蒼の脳

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第一章 The Nutcracker

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 今から五年前、総人口の9割が死亡したとされる惨劇が起こった。第五の大量絶滅と呼ばれるそれは、かつて無い太陽フレアから始まった。全世界、ありとあらゆる電子機器が機能停止に陥り、この時点で総人口の2割が死亡したと推定されている。
 しかし、真の危機が生き残った人々に襲い掛かった。謎の武装集団による、世界規模の虐殺である。彼らは後に機人と呼ばれる、金属の身体に精神を移した科学者達であった。太陽フレアにより、武力を著しく削がれた各国軍隊では歯が立たず。人類は瞬く間に数を減らされていった。
 そんな中、反撃の狼煙が、意外にも日本から挙がった。新造の駆逐艦と未知の人型兵器、そして特務隊のゲリラ作戦により、多くの機人とその司令塔を討ち果たしたのである。それにより機人の攻勢は小康状態となり、我々は新天地にて共同体を築くことになった。その共同体の名は、全ての避難民を保護し、復興の旗振り役となった企業から取ってコンノと呼ばれている。
 コンノでは、ARを利用した再現方策を採用している。それは、人間と遜色の無いアンドロイドを大量に導入によって、平和と活気に溢れていた頃の日本を再現し、戦災の心理的ストレスを癒していこうという試みだ。これが意外にもうまく機能し、PTSD患者は減少、出生率は上昇傾向にある。しかし、完璧な方策などあまりお目に掛かれない。アンドロイドを是としない反AR団体が市民の間で生まれ、過激な反対運動を展開し始めている。コンノが保護してくれなければ、我々は皆死んでいたというのに。こういう輩を恩知らずというのだ。


 終業のチャイムが鳴り、黒板にチョークを走らせていた現代社会の教師の手が止まった。
「もう、そんな時間か・・・では、今日はここまでとする」
 機械的な号令が行われ、教師は教室を後にした。次のホームルームを経れば、帰宅出来る為、生徒達は早々に帰り支度を始めている。その中で、微動だにしない生徒が一人。彼は動かないまま、担任が入室、ホームルームが進み、そして終わりを迎えた。
 帰っていく生徒達の中、彼の前に座る女生徒が振り返った。
「いや、起きろよ!」
 彼女は盛大に突っ込んだが、彼に反応は無かった。
「起きないとか・・・あたしが痛い子みたいじゃない!」
 反応無し。彼女はやや、心を痛めた。
「なになに? 荒事?」
 ふらりと、男子生徒が現れる。
「天霧がずっと寝てて起きないの・・・岡本、やっておしまい」
 男子生徒、岡本はブンブンと首を横に振った。
「それは・・・命に関わるから!!」
「なんでよ? 頭にチョップしてみなさいよ。元柔道部でしょう!!」
「いや、チョップは空手だからね・・・ええい、仕方ない。ままよ!」
 岡本は腕を振り上げ、不動の学生たる天霧の脳天目掛けて、振り下ろした。しかし、岡本の手は天霧の頭ではなく、手に収まった。
「なんとぉ!?」
 そのまま、腕を捻り上げられ、岡本は悲痛な叫びを挙げながら、崩れ落ちた。
「いだだだだだぁっ!!! 起きてるでしょ? これ、起きてるでしょう、稲葉さん!?」
 岡本の必死の問いに対し、女生徒、稲葉睛は動揺した面持ちで答えた。
「ヤバイ・・・まだ寝てる」
「マジでか~!!! それって、この万力が止まらないってことじゃん!?」
「・・・うん」
「うごぉぉ・・・稲葉さん、責任持って起こしてくれ! このままじゃ・・・腕がへし折れるっ!?」
「で、でも・・・生半可な事じゃ、あんたの二の舞に」
「手なら・・・ある」
「え、あるの?」
「・・・キスを、キスをするのです!」
「マジですか!? あたしの青春を、こんなしょうもない事に使えと!!」
「っ・・・時には嫌でも代償を払わなければならないこともある。それが社会ってもんですよ!!!」
「で、でも・・・こんな所で!」
「も、もう限界だあ~!!! 腕もげる~!?」
「わ、わかったわよ・・・やったるわよ!!!」
 稲葉はゆっくりと顔を近付け、一度喉を鳴らした後、きゅっと目を閉じ、さらに近付く。
 唇と唇が、今まさに重ならんとしたその時、またふらりと、女生徒が近付いてきた。
「忠邦君、帰ろう?」
 すると、不動であった天霧忠邦は突然立ち上がり、頷いた。
「ああ。帰ろう、白兎」
 唖然とする稲葉と岡本。だが、すぐに我に返った。
『お、起きてたんかいっ!!』
「ん、まあな」
 天霧は、すんなり頷いた。
「面白そうだから放置してみた」
「私の葛藤は、いったい・・・」
 膝を抱え、俯き出す稲葉。これはマズイと踏んだ天霧は嘆息しつつ、ある提案をした。
「ああ・・・稲葉。今度、何かお詫びするから、元気だせ」
「・・・本当?」
 提案へ即座に食い付く稲葉さん。
「約束しよう」
 なんとなく和解した二人、そこへ岡本が顔を出した。
「あの~天霧様? ちなみに俺も御馳走してもらえます?」
