指笛を鳴らした。
ヤギたちが音に反応しゆっくりと近づいてくると、二人は村の方角へと歩き始めた。




グレンアイラ村では、藁(わら)ぶき、板ぶきの家屋が軒を並べていた。お昼時ということもあり、昼食の食材を買いに行く人々で村は活気づいている。
ベネッサと別れヤギ舎にヤギを戻すと、ティムはハグルの家のある村の外れへと歩き出した。

商店街を歩いていたら、聞き慣れた声に呼び止められた。

「よお、ティム。こんな所で何やってんだ?」

その声はパン屋のグラハムだった。グラハムはティムの父親と昔から仲が良く、ティムの幼い頃からよく遊んでくれた。ちなみにベネッサはこのグラハムのパン屋で働いているのだが、まだ来ていないようだった。

グラハムは、豊かな口髭を蓄えた顔に満面の笑みを浮かべてティムを見ていた。

「おはよう、グラハムおじさん。今日はハグルに呼び出されてるんだ」

「ハグルさんに?何かあったのか?」

「そんなこと俺が聞きたいさ」

グラハムは眼尻を下げて微笑むと、またパン生地をこね始めた。
「まあ、気を付けて行ってこいよ」

「まったく。面倒臭いなあ。何か用があるなら、向こうから出向くっていうのが筋なんじゃないの。何で仕事の合間を縫って、俺が会いにいかないといけないんだよ」

ティムが文句を垂れると、グラハムは笑った。
「まあ、そう言ってやるな。あのご老体じゃあお前の家に着くまでにぽっくり逝っちまうかもしれないからな」

グラハムの皮肉にティムは笑った。ハグルはかなりの年寄りであるがすこぶる元気で、今でもティムと対等に剣の稽古ができるくらいの力があるからだ。彼に年齢よる衰えは、ほとんど見られないというのが事実だった。

「ところで、お前、朝飯は食べたのか?」

「いや、まだ」

「じゃあ、何かパン持って行けよ。代金は気にしなくていいからな」

ティムは目を輝かせた。
「本当?いつもありがとう、おじさん」

「なあに。今度ヤギのミルクを安く売ってくれれば、それでいいさ」

ティムにパンを奢る時、決まってグラハムはこの台詞を言う。しかし実際にティムが安く売ろうとしても、「いいから取っておけ」と言いながら正規の金額を置いていく。グラハムはそんな人だった。

焼き立てのパンをかじると、あまりの美味しさにティムは思わず笑顔になった。

「あー、やっぱり美味しい!」

グラハムは満足げに微笑んだ。
「それじゃあ、また帰りにでも寄ってくれよ」

「うん、おじさん。また後で」
そう言って、ティムはまた歩き出した。




パンを頬張りながら少し歩いたら、ティムはハグルの家のある村の外れに着いた。ハグルの家は他の村人の家よりも一回り小さく、家というよりも小屋という響きの方がしっくりくる。

ドアをノックすると、中からハグルのしゃがれ声が聞こえてきた。

「誰かな」

「ティムだよ」

「入れ」

声に従うままにティムは家の中へ入った。最低限の家具しか無い殺風景な部屋の中に、大きな白髭を蓄えた老人が一人、テーブルに向かって座っていた。ハグルである。

「おはよう、ハグル。今日はわざわざ呼び出したりして一体何の用だよ。急にぎっくり腰にでもなって、腰をさすれとか言うんじゃないだろうね」
ティムは茶目っ気たっぷりにそう言った。

「たわけ。お前にそんな心配をされるには百年早いわい」

「じゃあ、何の用なのさ」

ハグルは眉間に皺を寄せながらティムのことを見据え、少しの間考え込んでいるようだった。しかし不意に息を吐き、「まあ座れ」と言った。
どうやらハグルの用事というのは些細なことではないようだった。ティムは多少の緊張感を覚えながらも、言われるままにイスに腰掛けた。

「どうしたんだよ、一体」
座るやいなや、ティムはもう一度尋ねた。

するとハグルは、大きめのテーブルの上にちょこんと載っているティーカップを口に運び、紅茶を一口飲んだ。客人を呼んでおいて自分だけ紅茶をすするのはとても礼儀正しい行いとは言えないが、この老人が不作法なのは今に始まったことではない。

