コンバート・ユア・マインド

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第五章 虎頭 三節

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 無事にテストを終えた水曜日、期末試験という鎖から解き放たれた生徒達が足取り軽く下校していく中、私はまたもや食堂へ足を運んでいた。
 今日からまた、ゲーム攻略の再開である。
「今回のステージは、高山エリアだ。高山とはつまり、標高の高い山の事だけど・・・ステージは先ず、山を取り囲む熱帯林からスタートする。残るボスは2体、気を引き締めて取り掛かってくれたまえ」
 桜見橋さんは疲労の為、一足先に下校し、今日は藤園さんと二人きりである。そういえば、柔木さんも早々に帰宅していた。限界を超えて頑張っていた二人に、幸があらんことを。
「了解・・・始めようか?」
 久方ぶりにヘッドホンと吸盤付きコードを受け取り、私は苦笑してしまう。何故だろう、この機具に妙な親しみを抱き始める日が来るとは。大人しく装着し、テーブルに顔を伏せた。
「レッツ、コンバート」
 相変わらず覇気の無い掛け声の後、私は頬を撫でる湿気った風を感じ、ゆっくりと目を見開いていく。
 目の前に広がっていたのは、映像でしか見た事の無い様な、ところ狭しと緑が繁茂繁茂している密林だった。
 残るボスは2体、となると難易度は上がる一方なので、今後はさらに熾烈を極める戦いが待っているのだろう。ならば、絶対にやっておかねばならない事がある。
「藤園さん、近くに町・・・いや、占い師は居るかな?」
「君という男は・・・一文無しの癖に、良い度胸じゃあないか。町はジャングルの中に在るみたいだ、また猫を案内役にするから付いて行くと良いよ」
 すると、私のフード内に潜んでいた猫君が、喉を鳴らしながら顔を覗かせた。オイラに任せな、そんなアテレコが似合いそうな頼もしさだ。
「ちなみに、猫には全力疾走を命じるから、見失わない様に」
「・・・え?」
 猫君は、一迅の風の如く私の身体を駆け降り、そのままジャングルの中へと消えていった。
「嘘でしょ!?」
 私もすぐに、猫君の後を全速力で追い掛け、どうにか尻尾を捕捉するところまで漕ぎ着けた。
「な、なんて速さだ・・・何で全力疾走なのさ!?」
「2週間近く間が空いてしまったからね・・・善は急げという事だよ、白枝君?」
「普通、こんなところで埋め合わせさせる!? ブランクだって有るんだからさ!」
「大丈夫、君にブランクなんてものは存在しないさ。親和性だって、160に届いているからね」
「通りで、全力疾走の猫と追いかけっこが出来るわけだよ!」
 全力で走れば、猫君に食い下がれはするものの、一向に追い付けない。どうにかして追い抜いてすらやりたい、そんな風に挑戦心に灯が点りそうになったその時、私は前方からの殺気に気が付いた。
 それを感じた途端、堪らず身がすくみ、全身から冷や汗が噴き出してしまう。私は咄嗟に、適当な木の幹の陰に身を隠した。
「うっ!?」
 そして、藤園さんに警告しようとした次の瞬間、彼女の呻き声と共に傷を負った猫君が、視認出来る位置まで吹き飛ばされてきた。私には幹の陰から出る事が出来なかった、手を伸ばせば届きそうな距離だというのに、どうしても出来なかったのだ。
 明確な死のイメージが、重々しい足音と共に近付いて来る。私はフードを被り、見つからない事を祈るしかなかった。やがて、虫の息である猫君の前に、巨大な影がのっそりと伸びてくる。私はもはや、息すら止めていた。
 猫君の上に影が掛かった直後、重厚な手甲の様な物を付けたトラ柄の脚が彼を押し潰してしまう。脚が退けられた跡には、小さな灰の山だけが遺っていた。
 すまない猫君、私はすぐにでも斬って掛かりたい気持ちを抑え、巨大な影がこの場を去るのを待った。影はしばらく周囲を警戒していたようだが、結局私を見つける事が出来ず、何処かへ消えてしまう。
「・・・・・・ぷはっ!?」
 どのくらい息を止めていたのだろう、体感では5分といったところか。倒れ込む様に四つん這いになった私は、雨垂れの如く滴り落ちる自身の汗を見つめながら、呼吸を調えていった。