「お前は駄目、調子に乗りすぎだ。そんなに強く捻っていなかっただろう?」
「ちょっ・・・!? それは言わないで」
 ピキッ、そんな血管が浮かぶ音がした様な気がした。稲葉は表情の消えた顔を岡本に向けた。
「お~か~も~と~」
「あはは・・・その・・・てへっ☆」
「てへっ☆ じゃな~い!!!」
 稲葉渾身のビンタが、岡本の頬をえぐる。
「ぐほぉっ!?」
 力無く、床に沈む岡本。そんな彼を天霧は平睨した。
「岡本・・・床って、けっこう汚いんだぞ?」
「えぇ・・・そこ?」
 天霧はそれ以上岡本を構うことなく、帰り支度を済ませた。
「うわ~ん、琴音~」 
 稲葉は涙ながら、白兎に抱き付いた。
「よしよし・・・」
 頭を撫でられ、まんざらでない稲葉。
「うん、これ癒し!」
 すでに、くつろぎ始めていた。
「また明日な、二人とも」
「・・・やっぱり帰るの?」
 稲葉が気まずそうに問い掛ける。
「帰宅部は帰るものだろう?」
「そうだけど・・・ねえ、やっぱり天霧もクラブに参加しない?」
「悪いな、あんまり性に合わないんだ。白兎、行くぞ」
「はい。睛ちゃん、岡本君、また明日」
 天霧は、白兎を伴い、歩き去っていく。そんな二人を見送った後、稲葉は呟いた。
「天霧も、そうなのかな・・・」
「・・・何が?」
 岡本が起き上がり、天霧の席に腰掛けた。
「・・・過剰感情移入症だっけ?」
「喪った人をARに投射して、執着しちゃうってあれ? 確かにいつも一緒だけど・・・何か違うような」
「そうなの?」
「気には掛けてるけど、故人とは重ねてないというか・・・単純に白兎さんが可愛いからじゃない? というか、やっぱり白兎ってARなん?」
「たぶん・・・でも、聞く勇気無い。喧嘩とかしたくないし」
「俺が聞こうか?」
「止めて。あんたじゃ絶対こじらせる」 
「あ~やっぱり? まあ、とりあえず、我々はクラブへ行こうぜ」
「そうね・・・」
「まだ何かあんの?」
「さっき・・・天霧が立ち上がった時、ちょっと唇が触れてたの」
「・・・ワオっ」

      
「今ごろ、天霧って過剰感情移入症なんじゃね? とか言われてそうだな」
 帰り道、天霧は白兎にそんな事をぼやいていた。
「違うのですか?」
 白兎は意外そうな顔で聞き返した。
「そうだと思っていたのか?」
「それ以外に、忠邦君が私を気に掛ける理由が見付からなかったから」
「俺は本物の白兎・・・いや語弊があるな。腐れ縁だったアイツとお前を重ねてなんていないさ。性格なんて全然違う」
「そうなんですか? 白兎琴音の生涯を追体験しているはずなのですが・・・」
「それだって、遺族とかの証言から練られた過去でしかない。本人の気持ちを完全に追体験することは出来ない、出来るわけがない」
「では、私は白兎琴音失格ということでしょうか?」
「そうじゃないさ。お前は、白兎の生きれなかった今を生きている。お前は今、白兎琴音の未知の人生を歩んでいるのさ」
「では、私は私で良いんですね!」
「その通り。今俺が接してるのは、お前なんだから」
「はい、記録を更新しておきます」
「それが良いだろうな・・・そういえば、昔の白兎を知っているのなんて俺くらいなんだから、俺の口を封じれば完璧なんじゃ・・・」
「分かりました、検討しておきます」
「いや、しないでくれよ?」
 そこで、二人は我慢ならず噴き出してしまい、そのまま笑い合っていた。しかし、不意に白兎の足が止まる。
「着いてしまいました・・・」
 白兎は、とある一戸建ての前で立ち止まっていた。表札には白兎と彫られている。
「なんだか、早かったな」
「ちゃんと、22分46秒経っていますよ」
「いや、時を越えた覚えはないさ」
「ふふっ冗談ですよ。それでは、失礼します」
 門を抜け、白兎は敷地内へと入った。
「・・・この名残惜しさは、再現、ではないのでしょうか」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、何でもありません」
 笑顔で手を振りながら、白兎は玄関の向こうへ消えた。
 それを見送った後、天霧が歩きだそうとした時、携帯端末のバイブレーションに気が付いた。メールである。差出人は、未登録。文面は滝登り、とだけ。
 天霧は、それをじっと見据えた後、無言でそれをしまった。
「滝登り・・・鯉? ああ、来い、か」
 彼は静かに呟いた。


 約25万人(内24万がAR)が暮らしているコンノの首都、再現東京。地名は廃され、区画として管理されているが、雑多な都市であった東京を再現している為、混沌とした高層ビル群は健在であった。
 白兎を見送った後、天霧は生活拠点である第一区南から同区東にある小さな飛行場へと足を運んでいた。民間での航空機の保有は禁じられている為、飛行場と名の付く場所は、大抵が防衛を司る保安局の管轄になっている。つまりは、軍事施設なのだ。
  天霧は堂々と、正門から足を踏み入れようとした。当然、警備員が天霧に気付き、声を掛けた。
「おっ、鷺塚じゃないか。お疲れさ~ん」