ティーカップをテーブルに戻すと、ハグルは重々しく口を開いた。
「時の流れというのは速いものじゃな。お前ももう十八だ。まだまだ一人前とは言えないが、立派に成長したな。わしが長い間みっちりと稽古をつけてきただけあり、死んだ父親によく似て剣の腕は素晴らしいものになった。まだ間の抜けた面も多くて心配じゃが、わしはお前の成長振りには感服しておるし、今後に期待もしておる」

藪から棒に何を言い出すのかと不思議に思ったが、どうやら褒められているようなので悪い気はしなかった。

ハグルはちらりとティムの表情を伺うと、更に続けた。
「そこでじゃ。わしもいつお前に打ち明けるべきか、時期を探っておったのじゃが、今がその時期なのかもしれないと近頃悟ったのじゃ。お前も十分成長した。もう真実を受け止めることができるはずじゃ」

真実?何の話だ?
要点をはぐらかすハグルに妙な動悸を覚えたが、ティムはハグルが次に何か言うのを待った。

白い顎髭(あごひげ)をあさりながら、ハグルは口を開いた。
「お前の父親の死について、だ」

ティムは息を飲んだ。




ティムの父親、ボヘミアン・アンギルモアは、グレンアイラ村の英雄だった。自分の身を顧みず村の人々のためにせっせと働く、まさに好漢の見本のような男だったらしい。その上村の中で圧倒的に剣の腕が立ち、誰と勝負しても負けことがなかった。

そんな彼が村に残した最も誉れ高い功績は、以前に村を襲った巨大トロルをたった一人で退治したことだ。しかしその闘いで深手を負ってしまい、村中の人間に看取られながら息を引き取ったとの話である。ちなみにティムの母親は、夫の死後すぐに、夫を追うように病死してしまったとのことである。

ティムは両親の顔を覚えてはいない。二人が死んだのはティムが赤ん坊の頃だったからだ。幼い頃ティムは、両親についての話を聞かされながら、一体どんな顔だったんだろうと思いを馳せたものだった。

「親父の死の真実ってどういう意味だよ。親父は巨大トロルとの闘いで刺し違えて死んだんじゃ・・・」

するとハグルはふっと自嘲気味に笑うと、「あの男が、そんなことで死ぬものか」と呟くように言った。
「あいつは、巨大トロルなんぞ、かすり傷一つ付けずに倒しおったわ」

ティムは呆然とした。自分は今相当間の抜けた顔をしているだろうな、と思考の隅で思った。

「どういうこと?」

少し声が震えた。それ以外の言葉が出てこなかった。

「まず、真実をお前に話さなかったのは、お前がまだ幼かったからだ。幼い内に真実を教えても本質を見抜けるだけの力があるとは思えなかったし、成長過程では重荷になるだけだ。そういったことを全て考慮した結果、お前には真実を話すことをしなかったのじゃよ」

「だから何だよ?その真実っていうのは?」

「巨大トロルを退治してから数ヵ月後のことじゃった。突然あいつは旅に出ると言い出した。妻であるお前の母親と、まだ赤ん坊だったお前を置いてな」

「旅だって?一体何のために?」

「我らの世界、エルゼリアに巣食う邪悪な種族、魔族を倒すためじゃ」

突拍子も無い返答にティムは呆気にとられていたが、すぐに聞き返した。
「ま、魔族って、ゴブリンとかトロルのこと?」

「いや、そうではない。無論奴らも魔族なのだが、あのような下等な魔族を倒していてもキリがないんじゃ。あれは毎日大量に生まれてきて、エルゼリア中をうろちょろしておるからな。やるなら魔族全体を一気に殲滅(せんめつ)せねばならん」

「そんなことできるわけ無いじゃないか」

「普通はな。しかし、それができる方法があるのじゃよ」

「どんな方法?」

「エルゼリア中に散らばっている、守護神石と呼ばれる石をすべて集めることじゃ。そうすれば、魔族は消滅する」

しゅごしんせき?
何だ、それは?