「やられた・・・大丈夫かい、白枝君?」
 私が二分されていたあの時と同じ様に、PCのカメラが捉えている藤園さんの顔が、眼前に現れた。
「藤園さん・・・猫君が」
「そうだね、ロストした・・・突然、前方から致命的な攻撃を受けてね、ほぼ即死さ」
「あれは・・・・・・あれがボス、なの?」
「ああ、虎頭(タイガーヘッド)だ。決戦の場所は高山だったはずなのだけど、熱帯林には隠しイベントが仕込まれていたらしい。内容は、虎頭に捕捉されない様に切り抜けろ。奴のボスウェポン、虎頭爪(こずそう)は視認した相手を距離に関係無く引き裂くというトンデモ能力だ。加えて、熱帯林内で虎頭は無敵判定に設定されている、咄嗟に隠れたのは素晴らしい判断だったよ、白枝君」
「でも、猫君が・・・・・・」
「冷静になるんだ、白枝君。もし、あの攻撃を君が受けていたら、全ては終わっていた。水先案内役として、彼は役目を果たしたと言えるさ」
「・・・そうだね、猫君が繋いでくれたチャンスを無駄には出来ない!」
「ふふっ、その意気だよ・・・これから、口頭で君をナビゲートしていく。ボスの気配を感じたら、すぐに隠れる様に・・・良いね?」
「了解・・・気を取り直して、進むとしよう」
 それから私は、藤園さんの指示する方向へ、物陰の間を中腰の体勢で移動していった。虎頭の気配を感じては物陰に潜み、息を殺してすぐ去るのを待ち続ける。
 それを、気が触れそうなくらい繰り返していく中、私はついに虎頭とバッタリ、目と目が合ってしまった。
「右手の岩陰へ飛び込め!」
 藤園さんが指示するよりも早く、私は既にその行動を実行に移していた。
 直後、石と金属がぶつかり合う様な音と共に岩の大部分が四散、その破片が雨の様に降り注いだ。
「藤園さん、逃げ道は!」
「駄目だ・・・君の周囲、盾に出来そうなオブジェクトが無い。その岩陰から出た瞬間、君は引き裂かれてしまう」
「万事休すってわけか・・・ん? 何だ?」
 突然、私の脳天に水滴が落ちてきた。すると途端に、バケツどころか貯水槽がひっくり返ったかの様な雨が降り始めた。おそらく、スコールを再現した天候なのだろう。
「これだよ、白枝君! この雨で背後の地面に泥濘が発生した、そこへ移動して身体を泥まみれにするんだ!」
「はいよ!」
 私はビーチフラッグよろしく、うつ伏せから中腰となり、背後の泥濘とやらにヘッドスライディングを敢行した。後は、これでもかと全身に泥を塗りたくっていく。
「ストップ!」
 藤園さんの合図と共に動きを止め、私は仰向けの状態で運命の時に挑む事となる。あの重々しい足音と身が凍るような殺気が近付いて来たのだ。荒く鼻を鳴らす音が、先程の岩陰辺りから響いてきた。
「よしよし、臭いが追えないようだよ・・・モニターは出来ないけれど、反応が右往左往しているからね。そのまま、動かないで・・・」
 話し掛けてくるという事は、藤園さんの声は虎頭に聴こえないのだろう。仮に聴こえていたら、赦さないが。
 鼻息はやがて、足音と共に私の方へと寄ってきた。そして私の真上を通過し、徐々に遠退いていくのを感じる。
「・・・・・・虎頭、探知範囲外へ移動。白枝君、反応が真上を通過していたけれど、大丈夫?」
「・・・あぁ・・・何とか」
「無事に切り抜けられて良かった・・・虎頭の指向性反応が君に向いた時は、さすがに胆を冷やしたけれどね?」
「俺は、直接目が合った瞬間、死を覚悟したけどね・・・黙っていたけど、初回に殺された経験は、今でもトラウマになってるんだ」
「それについては・・・謝罪しよう、ごめん。というわけで、先を急ごうか?」
「藤園さん・・・腰が抜けたと言ったら、どうする?」
「ん? 文字通り無敵の殺人鬼が彷徨く森の中に居たいのかい?」
「・・・は~い、腰を嵌め込みま~す」
 私は泥まみれの身体を起こし、スコールの中で大きく身体を伸ばした。
「う~ん・・・それで、町はどっちの方向なの?」
「それなら、虎頭の去っていったのとは逆方向だよ?」
「なるほど、それは分かり易い、正面だ・・・・・・ん?」
「どうかしたのかい?」
「いや、何だか悪寒が・・・?」
 私は生唾を呑み、振り向いた。するとどうした事だろう、頭は虎、全身トラ柄、しかし人間の様な肉体を持つ巨大な化け物が、四つん這いになって背後から迫っていたのである。奴は去るフリをした上、自らも反応を隠す事で、私が現すのを待っていたのだろう。