 天霧は目を見開き、暢気に手を振る警備員に詰め寄った。
「ちょっと、柴田さん。ここまだ正門だから、その名前で呼ばないで」
「おっと・・・すまん、すまん、今はえっと・・・あ、そう天霧だったか!」
「頼みますよ、バレたら一大事なんですから」
「流石は機人殺しの英雄、偽名暮らしだなんて大変だな」
「柴田さんも一緒に戦ってたじゃないですか、他人面しないでください」
「俺は技師だぜ? たった15、6でロボット乗り回して、機人どもを薙ぎ倒してた奴とは比べ物にならないの。んで、今日はどうしたの?」
「艦・・・長官に呼び出されまして、はるばるやって来ました」
「しばらく無かったのに、何事だろうな・・・とりあえず、本部までのヘリは要請しておくから、まっすぐヘリポートへ向かってくれ」
「ありがとう、柴田さん。そうだ、あいつらにもよろしく言っておいてください」
「ははっ、わかったよ。じゃあな」
 天霧は正門を抜け、ひとまず滑走路を目指した。人っ子一人いない滑走路をトボトボと歩き、奥まった位置にあるヘリポートへひたすら足を動かした。
 すでに、ヘリポートには小型ヘリが待機しているのが、確認できる。早さは何事においても尊ばれる。ならば尊重しなければ、天霧は駆け寄り、小型ヘリの副操縦席へと乗り込んだ。
「よろしくお願いします」
 シートベルトを締めながら、天霧が声を掛けると、パイロットは親指を立てて、応答した。
「今回エスコートさせて頂く、緒方です。まもなく発進できますので、少々お待ちください」
「了解です」
 天霧は、この間に帰りが遅くなる旨を、家人へメールしておいた。
 送信するのと同時に、プロペラとローターが回転を始めた。それは瞬く間に高速へ至り、機体が数センチ、地面から浮き上がった。
「上昇します」
 パイロットの言葉と共に、ヘリは徐々に高度を上げ、飛行場のさらに東へと飛び始めた。
 目的地は、再現東京湾海上、フロート施設菱形島。名の通り、菱いくつもの形の土地に軍事関連の施設が押し込まれた場所であり、都市防衛の要にして、最終防衛線に設定されている。菱形島をよく見ると、小さな菱形のユニットで形成されているのが判る。小さな菱形が集まり、大きな菱形と成っているのだ。
 これから向かうのは第33ユニット。存在しているが見付からない、端数のマジックに隠された場所にして、特務隊本部である。規定の順路を進み、ヘリは第33ユニットへたどり着いた。そして、ユニット上唯一の建物たる本部ビル、その屋上に着陸した。
「自分は、ここで待機しておりますので」
「はい、ありがとうございます」
 パイロットに礼を述べ、天霧は屋上に降り立った。そして、ヘリが巻き起こす突風をモノともせず、通用口から建物へと入っていく。このエントリー(侵入)方法は実に楽である。目的地は本部最上階、つまりは一つ下の階だからだ。階段を降り、最上階への扉を押し開く。その先には、一本の廊下が伸びていた。エレベーターホールへと続く、その廊下。
 一本道かと思いきや、中程に曲がれる道が存在した。つまり、ここは丁字路なのである。
 その道の奥へ進み、行き着いた扉を天霧はノックした。
「失礼します」
「・・・どうぞ」
 応答を得てから、扉を押し開いた。ここは特務隊長官の執務室。この部屋の主たる彩藤長官は、机に突っ伏していた。
「御呼びでしょうか、長官殿」
 天霧は、姿勢を正し、一部の隙も無い敬礼をした。
「ああ、鷺塚君・・・敬礼とか大丈夫だから、楽にして」
「はっ!」
 敬礼を解くと、手を後ろで組み、足を肩幅に開いた。
「いや、確かにそれが模範解答だけど・・・ここではそこのソファにごろ寝するくらいの気概が必要よ」
「はっ、誰が座ったかもわからないソファにごろ寝する気はありません!」
「一理あるわね・・・というか、もうその新兵ごっこは止めたら? 君は元々軍属じゃあないでしょう」
「・・・そうですか、暇潰しにはなりましたか?」
「それなりにはね」
「それは良かった」
 天霧はあっさりと構えを解き、ソファに腰掛けた。
「やはり、お暇ですか?」
「ええ・・・一日12時間、ただここに座って書類に判を押すだけの業務。気が狂いそうになる」
「心中お察しします。海が恋しいですか、艦長殿?」
「私は自由に動けないのよ? 出来るなら、艦隊でも指揮していたいわ。でも、そのポストに私はいない」
「・・・英雄の末路とは、どれも無惨なものですからね」
「特務隊とは聞こえは良いわよね? まさにSounds good。英雄視されている旧Eーリアス乗組員を一手に飼い殺す檻の癖に・・・」
「特務規定、機人または反乱者による大規模騒乱時にのみ、特務隊に権限が移る。ただし、公に出来ないものに限る・・・いい感じに締め出されてますもんね」
「まったく・・・コンノに全権を委ねるべきじゃ無かったわね。避難民が生き残るにはそれしか手が無かったとはいえ、祭り上げるだけ祭り上げて、こんな天ノ岩戸行きにされるとは・・・」
「あの救国の戦乙女が、たった4年で、ここまで落ちぶれるとは、誰も思っていなかったでしょうね」