しかしここで深くまで質問をすると、話が前に進まなくなってしまう。そんなことよりも、ティムは早くハグルの話の続きを聞きたかった。

そんなティムの考えを察したように、ハグルは淡々と話を続けた。
「守護神石は全部で十二個。ボヘミアンはその内の一つを持っていたから幸先は良かった。しかもあいつは、この村じゃ名の知れた豪傑じゃ。民衆の期待も大きかった。村人の誰もが、いつかきっと石を全て集め魔族を殲滅(せんめつ)して帰ってくる、と信じて疑わなかったのじゃ。」

ティムは黙ってハグルの話に耳を傾けていた。しかし動揺の余り心臓は大きく波打ち、額にはうっすらと冷や汗が噴き出ていた。
トロルとの闘いで死んでしまったはずの父親が、実は魔族を相手に闘おうとしていたなんて!

ハグルは続ける。
「奴が旅立ってから、一年後くらいだったじゃろうか。あいつは村に帰ってきた。生きているのが不思議なくらいの重傷を負って、な」

「じゃあ親父は・・・」

ハグルは灰色の眉を寄せながら、絞り出すように続けた。
「わしはあいつが村の入口に倒れているのを発見した。既にあいつは虫の息だったが、それでもわしに必死に何かを伝えようとしていた。手に跡が付く程力強く握りしめていた石を突き出すと、あいつははっきりこう言ったのだ。『ティムを頼む』と」

そこでハグルはおもむろに立ち上がると、部屋にある小さなタンスから銀色の箱を取り出した。それをテーブルの上に置くと、蓋を開いてティムに見せた。
箱の中では、丁度手の平に収まるサイズの青い石が美しい輝きを放っていた。

「これはその時お前の父親から預かった石じゃ。守護神石の一つで、サファイアという名前じゃ」

「すごい」
余りの美しさに、思わずティムは声を上げていた。しかしすぐに自分の置かれている状況を思い出す。
「で、今日俺をわざわざ呼んだ理由っていうのは?まさか親父の死に方を教えるためだけに呼んだんじゃないだろうね?」

「おお、どうも前置きが長くなってしまったようじゃな」
ハグルは、きれいに禿げ上がった額を掻きながら言った。
「今日呼んだ理由は、この石を渡すためじゃ。そしてお前にはボヘミアンの遺志を継いで、全ての守護神石を集める旅に出てもらいたい」

「・・・へ?」
ティムの目が点になる。

「もう話した通り、わしは死ぬ寸前のボヘミアンからこの石を受け取ったのじゃ。無念のまま死んでいった奴のことを思うと、息子であるお前にこの石を受け取ってもらい魔族を倒してほしいのじゃよ。わしがお前に厳しい剣の指導をしてきたのも、そう考えていたからなのじゃ」

ティムが表情を引きつらせる。
「マ、マジで言ってる?」

「大マジじゃ」

「え?ちょっと待って。ヤダヤダ。ちょっと何言ってんの?」
ティムは思わず両手を左右に振る。
「俺、絶対行かないよ。石も要らないし」

「な、何じゃと?何故じゃ?」

「え? だって面倒臭いじゃん」

「・・・」

二人の間に沈黙が流れる。

やがて、ハグルはもう一度尋ねた。
「め、面倒臭いとは、一体どういう意味じゃ?」

「そのままの意味でしょ。何で俺がそんなことしないといけないの?魔族とか別に興味ないし、そんなの相手に旅に出るのなんて怖いって。それにエルゼリアって広いんでしょ?毎日毎日、一日中歩き続けないといけないじゃないか。それに、村の外にはゴブリンがうじゃうじゃいるんだ。おちおち寝ることだってできやしない。そんな生活絶対イヤだね。俺は今まで通り、ここで暮らす!」

まるで小さい子供のように駄々をこねるティムを前に、ハグルは文字通り空いた口が塞がっていなかった。

「お、おぬし・・・」

「大体、そんなに魔族を倒したいんだったら、ハグルが倒しにいけばいいんじゃないのお?剣の腕だって俺と大して変わんないしさあ。ほらほら、どうなのよ?エーッ!?」

「こッ、こッ・・・このたわけがあっ!」
ハグルは絶叫した。
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