「あらら、夢に見ちゃいそう・・・猪頭弩!」
 私は召喚した弩の矢を、虎頭の眉間へ即座に射掛けた。矢は虎頭の眉間に触れる寸前、見えない壁の様なものに阻まれてしまったが、矢の勢いも衰えず、両者は拮抗し続けている。そのうちに、私は町の方角へ向けて全力で走り出した。
「そうか、システム上の矛盾を突いたわけだね。無敵判定の相手に絶対貫通矢を必殺のポイントへ撃ち込む。そのせいで処理に時間が掛かり、虎頭の動きを止められた・・・それでも精々、10秒といったところだけれど」
「その10秒が無ければ、今ごろ微塵切りにされてたよ!? それより、奴の視てる方向が判るなら、こっちを見た瞬間を教えて!」
「分かった・・・あっ、見たよ」
「もっと早く教えて!」
 私は木の陰に隠れて虎頭の視線から逃れ、その木を粉微塵に破壊されては次の木陰に隠れるを繰り返し、少しでも距離を稼ぎ続ける。
「町までの距離は!」
「まもなく、50メートルも無いよ・・・ただし、隠れられそうなオブジェクトも無い」
「う~ん・・・町は安全?」
「ああ、敵対NPCは侵入不可能になっているよ」
「・・・走るしかないか」
「虎頭の爪は捕捉してから約3秒で放たれる。君は、50メートルを3秒以内で走れるのかい?」
「判らないよ・・・でも、こうすれば行けるかも? 鹿頭弓!」
 私は鹿頭弓を呼び出し、矢をつがえた。
「藤園さん、虎頭に直撃させる射角は?」
「なるほどね・・・背後、75度だ」
「了解!」
 私は木の陰から身を乗り出し、藤園さんの弾き出した射角で矢を放った。そしてすぐに陰の中へ戻り、木が吹き飛んだのを合図に死の50メートル走へと足を踏み出した。
「虎頭が君を捉えた! 1、2・・・棘の雨、着弾」
 10メートル、通過。
「虎頭の視線が逸れて、攻撃は中断・・・今のうちだよ!」
 30メートル、通過。
「駄目だ、駄目だ・・・また虎頭の目が君を捉えた! 1・・・2・・・ジャンプ!」
 残り、5メートル。私は渾身の踏み切りで、町の入り口へと跳び込んだ。跳躍と同時に膝を抱いて身体を丸めた事で、宙返りの様に一回転してしまい、町との境界に沿って3本の爪痕が付いて霧散していく瞬間を目の当たりにする事となる。1秒遅ければ、鱠切りにされていた。そのスリルを体感していたせいで、私は受け身も取らず、地面に叩き付けられてしまう。
「い、痛い・・・・・・という事は、生き残れたのか?」
「そうだよ、白枝君・・・君は今、ジャングルの町の中に居る。本当に切り抜けてしまうとは、君も大した者だよ」
「ははっ、ムリゲーだっての・・・今日のタイムリミットは?」
「ん? ・・・あと、1時間半といったところかな?」
「そっか・・・じゃあ、もう少し進まないとね」
「・・・今日は、戻ってきても構わないよ? 君はアクシデントに見舞われ、辛い経験し、死のプレッシャーにも曝され続けていたのだから・・・」
「せめて、高山には辿り着いておきたいんだ・・・」
「ここから高山へはまだ長い・・・今日は町で準備を整えるだけにして、帰って来なさい」
「はぁ・・・・・・分かったよ、そうする」
「早く帰ってきた分、ケーキセットでも御馳走しようか?」
「う~ん・・・今日は何だか妙に優しいね、藤園さん?」
「滅多にある事では無いけれど、此方が非を認める時もあるのだよ・・・ごめん」
「この最悪のイベントを見抜けなかったのは、確かに手痛い。でも、よくサポートしてくれたし、赦そうじゃないか・・・ありがとう、藤園さん」
「・・・・・・ほら、早く町を探索するよ。先ずは町役場へ向かうとしよう、何たって君は一文無しなのだからね?」
「あっ、そうだったね・・・今回も、全額投資しちゃおうかな?」
「はぁ・・・君はそうやって乗り越えてきた、もう止めないよ」
「まあまあ、ちゃんと装備を見てから考えるからさ」
「出来ない約束をするものではないよ、白枝君?」
 藤園さんと取り留めのない会話を交わしながら、私は町の中心へと歩き出す。今はただ、彼女の不器用な気遣いに頭が下がるばかりだった。
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