「もう、4年も経つのね・・・」
「ええ、お互いフケました・・・」
 沈黙が重く垂れ込む室内。それを破ったのは、起き上がった彩藤であった。
「・・・いや、待って。これ何十年来の艦長と副艦長の会話だからね! 私まだピチピチなんだからね!!」
「いや、もう20代も後半戦でしょ? さすがにピチピチとは言えなくなるのでは? というか、ピチピチって・・・ふっ、古い」
「何よ、5歳しか変わらないじゃない。21で高校生ってどうなの?」
「さあ? 失った時間を取り戻しているだけですし・・・とりあえず、そう見えれば問題無いかと。合法ですし」
「・・・確かに、似合っているけど・・・それなら、なぜ学業に集中しないのかしら?」
 彩藤の雰囲気が少し変わった。脇が締まったという感じである。
「やっと本題ですか」
「ええ、最近は派手にやっているみたいじゃない? もう何件も過激派団体を潰している。何故かしら?」
「フリーランスですから」
「確かに、特務隊は大型兵器を使わない場合、あらゆる事柄への自由介入が赦されている。でもそれは、首を突っ込む理由にはならないわ」
「・・・ですよね」 
「・・・言いなさい」
「・・・」
「言いなさい、鷺塚明来(さぎつか あき)」
「・・・」
「言わないと、お姉さん怒っちゃうぞ?」
「そういうの、流行りませんよ」
「・・・言え、鷺塚」
「はい・・・ARの連続損壊魔を追っているんです」
「あのニュースになっている? もろに保安局の管轄なんだけど? それこだわる理由は?」
「なんとなく、嫌な感じがしたので、捕まえてみようかと」
「嫌な感じ、とは?」
「言い表せない勘のようなものですよ。捕まえて、それが杞憂だったってことを証明したいんです」
「ふ~ん・・・君がそんな不確定要素で動くとはねぇ」
「意外と迷信深いんで。でも、それがたまには役に立つ」
 天霧は立ち上がると、彩藤の元へ歩み寄った。
「暇をもて余す女神様に、岩戸の外への招待状でございます」
 天霧は懐から、USBを一つ取り出して見せた。
「招待状・・・?」
「損壊魔とは別件ですが、落実会を始めとする各反AR団体の端末を調べた結果、面白い金の流れがありました」
「・・・へぇ」
「雑費にしては大き過ぎる額、おそらくテロの準備かと」
「保安局もそれを?」
「いえ、報せていません。データの中に巧妙に隠されていたので、自力で見つけるのには時間が掛かるでしょうね」
「なぜ、これを私に?」
「かなり大規模な動きですので、保安局への警戒は厳しいでしょう。しかし・・・」 
「ノーマークの我々ならば、死角から探れるわけね」
「はい。出来れば、自分は損壊魔に専念したいので、他の誰かにお願いします」
「・・・わかりました、受け取りましょう」
 才藤は、USBを受け取ると、すぐさま自分のパソコンに差し込んだ。
「これで、暇を潰せそうですね?」
「ええ、久々にスイッチが入ったわ。暗躍と行きましょうか」
「お手柔らかにお願いします。では、自分はこれで失礼します」
「ええ、貴方も程ほどにね」
 天霧は、深く礼をし、踵を返した。ドアノブに手を掛けた時、彩藤がぽつりと呟いた。
「変わったわね、鷺塚君・・・」
「4年経ちましたから・・・それに、今の俺は天霧忠邦(あまぎり ただくに)ですから」
 天霧は苦笑しながら、扉の向こうへ去っていった。
 
      
 ヘリに乗り込み、第一区飛行場へ戻った天霧は、寄り道せず、そのまま帰宅した。
 第一区南部の、北部との境目辺りに建つ高層マンション、そこの一室が彼の自宅である。エレベーターに乗り込み、自室のある階層で降りた時に、天霧の耳に話し声が届いた。
「久遠先輩、今日はお招き頂き、ありがとうございました。とても楽しい時間でした!」
「こちらこそ、とても有意義に過ごせましたわ」
「あ、あの・・・久遠先輩。不躾かもしれませんが、せ、先輩を、お、御姉様と御呼びしてもよろしいでしょうか?」
「そうね、榊さんがそうしたいのなら、私は構いませんよ」
「あ、ありがとうございます・・・御姉様。それと、どうぞ私の事は茜と御呼びください」
「わかりました、茜。また明日、学園でね」
「は、はい。では、失礼致します」
 とても、玄関先でする話とは思えないこの会話、これを聴いた天霧は、青筋を浮かべていた。エレベーターホールを出るところで、天霧は少女とすれ違った。身に纏うは仕立ての良い学生服、第一区北部に在る、有名な御嬢様学校、古峰女学園のものである。それをすれ違い様に確認した天霧は、眉間にしわを寄せた。
 通路に出て、左。その先には、さっきの少女を見えなくなるまで見送っていたであろう、清楚な少女の姿があった。その少女は天霧に気付くと、顔から微笑みが消え、蒼白の表情で部屋に入り、荒く扉を閉ざしたのであった。天霧は鬼気迫る表情で、その部屋の前まで歩み、ドアを引いた。案の定、鍵が掛かっている。天霧は自宅の鍵を使って解錠し、室内へと踏み込んだ。
「ジャーニーー!!!」
