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第四章 一時帰宅編

第62話 人体実験

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「動物実験を飛び越えて人体実験とは、前衛的だな」
「動物愛護団体とかも最近はうるさいからねぇ。でも人工人間を用いた実験はお金も手間もかかって、現実的じゃない。他所じゃそうそう出来ない。……これが出来るのはオフィウクス・ラボの特権かもね」

 フリッツは得意げにモーズに説明をする。
 ちなみにこの培養槽が今までカーテンの奥に隠されていた理由は、予期せぬ訪問者がラボに現れた際、意図せず見てショックを受けないようにと備えた防衛策なのだと言う。

「一分の一スケールの培養人工人間……。これを珊瑚症に感染させて新薬の臨床試験をしている、と捉えてよいか?」
「その通りだよ」
「ならば危険を犯してステージ5感染者を保護する必要はないのでは? 鎮静剤が効かないからか? では鎮静剤の効くステージ4の状態を再現するだけでも、幅広い治療法の模索が出来るだろう」
「そう思うよねぇ。でも現実はそう上手いこといかなくて。人工人間に珊瑚症を感染させても、何故かステージ3で進行が止まってしまうんだ。それ以上は進行せずに停滞か、死滅してしまう」

 フリッツはモーズを手招きして、少し奥に配置された培養槽を見るように促す。
 そこに入れられた人工人間は見える皮膚が全て薄らと赤く染まっていて、ステージ3の末期症状。ここからいつ菌糸の突起が伸びステージ4になるかもわからない状態なのだが、何の薬も投与せず放置したままにも関わらず3年も進行が止まっているのだと言う。

「投薬がなければステージ3から4になるまで半年もかからない筈なんだけど、何でだろうねぇ」
「ううむ。培養槽から出せないのが原因か? ある程度、身体を動かしたり空気に触れたりと、刺激を与えなくては進行しないとか」
「その可能性も大いにある。『珊瑚』は真菌でしかも寄生菌、宿主を操って移動させ広範囲に胞子を撒くのが本能の筈だから、一定の場所から動かないと休眠状態になってしまうのかも」

 だからと言って人工人間を培養槽の外に出す事は出来ない。生命維持……と言っていいのかわからないが、生命の機能を再現出来るのは培養槽の中だけなのだ。
 外に出してしまえば、自発呼吸が出来ない人工人間の肉塊は直ぐに朽ちてしまう。尤も何らかの方法でウミヘビ達のように魂を宿し、培養槽の外に出られようにしたとして、倫理的な観点から人体実験は出来なくなるだろうが。

「あと培養槽の外に菌糸を伸ばせないのも関係しているかな? 進行が進んだ『珊瑚』は隙あらば菌床を作るぐらい、コロニーやネットワーク作りに熱心だ。菌糸を伸ばしても培養槽に阻まれる環境だと活動しないのかも」
「この培養槽には侵蝕しないのだな? 『珊瑚』はコンクリートにも菌糸を張れる筈だが」
「特別性の強化ガラスだからねぇ。それから実はうす~く二層になっている。その間の層は極寒仕様。下手に菌糸を張れば寒さで死滅するようになっているんだ」
「何と。つまり人用の冷却スーツを作れば『珊瑚』の死滅または進行を抑制出来る……?」
「それだとスーツの中の人、低体温か凍傷で死ぬねぇ」

 真菌が寒さに弱いのは事実なものの、ただ冷やすのでは真菌は火に弱いから、と火炙りにするのと同じだ。人が耐えられない。

「宇宙服を着て完全武装をしたとしても、人間は代謝で体液を分泌するから四六時中は着れない。着ていたら寧ろ不衛生だ。栄養補給に酸素の供給も考えると、培養槽と同じ条件を揃えるのは全く現実味がないよねぇ」
「もどかしい。薬に限らない、別のアプローチが出来ないものかと思ったのだが」
「地下でコールドスリープをしているステージ4患者の臨床試験に同意を貰えたら、色々捗るんだけどねぇ。【自主規制】とか【自主規制】してさ」
「今、倫理観が彼方かなたに消えたな」

 フリッツが人権ガン無視の臨床方法を口にしたからか、ユストゥスとフリーデンからも内に秘めていたらしき意見が飛んできた。

「私も許可があれば【自主規制】に【自主規制】や【自主規制】を試みるのだがな」
「俺は平和的に【自主規制】とか【自主規制】ならやってみてぇな~」
「患者に絶対に聞かせたくない文言が飛び交っている……」
「まぁ仮に患者本人やその身内から人体実験の許可を頂けたとしても、実行は無理だね」

 もうフリッツは臨床試験ではなく人体実験と言い切ってしまっている。
 しかし患者本人や身内から許可を得てもなお実行できない、と判断するのは何故だろうか。

「ほら、オフィウクス・ラボは国連管理下の組織だろう? そして倫理観は国によって違う。それに伴う法律も。一つの国ならまだしも国連が相手だと規約が複雑で、下手な事が出来ないんだ。ラボ解体もあり得る以上、慎重にならざるを得ない」
「成る程。予算が潤沢で設備も充実していて、多くの事が出来る場だと思っていたが、意外と自由がないとは」
「そう。実は制限が多い。正直、ちょっと手詰まりに感じていた研究もあった。でも、君が来てくれて事態は大きく進行したんだ」

 そこでフリッツはモーズの肩に手を置いて、マスクの下から笑い声を聞かせてくれた。

「僕はモーズくんが、『珊瑚』のネットワークに接続出来るという仮説を信じている。原因が何なのか、どう証明するのかは難しいから学会には発表出来ないと思う。それでも、今まで知り得なかった事がわかる筈だ」
「ネットワークの接続……。私が今まで聴こえた声は恐らく、〈根〉となった感染者だけだ。つまり菌床に赴かなければ、効果は期待できないと思われる」
「そうだね。菌床は全て危険地帯だ。昨日みたく怪我もするし、下手をすれば命を落とす。とても怖いね。尻尾巻いて研究室に籠っていたいなら、無理強いはしないよ?」
「まさか」

 フリッツの挑発的な物言いに引っかかって、ではなく、モーズは元より今後の遠征も全て同行する心積りでいた。ステージ5感染者の保護の為にも、積極的に現場に身を投じようと。
 その為にはウミヘビの特性を学び、アイギスの扱いを覚えなくては。モーズは右手の甲を泳ぐアイギスに視線を向けた。

「私も早く、使いこなさなくてはな。せめて自分の身を自分で守れる程度には」
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