 普段は感情をあまり顔に出さない天霧、しかし、今は怒号を轟かすほど怒っていた。まさに、怒髪天を衝くである。天霧は、長髪をなびかせ、リビングへ逃れようとする少女の姿を捉えた。瞬時に懐へ手が伸び、拳銃ナイトメアを引き抜いた。
「逃がさん!!」
 銃口が少女を捉え、引き金は躊躇い無く引かれた。しかし、寸でのところで陰に逃げ込まれてしまう。狩人の目となった天霧は、逃げた獲物を追う。
「今度という今度は許さんぞ、ジャーニー!」
 リビングに足を踏み入れた瞬間、左目の視界の端、ソファを盾に拳銃を構える少女の姿を捉えた。
「食らえ、自由への一撃!!」
 その直後、拳銃のトリガーが引かれた。高速で、天霧のこめかみ目掛けて撃ち出された銃弾、天霧はそれを左手で受け止めてみせた。
「うそぉっ!?」
「・・・甘い!」
 唖然とする少女の眉間に、ナイトメアの針が撃ち込まれた。
「ぐはぁ!?」
 力無く、目の前のソファに倒れ込む少女。手にしていた拳銃を取り落とし、それがソファを転がり、天霧の足元まで滑ってきた。
「安全印のデリンジャー。高速でゴム弾を撃ち出すリボルバー」
 天霧はナイトメアをしまい、そのデリンジャーを拾うと、倒れた少女の元へ歩み寄った。
「な、なんで・・・気絶・・・しないのこれ?」
「音波を最弱にしたからだ。それでも常人では動けない」
「寝ながらジェットコースターに乗ってるみたい。ヤバイ・・・吐きそう」
「吐いたら、吊るすぞ?」
「文字通りにってわけ、この鬼畜め・・・どうやって、あの一撃を防いだの?」
「ああ・・・これは俺が与えたものだ。威力はプロボクサーのストレート強だと教えたな」
「うん・・・」
「簡単な話だ。俺は、プロボクサーのストレートを受けとめられる」
「でも・・・見切れた理由は?」
「それも簡単だ。第一に、これは俺が与えたもの。使い慣れていないものは渡さない、発射から着弾までの感覚は身体に染み込んでいる。第二に、デリンジャーの使用はある程度読んでいた。そして、第三に・・・頭を狙えと仕込んだのは俺だ」 
「くっ・・・不覚」
 そう言い残し、ぐったりと伸びてしまう少女。天霧は少女の頭を軽くどついた。
「寝るのは早いぞ、久遠秋鹿(くおん あいか)。 貴様にはもっと反省してもらわねば」
「っ・・・あの娘は、私に忘れ物を渡しに来ただけで・・・」
「お招き頂き、そう言っていたな、あの娘は?」
「・・・アチャ」
「これで女性を連れ込むのは何度目だ、ジャーニー?」
「えっと・・・わかんない」
「四度目だ!」
「あ、あの娘は・・・初めてだから」
「個人の問題では無い! 勝手に他人を入れるなと言っているだろう!!」
「なにさ・・・束縛?」
「どれだけの機密が此処にあると思っているんだ!」
「ああ・・・大丈夫だよ。ほら、他のものに目が行く暇なんて与えなかったから」
 フラフラと親指を立てる、久遠。その姿に天霧は嘆息するしか無かった。
「お前の性癖に関わりたくもないが、ここ以外で出来ないのか?」
「それは無理・・・一人暮らしの部屋って言わないと、御嬢様は遠慮しちゃうから」
「はぁ・・・場所が必要なら、もうここを出ていけよ。これぐらいの部屋を借りるくらいは稼いだだろう?」
「それは嫌・・・こんな召使い付きの楽な生活環境を手放すものですか!」
「・・・よし、音波を強くしてやろう。知ってるか、最強は精神が崩壊するらしいぞ?」 
「ここに、もう女の子を連れ込まないことを、誓います」
「ふん・・・何度目の誓いだ、それは。次は・・・最強だぞ?」
 天霧は、渋々ながら、眉間から針を抜いてやった。
「・・・これってどのくらいで治るの?」
「15分ってところだ」
「あぁ・・・あんたの敵に同情したくなるわ。たぶん、見るたびに思い出しそう」
「それは良かった、今度からはちらつかせるだけで効果がある」
 天霧はデリンジャーを久遠の傍に置き、キッチンへ向かった。ダイニングキッチンである。
「お母さ~ん、夕飯はな~に?」
「誰が、お母さんだ・・・ろくなものが無いな、これなら焼きうどんだな」
「ええ~ボンゴレビアンコ~」
「いくらなんでも、それはかけ離れ過ぎだろう」
「買ってきて~」
「どっちが鬼畜だ。自分で行け」
「いや、気持ち悪くて立てないし」
「はぁ・・・それでよくもまあ、古峰女学園でやっていけるな?」
「ああ、あそこは少し御澄まししてれば、大抵乗り切れるからね」
「ここではしないのか?」
「陰陽の理よろしく、人は内弁慶、外弁慶のどちらかに大別される。つまりは御澄ましすると、どこかでその反作用が出てしまうですよ」
「それが・・・ここだと?」
「その通り。それに手の内を知ってる人の前での御澄ましは、とても滑稽じゃない?」
「ああ・・・確かに気持ち悪いな」
「撃つよ?」
「また受け止めるまでだ」
「うわ、チートめぇ」
 そうこうしている間にも、調理を進めていた天霧。やがて炒めたベーコンと鰹だしの香りが合わさった、芳しい匂いが、部屋を漂い始めていた。
「うわ、美味しそう・・・」
「現金な奴め、もう出来るから待て」
「了~解」
「ジャーニー、調査に進展はあったか?」
「クルミ割りねぇ・・・驚くほど痕跡が無いんだよねぇ。現場周辺のカメラ全部洗ったけど、姿を捉えたものはゼロ」
「そうか・・・まるで幽霊だな」
「今どき幽霊だって、カメラには映るよ。相手は物理的存在で、的確にカメラが壊されているだけだから」
「分かっている。とにかく、奴が白兎に近付くのだけは防ぎたい。俺の予想が当たっているのなら尚更に」
「機人の関与? でも、ただの器物破損に機人が関わるかな?」
「確かにな、だが、この犯行には二つの技術が必要になる。それがどうも気にかかる」
「二つの技術?」
「それは・・・」
 その時突然、天霧の端末に着信が入った。天霧は火を止め、端末を手にとった。
「田上さんからだ」
「え、あの、おやっさんから?」
「進展があったのかもしれないな、少し静かにしていてくれ」
 天霧は、スピーカーに切り替え、着信に応答した。
「・・・もしもし、カラスか?」
 カラス、田上は天霧のことをそう呼んでいる。
「ええ私です、田上さん。進展がありましたか?」
「正式には、進展はまだ無い。ただ、非公式にはある」
「非公式・・・なるほど、あれですか」
「ああ、刑事の勘ってやつさ。俺の読みでは、今夜奴は第二区に現れるはずだ。来れるか?」
「・・・わかりました」
「おう、経済振興センタービルの前で待っている。すぐ来てくれ」
 そこで、着信は終わった。
「というわけだ、ジャーニー。また出掛けてくる。いつでも、援護出来るようにしておいてくれ」
「まだ目が回ってんだけど・・・わかった」
「ああ、頼む。それと、食後の栄養剤を忘れるなよ」
 そう言い残し、リビングを出ようとした天霧を、久遠が呼び止めた。
「ちょっと、制服はマズイんじゃない?」
 天霧は自らの格好を確認し、コクりと頷いた。 

      
 再現東京は、行政の中心たる第零区から学問の第一、経済の第二、歓楽の第三、農耕牧畜の第四、工業の第五、保養の第六まで、7つの区に分かれている。第二区には、商社ビルが林立し、壮大な摩天楼を形成している。ちなみに湾と接しており、その先に菱形島がある。
 天霧への電話から5分、田上は煙草を燻らせながら、彼の到着を第二区のランドマークたる経済振興センタービル前で待っていた。
「煙草を消して頂けますか、田上さん?」
 いきなり背後から声を掛けられたが、田上に驚く様子は無かった。
「ケッ・・・早ぇじゃねぇか、まだ吸い終わってねぇのによ」
「緊急みたいなので、自転車かっ飛ばしてきました」
「自転車? 特務隊がか?」
 振り返った田上は、度肝を抜かれた。
「なんだぁ、その格好は!?」
 そこに居たのは、パーカーのフードを目深に被った天霧の姿があった。フードの下には、あの面頬が装着されている。
「変ですか?」
「ああ・・・俺なら間違いなく職質掛けるぜ。怪しい人物のモンタージュの凡例みたいだ」
「一応、素顔を隠したかったので、サングラスとマスクにするか迷ったのですが、夜ですので」
「はぁ・・・特務隊ってのも難儀だな」
「あはは・・・それで、クルミ割りがここで動くとのことでしたが、その勘の根拠は?」
「ああ、これまでの犯行は半年前から始まり、湾岸部から内陸へと向かってきている。週に一回のペースで、しかも夜にだ」
「なるほど・・・そのパターンで計算して行くと、今日のこの辺りで犯行が行われると?」
「ああ、勘だがな。でも今のロボット警察じゃあ、この論理じゃ弱いそうだ。若手の課長に一蹴されちまった」
「保安部の人材、人手不足が深刻だという話は本当なんですね」
「ああ、ほとんどが保安用ARで一人の人間が約4体指揮することになる。命令すれば動くし、普通の事件なら、それでも対応出来るが・・・厄介な事件には人の判断が必要になる。人にしか分からない、行動の機微ってやつだな」
「だから、お一人で?」
「ああ、あいつらは鼻が効かないからな。派遣したところで、何も掴めないさ」
「あれ、嗅覚センサーなら搭載されてますよね?」
「馬鹿野郎! 元刑事の勘のことだよ!!」
「ああ、なるほど・・・そういえば、田上に付いてた新人さん居ませんでしたっけ?」
「萩は・・・風邪で寝込んでる」
「えっと・・・間が悪いですね」
「ああ、あいつは常に間が悪いんだ。だから、お前さんを呼ぶ羽目になったわけさ」
「あはは・・・それで、どうやって奴を見つけましょうか?」
「ああ、考えがある。歩きながら話そう」
 田上に促され、天霧は田上の後を追い、辺りを回ることになった。
「なあ、あんたは人間とARを判別できるのか?」
 雑踏の中、行き交う人々を指差しながら田上に問われ、天霧は頷いた。
「出来ますよ、そういう機具があります」
「両者の判別技術は、コンノでも一握りの人物にしか許されていない。なら、奴はどうやって見分けているのだろうな・・・」
「・・・そうですね」
 天霧は苦虫を噛み潰したような表情になった。それこそが、クルミ割りと揶揄される為に必要な技術の一つなのである。
「たしか、ARと人間を間違えて襲ったという事例はありませんね」
「そうだ、奴は間違いなく見分けている。俺はそう感じた」
「後は・・・ARの頭蓋を粉砕するほどの技術、ですね?」
「ああ、ARは姿かたちから膂力まで人と同等に造られているが、骨格だけは頑丈になっている。小銃の弾程度なら穴も開かないほどにな」
「ええ・・・それを粉砕する。そんなことは常人では不可能。胡桃割りが怪力の代名詞であるように」
「どこかで大道具を用いて破壊してから、発見場所の路地裏に置いたと報道されているが、現場の壁にはARの疑似血液が大量に飛び散っていた。間違いなく路地裏が現場だ」
「それはつまり、携行できる何らかの力で破壊したことを意味する・・・」
「政府にしか許されていない技術と人外の怪力を持つ者。こんな怪物を器物破損犯でしかないと軽視出来るやつの気が知れん」
 しばらく、無言で雑踏を進む二人。しかし、天霧がふと口を開いた。
「そういえば、もう一つ謎がありますよね? 一般用ARには路地裏や裏道を避けるように設定されていて、現場に足を踏み入れるはずが無いと」
「ふふ・・・それこそが、奴を捉える為のヒントになったのさ」
「方法が判ったのですか?」
「ああ・・・奴はエマージェンシープログラムを利用したに違いない」
「エマージェンシープログラム、目の前で犯罪行為が行われそうな場合、その阻止や犯人の追跡、捕縛を行う犯罪防止システムですね?」
「そう、プログラム発動時は路地裏へも入って行ける。これを逆手に取り、奴はARを誘き出しているに違いない。事実、過去の犯行直前に、プログラム発動時に出るエマージェンシーサインが確認できた」
「まさか、歩き回っているのは、そのサインを待っているのですか?」
「そうだ、サインの出た場所こそが奴の居場所だ」
 その瞬間、田上の懐からピピピッというやや古い電子音が響いてきた。
「なんてタイミングだ! 行くぞ、カラス!!」
 田上は、放たれた矢の様に駆け出した。


 結果から言えば、エマージェンシーサインは別件であった。その後も何度かサインが出たが全て別件、田上はそれらを快刀乱麻に解決していったが、クルミ割りには行き着けなかった。
「・・・・・・おかしいな」
 田上は、ぼそりと呟いた。
「田上さん、エマージェンシーサインは一日で何回発生するのですか?」
「そうだな・・・大体1000件弱だったか」
「それは・・・夜だけでも300件はあるってことですよね?」
「そうなるな・・・」
「半分が誤認だとしても・・・なるほどな、だからサインを利用するわけだ」
「外部で認知出来るのは、サインだけ。証拠映像はARの頭ん中で、奴はそいつをぶっ壊す。これで手詰まりなのか・・・?」
「・・・ふむ、仕方ないですね」
 天霧は端末を取りだし、電話を掛け始めた。
「ジャーニー、仕事だ。第二区内のエマージェンシープログラムを発動させたAR全てをトレースして欲しい」
「え、なんで?」
「それが、クルミ割りの漁法だったのさ」
「っ!? そっか、何で思いつかなかったんだろう! 3分頂戴!」
「ああ、頼む。結果はここに送ってくれ」
 そこで着信を切った天霧に、田上が詰め寄った。
「おいおい、そんな事が可能なのか?」
「あいつなら出来ます、優秀ですからね。ただ、これは裏技ですので、ご内密に・・・」
「・・・ああ、俺も時には、裏技が必要だって事は弁えているさ」
 その時、天霧の端末にデータが送信されてきた。
「これは・・・現時刻でのエマージェンシーサイン98件のうち、一つだけ子細の掴めないものがあるみたいです」
「本当か!?」
「ええ・・・どうやら、路地裏に入っていくみたいですね。ここから近い、急ぎましょう!」
「おう!」
 目標は、天霧たちの居た通りから程近い、雑居ビル群の狭間。細い路地が幾つも入り組む場所であった。
 二人はそこへ着くと、懐から拳銃を取り出した。天霧はナイトメア、田上は伝統の回転式拳銃である。
「まだARは生きている・・・まだ奥のようですね」
「ああ、急ぐぞ」
「自分が先行を、田上さんは援護を」
「足は引っ張らないさ」
「はい、自分は片耳を塞ぎますので、警戒お願いします」
「わかった」
 天霧は、端末に接続したイヤホンを左耳に嵌め、路地裏へと足を踏み入れた。
 この路地裏は、ところどころに明かりはあるものの、一つ一つが弱く、数も少ない為、かなり見通しが悪かった。加えて、月が雲に遮られており、月明かりも得られない。ナイトメアを右腕の限界まで突き出し、ペンライトを逆手に持った左手を右手の下へ添うように構えた。ペンライトで先を照らし、慎重に先を急いだ。
 そんな矢先、イヤホンが起動した。流れてきたのは、久遠の声であった。
「そこは迷路みたいになっているみたい、こっちから誘導するから」
「了解」
 久遠の指示の下、路地を折れること数回、幅のある路に出たところで、天霧たちは人の姿を捉えた。スーツ姿の男性である。
 彼が件のARなのであろう。まだ健在であり、辺りをキョロキョロと窺っていた。
「おい、あんた!」
 田上は前に進み出る、声を掛けた。
「保安局のもんだ。いったい、何があったんだ?」 
 ARは振り返り、田上の示すバッジを認識すると、ホッとしたような安堵の表情を浮かべた。バッジからデータ読み取り、情報を閲覧したのだろう。
「よかった、田上さん。聞いてください、先程・・・」
 ARが何かを語りだそうとしたその時、彼の背後の暗闇から、何かが飛び出してきた。
「な、何だ、あれは!?」
 田上がとっさに拳銃を構えた。しかし、その何かは一瞬にしてARへ肉薄し、彼の頭目掛けて拳を突き出した。そして、その拳はARの頭部をバラバラに粉砕したのである。瞬く間の出来事でよく判らなかったが、頭部が内側から破裂したようにも見えた気がする。眼球や歯、チタン合金の骨格、そして疑似血液が辺りに散乱する。このうち、固形の物が厄介であり、弾丸のように襲い掛かってきた。
 
「うぐっ・・・」
 よろしくない事に、歯の一部が田上の右脚大腿部に命中した。たまらず膝をつく田上であったが、すぐに拳銃を構え直し、トリガーに指を掛ける。
「食らえぃ!!」
 田上は装弾数6発全てを、撃ち込んだ。
「田上さん!? それ人!」
「バカ野郎! あれを人と思うな、殺れるぞ!!」
 その時、月を遮っていた雲が去り、突然、路地裏が照らし出された。
「なっ・・・あれは」
 田上の放った銃弾は全て、頭部を破砕されたARの胴体で防がれていた。
「くそ、やろうが・・・」
 胴体が手放され、ついにその正体が露になった。レインコートを身に纏い、露出する顔面は目出し帽と暗視ゴーグルで覆い隠している。
「あれが・・・クルミ割り?」
 天霧は田上を庇うように、躍り出ると、ナイトメアを向けた。装弾数は30と1発。一先ず、1発撃ち込んでみる。放たれたアンテナは、眉間目掛けて飛来した。クルミ割りは、すっと右手を出すと、目視がほぼ不可能なそれを、手のスナップで弾き落としてみせた。
「・・・マジかよ」
 天霧は、この状況には、思わず失笑した。
「田上さん、見ましたか?」
「ああ・・・こいつは鬼や蛇なんてもんじゃあねぇな」
「少し・・・集中させてもらいます」
 天霧はナイトメアとペンライトをしまい、両手を自由にした。
「格闘で行こうじゃないか」
 クルミ割りは動きも無く佇んでいたが、天霧の行動に反応し、駆け出した。トップアスリートでさえ成し得ないような速度で肉薄するクルミ割り。打ち出された左拳に天霧も左拳で真っ向から受け止めた。ここで、クルミ割りは後退し、間合いを取った。そして、不可思議そうに首を傾げている。おそらく、今の一撃で決めるつもりであったのだろう。警戒してか、クルミ割りは間合いを取った。
 それからしばし様子見の後、再度クルミ割りは肉薄し、拳や脚を繰り出してきたが、天霧は同じ拳と脚で相殺していた。ただ、唯一右拳の一撃だけは、いなすか避けていた。天霧からすると、右拳だけが他と比べ物にならない威力を感じていた。負けるイメージしか湧かないのである。しかし、巧く渡り合えても、これでは埒が明かない。
 そう考えた田上は、シリンダーに弾丸を装填し、天霧に動きを抑えられているクルミ割りへ銃口を向けた。当たらなくとも、天霧が決定打を放つ隙は作れる。田上は慎重に狙いを定め、トリガーに指を掛けた。
 しかし、その動きは、クルミ割りに把握されていた。右拳を繰り出し、天霧に避けさせて態勢を崩した後、田上に肉薄し、左拳を下方から胸部へと打ち込んだ。
「がはっ!?」
 衝撃に、息と血を吐き出す田上。しかし、彼は倒れず、クルミ割りの左腕に組み付いた。
「逮捕だぁ」
 すでに、クルミ割りの背後には天霧が迫っていた。
「はぁっ・・・!!」
 気合いと共に、クルミ割りの脇腹へ、天霧は右拳を打ち込んだ。鈍い音が轟く中、さらに機械殺しの衝撃が繰り出される。これで決まった、己に伝わった衝撃の強さにそう確信した田上であったが、クルミ割りは倒れなかった。
 天霧を蹴り飛ばし、組み付いた田上を振り払うと、クルミ割りは、雑居ビルの外壁に打ち付けられ、咳き込む天霧すれすれに右拳を打ち込んだ。けたたましい音と共に、外壁に放射状のヒビが走る。桁違いの威力であった。
 外す必要は無かった。これはある種の脅しなのだと、天霧は察した。次は殺すと脅しているのだ。天霧は、まだまだ余裕があったが、田上の容態が気になっていた。現時点では、リスクが高過ぎると判断し、暗闇へと去ろうとするクルミ割りを見送る事にした。
 月が翳り、再び訪れた暗闇へとクルミ割りは融け込んでいく。
「田上さん・・・生きてますか?」
 天霧は、立ち上がると蹴られた鳩尾を押さえながら、田上に歩み寄った。
「あ、ああ・・・生きてるよ。だが、こいつは・・・入院だな?」
 満身創痍でも、ユーモアを匂わせる田上であったが、大腿部に受けた歯が動脈を傷付けたようで、出血が止まらず、酷かった。さらにはあばら骨もいくつか折れているのだろうか、吐血と呼吸の乱れが見られる。天霧は田上を重篤と判断し、端末で救急搬送を要請した。
 田上の容態を説明しながら、天霧はクルミ割りの消えた暗闇を見据えた。逃した獲物を見つめる、狩人のように。
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